虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第4回 手塚治虫という原点があったから、今がある

2022/12/05

関係者インタビュー

私と手塚治虫

第4回 手塚治虫という原点があったから、今がある

文/山崎潤子

 手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は虫プロダクション時代からアニメーターとしてさまざまな手塚アニメに関わってきた吉村昌輝さん。当時の関係者からは「軍曹」というあだ名で呼ばれています。アニメ制作の裏側や苦労話、そして手塚治虫とのエピソードなどを語っていただきました。

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PROFILE

吉村昌輝(よしむら・まさてる)

 手塚プロダクションアニメーター。1965年に虫プロダクション入社。のちに手塚プロダクション動画部門に参加。ライオンブックスシリーズOVA『雨ふり小僧』では絵コンテ・演出・作画監督を務める。


■アニメーターに対する尊重

 1980年に始まった第2期の『鉄腕アトム』が終わって、小林(準治)くんが手塚先生と『ジャンピング』をつくっていた時期。僕らも何かやろうということで、アニメーターたちがそれぞれ自主制作のアニメを広島の映画祭にエントリーしようということになったんです。

 僕は1ヵ月くらいで適当につくったんですが、なんと審査対象に選ばれたんです。他の人からは「僕らは時間をかけて真剣につくったのに、軍曹が1ヵ月くらいでつくったのが通るなんておかしいよ」なんて言われました(笑)。

───それはすごいですね。

 そのとき、手塚先生が本当に喜んでくれたんです。うれしそうに「おめでとうございます!」って言ってくれたのをよく覚えています。気楽につくったものだったから、そんなに喜んでくれるとは思わなくて、驚きました。

───手塚先生はやはり、アニメ対する想いがあるのでしょうね。

 本来なら、アニメでは僕らが先生のライバルにならなきゃいけなかったんですけどね......。

───吉村さんは、ライオンブックス(集英社から発表された短編作品群)シリーズのOVAの演出と作画監督をされていますよね。

 あれはうれしかったですね。『緑の猫』や『るんは風の中』が西村(緋祿司)さん、『安達が原』は小林くん、『雨ふり小僧』は僕というように、持ち回りで作監をやらせてもらいました。僕は『雨ふり小僧』がやりたくて、希望しました。

───『雨ふり小僧』は名作ですよね。

 自分で絵コンテを描きながら涙がボロボロ流れました。泣きながら絵コンテを描くなんて、自分でもバカみたいですが。先生に絵コンテを見せたときは、けちょんけちょんにされるかと思ったら、「これで行きましょう」って一発OKが出たからびっくりしましたね。西村さんなんかは、『緑の猫』で先生とああじゃないこうじゃないって、侃々諤々で仕事をしていましたから「軍曹はいいよな」って(笑)。

───手塚先生は漫画のほうは誰にも負けないけれど、アニメーターさんについてはプロとして尊重するみたいなところがあったんでしょうか?

 アニメーターはある意味、先生と同等の立場で仕事ができていたと思います。もちろん同じ立場になんて立つつもりはありませんが、先生はプロとして接してくださいました。

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『雨ふり小僧』(1975年)

古傘の妖怪・雨ふり小僧と出会い、友だちになった少年モウ太。モウ太のブーツをくれるなら願いを3つかなえてあげるという雨ふり小僧。2人の友情を描いた傑作短編。

■手塚治虫の名言と、人それぞれのアトム

───『鉄腕アトム』以外で好きな作品は?

 やっぱり『ブラック・ジャック』です。とくに好きなのは、ぼんくらな弟を兄が必死で医者にさせようとする「おとうと」という回。

 粋なセリフもたくさんあります。「サギ師志願」で警察につかまりそうになった男に「いやいや私だよ なにしろ私は無免許医だからね」とか、「タイムアウト」で子供から風車を受け取って「いただいておこう 五千万円のかわりだ」とかね。『ブラック・ジャック』はいい話ばかりで、思い出すだけで泣けてきます。

───ブラック・ジャックは最高のキャラクターですね。

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『ブラック・ジャック』「おとうと」

大会社の社長から「1年間自分の息子になってほしい」という奇妙な依頼を受けたBJ。その理由は、貧しいなか必死ではたらき、おとうとを医者にしようとした兄の気持ちに応えようというものだった......

