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関係者インタビュー 私と手塚治虫 堀田あきお&かよ編 第4回 「手塚治虫=時代が生み出した概念」説

2025/01/03

関係者インタビュー

私と手塚治虫 堀田あきお&かよ編

2回 アシスタント時代を彩った愛すべき登場人物たち

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回はマンガ家の堀田あきお&かよさん。『手塚治虫アシスタントの食卓』では、夫のあきおさんのアシスタント時代を描かれています。手塚治虫の話はもちろん、当時のエピソードやマンガ制作の裏話を伺いました。

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PROFILE

堀田あきお&かよ(ほった・あきお&かよ)

マンガ家。

「あきお」は1978年に手塚プロダクション入社、手塚治虫のアシスタントを経て、『少年チャンピオン増刊』(秋田書店)に掲載された『天使の翼』マンガ家デビュー。学年誌、青年誌など幅広く活躍する。編集者だった「かよ」と結婚後、2人でマンガを描き続ける。『手塚治虫アシスタントの食卓』(全2巻)『不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~』『親の介護、はじまりました。』『親の介護、10年め日記。』『おふたりさま夫婦、老活はじめました。~どうなる!?  私たちの老後~』(すべてぶんか社刊)などの著書がある。

https://akikayo.com/


◾️マンガの未来を切り開くという使命感

 

──あきおさんが思う手塚治虫像みたいなものはありますか?

 

あきお:手塚先生には「使命感」のようなものがすごくあったような気がしています。

言葉は悪いけど、当時はマンガなんて「頭の悪いやつらが描いたり読んだりしているもの」という位置づけでした。そこで、阪大の医学部を出ている手塚先生がマンガを描くわけですよ。

高学歴の立派な人物がマンガを描く。あの時代にそれをあえてやることは、やはり使命感だと思うんです。自分がマンガの未来を切り開くんだという自負と情熱が、手塚先生にはあったように思います。

 

かよ:悪書追放運動で、マンガを排斥しようという時代ですよね。当時もっとも有名なマンガ家として、手塚先生もかなり逆風にさらされたと聞きます。矢面に立って一生懸命食い止めた人という意味でも、すごいですよね。

 

あきお:僕らのアシスタント時代だって、手塚プロダクションのある高田馬場の駅の改札の脇に悪書追放ポストがありましたから。

 

──『ブラック・ジャック』の連載中にもそんなものがあったなんて驚きです。アニメやマンガが日本の文化とされる今とは、まったく感覚が違いますね。

 

かよ:悪書追放運動については『手塚治虫アシスタントの食卓』にも少し描きましたが、それを読んだ読者の方々もショックだったようです。今の若い人たちは、マンガがそんな扱いだった時代を知りませんからね。子供に悪影響があるとして断罪されたり、燃やされたり......。

 

──今のお話を聞いて、手塚先生がいなかったら、本当に今の日本のマンガ界、アニメ界は違っていたのだろうと思います。先生が礎になったというか。

 

あきお:そういう意味では、赤塚不二夫先生やさいとう・たかを先生も、初期の頃は手塚先生にそっくりな絵を描いていたんですよ。でも、手塚先生の真似をしていたらダメだということで、劇画だったり、ギャグマンガだったりと、みなさん自分の道をつくっていくんですよね。それはやっぱりさすがだなと思います。

 

──模倣からはじめて、だんだんオリジナリティを見出していくわけですね。

 

あきお:僕もよく手塚先生に似た絵を持ち込んで、編集者にダメ出しされました(笑)。

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『どついたれ』19791980年)
舞台は戦後、混乱と荒廃の中にある大阪。戦災孤児の哲を中心に、したたかにたくましく生き抜こうとする若者たちを描く。手塚治虫もマンガ家のタマゴ「高塚修」として登場する。上は高塚がマンガがまだまだ受け入れられていない世の中に嘆くシーン。

 

◾️手塚治虫像は「概念」だった!

 

あきお:手塚先生は亡くなってしまっているので、どうしても、作品も本人も、だんだん人の記憶から忘れ去られていくことは否めません。でも「手塚先生がいたからこそ、今のマンガがある」ということだけは忘れないでほしいんです。先ほど話したように、戦争やマンガが悪書だと言われた時代を体験して、その時代背景の中、飢餓感と使命感をもって、自分自身そのもので文化を体現したのが、手塚先生なんです。

 

『水滸伝』では、封印を解かれた108つの星が飛び出しますよね。先生は、その封印をこじ開けるような存在だったと思うんです。宇宙のビッグバンのように、日本でマンガというひとつのかたまりが爆発した、そのパワーそのものだったような気がします。手塚先生のパワーによって、手塚先生という星を目指した多くのマンガ家たちが、自分の道を切り開き、またそれを後世に伝えていくというような。

 

──お話を聞いていると、手塚先生って人間というより概念のような気がしてきました。神がつかわしたというか。

 

あきお:まさに、そう思います。先生の声の大きさ、明るさ、力強さ、エネルギッシュなところって、そういうことだと思うんですよね。エネルギーの塊みたいで。

生涯であれだけの枚数を描けるマンガ家は、もう二度と現れないと思いますしね。残念ながら寿命は短かったけれど......。ただ、地球での使命を果たしたから、次の星に旅立ったのかなという気もします。

 

──かよさんが思う、手塚治虫像とは?

