文/山崎潤子
手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は、『The♥かぼちゃワイン』の三浦みつる先生です。高校在学中にデビューされ、のちに手塚プロダクションでのアシスタントを経験されました。三浦先生の若かりし頃のお話とともに、手塚治虫とのエピソードなどを語っていただきました。
PROFILE
三浦みつる(みうら・みつる)
漫画家。1954年横浜市生まれ。高校在学中に「世にも不幸な男の話」で『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞を受賞。高校卒業後、会社員を経て手塚プロダクションでアシスタントを務める。1983年、『The♥かぼちゃワイン』で第7回講談社漫画賞少年部門受賞。2017年に漫画家引退を宣言。
───手塚プロダクションのアシスタントになったのは、どんな経緯ですか?
高校時代に一応デビューはしたものの、「この先自分はプロになれるのか」という壁に突き当たっていた頃でした。僕の中でプロの漫画家というのは、「連載を持つこと」でしたから。
そうやって悩んでいるとき、たまたま『少年チャンピオン』の『ブラック・ジャック』の柱に「アシスタント募集」の文字を見つけたんです。この柱の募集がきっかけでアシスタントになった人は多いと思うけど、僕もそうでした。
漫画家志望にとって、手塚先生はもちろんあこがれの存在ですから、もう一度、一から勉強し直したいという気持ちで応募しました。
───なるほど。たしかに、いろいろ学べそうです。
僕の場合、漫画の勉強といっても、材料は2冊の漫画入門本だけで、独学でやっていました。だから学べることも多いんじゃないか、こんなチャンスはないと思ったんです。月謝を払ってでもやらせてほしいくらいの気持ちでした。
───それで応募して合格されたわけですね。三浦先生は一度デビューされているし、最初からかなり実力のあるアシスタントだったでしょうね。
なんとか拾っていただきました。1976年の4月だから、虫プロの倒産などを経て、手塚先生が完全復活していた頃です。僕は2年いたから、僕がやめたころに、地獄といわれる24時間テレビのアニメがはじまったわけですね。
───手塚先生が"漫画で"とても忙しかった頃ですね。『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』など連載を抱えて。
同期は『テニスボーイ』の小谷憲一さん、後輩にあたるのは1年後に入ってきた『コブラ』の寺沢武一さんたちでした。僕がやめるときに入ったのが、石坂啓さん、わたべ淳さん、高見まこさんといった面々でした。
───やっぱり1、2年修行して辞める人が多かったんですよね。手塚先生も「アシスタントは早くデビューしろ」という主義でいらしたから。
僕も最初から2年と決めていて、その間に目処がつかなかったら、今度こそキッパリあきらめようと思っていました。そうやって自分で退路を断たないと、アシスタントをしていることで安心しちゃうんです。定収入もあるし、毎日漫画は描けるわけですから。ましてや手塚先生のアシスタントで、居心地がいいから満足しちゃう。
───当時の仕事場は?
僕が入った頃は、富士見台の越後屋ビルの2階でした。半年たたないうちに、高田馬場のセブンビルに移りました。引っ越しも手伝いましたよ。
セブンビルに移ったばかりの頃は、事務室と制作室の間に小さな部屋があって、そこが手塚先生の仕事部屋でした。のちに上の4階に手塚先生専用の部屋を借りましたが、やっぱりすぐそばに編集者がいるのは落ち着かなかったんでしょう。
───富士見台と高田馬場、両方の仕事場を経験されているんですね。
引っ越しといえば、先生のご自宅が井荻から清瀬に引っ越すときにも手伝いました。アシスタント3人くらいで。荷物をまとめたり、本を縛ったり。裏庭に小学校の校庭にあるような大きな鳥小屋があって、驚いたのを覚えています。
───へえ。何を飼われていたんでしょうか。
おそらくインコだったと思います。やっぱり先生は鳥が好きなんでしょうね。『火の鳥』や『鳥人大系』もあるし。
───インコといえば、『七色いんこ』もありますからね。
『鳥人大系』(1971年〜1975年)
鳥たちは「鳥人」となり、やがて人間に代わって地球を支配するようになる。さまざまな視点で人間と鳥とのストーリーを描いた短編が、不思議な世界観をつくりだしている作品。
───アシスタントになりたての頃の思い出はありますか?
