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関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第3回 本当にあった、手塚治虫のかわいい!? わがまま

2020/10/19

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第3回 本当にあった、手塚治虫のかわいい!? わがまま

文/山崎潤子

手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。池原しげと先生は中学生のときに『鉄腕アトム』に出会い、漫画を描きはじめました。手塚治虫のアシスタントを務めたあと、漫画家として、またアニメの世界でも大活躍。そんな池原先生に、アシスタント時代の思い出をお聞きしました。

ikehara_prof.jpgPROFILE

池原 しげと

漫画家。手塚プロダクションで手塚治虫の漫画のアシスタント、アニメ制作などに携わり、漫画家の道へ。手塚治虫のキャラを描くのがうまく、『ふしぎなメルモ』など、学年誌で手塚治虫原作の漫画を担当することも。『魔女っ子メグちゃん』などのTVアニメ企画にも多数関わる。代表作に『ロックマン』シリーズ、『ファミコン風雲児』など多数。


■校了後、ホッとしたあとにわがまま勃発

────手塚先生のおもしろいわがままエピソードはありましたか?

池原:たしか『きりひと讃歌』だったと思うけど、原稿を渡したあとに先生がゴネるっていう事件がありましたね。背景にベタが塗ってあるコマなんだけど、フチを点描でぼかさなきゃダメだって。原稿を渡してから時間がたっていたのに、「〇ページの〇コマ目と〇ページの〇コマ目と〇ページの〇コマ目。どうしても直さなきゃダメです!」って言い出すんだから。製版所から原稿を引き上げて、僕らアシスタントが5人くらいで小学館に行って、切り貼りして修正しました。

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「右の様になっていた原稿を左の様に背景を点描でぼかせ!という修正をするために小学館まで行きました」と池原さん。イラストで解説してくださいました

────担当編集はさぞかし焦ったでしょうね。

池原:当然、青くなっていましたよ。たぶん校了して、あとは輪転機回すだけっていう段階だったと思いますよ。あれは特に重要なシーンってわけじゃなかったから、やらなくてもいいような気がしましたね。ああいうのはこだわりというより、一種のわがままだったような気がします。

────校了してホッとしたと思ったら、恐ろしいことになるんですからね(笑)。

池原:でもね。仕事で駄々をこねることはあったけど、今日は飲みに行きたいとか、サボりたいとか、そういうわがままはいっさいありませんでした。仕事が大好きなんだもん。手塚先生は。

だからわがままだって、仕事がらみのものばかり。手塚先生はきっと、葛飾北斎のように「100歳を過ぎても描き続けたい」という人だったと思います。生きていたら決して引退なんて考えず、80になっても90になっても描き続けたよね。売るくらいアイデアがあるって言っていた人だから。

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『きりひと讃歌』(1970年~1971年)

ある日獣のように生肉が食べたくなり、体や顔貌がだんだん犬のように変形していく奇病「モンモウ病」。モンモウ病の発生地域で治療のための研究をする青年医師、小山内桐人は、みずからモンモウ病に罹患してしまうが......。医学界を舞台に、小山内医師の数奇な運命を描いた作品。

■はじめと終わりが見えているから描ける

────変幻自在のストーリーテラーですからね。

池原:手塚先生って、はじまりと終わりがイメージできていると思うんです。だから長編でも短編でも自由自在に描ける。連載って、人気が出るとどんどん引き延ばされて、人気がなければ打ち切られるでしょう。先生は最初からラストが見えているから、連載が長くなれば回り道すればいいだけで、途中はいかようにもいじれる人だったんだよね。中身に関してはいくらでもアイデアが出てきただろうし。

────なるほど。ゴールが見えているわけですね

池原:だから、どんな話もきちんと風呂敷を畳めたんでしょうね。ラストが決まっていれば伏線もきちんと張れるし。まあ、途中は無駄なこともたくさんやるけどね(笑)。

────だから700作品も描けたんでしょうけど、複数の連載なんて普通じゃできませんよね。

池原:ひとつの連載で20ページずつ仕上げて、それが毎週何本もあるわけ。尋常じゃないですよ。手塚先生は、ネームをだいたい一話3、4時間でやっていたんじゃないかな。20ページ分、セリフまで入れてね。

────それを休みなくこなしていたっていうのは、本当にすごいですね。

池原:僕がいた頃、最高で月450ページやるぞっていうときもありましたよ。その頃は虫プロが倒れそうで、暮れにみんなのボーナスを出すために450ページもやるっていう話だったかな。だから僕らも頑張ったよ(笑)。そのときはさすがにボーナスを10万円くらいもらった覚えがあるね。

────アシスタントさんの才能に嫉妬するようなことは?

池原:さすがにそれはなかったんじゃないかな(笑)。手塚先生が本気で嫉妬したのは石ノ森章太郎先生と大友克洋先生くらいじゃないでしょうか。石ノ森章太郎っぽい漫画で勝てる自信はなかったかもしれないし、大友さんよりリアルな絵は描けないだろうし、そういうコンプレックスがあったんじゃないかな。その他の人はほとんど気にしていないと思いますよ。僕の見た限りではね。

────当時手塚先生が親しくしていた漫画家さんはいますか?

