文/山崎潤子
手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は虫プロダクション時代からアニメーターとしてさまざまな手塚アニメに関わってきた吉村昌輝さん。当時の関係者からは「軍曹」というあだ名で呼ばれています。アニメ制作の裏側や苦労話、そして手塚治虫とのエピソードなどを語っていただきました。
PROFILE
吉村昌輝(よしむら・まさてる)
手塚プロダクションアニメーター。1965年に虫プロダクション入社。のちに手塚プロダクション動画部門に参加。ライオンブックスシリーズOVA『雨ふり小僧』では絵コンテ・演出・作画監督を務める。
───吉村さんはいつ頃まで虫プロダクションにいらっしゃったんですか?
会社が傾いてからは、だんだん人が少なくなっていきました。僕は組合活動もやっていたから、結局最後まで残ったアニメーターなんです。仕事が少なくなってからは、ワカメや花火を売って歩いたりもしました。
───ワカメや花火? それは会社的な副業ですか?
そうです。もちろんアニメの仕事があればアニメの仕事が優先ですけどね。
人情で買ってくださる人も多かったです。映産労といって映画産業の労働組合とか、芸術関係の労働組合とか、横のつながりでお互いに助け合っていました。東京中、あちこちまわって「みんなで頑張りましょう」みたいな話をして、ワカメを売ってくるわけです(笑)。特別なイデオロギーがあったわけじゃなく、何かやれることをやろうみたいな感じでしたね。
───なるほど。でも、虫プロダクションも倒産してしまうわけですよね。
その後は友人と2人でデザイン会社のアニメ部を立ち上げたんです。年齢も20代後半になっていたし、結婚もしたしということで。ただ、手塚プロダクションとはずっとつながりがあって、24時間テレビのアニメも手伝っていたんです。高田馬場のスタジオに徹夜でお手伝いに行ったときは、昔の虫プロ仲間がいて楽しかったですね。
───では、あの地獄のスケジュールだったという、伝説の『バンダーブック』や『マリン・エクスプレス』も......。
当日に車で納品に行くとき「あの信号が赤になったらもう間に合わない」というくらいの状態でした。
───本当にギリギリだったんですね。
24時間テレビですから、とにかく放映時間に間に合わせればいいということでした。番組が始まってから、本当にギリギリで納品したんです。本編の前半がOR(放送中)なのに、後半部分のフィルムを現像所から日テレに直行、日テレの一室を借りて編集中とか、とにかく毎回綱渡り状態で。
───制作の裏話みたいなものはありますか?
アニメには「撮(影)出し」という仕事があるんです。これは撮影に出す前に、背景とセルを合わせて、セルの位置や組み合わせ、カメラワークをチェックする工程です。今はデジタル化で、こういう仕事はなくなりましたが。
先生はこの工程が好きらしくて、時間があれば自分ですることがあるんです。「この背景はちょっと違うなあ」なんて言い出して、別のカットの背景を持ってきてハサミでジョキジョキ......、「あ、これでいいですね」となる。「先生ちょっと待って! それは別のカットで使うんだから切っちゃダメです!」と、こちらとしてはおちおちまかせておけないんです。
───時間がないときはヒヤヒヤしますね。
どうしても背景やセルが揃わないというとき、先生がある背景を持ってきて「じゃあ、これをアップで使いましょう」と言うんです。「先生、それは天井の絵ですよ。人物がいないけどおかしくないですか?」「いや、話が通じればいいんです!」ですって。
結局、天井をアップで撮影して、その間は登場人物にセリフを言わせて話をつなぎました。ちょっと不自然でしたが、たしかに話は通じましたね(笑)。
───その後また、手塚プロダクションに移られたわけですよね?
友人と始めた会社の仕事は5年で閉めて、その後は手塚プロダクションにいた友人(のちにサンリオの『リリカ』の編集長となる故・山川氏)が「うちに来ないか」と誘ってくれたんです。それで再就職して、今に至ります。
当初は動画チェックで入ったんですが、「軍曹さん、あれ描いてください」「オープニングの原画が足りないから描いてください」って、だんだん原画も担当するようになり、最終的には作画監督も3本ぐらいやりました。
───その頃は高田馬場ですよね。
富士見台時代は先生はいつも別の仕事場にいましたが、手塚プロダクションでは高田馬場のセブンビルで、すぐ隣が先生の仕事場だったりしましたから、顔を合わせる機会は増えましたね。
───手塚先生とのエピソードはありますか?