 そういえば、先生が漫画部の人に話をしていたときにたまたま一緒に聞いたのが、「私の作品は、人間と人間以外のものの組み合わせを基本にしている」という話です。『ブラック・ジャック』ではピノコ、『七色いんこ』では犬のタマサブロー、『フウムーン(原作漫画は『来るべき世界』)』のロココなんかもそうですよね。

───なるほど。生身の人間と対比するような何かですね。物語が転がりやすかったり、喧嘩しながら仲を深めたり。

 それから、漫画家は「自分の作品は自分で描きなさい」ともおっしゃっていました。つまり、作画だけでなく、お話づくりも大切だという意味だと思います。

───劇画など、原作と作画が違うものも増えていましたからね。

 先生はたくさんアイデアがあった人だから、原作つきというのは賛成できなかったんでしょう。でも、先生がいま生きていらっしゃったら、原作だけやるなんていうこともあったかもしれませんよね。なにせ「アイデアはバーゲンセールするほどある」んだから。

───先生の名言ですね。

 でも、たしかに漫画は絵が多少下手でもストーリーがおもしろければ引き込まれますよね。僕らはアニメーターだから、絵が下手だと話になりませんが。

───アニメーターさんはキャラクターを動かすプロですからね。手塚先生のキャラって、アニメーター目線で見るとどうですか?

 先生の場合は、ご自身がアニメーターでもありますからね。もともとディズニーに影響を受けているから、先生のキャラはアニメにしても原作から大きく変わるようなことはないですね。

 アトムなんかは先生が描いても、けっこうバラバラなんですよ。アニメーターでもその人なりのアトムになるからおもしろいんです。僕が描くとやっぱり僕のアトムになる。「この人が描いたアトムが好き」みたいなものもあります。

───たしかに、表情ももちろん、手足の長さや等身も違いますよね。アニメーターによって得意不得意もあるんですか?

 たとえば小林くんなんて、似顔絵や動物、昆虫、自然現象なんかは本当にうまいんです。こうもりの飛び方や虫の歩き方なんかは彼にしか描けない。でもそういうシーンばかりじゃないから、もう趣味の域だよね。でも得意なものがあれば、何かと頼りにされますよ。

───特徴をとらえるのがうまいんでしょうね。

 とくに馬なんて、今のアニメーターはうまく描けない人が多いけど、小林くんは本当にうまい。単なる歩きや走りでも、5種類ぐらいの違った動きを描き分けられるんです。

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■すべては手塚治虫の延長線上にある

───吉村さんから見た手塚治虫は、どんな存在でしたか?

 漫画はもちろん、現在の日本のアニメや芸能などのエンターテイメント業界は、手塚治虫の存在が影響していると思います。

 日本でマンガを普及させ、日本で最初にテレビアニメシリーズをつくった。それが回り回って現在のエンタメ業界に波及している。手塚治虫がいなかったら、今の日本の漫画、アニメ業界は違ったものになっていたんじゃないでしょうか。

───手塚先生がいなければ、日本の漫画やアニメもこれほど発展しなかったかもしれませんし、また別の発展をしていたかもしれませんね。

 今の日本の漫画やアニメやゲームって、手塚治虫の延長線上にあるんですよ。そういう意味では、原点ですよね。

 手塚治虫以前、ディズニーアニメは本当に革新的でした。ディズニーに魅せられた手塚先生が日本のアニメや漫画の原点となり、現在の漫画大国日本、ジャパニメーションという文化があるのだと思います。

 もちろん、現在の日本のアニメのレベルは、昔とは比べものにならないほど高いです。でも、それは原点があったから。みんな好きなものを真似して発展していく。それの繰り返しの結果が、今の日本のアニメや漫画文化だと思いますね。

───漫画やアニメの地位を上げようともされましたよね。

 オープニングなどで音楽を重視したのも新しかったですよね。手塚先生が『ジャングル大帝』などで音楽にこだわり抜いたから、アニメの音楽をつくるという仕事ができたわけです。それまではアニメで音楽のクオリティを上げようという発想がなかった。

 当時は声優という専門職もありませんでした。若手の舞台俳優や落語家にアルバイトで出てもらっていたんです。

───いまや声優は大人気の職業ですよね。

「手塚治虫がいたから、今この仕事をしている」っていう人が、実はたくさんいるような気がしています。

 いまは漫画が原作のテレビドラマや映画が多いでしょう。漫画で成功することが、ある意味で試金石になるわけですよね。映画やドラマをつくるとなると莫大な制作費が必要だけど、漫画なら作者とアシスタント数名で成立する。そこである程度評価がわかるんだから、漫画ってすごい存在ですよね。

[了]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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