虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第3回  手塚治虫がつないでくれたたくさんの縁

2021/05/19

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第3回 手塚治虫がつないでくれたたくさんの縁

文/山崎 潤子

手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。濱田高志さんは、多数の手塚作品の復刻版を手掛けています。子供の頃に手塚漫画から受けた影響、手塚治虫本人との邂逅、そして現在のお仕事にどうつながっていったかなど、運命のような深い縁をお聞きしました。

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PROFILE

濱田高志(はまだ・たかゆき)


アンソロジスト、編集者、ライター。
宇野亞喜良、和田誠、柳原良平といったイラストレーターの画集の企画・編集、テレビやラジオ番組の構成・出演、音楽CDの企画などを手掛ける。これまで国内外で企画・監修したCDは500タイトル以上。手塚作品の出版は国書刊行会、立東舎の一連の復刻シリーズをはじめ、『手塚治虫表紙絵集』(玄光社)、文芸誌『新潮』の特集「手塚治虫のエロチカ」(新潮社)など多数。大阪府出身。

濱田さんが企画・編集、解題をつとめた手塚治虫の珍しい作品を集めた単行本はこちら


「手塚治虫アーリーワークス」
「手塚治虫コミックストリップス」


■実写版『火の鳥』から生まれたミシェル・ルグランとの絆

──幅広い活動をされている濱田さんですが、お仕事について聞かせてください。

上京してから、漫画家のわたせせいぞう先生のアシスタントを3年間務めて、その後イラストレーターとして仕事をしていた時期があります。今はアンソロジストとして編集、監修、ライティング、CDの監修、テレビやラジオの構成とか、なんでも屋のような感じで仕事をしています。

──音楽家の故ミシェル・ルグラン氏とも長らくお仕事をされていましたよね。

今にして思えば、きっかけは手塚漫画ですね。
僕が小学生のとき、市川崑監督の実写版『火の鳥』の映画が公開されたんです。子供心にも多少の違和感はあったけど(笑)、一応漫画に忠実に猿田彦の鼻が大きくなっていたり、アニメとの合成もあったりして楽しみました。

その主題曲をつくったのがミシェル・ルグランという作曲家で、僕はその曲を聴いて感動したんですね。それから彼のレコードを集めるようになりました。ミシェル・ルグランとは1995年の来日時に楽屋を訪ねて以来、交流が始まって、その後はフランスに行くたびに彼の自宅に泊めてもらったりして、2000年代に入ってからは日本での窓口のように関わりました。

実写版『火の鳥』は、原作:手塚治虫、音楽:ミシェル・ルグラン、そして音楽プロデューサーは作曲家の村井邦彦さん。村井さんは、松任谷由実(荒井由実)やYMOを世に出した方で、皆さんご存知の「翼をください」の作曲者でもある。僕はのちに村井さんとも親しくなって、一緒に仕事をするようになるわけで、考えてみれば、すべては手塚先生がつないでくださった縁と言ってもいいくらい(笑)。

──子供の頃に影響を受けたものが仕事になるって、すごいですね。

小学生のときにミシェル・ルグランの音楽に感激して以来、昔の音楽を遡って聴くようになりました。それも初めにご紹介した、手塚先生の「漫画家になるには、音楽を聴いて、映画や演劇を見て、美術や文学に触れて......」っていう言葉のおかげです。
だから映画もたくさん見ましたね。僕が子供の頃は、一般家庭にビデオなんてない時代だから、カセットに『日曜洋画劇場』の音声だけ撮って音を聞いて楽しんだり。

──ははは(笑)。そういう時代でしたよね。

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■思った以上に多くの人が影響を受けている

──手塚作品の復刻版を手掛けるようになったのは、どんな経緯があったんですか?

いろいろやらせていただいているのは、とにもかくにも手塚プロダクションの懐の深さあればこそだと思います。
学生時代は関西在住でしたが、春休みや夏休みを利用して手塚プロダクションに見学に来たことがありました。印象に残っているのは、『ミッドナイト』の連載直前に訪問した時のこと。先生は忙しくて階段ですれ違いざま挨拶したくらいでしたけど、手塚プロスタッフの方が対応してくれて、資料室や仕事の現場を案内してもらったんです。

上京後、手塚先生が亡くなられてずいぶん経ってからですけど、ファンクラブの会誌に連載させていただいたりして、手塚プロダクションとの縁も深くなっていきました。そういえば、会誌では手塚アニメに関する連載のあと、まさに「私の中の手塚治虫」っていうこの企画と同じような企画で、手塚先生の関係者にインタビューしましたよ(笑)。

いろいろな人にインタビューしていくと、誰もが開口一番、「もう手塚さんには困らされたよ。大変な目にあいましたよ」って言うんですが、なぜかうれしそうなんですよね。手塚先生は聖人君子だったわけでもなく、美談ばかりでもないんだけど、みんなニコニコしながら思い出話をされるんですよ。
それは手塚先生の人徳でもあり、やはり人並み外れた能力故でしょうね。締め切りは守らないけど、期待以上の仕事をしてくれるから、最終的にはまあいいかってことになっちゃうようで(笑)。半日待たされてようやく話ができたのは20分でも、話の中身はとても的確なんだそうです。だから、みなさん手塚先生と一緒に仕事をしたことに誇りを持っていますよね。

