文/山崎潤子
手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は、『The♥かぼちゃワイン』の三浦みつる先生です。高校在学中にデビューされ、のちに手塚プロダクションでのアシスタントを経験されました。三浦先生の若かりし頃のお話とともに、手塚治虫とのエピソードなどを語っていただきました。
PROFILE
三浦みつる(みうら・みつる)
漫画家。1954年横浜市生まれ。高校在学中に「世にも不幸な男の話」で『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞を受賞。高校卒業後、会社員を経て手塚プロダクションでアシスタントを務める。1983年、『The♥かぼちゃワイン』で第7回講談社漫画賞少年部門受賞。2017年に漫画家引退を宣言。
───アシスタント時代は、お忙しかったですか?
当時は3班体制で、1班が3、4人くらい。全体を総括するのがチーフアシスタントの福元さん、各班にサブチーフがいて、僕や七瀬カイ(編注※漫画家。「ジェッターマルス」コミカライズを手掛けた)くんがサブチーフでした。常に2班が詰めて、休みは3日に一度のローテーションでした。朝行ってそのまま徹夜で仕事をして、次の日は休み。だから、自分の漫画を描く時間もあったんですよ。
───ずーっと忙しい感じですか?
基本的には忙しいですが、手が空けば指定の練習や背景の練習をしていました。なかなか手が空くことはなかったですが。
───3日に一度は休みとはいえ、徹夜は大変ですね。
ただ、徹夜は全員じゃないし、夜になると外注でアシスタントOBの人たちが手伝いにきてくれるので、戦力的には夜中のほうがはかどるんですよ。
───なるほど。歴戦の勇者というか、有力な助っ人が集うわけですね。
そうそう、OBのみなさんは僕よりうまいわけだから。
アシスタント仲間がいたことは漫画家を目指すうえでも大きいかったです。アシスタントをしていなかったら、コツコツ自宅で描いては応募するっていう生活でしたから。そうなると、どうしても気が沈んでくるというか、悪いほうへ悪いほうへ考えちゃうんです。
───同じ夢を持つ仲間がいるというのは、いいですね。
仲間同士で漫画論を戦わせたり、合評誌(がっぴょうし)っていうのかな。みんなで描いた作品を持ち寄ってコピーしてホチキスで綴じて、冊子をつくったりもしました。ここがいいとか、もうちょっとこうしたほうがいいとか、お互いに合評し合うわけです。
───みなさんお若いですもんね。
いい意味で仲間であり、ライバルでもありました。みんな頑張ってるから自分もがんばろうという気持ちになれましたね。恵まれていましたね。色の塗り方や背景の入れ方なんかも、教えてもらうことは多かったです。
───サブチーフというのは、どんな役割なんですか?
先生に指定を受けに行くのは、僕らサブチーフの役割なんです。指定を受けたら、下絵を自分の班のメンバーに振り分ける。振り分け方はサブチーフの采配にまかされるわけです。でも、どうしても画力に個人差があって、忙しくなると「この人にこの背景をまかせて大丈夫かな?」って人にもまかせなきゃいけなくなる。
できた原稿をまとめてチェックしてもらうのも僕らの役目なんですが、今ひとつの背景があると「これ、誰が書いたんですか?」って怒られるんですよ。それが嫌でねえ。
───人に仕事を振るのは、意外に気苦労があるものですよね。
忙しさよりも、それが大変だったですよね。
名前を出すわけにはいかないから、「すみません。僕の指定が悪かったです。描き直します」って言うしかない。そうすると先生から「その人には二度とまかせないでくださいね」って釘を差される。でも、それが重なるとどんどん自分が背景を描かなきゃいけなくなって、仕事が増える。中間管理職みたいなつらさがありましたね。
───何かおもしろいエピソードなどは?
こんなことがありました。
当時、先生がカッパ・ブックスの『マンガの描き方』を書いていて、アシスタント業務は僕の班でやっていたんです。あるとき、「吹き付け」といって「筆先に墨汁をつけて、原稿の上でフッと吹く」という指定があったんです。そうすると血しぶきみたいに見えるんですが、手塚先生が描いた2つの絵を、失敗例と成功例にしなきゃならない。
そのくらいならできるだろうと同じ班の後輩にまかせたら、両方失敗しちゃって。どちらも先生が描いた顔にインクを飛び散らせてしまったんです。
青くなって「先生、これ失敗しちゃったんですけど......」って報告したら、先生は「ああ、そうですか」ってそのままでした。
結局、両方失敗例のまま本になりました。さすがに「もう一度描いてください」とは言えなかったです。全体に飛び散っちゃいましたから、ホワイトで修正することもできなくて......。あのときも冷や汗をかきました。
───それを報告に行かなきゃいけないのも、つらいですね。
『手塚治虫のマンガの描き方』より、「フキツケの技法」を説明したページ。「失敗の例」が2つ並んでいるのは、上記の理由だと思われる。なお、全集版でも修正はされていない。
───先生の原稿がなかなか上がらないことは?
それはありましたね。そういうときは例の「わがまま」がはじまるわけです。
みなさんいろいろ話されていますが、僕が経験したのは、夜中に「スリッパがない! スリッパが履きたい! スリッパがないと仕事ができない!」というもの。当時マネージャーだった松谷さんが「またはじまったよ......」って嘆いていましたね(笑)。
しかたがないから夜中にタクシーで買いにいきましたが、当時はコンビニだって日本にできたばかりの頃だから、空いている店なんてないんです。
でも、手塚先生は時間を稼ぐためにそういうことを言うわけですよね。編集者はもちろん、僕らアシスタントも仕事場で待機していますから。先生はアシスタントに追いつかれるのが嫌なんでしょう。
───なるほど「手が空いたから次をください!」という状況がプレッシャーなんですね。
そうそう。原稿が遅れているのを自分のせいにしたくないんでしょうね。
───有名な「チョコレートがないと仕事ができない」も、すべて言い訳なんですね。
そりゃそうですよね。「チョコレートが食べたい」とか「ピザが食べたい」とか、「差し歯がないと仕事ができない」とか、周りも本気で言っているとは思っていません。「原稿が遅れているのは自分のせいじゃなく、〇〇がないせい」ってことにしたいだけなんです。
───でも、自分も含めて人のせいにはしないでモノのせいにする奥ゆかしさなのかもしれませんね。ワンクッションおく品のよさというか。
僕が先生の立場なら、アシスタントに背景の描き直しとかをやらせるでしょうね。追いつかれたら「うーん、やっぱりこの背景、どうしてもイメージと違うんだよ」って言って、自分の主線をすすめる(笑)。
───三浦先生も、追いつかれるのは嫌でしたか?
嫌ですよ。プレッシャーがかかりますから。やっぱり主線が先行している状態が気が楽です。先に手離れして、あとはアシスタントにまかせているのが最高の状態。一人で描きたい人は、そのプレッシャーが嫌なんでしょうね。
───作品を描きながらアシスタントさんを使うのは、案外気も使うわけですね。
仕事をうまく回すために、漫画家にはマネジメント能力も必要なんですよね。ちょうどよく仕事がまわるようにコントロールするのは、なかなか大変なことです。
〈次回は、さらに2つの事件について、お話を伺っていきます。〉
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
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