虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢考史編 第1回 新人時代の『チャンピオン』編集部

2023/06/05

関係者インタビュー

私と手塚治虫 沢 考史編

第1回 新人時代の『チャンピオン』編集部

文/山崎潤子

 手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は『ブラック・ジャック』が連載されていた『週刊少年チャンピオン』の9代目編集長だった秋田書店の沢考史さん。手塚治虫と親交の深かった秋田書店の伝説の編集者・壁村耐三氏を知る人物でもあります。今回は沢さんに『ブラック・ジャック』や壁村氏の思い出などを語っていただきました。

sawa_prof.jpg

PROFILE

沢考史(さわ・たかふみ)

 秋田書店取締役・編集局長。漫画編集者。1989年に秋田書店に入社。『週刊少年チャンピオン』編集部に配属される。当時の編集長は手塚治虫と長い付き合いのあった壁村耐三氏。『ヤングチャンピオン』の副編集長『チャンピオンRED』の初代編集長を経て、2005年から2017年まで『週刊少年チャンピオン』9代目編集長を務めた。『グラップラー刃牙』(板垣恵介)や『シグルイ』(山口貴由)、『レイリ』(岩明均/室井大資)などを担当。


■入社直後からめちゃくちゃな忙しさ

───沢さんは1989年に秋田書店に入社、......ということは、手塚先生が同年の2月に亡くなってから入社されたんですね。

手塚先生とは実際にお会いする機会はなかったんです。

前年に内定が出てから、当時の編集局長に「手塚先生、お写真を見たらだいぶやせていらっしゃるけど、大丈夫でしょうか?」と聞いた記憶があります。そのときは「いや、大丈夫だろう」みたいな会話を交わしたように思います。

───では、亡くなったときは周囲のみなさんも......。

「まさか」という感じだったんじゃないでしょうか。

───入社後は、すぐに『週刊少年チャンピオン』編集部に配属になったんですか?

面接のときは女性誌もやってみたいなんて言った記憶もありますが、結局『チャンピオン』に配属になりました。

───編集部は、何人くらいでした?

当時は今よりも少なかったですね。僕を含む同期4人が入って、部員総数16人くらいだったと思います。とにかく、あの頃はすごく忙しかったんですよ。その人数で『週刊少年チャンピオン』『月刊少年チャンピオン』『ヤングチャンピオン』など、月に7冊漫画誌を出していましたから。

───月7冊! そ、それは大変そうです。

今思えば、よくやっていたなと思います(笑)。忙しくて帰れないのに、先輩から「これから飲みにこい!」なんて言われるしね。それはそれで楽しかったですけれど。新入社員だから、会社ってこんなもんなんだと思っていたんですよ。

───大人も漫画を読むようになって、漫画の勢いが増していく時代ですよね。

僕が入社した年に講談社の『ヤングマガジン』が週刊化(1989年)、その少し前に小学館の『ビッグコミックスピリッツ』も週刊化(1986年)と、マンガがどんどん伸びていく時期でした。マンガ自体もすごくおもしろくて、僕も学生時代はマンガばかり読んでいたんです。マンガ誌の編集部に入ったら、めちゃくちゃな日々がはじまりましたけど......

───では、入社早々担当を任されるみたいな感じでしたか?

入社して少ししてから、沼よしのぶ先生のゴルフマンガ(『激闘!!荒鷲高校ゴルフ部』)を担当させていただきましたね。

sawa_01.jpg

■ドンピシャの『ブラック・ジャック』世代

───沢さんご自身は、なぜ秋田書店に入社しようと思われたんですか?

やはり子どもの頃からマンガが好きで、マンガばかり読んでいたものですから。

───沢さんの年代だと、どんなマンガを?

ドンピシャで『ブラック・ジャック』世代でしたね。『チャンピオン』の連載陣が全盛期だったんですよ。

───あ、『マカロニほうれん荘』とかですか?

『ブラック・ジャック』『マカロニほうれん荘』『がきデカ』『ドカベン』......。そうした名作からマンガの世界に入っていったんです。

───『がきデカ』や『ドカベン』も『チャンピオン』でしたね。

『チャンピオン』が一番おもしろかったし、友だちもみんな『チャンピオン』を読んでいたんですよ。『がきデカ』なんて、本当におもしろくてね。もちろん『ジャンプ』や『マガジン』、『サンデー』も読んでいましたが。

───今思えば『がきデカ』は振り切った、はじけた漫画でしたね。男子心をくすぐるような。

本当にそうなんです(笑)。

■手塚治虫の盟友だった編集者・壁村耐三

───手塚治虫を語るうえで欠かせない人物が、秋田書店の編集者だった壁村耐三さんです。壁村さんは手塚先生とは長い付き合いで、強い信頼関係があったといわれています。壁村さんももう亡くなってしまったのですが、沢さんは壁村さんとは......?

僕が入社したとき、壁村さんが『チャンピオン』3誌の編集長でした。編集長としては最後の年だったと思います。

───どんな方でしたか?