一番最初の仕事は『ブラック・ジャック』のベタ塗りでした。富士見台の越後屋ビルの2階、10畳くらいの仕事場で、先生も同じ部屋で仕事をしていました。僕は新入りだからか、手塚先生の直ぐ近くの席。手を伸ばせば届くような場所で仕事をしていたんです。
───いきなりアシスタント初日から、漫画の神様の隣で仕事をすることになったんですね。
きっと少し遠いほうが落ち着くから、新人はその席にされるんですね(笑)。初日にいきなりベタ塗りを回されて、緊張しすぎて手が震えてしまって、うまく塗れない。普通なら2、3分で終わる仕事なのに、1時間か2時間くらいかかりました。その緊張感はよく覚えています。
先生がカリカリカリカリとペンを走らせる音がはっきり聞こえるような環境でした。当時はまだアシスタントチーフが仕事を割り振るみたいなシステムがなかったから、先生から直接「はい、これベタね」「あ、ここはこう描いて」みたいに原稿を渡されるんです。とにかく緊張しましたよ。
───席が近いと、手塚先生とお話されるようなことは?
基本は忙しくてそれどころじゃないんですが、たまには話しかけてくれました。
アシスタントになる前、手塚賞に応募して佳作をとったことがあるんですが、その作品のことを覚えていてくれていたんです。
「三浦氏は手塚賞で佳作をとりましたよね。たしか冷凍冬眠の箱の中に女の子が入って、タイムスリップする話。あれ、三浦氏ですよね」なんて言うわけです。名前を覚えてくれていただけでなく、内容もその通りだったから驚きました。
───忙しい中、ちゃんと応募者の名前を覚えていて、三浦先生だとわかったんですね。
それは本当にうれしかったです。もちろん先生に「手塚賞で佳作をとったことがあります」なんて言ったことはありません。でも、ちゃんと読んでいてくれて、しかも名前と内容まで覚えていてくれた。手塚先生は本当にすごいなと思いました。
毎回応募作品が手塚先生のところに来るまでには、当然ある程度絞られるでしょうが、漫画の内容まで覚えていてくれるなんて、感激でした。
───しかも、大賞ではなく佳作でも、名前と内容をリンクさせて覚えていたわけですからね。ストーリーが手塚先生好みだったのかも。
ちょうどその頃は、『ブラック・ジャック』で「未来への贈りもの」という冷凍冬眠のエピソードを描いていたあたりだったかも。それで思い出してくれたのかもしれませんね。
『ブラック・ジャック』「未来への贈りもの」
入院中に知り合った少年と少女。お互い不治の病を抱えていたが、やがて愛し合い、結婚する。10年後、モスクワ科学アカデミーで人工冬眠カプセルを見せられたブラック・ジャックは「未来なら、2人の治療方法が解明されるかもしれない」と考えた......。
───手塚先生は三浦先生の作品にインスパイアされて描いたのかもしれませんしね。
いえいえ。そんなことは。
有名な話ですが、手塚先生は記憶力がとにかく凄まじいんです。
よく「資料棚のあの本の何ページに写真が載っているから」ってアシスタントに資料を指示する話があるでしょう。あるいは、出張先から電話で「あのゲラの○ページ目の○コマ目は......」なんて、何も見ないで指定してくる。これらはすべて本当のことで、僕も何度も目の当たりにしました。一度や二度ではなく、日常茶飯事でした。
───伝説は本当だったんですね。
手塚先生は何本も連載を抱えながら、国内外を問わず、手塚先生は数え切れない人と会ったり、社交をしているでしょう。たぶん、そういう人たちのことも覚えているんじゃないでしょうか。本当にすごい人でした。
〈次回は、リアルなアシスタント生活について、お話を伺っていきます。〉
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
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