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関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢考史編 第3回 天才編集者と天才マンガ家〜『ブラック・ジャック』誕生の秘密

2023/08/07

関係者インタビュー

私と手塚治虫 沢 考史編

第3回 天才編集者と天才マンガ家〜『ブラック・ジャック』誕生の秘密

文/山崎潤子

 手塚治虫先生の関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は『ブラック・ジャック』が連載されていた『週刊少年チャンピオン』の9代目編集長だった秋田書店の沢考史さん。手塚治虫と親交の深かった秋田書店の伝説の編集者・壁村耐三氏を知る人物でもあります。今回は沢さんに『ブラック・ジャック』や壁村氏の思い出などを語っていただきました。

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PROFILE

沢考史(さわ・たかふみ)

 秋田書店取締役・編集局長。漫画編集者。1989年に秋田書店に入社。『週刊少年チャンピオン』編集部に配属される。当時の編集長は手塚治虫と長い付き合いのあった壁村耐三氏。『ヤングチャンピオン』の副編集長『チャンピオンRED』の初代編集長を経て、2005年から2017年まで『週刊少年チャンピオン』9代目編集長を務めた。『グラップラー刃牙』(板垣恵介)や『シグルイ』(山口貴由)、『レイリ』(岩明均/室井大資)などを担当。


■チャンピオンのカラーは「元気いっぱい」

───沢さんにとって、『週刊少年チャンピオン』はどんなマンガ誌だと思いますか?

そうですね。あまり難しいことは考えず「元気いっぱいにやっていこう!」っていう感じなんですよ。

───たしかに、『チャンピオン』って「ザ・男子!」ってイメージかも。

最近は『魔入りました!入間くん』などもあり、女子もたくさん読んでくれていますよぉ! 

 いずれにせよ、単純におもしろい、喜んでもらえるものを元気いっぱいにやっていこうというね。こう言うと、なんだか頭が悪そうですけど(笑)。

───少年マンガって、それが一番大事ですよね。単純に笑える、おもしろいっていう。

雑誌にはそれぞれのカラーや作り方があるんですけれど、僕らは基本的に、マンガ家さんの地を壊さず、一緒に頑張っていこうというスタンスでもあります。

───なるほど。ただ、マンガ家さんもときには描きたいものより売れそうなものを優先しなければならないということもありそうですよね。

■手塚治虫が描きたくなかった『ブラック・ジャック』

そういう意味でいえば、『ブラック・ジャック』は手塚先生が一番描きたくなかったマンガだったと、壁村さんが言っていましたね。

───え! そうなんですか?

これは壁村さんから聞いた話ですが......。

手塚先生はご自身が医師免許をお持ちで、医者が主人公というのは「いつでも描ける」テーマだったわけです。だから、これまで医者を主人公にしてみたらどうかという提案をしても、首を縦に振らなかった。でも、『ブラック・ジャック』の連載前は、手塚先生もマンガ家として快調な時期ではなかったし、虫プロダクションも大変な状況で......。

───倒産で借金も抱えて、という時期ですよね。

そんなときに、少年誌で壁村さんと組んで......と考えたとき、ようやく「じゃあ、医療をテーマに描くか」という気持ちになって、医者が主人公という話になったんじゃないでしょうか。手塚先生の真意はわからないですけどね。ただ、壁村さんが酔っ払って「『ブラック・ジャック』は、先生が一番描きたくなかったマンガなんだよ」と話していたのは事実です。

───なるほど。とっておきの切り札のようなものだったのかもしれませんね。

これを自分が描いたらズルいだろうみたいな気持ちがあったのかもしれませんね。それよりもSFや『火の鳥』のような壮大な作品で文学と戦うという気概が強かったでしょうし。

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『ザ・クレーター』(1969ー1970年)
創刊当時の『少年チャンピオン』に連載された作品。SFやオカルトをテーマにした1話完結の読み切りで、短編集としての評価も高い。複数話でオクチン(奥野隆一)という少年が登場するが、いわゆるスターシステムでひとつのキャラクターがいろいろな役に扮している。こういった短編の実績がのちの『ブラック・ジャック』につながったと思われる。