池原:僕がいた頃、いちばん仲がよかったのは小島功さんですね。仕事をしながらしょっちゅう電話していましたよ。何を話しているのかまではわからなかったけど。

────あ、あのかっぱで有名な。作風は違いますよね。

池原:全然違うけど、気が合ったんでしょうね。実際、手塚先生が小島功さんと馬場のぼる先生と仲がよかったって話は有名だから。

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■深夜に「〇〇がほしい!」 わがままの真相は......?

池原:人付き合いはするけど、手塚先生はお酒は弱いと思います。飲み会に顔を出しても、ほとんど飲んでいないんじゃないかなあ。

────たしかに、お酒が好きというイメージはあまりないですね。

池原:どうしてそう思うかっていえばね。夜中に突然ビールを買ってきてくれって頼まれたことがあるんです。そのときは仕事場に僕しかいなかったんです。下宿が市川で遠かったから、帰れなくてね。「先生、もう夜中ですよ」って言ったんだけど、どうしてもっていうから買いに出かけた。当時はコンビニもないし、酒屋も開いていない。自販機もほとんどない時代だから、無理難題だよね。富士見台界隈から中村橋のほうまで走り回って探してね。なんとか見つけて買ってきたんですよ。

────ビールのために夜中に走り回らされたわけですね。

池原:そうしたら、先生はビールを3分の1くらい飲んだところで顔は真っ赤。で、「池ちゃん、ビール飲む?」って言うから「飲みますよ」って答えたら、「じゃあこれ飲んで」って。残りをくれましたよ(笑)。

────え? じゃあ、なぜ夜中にビールを?

池原:僕にビールを買いに行かせたのは、追い払いたかったんです。いわゆる人払いです。手塚先生はよく「〇〇が食べたい。〇〇がないと原稿が描けない!」ってわがままを言いだすっていう話があるでしょう。

────チョコとかメロンとか。

池原:あれは本当に食べたいわけじゃなく、一人になりたいんだと思うんです。別に話しかけたりして邪魔するわけじゃないけど、まわりに人がいると気が散るんじゃないかな。誰かが同じ部屋にいれば、どうしても気配があるから。だから人払いがしたくなると、手に入りにくいものを買ってこさせるんじゃないかな。僕の個人的な憶測ですけど。

────ビール以外にも、何かありました?

池原:夜中にピザを買ってこいって言われたこともありましたね。

────当時、デリバリーはないですよね。

池原:デリバリーなんてとんでもない。コピーやFAXもない時代だから、宅配ピザなんてあるわけがないよ(笑)。そのときは深夜に六本木のニコラスっていう店まで、他のアシスタントと車で買いに行きました。往復と調理時間を考えると、なんだかんだで2時間くらいかかるから、手塚先生はしばらく一人になれるわけですよ。

────先生のわがままエピソードとされているけど、人払いの意味があったと。

池原:僕はそう思うんです。だって、本当にビールやチョコがなきゃ仕事ができないなら、1ダースや2ダース、買い置きしておけばいい話だからね。

────ずいぶん遠回しですよね。

池原:先生なりに気を使っていたのかもしれませんね。「邪魔だからみんな出ていけ。明日の朝まで来るな」なんて、言えないんだよ。まわりの人に嫌われるような態度はとりたくないんだろうね。

────出ていけって言える立場なのに、それは言えないという。

池原:そうなんですよね。前回話した「頑張ってください!」っていうのもそのひとつだよね。はっきり言える人なら「いま忙しいから会えない」って言うでしょう。めちゃくちゃ忙しいのに「うんうん」なんて一応聞いているふりをするんだから。そういう意味ではすごく気づかいのある人ですよね。

────なんとなく、先生の品のよさみたいなものが出ていますね。繊細なところというか。

池原:だからマネージャーや編集者を遠ざけたいときも、同じようにわがままを言うんですよ。「僕、何からやっていいか、わかりませんー! みなさんで別室で決めて相談してください」ってね。そうするとしばらくはひとりになれるから。その間だって、先生はもちろん休んでいるわけじゃないですよ。必死で仕事をしているんです。

────それだけ自由がなかったってことですね。

池原:本当に自由はないですよね。いま考えてみたら、先生がベレー帽をかぶっていたのも、忙しすぎてぐちゃぐちゃな髪の毛を隠すためかもしれないよね(笑)。身だしなみなんて整えている暇がないから。ドライヤーをかける間にキャラを3つくらい描けるからね。

────断れないタイプなのかも。

池原:きっと、そういうところもありますね。あんなに連載を抱えてるんだから、断ってもいいんじゃないのって思うけど、依頼があれば受けちゃうんですよ。相手が求めてくれるなら応えようっていう気持ちで。「先生これお願いします、あれもお願いします」ってみんなに求められるのが、うれしかったんでしょうね。逆に言えば、それがなくなることは怖かったのかもしれませんね。

■背景すら自分で描きたい

────自分の時代が終わってしまうことには恐怖を感じていたというような?

