文/山崎潤子
関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回はマンガ家の堀田あきお&かよさん。『手塚治虫アシスタントの食卓』では、夫のあきおさんのアシスタント時代を描かれています。手塚治虫の話はもちろん、当時のエピソードやマンガ制作の裏話を伺いました。
PROFILE
堀田あきお&かよ(ほった・あきお&かよ)
マンガ家。
「あきお」は1978年に手塚プロダクション入社、手塚治虫のアシスタントを経て、『少年チャンピオン増刊』(秋田書店)に掲載された『天使の翼』マンガ家デビュー。学年誌、青年誌など幅広く活躍する。編集者だった「かよ」と結婚後、2人でマンガを描き続ける。『手塚治虫アシスタントの食卓』(全2巻)『不妊治療、やめました。~ふたり暮らしを決めた日~』『親の介護、はじまりました。』『親の介護、10年め日記。』『おふたりさま夫婦、老活はじめました。~どうなる!? 私たちの老後~』(すべてぶんか社刊)などの著書がある。
──手塚先生の印象は、どんな感じでしたか?
あきお:最初の印象は、とにかくめちゃくちゃ声がでかい!でした。
元気がよくて、いつも上機嫌。なんというか、エネルギーに満ちあふれているように見えました。マンガを描くときだけじゃなく、ただ立っているとき、しゃべっているときも、すごい人だなっていうエネルギーを感じるわけです。明らかに、普通の人ではなかったですよね。
──写真などを見ると、やさしくて物静かなイメージもありますが......。
あきお:そんなことはないです。静かなのはマンガを描いているときだけ。いつも元気だし、笑い声も大きいしね。
──普通の人よりも持っているエネルギーが多いような感じでしょうか。
あきお:まさにそんな感じです。ただ、あまりに忙しすぎて憔悴されているときもありました。連載を7本くらい抱えているのにアニメをはじめてしまって、アニメのほうも全部自分で絵コンテを描くんですから。マンガも締め切りがありますが、放映時間が決まっているアニメも遅れるわけにいかないので、いつもギリギリでしたね。
──マンガ部とアニメ部でも、先生の時間の取り合いみたいに......。
あきお:連日不眠不休のアニメ部に見つからないように、僕らはこそこそとマンガの作業を進めるんですよ。当時はコピー機がアニメ部の使っている大部屋にあったから、原稿を服の中に隠してコピーをとりにいったり。
手塚プロダクションはもともとマンガ雑誌専門の会社で、虫プロが倒産した時はアニメには二度と手を出さないという約束だったそうですからね。古い言い方だけど、本妻と二号なんてよく言ってました(笑)。手塚先生ご自身も、そうおっしゃっていましたね。一応マンガが本妻でアニメが二号だという。
あきお:そういえば、僕らが入社して2、3日たった頃かな。先生が挨拶にやってきて「君たちはもう、僕のライバルですから」とおっしゃったんです。
──素敵な言葉ですね。
あきお:当時は「先生、言うな〜」みたいに思いましたけど、今思えば素晴らしい、謙虚なお言葉ですよね。
──早くマンガ家として独り立ちできるようにというエールでもあったのでしょうか。
あきお:そういう意味では、アシスタントは空き時間に自分の作品を描いてもいいということになっていたんですよ。本当にいい会社ですよね(笑)。
あるとき、僕は空き時間に自分のマンガを描いていて、原稿をそのままにして飯に出かけたんです。そうしたら先生がその原稿を見たらしく、「君の絵は石森章太郎に似てるね」なんて言われたこともありました。実際僕は石ノ森先生の絵も好きだったんですよね。
──アシスタントが描いたマンガをちゃんとチェックしていたんですね。
あきお:動物マンガを描いていたときは「ベタをたくさん使うといいよ」ってアドバイスしてくれたこともありました。『ジャングル大帝』を描いた手塚先生のアドバイスですから、すごいことを聞いたとうれしくなりましたよね。
──マンガの神様からアドバイスをもらえるなんて、役得ですねー。
『ユニコ』(1976〜1979年)