───そういう意味では、本当に描きたかったものとは違うのかもしれませんね。

でも、手塚先生がついに医療漫画『ブラック・ジャック』を描いてくださったことは、壁村さんもうれしかったんじゃないかと思います。先生だって「当たる」ことに関しては絶対の自信をお持ちだったでしょうし。

■「手塚の死に水をとる」の真意

───『ブラック・ジャック』は壁村さんが「手塚の死に水をとる」と言って連載がはじまったと言われますが、それが起死回生となったわけですね。

ちなみに「死に水をとる」というのは、手塚先生に直接言ったわけではなく、壁村さんが編集部内で担当編集者に言った言葉です。

当時は手塚先生のマンガの人気が落ちてきて「手塚先生はもうだめじゃないか」という空気があった。それでも担当になれば泊まり込みで原稿をとらなきゃならない。そんな中で、壁村さんが編集長として、編集部員を脅したりすかしたりして担当させるための会話だったと思います。

壁村さんとしては「とにかく手塚の連載をやるんだ。ダメならすぐ終わらせるからさ。これが最後!」という言葉で編集部や担当を納得させたんだと思います。人気がなければ5回くらいで終わらせようというのは本当だったようですが、でも、「失敗したって、また描いていただこう!」と思っていたに違いありません。

───「死に水をとる」っていうセリフがクローズアップされがちですが、編集長としての対機説法的なものだったんでしょうね。

壁村さんは手塚先生が本気でマンガに集中すれば、ものすごいものができるという確信というか、信頼は絶対に持っていたと思います。これもあとから聞いた壁村さんの言葉ですが、「当たろうが当たるまいが、手塚がいれば本(雑誌)ができるんだよ」と。壁村さんも、最後まで手塚先生のすごみのようなものはわかっていたと思います。

そういうわけで『ブラック・ジャック』がはじまったわけですが、壁村さんは「俺が手塚に描かせた」「俺の手柄だ」みたいな感じは一切ありませんでした。

───そういうところも、かっこいいですね。

■天才編集者、壁村耐三伝説

そういえば、壁村さんが『チャンピオン』の編集長になってから、ものすごく売れ行きがよくて部数が伸びた時期があったんです。ただ、大酒飲みだし自分の体に気をつかわない人でしたから、体を壊して大病をして、数年間別の人が編集長をしていたんです。でも、壁村さんがいなくなったら部数が減ってしまって......、また復帰されたわけです。

そうしたら、部数の落ちがピタッと止まったんですよね。

───すごいですね。どんな改革をされたんでしょうか。

壁村さんは復帰してから、すぐに20本くらいある連載作品のうち10本くらいをパパパッと入れ替えたんです。編集部員に「今お前たちの机の中にある原稿全部出せ」と言って、そのネームを読んで「じゃあこれとこれ、来週からやろう」みたいな感じで。復帰後は毎週のように入れ替えて、最終的には半分以上変えたそうです。そのときに連載がはじまったのが立原あゆみ先生の『本気(マジ)!』(1986年)や七三太朗先生、川三番地先生の『4P田中くん』でした。

───軌道修正というより、いったん打ち切ってどんどん新連載を導入するわけですね。シビアといえばシビアですが。

そういう意味では本当に厳しかったです。たとえ手塚先生でも、人気がなければ「先生、終わりましょう」と言っていく人だったと思います。

でも、壁村さんは「作品は切っても、作家は切るな」と言っていました。たとえその作品が当たらなくても、自分が才能があると思った作家さんとはずっと付き合っていけよという意味です。

───手塚先生の漫画だって、打ち切りも多かったですからね。

手塚先生の場合はとくに「アニメが忙しくなってくると先生は......」という雰囲気があったようですね。壁村さんも「先生はアニメに浮気をはじめると原稿が遅くなったり、コピーが増えたりになってくるんだよな」と言っていたそうです。

───たしかに、連載を何本も抱えてさらにアニメをつくろうなんて、正気の沙汰ではないですからね。

そういう意味では、『ブラック・ジャック』は虫プロさんが倒産して、先生が「アニメはもうやりません」と宣言して、マンガに専念しようという時期だったでしょう。だから、おもしろいものを描いてくれるんじゃないか、という期待もあったのかもしれませんよね。