──手塚治虫という人物のすごさがよくわかりますね。

一緒に過ごした時間はほんのわずかでも、多くの人に強烈な印象となって残っているんです。それがもう何十人、何百人もいるんだから、すごいことですよね。
僕自身も先生と接した時間はトータル数時間に過ぎないけど、人生における重大事になっていますから。

──多かれ少なかれ影響を受けた人はたくさんいるでしょうね。

実際に会った人だけでなく、亡くなってからもそうだと思うんです。作品を読んで、人生観に大きく影響を受けた読者はたくさんいると思いますから、手塚先生の影響力は相当なものですよね。

先生がご存命だったら、今の日本の状況をどう感じてどう表現していたんだろうって、考えることがありますよね。『悪魔の開幕』のように、不穏な世の中を予知するような漫画も描いているから。手塚先生って、預言者というか、神の視点みたいなものを持っていた人なのかなって思いますよね。

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漫画『悪魔の開幕』(1973年)
戒厳令施行で国民の自由を根こそぎ奪い、核兵器を製造しはじめた日本。反体制思想家の先生の命を受けた岡重明は、丹下首相の暗殺計画を練るが......。

■まだ世に出ていない作品を形にして残す

復刻版の話に戻りましょう。
僕は子供の頃からファンクラブ京都などが出していた復刻版を読んでいたと話しましよね。復刻版は当時の読者にとっては懐かしいものだけど、現在の読者にとっては新作同然なんです。

しかも、手塚先生の作品にはひとつの作品にいろいろなバージョンがあるわけです。先生が単行本化にあたって書き直したり、判型に合わせてコマ割りを変更したり。
そう考えると、実はまだ世に出ていないオリジナル版は多数ある。そういったものをアーカイブしていければと思ったんです。亡くなった森(晴路)さんや、田中(創)さんら手塚プロダクションの方たちとも仲良くなって、しょっちゅう手塚プロダクションの資料室に遊びにいくようになっていましたから。

──たしかに、誰かがまとめてくれないと埋もれてしまいますね。

そんなとき、知り合いの国書刊行会の編集者、樽本氏から何か企画はないかと相談されて、手塚漫画の復刻はどうだろうっていう話になったわけです。企画を出したら社長もおもしろがってくれたらしく、それでオリジナル版復刻シリーズをやることになったんです。資料室長の森さんに相談したら、快諾してくださって、まずは第一期として『冒険狂時代・ピピちゃん』『サボテン君+快傑シラノ』『ケン1探偵長』をつくりました。売れ行きもなかなかよくて、ほどなく第二期が実現したんです。
森さんは膨大な原稿の管理をされていたし、生前の手塚先生や作品をよくご存知だから、作品によっては「あれは先生が嫌がるからやめておこう」「これは単行本未収録、これは全集のトレス版しか出てない」というようなジャッジが即座にできたんですよね。

──復刻の基準は「講談社の全集には入ってないもの」という視点ですか?

それもありますが、基本的には自分が読みたいもの、きれいな版で手元に置いておきたいもの。つまりは僕と同じようなファンが読みたいものです。僕はこれまで音楽CDを500枚以上監修してきたんですが、それも自分が聴きたいものがベースになっています。どうせ形にするなら、判型やカラーページの再現を含め、まず自分が楽しめるものをつくりたいじゃないですか。

──編集者は、そういう視点が大事かもしれませんね。

国書刊行会ではその後も『フィルムは生きている』など何冊かつくりましたし、今も編集中の作品集があります。『フィルム〜』は和田誠さんも好きな作品だと聞いていたので、和田さんに装丁をお願いしました。

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漫画『フィルムは生きている』(1958年〜1959年)
マンガ映画(アニメーション)をつくるという夢を抱く宮本武蔵。親友との仲違いや大切な目の負傷など、多くの困難に見舞われながら、決してあきらめなかった武蔵は......。

あとは、手塚先生の"文章"をまとめたいと思い、立東舎文庫でまずは『ぼくはマンガ家』(編注:初出は毎日新聞社・1969年)を復刊しました。過去に何度も再販されていた割に思いのほか売れ行きがよかったので、続けて手塚先生の他のエッセイや小説、シナリオをまとめたものを何冊もつくりました。

──手塚先生って文章もうまくておもしろいですよね。頭のいい人ほどわかりやすい文章を描くというけれど、まさにその通りで。

そうなんです。しかも、実はものすごい量の文章を残しています。連載ものは手塚プロダクションの資料室でも歯抜けになっているものがあったから、自分が持っている切り抜きやコピーなどを参照しながら、できるだけ完全版に近いものをと取り組んでいたんですが、版元が文庫の出版自体をやめてしまったので、中絶してしまいました。これには悔いが残っています。いずれ別の企画で補完できればと思っているんですが。ただ、その後も立東舎では『アラバスター』『アポロの歌』『空気の底』などのオリジナル版などもつくらせてもらいましたね。

次回は、手塚作品の復刻という仕事について、さらに掘り下げて聞いていきます。


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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