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関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか

2022/08/19

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか

文/山崎潤子

 手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。萩尾望都先生は、手塚治虫の『新選組』を読んで、漫画家になろうと決意されたそうです。萩尾先生には『新選組』の思い出や深堀り考察、そして手塚治虫とのエピソードなどや手塚漫画に対する思いなどをお聞きしました。

 2022年8月、手塚治虫原作の『新選組』が歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」で上演されることになり、注目を集めています。

 そこで、今回の「私と手塚治虫」は特別に、8月中毎週、更新していきます! お楽しみに。

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PROFILE

萩尾望都(はぎお・もと)

 漫画家。福岡県大牟田市生まれ。1969年のデビュー以来、繊細な絵柄と巧みな心理描写で少女漫画界に新境地を開き「少女漫画の神様」と呼ばれる。『ポーの一族』『11人いる!』で1976年に小学館漫画賞、『残酷な神が支配する』で1997年に手塚治虫文化賞マンガ優秀賞、『バルバラ異界』で2006年に日本SF大賞、2022年に米アイズナー賞など受賞多数。2012年に少女漫画家として初の紫綬褒章を受章。

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■駆け出し時代、手塚治虫との出会い

───萩尾先生が手塚先生に初めてお会いになったのは?

 初めてお会いしたのはたしか......。デビュー前、編集部に原稿を見せにいくために上京して、友人のところに泊めてもらったんです。彼女は手塚先生のところでアシスタントをしていたんですが、「工房を見学してみる?」と言ってくれて、富士見台の手塚先生の漫画工房に見学に行ったんです。

 その日は休みで誰もいないはずでしたが、ちょうど手塚先生が仕事で来られたんです。「やあやあやあやあ」って言いながら、去っていきました。

───当時、少女だった萩尾先生にとっては......。

 もうね、「神様が歩いている!」「動いてる!」「あ、しゃべった!」という感じでした。

───デビュー前に初対面のエピソードがあったのですね! その後、萩尾先生がデビューしてから、手塚先生に取材されたこともあるそうですが。

『ケーキ ケーキ ケーキ』というフランス菓子の職人の話を描くことになったんですが、当時はまったく資料がなくて。ネームはOKになったものの、フランスのお菓子屋さんがどんなふうにお菓子を売っているのかわからず、どう描いていいのか途方に暮れていたんです。

 そんなとき、出版社に行ったついでにまた例の友人のところに寄って話をしていたら、手塚先生がパリから帰ってきたばかりだというわけです。ちょうど今日これから仕事の打ち上げでみんなで食事会をする予定があるから、そこに来て先生に聞くといいよって。とても親切に言ってもらえて、もう感激!という感じでした。

───手塚先生にパリのケーキ屋さんの話を聞いたわけですね。

「パリのお菓子屋さんを見てきた人がここにいる!」と思ったら、つい熱が入ってしまって、微に入り細に入り聞いてしまいました。他にもたくさんお話したい方がいたのに、ちょっと申し訳なかったです......。

 でも、すごく気さくに、さくさくと答えてくださったんです。「お菓子はこんなふうに棚に並んでいてね」......みたいに。他にもいろいろなものを見てきたでしょうに、頭の中だけでよく記憶しているなあと思いました。

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『火の鳥 望郷篇』19761978

岩の塊を船とし、故郷の地球を探して宇宙を旅する宇宙移民のロミとコム。地球人の宇宙船パイロット牧村と出会い、「地球は存在しない」と聞かされるが......。

『火の鳥』シリーズの中でも宇宙を舞台にした作品。さまざまな種族の異星人が登場し、銀河系すら飛び出して宇宙をさまようストーリーは、萩尾先生の『11人いる!』にも通じる世界観を感じられる。

───手塚先生は新人漫画家の情熱に応えたいという思いだったのでしょうね。

 まだ駆け出しで、どこの馬の骨とも知れない人がやってきて「すみません。パリのお菓子屋さんについて聞きたいです」なんていうお願いに、本当によく話してくださったなと思います。普通なら「何を言っているんだ、あなたは」なんて言われてもおかしくないですもの。

───いろいろな方のお話をお聞きしていると、手塚先生は人に対して分け隔てがないような印象があります。

 それはすごくあると思います。だからそのときもすごく話しやすかったんです。申し訳なかったですけれど(笑)。

───先生はおもしろい話ができる人が好きだったんでしょうね。話は飛びますが、後に萩尾先生と手塚先生の対談でSFの話で盛り上がっているのを拝読して、手塚先生は「こんなにSFの話ができる相手は楽しくてしかたがない」というふうに感じました。