先生が外国に行くとき、成田までの車中で『森の伝説』の打ち合わせをすることになったんです。後部座席の左側に僕、右側に先生、真ん中に小林(準治)くんが座って、僕は車酔いですっかりダウンしてしまったんですが、先生がいたずらをはじめたんです。小林くんのシートがもにょもにょと動いて、小林くんは「なんだ?」と面食らっている。でも、先生は素知らぬ顔で打ち合わせを続ける。先生がリクライニングとマッサージ機能をリモコンで動かして、遊んでいたわけです。結果、私がダウンしたので打ち合わせになりませんでした。
───手塚プロダクション時代は、虫プロ時代よりも先生との距離も近づいていますね。
あるとき花小金井のスタジオで、たまたま他のスタッフがいなくて、先生と僕の2人きりだったことがあったんです。そうしたら、先生がランチに誘ってくれました。先生と2人だけで食事するなんて、後にも先にもあのときだけでした。
───何を召し上がったんですか?
スエヒロ5というステーキ屋さんでステーキを食べました。みんなでよく行っていたお店でしたが、あのときばかりは緊張で味もしなかったし、何を話したのかも全然覚えていません(笑)。
───長いおつきあいでも、やっぱり先生と2人は緊張するんですね。
みんなで食事をする機会はありましたが、さすがに1対1はね(笑)。せめてもう1人か2人いれば緊張も薄れますが。
───手塚先生は、やっぱり神様的存在なんですね。
そうですね。そういう意味では、かえって社外の方のほうが、友人になれるのかもしれませんね。
───漫画家では、馬場のぼる先生とは仲がよかったようですよね。
ほぼ同期だそうですね。馬場先生は、描かれる絵のあの独特のやわらかいタッチのように、人柄もほんわかしていたのかな。だから手塚先生とも気があったのかもしれませんね。
───手塚先生の漫画にもよく登場しますよね。
とぼけたキャラでね。「手塚くんの漫画に出てくる僕は、いつもルンペンなんですよね」って、おっしゃっていたんですよね。
そういうところは手塚先生のいたずら好きなところですね。僕らもよく漫画に登場したんですよ。飲み屋の看板が「バー軍曹」だったり、暗殺リストや連判状にスタッフの名前があったりして。
先生は仲間の漫画家たちにもアニメの面白さを伝えるため、名漫画家さんの作品を自主でアニメ化する考えがありました。私にも、馬場先生の絵本『きつね森の山男』のアニメ化を依頼されたことがありました。
漫画家の馬場のぼる先生は『鉄腕アトム』『W3』『ブラック・ジャック』など、多くの作品に登場する。
それぞれウサギ、カモ、馬の姿に変身した銀河パトロール隊のボッコ、プッコ、ノッコの3人(W3)と真一少年によるSF冒険活劇。作中で重要な役回りを果たす馬場先生は、馬場のぼる先生がモデル。真一のよき理解者として描かれている。
───手塚先生の人間味あふれる部分ですね。
先生は高田馬場の西友なんかにも、よくご自身で買い物に行っていました。誰かに頼めばいいのに「これは私が家族に頼まれたんです」なんて言って、ひょこひょこ出かけていくんです。でも、ベレー帽がないと気づかれないらしいんですよ。
有名人はサングラスやマスクで変装しますが、先生の変装は逆なんです。それはベレー帽をとること。ベレー帽をとると、案外普通のおじさんになって、街に溶け込んじゃうんです。
───なるほど。トレードマークを外すと変装になるんですね。
それだけ、ベレーが定着しちゃっているんですよね。
───ほかにも、手塚先生とのエピソードはありますか?
出崎(統)さんの結婚披露宴に出席したとき、みんなで歌ったり踊ったりしていたんです。
よくあるパーティ用の鼻眼鏡をかけると、先生にちょっと似るんですよ。ふざけて鼻眼鏡をかけて、ジェンカで「レッツ、キス♪」なんて踊っていたら、先生が僕の後ろで、僕の肩に手をかけて踊っていたんです。あのときはびっくりして、ドキドキしましたよ(笑)。
[次回へ続く]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
バックナンバー
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