そうですね。最初はものすごく怖かったです。怖いというより、新入社員になんてまず声もかけてくれないわけです。

今では編集長といっても、新人とだって対等に話すでしょう。でも、当時の壁村さんは怖すぎて......。僕はシラフの壁村さんとは、部下だった3か月くらいで二言三言しか話していないんじゃないかなあ(笑)。

───そんなに怖い方だったんですね。

とにかく......怖いんですよ(笑)。声をかけてくれないからといって、こちらから軽々しく声をかけるわけにもいかないし。

僕ら新入社員の歓迎会があったんですが、時間になっても肝心の編集長がやってこない。「カベさん、今日は来ないみたいだね」みたいな雰囲気になって、先にはじめたわけです。

しばらくすると壁村さんが「おう!」と現れて「今日は点滴やってきたからよう!」なんて言いながら、緊張している僕ら新入社員の前に座ってくださった。あらためて乾杯したら、「おう、よろしく!」ってグラスを挙げて、「じゃあ、帰るわ!」ってすぐ帰っちゃったんです。ひどくないですか?(笑)

新入社員が4人ずらっと並んでたんですが、俺たちの存在なんてまったく意に介してないんだなという感じでしたね。

■今とはイメージが違うマンガ編集者

───壁村さんは手塚先生関連のマンガや書籍(『ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~』など)にもたびたび登場しますが、豪放磊落というか、ヤクザっぽい感じで描かれていますよね。

はい、本当にあんな感じでした(笑)。

岡山出身で、相当やんちゃだったらしいですから。当時は相当の迫力だったと思いますよ。

blackjack_irezumi.jpg

『ブラック・ジャック』「イレズミの男」の回に登場するヤクザの大親分、香取仙之助は壁村氏をモデルにしたといわれている。

───出版社の編集部は、今では高学歴エリートというイメージですが、当時は壁村さんのようなおもしろい人がいたんですね。

僕自身は大学を出て編集部に入ったけど、そこまで高学歴の人ばかりみたいな印象はなかったですよ。小学館や集英社といった大手さんと比べれば、うちの雰囲気は少し違うのかもしれませんけど。それでも、やっぱり「『ジャンプ』に負けるか。何くそ!」っていう所はありましたね。実際『ジャンプ』はおもしろいから、俺たちもがんばらなきゃ、という。

でも、壁村さんが入社したのは昭和30年代ですから、その頃はマンガの編集なんて、なんと言うか、不良っぽいイメージの仕事だったんでしょうね。マンガ家の先生のところでチンチロリンをやったり、くだらない喧嘩をしたりして。

[第2回に続く]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


バックナンバー

関係者インタビュー 私と手塚治虫 第1回 華麗なる(?)手塚家の生活

関係者インタビュー 私と手塚治虫 第2回 自由奔放な娘と手塚家の教育方針

関係者インタビュー 私と手塚治虫 第3回 母よ、あなたは強かった

関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第1回 古き良き、虫プロ時代

関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第2回 昆虫愛がつないだ関係

関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第1回 冷めることがなかったアニメへの情熱

関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第2回 いつだって、手塚治虫はみんなの中心にいた

関係者インタビュー 私と手塚治虫 華平編 中国と日本、縁で結ばれた手塚治虫との出会い

関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第1回 『鉄腕アトム』にあこがれて、手塚治虫を目指した少年

関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第2回 アシスタントが見た、手塚治虫の非凡なエピソード

関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第3回 本当にあった、手塚治虫のかわいい!? わがまま

関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第1回 僕がいま、映画『ばるぼら』を撮った理由

関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第2回 手塚治虫が『ばるぼら』で本当に描きたかった心の中

関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第3回  AIでは再現できない、手塚治虫の目に見えない演出のすごさ

関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第1回  昭和時代の子供が出会った手塚漫画

関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第2回  ひとりのファンと手塚治虫の邂逅

関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第3回  手塚治虫がつないでくれたたくさんの縁

関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第4回  「手塚作品の復刻版をつくる」意義

関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第1回  手塚プロダクションに二度入社した男

関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第2回  富士見台時代から大きく変わった高田馬場時代へ

関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第3回  アシスタントが見た「手塚治虫」という天才

関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第1回  89歳の今でも、最新漫画やアニメまでチェック

関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第2回  日本のテレビ番組、その夜明けを駆け抜ける

関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第3回  戦争をくぐり抜けてきたからこそ、わかること

関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第4回 過去から現在まで、博覧強記の漫画愛

関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第5回 アニメ『ジャングル大帝』の知られざる裏話

関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第1回 漫画家になる決意を固めた『新選組』

関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第2回 漫画家の視点で「手塚漫画」のすごさ

関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか

関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第4回 『鉄腕アトム』に見る、手塚治虫の漫画手法

関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第1回 新人の制作担当からアニメーターへ

関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第2回 嗚呼、青春の富士見台。虫プロダクションの日々

関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第3回 手塚治虫との距離が近づいた、高田馬場時代

関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第4回 手塚治虫という原点があったから、今がある

関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第1回 漫画少年、「漫画家への道」に葛藤する

関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第2回 自ら退路を断って決めた、アシスタント生活

関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第3回 手塚アシスタントのリアルな日々

関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第4回 アシスタントは見た! 『MW手塚治虫』事件と『よれよれの手塚治虫』事件

関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第5回 『The♥かぼちゃワイン』は「あの作品」に影響を受けていた!?


CATEGORY・TAG虫ん坊カテゴリ・タグCATEGORY・TAG虫ん坊カテゴリ・タグ