池原:漫画を描き続けたい、そして漫画界でずっとトップでいたいっていう欲望が強かったんじゃないかなと思います。だから人にまかせられなくて、なんでも自分がやらなきゃ気がすまなかったのかも。自分がいなくてもできてしまうってのが嫌なんじゃないかな。そういうところはあったかもしれませんね。

だから、先生はどれだけ忙しくても、漫画のキャラは99%自分で描いていました。アニメだって自分で原画を描くしね。僕もアニメのほうで少し原画のお手伝いをしたけど、やれるものなら全部自分でやりたいんだよ(笑)。でも、そんなことしてたら連載が落ちるから。

────大物の先生になると、アシスタントにかなりまかせてしまうという話も聞きますが。

池原:そういう先生もいるけど、手塚先生は時間さえあれば、下手すれば背景すら自分で描いていましたから。

僕は先生の代わりに漫画のキャラを描いたことがあるけど、それはどうしても間に合わなかったとき、2回だけ。一度は産経新聞で連載していた『海のトリトン』だったかな。羽田空港から飛行機で飛ばなきゃいけなくて、車の中で下描きと指定をするから帰ってお前が描けって言われてね。ゲラを見ても何も言われなかったから、まあいいだろうと思ってくれたんだろうね。

■原作があとから生まれた『サンダーマスク』

池原:『サンダーマスク』っていう、手塚治虫原作の特撮のTVシリーズがあるんですが、これはもともとテレビ企画だったんです。僕もロボットや敵の怪獣のキャラを考えたりして少しからんでいたんですが、スポンサーを取るために制作会社が先生の名前を貸してほしいっていう話になったんですよ。原作・手塚治虫として名前を使わせてほしいというわけです。

────なるほど。テレビ企画が先行したんですね。

池原:虫プロが当時お金に困っていたから、OKが出てね。そうしたら手塚先生が「名前を貸すのはいいけど、僕が原作っていうなら僕が描きます!」って、漫画を描きはじめちゃったんです。もう着ぐるみもできて、撮影がはじまっている段階でね。

────原作があとから生まれたわけですね(笑)

池原:だからテレビの『サンダーマスク』と漫画の『サンダーマスク』はストーリーが全然違うんだよ。でも、先生はサンダーマスクをガスでできた宇宙人っていうおもしろい設定にしてね。おおっと思いましたよ。そういう設定を思いつくのが手塚先生らしいんだけど。テレビではそんなのいっさいなくて、悪い怪獣をやっつけるだけだからね。

────原作とつくからにはオリジナルなものを描きたかったんですね。

池原:せめて話の内容はテレビ企画に合わせてくれればいいのに、合わせてくれない(笑)。先生独自のSF要素を付け加えていたから。そういうところは手塚先生らしいですよね。

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『サンダーマスク』(1972年〜1973年)

公害によって余命宣告された命光一という青年が、ガス状宇宙生命体サンダーに体を貸して生まれたサンダーマスク。サンダーマスクと珪素生命体の怪物デカンダーとの戦いを描く。狂言回しの役割で手塚治虫本人が登場する。

■バッタリ会ったアメリカでも原稿の手伝い

池原:最後にもうひとつ、ひどい目にあったけどおもしろい話があるんです。

1980年に「コミック・コンベンション(コミコン・インターナショナル)」に行ったときのこと。これはアメリカのサンディエゴで毎年夏に開かれるアメリカ最大の漫画のお祭りなんだけど。そこで手塚先生に会ったんです。手塚先生は手塚プロのグループで、僕はモンキー・パンチさんとか、漫画家仲間のグループだったんだけど。同じようなタイミングのツアーで、ホテルも一緒で。

サンディエゴには1週間くらいいたから、さすがに後半は飽きてきて、その辺をうろうろしていたんです。そうしたら先生に見つかって、仕事を手伝ってくれないかって言うんですよ。当時は手塚プロをやめてしばらくたっていたし、雇われてるわけじゃないのにね。

────やっぱり、先生はアメリカに行っても仕事なんですね。

池原:僕も先生の頼みじゃ断れないから、ホテルの部屋で黙々と仕事をしていたんです。でも、帰る日になっても先生は全然原稿を取りにこない。仲間の一人が「池原、何やってるんだ。もうあと10分で帰りのバスに乗るぞって」って。

────あら。大変!

池原:大慌てで荷物をまとめてロビーに降りていったら、先生まで「池ちゃん、何やってるんだよ。こんな時間まで」って言うわけですよ。

────あはは。それはびっくりですね。

池原:「先生の原稿を描いてたんですよ」って渡したら、「あっ、そうだっけ?」ってさ。まったく嫌になるよね。でも帰りの飛行機の中でも先生はペン入れしてたから、やっぱりすごいと思ったけど。僕に対する扱いはひどすぎだよね(笑)。〈了〉

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サンディエゴのホテルで、『ユニコ』の色塗りを手伝う池原先生。


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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