 

かよ:私は手塚先生にはお会いしたことがないんですよ。マンガに登場する同期の方々や、チーフアシスタントの福元さんには実際にお会いしていますが。でも、そんなすごい人、一度でいいから実際に見てみたかったなあと心から思います。

 

──たしかに、肉眼で見るだけでもご利益がありそうな......。

 

◾️手塚治虫をつくった時代と環境

 

あきお:手塚先生は内包するエネルギーがものすごくて、出したいもの(描きたいもの)ががたくさんあったんでしょうね。手塚先生って、マンガが好きだからとか、読者に喜んでほしいからという次元では生まれないほどのエネルギーがあったような気がします。もう、人として備わっているエネルギー量が違うんですよ。僕らが「頑張ろう」ってやる気を出すだけじゃ到底かなわない。

 

かよ:先生は戦争を体験して、いつ死ぬかわからないような状況で、とにかくマンガが描きたいとずっと思い続けていた。そういうエネルギーがたまって、ようやくマンガが描ける世の中になって、爆発したというイメージもありますね。

 

あきお:先生が育った環境もあるかもしれませんね。手塚先生はもともといい家柄の生まれだけど、先生のお父さんは少し破天荒なところもありました。戦前だった幼少期からたくさんの本やマンガや、8ミリフィルムの映写機もあって、宝塚歌劇にも触れて、あの時代にディズニーの『バンビ』を100回以上観たというんだから。そういう環境は、ご両親あってこそのものでしょうね。とはいえ、まだ家制度みたいなものが色濃い時代だから、長男である自分がマンガで一家を養わねば、みたいな意識もあったのかもしません。

 

かよ:当時なかなかそんな家庭はなかったでしょうね。でも、医学部を出てマンガで立身出世しようというのは、やっぱりリベラルですよね。

 

◾️初めて描いたマンガでアシスタント合格

 

──話は変わりますが、そもそもあきおさんはマンガ家志望で手塚プロダクションに応募されたんですか?

 

あきお:僕は大学を中退して、バイトをしながらぶらぶらしていたんです。たまたま少年誌の柱のアシスタント募集を姉が見つけて「あんたは絵が上手いから応募してみたら?」って。応募には自分で描いたマンガが必要だというので、見様見真似で描いて送ったんです。それで入社できたからよかったですよ。

 

──応募用に初めてマンガを描いたんですか?

 

あきお:僕は真面目に30ページも描いたんですよ。他の同期に「何枚くらい描いた?」って聞いたら、4ページとか8ページだったって。

 

──初めて描いて30ページ描ききれるって、なかなかできないと思います。

 

あきお:目も当てられないぐらい下手くそでしたよ。でも、入社当時に先生にお会いしたとき、作品名と名前を言うように言われて「あああれね! はいはい」って。本当に読んだのかはわかりませんが、先生ってそういう態度を示してくれるんですよね。

 

──そもそも読んでなかったら作品名を言えなんて言わないですよね。先生のマンガ愛を感じます。

 

かよ:手塚先生が応募作品を読んでくれるなんて、感動しますよね。

 

あきお:でも、当時はマンガ家になろうとなんて思ってないし、簡単になれるなんて思ってなかった。でも、わたべくんにしても石坂さんにしても、他の同期たちは本気でマンガ家を目指して入ってきていたんですよね。

 

◾️『手塚治虫アシスタントの食卓』はかよさんがあこがれた青春ストーリー

 

──『手塚治虫アシスタントの食卓』では、あきおさんの「いつか自分もマンガ家にならなきゃ」という葛藤が描かれていますが、周囲の影響もあったのでしょうか。

 

あきお:その通りです。同期はみんなマンガ家志望で、仕事場には編集者がうろうろしてる。彼らも新人を発掘したいから「描いたら見せてよ」みたいな感じだったんです。

 

──『手塚治虫アシスタントの食卓』って、青春ですよね。ひとりの青年が夢を見出していく素敵なストーリーで。これはかよさんの功績も大きいですね。

 

かよ:私はあきおの話を聞いて、とにかく青春ものを描きたいなと思ったんです。手塚先生がすごい人物だったということはもちろん知っていますが、そのマンガの神様に憧れて、手塚プロダクションに入ってきた若者たちの青春がなんだかうらやましくて。そういう憧れの世界の雰囲気を描きたかったんです。当の本人はそういう気持ちは薄いみたいだけど(笑)。

 

──当時の様子が生き生きと描かれていて、本当にまぶしいくらいの青春です。かよさんが描きたかったものを、私たち読者はきちんと受け取っていると思います。昭和ならではの雰囲気も含め、おふたりがいたからこそできた傑作だと実感しました。

 

あきお&かよ:ありがとうございます!

 

[了]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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