 それはそれは、どうもありがとうございます。

───『ケーキ ケーキ ケーキ』の件も手塚先生が覚えていらして、その対談で話されていましたよね。

 それもありがたい話です。すごい記憶力ですよね。

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『手塚治虫対談集』第4巻

萩尾先生をはじめ、小松左京、小松左京、鶴見俊輔、立川談志(敬称略)との対談が収録されている。萩尾先生との対談は『マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都対談集1970年代編』(河出書房新社)にも収録されている。

■手塚治虫の超人的なアイデアと仕事の量

───きっと、萩尾先生と話すのが楽しかったから覚えていたんだと思います。萩尾先生の漫画もチェックしていたのでしょうね。

 手塚先生とはパーティなどでたまにお会いすることがあったんですが、「萩尾さん、どんどん描きなさい!」なんて声をかけてくださるんです。「ありがとうございます。でも私、お話をつくるのが遅いんです」と答えると「え? どうして?」なんておっしゃる。

 手塚先生は話をつくるのが遅くないんだ、あふれるように出てくるんだね......って思って。手塚先生は頭を右にクルッと振ればアイデアがこぼれだす、また左にクルッと振ればアイデアがこぼれだす、きっとそんな感じなのでしょうね。でなきゃこれだけの作品を描けませんよね。たしか月500ページでしたっけ? しかも一つひとつお話が違うんだから。

───たしかに、超人的ですね。

 うちは4人きょうだいで、私が子供の頃、家に弟の幼児向けの本があるわけです。そして姉や妹がときどき少女漫画を貸本屋で借りてくるわけです。そうすると、どれを見ても手塚先生の漫画が載っているんです。あるとき、ラーメン屋さんに大人向けの週刊誌がおいてあって、そこにも手塚先生の漫画が載っている。

───守備範囲が広すぎますね。

 本を開けば、どこにでも手塚治虫がいる。そういう時代でした。「漫画家になったらこんなにたくさんの本に描けるんだ」って、子供心に思っていましたが、実際に漫画家になってみたら、それはとんでもないことだとわかりました。

───手塚先生は膨大な作品群という意味では超人ですが、同じクリエイターだからこそ、話を生み出すご苦労もおわかりになるんですね。

(昔どこかで読んだ話で、記憶違いかもしれませんが)手塚先生にある人が「よくお話がまとまりますね。こんなに広げて」って聞いてみたんですって。そうしたら「どんなに広げても、どうしてかうまくしたもので、最後はまとまるんだよ」っておっしゃたという。それを知って、内心「すごすぎる!どないしてんねん!」って、首を絞めたくなりました(笑)。よほどお話づくりの勘がいいんでしょうね。たいていはどこかにどん詰まりになって、読者から「なんだこの終わり方は!」って言われてしまうものですが。

 しかも手塚先生の場合は、1巻目、2巻目、3巻目と、巻を追うごとにおもしろくなっていく。アイデアはいいけど尻すぼみになっていくようなパターンがないんです。

───手塚先生はラストまで見据えて描くという話を聞いたことがあるのですが、萩尾先生もそのタイプでいらっしゃいますよね。

 私は気が小さいものですから、先行きがわからないと怖いので、かならず最後まで考えて描くようにしています。基本は、ですけどね。でも、実は終わりがわからないまま始めてしまったものも2つほどあって、そのときは落としどころをどうしようかと焦りました。

───萩尾先生の漫画は、実際には描かれていない深い背景がきちんと作家の頭の中にあるからこそ、読者が深みを感じたり、いろいろ考えたくなってしまうのだと思います。

■手塚治虫からの依頼、もっと話したかった......

───年月がたって、手塚先生の印象は変わりましたか? 最初にあったときは大先生だったけれど、だんだん漫画家として対等になったとか......。

いえいえ、何を言うんですか。最後まで大先生でしたよ(笑)。

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───パーティや対談以外でも、話すような機会はありましたか?

 手塚先生もお忙しいから、なかなかゆっくりお会いして話すような機会はなかったんです。ただ、1986年か87年だったでしょうか。突然連絡があって「うちのアシスタントが萩尾さんに漫画を見てほしいっていうから、ちょっと指導してくれない?」っておっしゃるんです。いいですよということで、手塚先生とアシスタントさん何名かと、小学館の裏の喫茶店でお会いしたことがあります。アシスタントさんはだいたい2年くらいで変わるから、そのくらいで独立してデビューしてもらわないと、なんておっしゃっていましたね。

私はアシスタントさんの作品を拝見していたんですが、手塚先生は別のテーブルで私の友達としゃべっているんです。むしろそっちが気になって「何を話しているんだろう」って耳がダンボになっちゃいました。内心「私もそっちの話が聞きたい!」ってね(笑)。

───少女漫画なら萩尾先生に、ということだったんでしょうね。

 当時スタッフが女性ばかりだったようで、単に少女漫画なら萩尾さんのほうが詳しいだろうということだったと思います。

〈次回は、萩尾先生が感動した『鉄腕アトム』についてお話を聞いていきます。〉


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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