───長い間そばで見ていたからこそ、壁村さんはチャンスだ!と思えたのかもしれませんね。作家人生、山あり谷ありというか、ヒットを出せるというタイミングもあるんですね。

結局、調子がよくなってきたら、またアニメをはじめちゃいましたけどね(笑)。『ブラック・ジャック』の連載がいったん終わった頃に、例の24時間テレビのアニメ(『100万年地球の旅 バンダーブック』)をやっていましたよね。

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『プライム・ローズ』(1982ー1983年)
『ブラック・ジャック』連載終了後に『週刊少年チャンピオン』に連載された作品。少女戦士エミヤが主人公で、剣や魔法の要素が取り入れられている。1983年の第6回『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(日本テレビ系列)内で、『タイムスリップ 10000年 プライム・ローズ』としてテレビアニメ化された(『24時間テレビ』内のアニメ作品としては第5弾)。

■作品は切っても、作家は切るな

───先ほどの壁村さんの「作品は切っても、作家は切るな」というのは、とてもいい言葉ですね。

僕もそうだと思います。一発目でいきなりヒットを飛ばす先生もいれば、何度目かの連載で大ヒットになる人もいますから。担当編集者は、作家の実力を信じて付き合っていくことも大事ですよね。

───長年のお付き合いがあった手塚先生が亡くなったときは、壁村さんも気を落とされたのでは。

病室にいた手塚先生に挨拶できた編集者が4人いたそうですが、壁村さんはその一人だったそうです。

1989年の2月に先生が亡くなられて、壁村さんが現場(編集長)を退いたが同年の8月くらいだったと思います。だから、僕も数ヵ月しか下にいられなかったんですよ。壁村さん自身も過去に大病を経験されていたので、思うところがあったのかもしれませんね。

───壁村さんのお話で、他に印象に残ったことがあれば教えてください。

壁村さんって、何を言ってるかわからないけど、なんだかおもしろいこと言っている感じなんです。「うぉ◎△$♪×¥●&%#?!」みたいにね。みんな「カベ語」って言って笑っていましたが。

あるときべろべろに酔っぱらって編集部に帰ってきて、原稿が遅い作家さんに電話して「壁村だあ」って言ったら「え? カレーライス?」って聞き返されてね。「バカヤロー!」って電話を切ったとか。

───厳しくて怖いけど、なんとなく人たらしな感じがありますね。

怖いけど、みんな壁村さんのことが好きでした。破天荒な人だからもちろん功罪もあるとは思いますが、人望があったというか、うちの社長をはじめ、悪く言う人はいないんです。みんなから愛されていましたね。かっこよかったし。

───壁村さんは天才編集者と言われることも多いですが、作家の懐に入っていくような人懐っこさもあったんでしょうね。「この人に頼まれたら断れない」という感じの。

たしかに、笑顔がいいんですよ。にこにこって笑うと顔中がしわしわになるんだけど、なんだかかわいいんですよね。

でも、怖いときは本当に怖いんです。目を三角形にするっていう表現があるけど、「あっ、この顔だ!」という感じですよ。怒るときはめちゃくちゃ怖いんですよ。

───沢さんは、壁村さんから叱られたことは?

作家さんの情を壊すようなことをすると本当に怒られました。

あるとき、僕が作家さんからお預かりしていたものを渡しそびれてしまって。その話を壁村さんにしたら「お前、そんな大事なものをお届けしないのは人間として最低だ!」みたいに言われて、すぐに新しいものを準備したんです。「お前、これを明日先生のところに持っていけ。ただし仕事中に行くんじゃねえぞ。それじゃ意味ねえ」と言われました。だから朝5時起きで伺って、出社時間に間に合わせました。そのときは本当に怖くてね。やらなかったら殺されるとまで思いました。

───怖いけど、作家さんへのリスペクトがきちんとされていたんですね。

「情を壊すな」とはよく言っていましたね。義理人情には厚い人でした。

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[了]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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