子どものユニコーン(一角獣)であるユニコが、ギリシャ神話から飛び出して世界を旅するファンタジー。プロの漫画家でも動物を描くのは難しいといわれるが、ユニコの愛らしく生き生きとしたフォルムは『ジャングル大帝』を描いた手塚治虫の真骨頂といえるかもしれない。
──『アシスタントの食卓』で印象的だったのが、コゲクロのお話です。アシスタントさんが色を塗って、先生がシュシュっと仕上げると、立体的になるという。
あきお:僕らアシスタントが色塗りをするときは、あくまでもきれいに、ムラのないように塗るんです。それに先生がコゲクロ(黒と焦げ茶の水彩絵の具を混ぜたもの)で影をつけたりして、調子をつけて仕上げていく。先生の仕上げはかなり激しくて勢いがあるから、ある意味ムラだらけなんですが、やっぱり芸術的なんですよ。絵が生きてくるというか。たしかにべったりしたきれいな色塗りなんて、面白くないんですよね。
──先生は筆圧が強いとも聞きますが......。
あきお:原稿は先生が主線を描いて、そのまま使うとスミが流れてしまうので、コピーをとって水彩絵の具を塗るんです。その上に先生が「ここまで赤」「赤のぼかし」というように鉛筆で指定を入れていく。その指定がとにかく強い筆圧で、ぐいぐい描かれているんですよ。だから消しゴムで消すのが本当に大変でしたね(笑)。
かよ:普通なら指定は軽く描いて消しやすくするけど、先生は筆圧が強かったのね。
あきお:そうそう。こすると絵の具がとれちゃうから、トントンと叩きながら鉛筆の線を消していくんです。当時は「先生、もっと軽く描いてよー」っていうのが心の叫びでした(笑)。
でも、今になって原画展で先生の原画を見ると、鉛筆書きの指定のあとが残っていたりして、それもまた生き生きしていて面白いんですよね。
──手塚先生はもともと筆圧が強かったんでしょうか。
あきお:僕も一応マンガを描くからわかるんですが、あのグイグイっていう強さは「確信」なんですよ。自分の指定に間違いがないという気持ちの表れが、線の強さに出ているんだと思います。
──なるほど。筆圧の強さ=確信というのは納得です。
あきお:先生の絵は、筆圧も強いですが、とにかく勢いがあるんですよ。マンガにはコマの枠があるでしょう。『ブラック・ジャック』を描いていたときなんて、勢いあまってマントが下のコマまで突き抜けちゃう。それを僕らがまたホワイトで消していくわけです。でも、勢いのある線、生きている線ってこういうものなんだって、教えてもらいましたね。
──枠から飛び出すような線を描くからこそ、絵が生き生きするんですね。
あきお:これは他の巨匠と呼ばれる先生方もそうだと思います。僕が『小学四年生』で連載していた頃、藤子不二雄先生が読者のためにドラえもんを描いたサイン色紙を、編集部で見せてもらったことがあるんです。ドラえもんって、基本は丸と線で構成されているでしょう。
──はい。だから絵描き歌で描きやすいというか。
あきお:でも、やっぱり原画を見ると全然違うんですよね。うまく表現できないけれど、とにかく線が生きているんです。僕はそれまで手塚先生以外の巨匠の原画を見たことがなかったけど、藤子不二雄先生もやっぱりすごいなって思いました。
──シンプルに見えてもキャラクターが生き生きして見えるのは、線の違いなんですね。
あきお:とにかく、巨匠たちってやっぱりすごい線を描くんですよ。手塚先生の線は本当にすごかったし、『ブラック・ジャック』の原画を初めて見たときは本当に感動しました。
あきお: マンガで人物を描くときって、鉛筆で丸を描いて顔の向きの十字を入れるでしょう。アタリを入れるというんですが、手塚先生がすごいのは、アタリを入れたあとに、いきなりペン入れしちゃうんです。あんなこと、プロのマンガ家でもなかなかできないですよ。
──普通は鉛筆である程度下描きしてからペン入れをするわけですよね。
あきお:僕なんてもう、実線を入れてもいいくらいまで下描きをするわけですよ。それだって何度も描き直すこともある。でも、先生は丸に十字でブラック・ジャックをペン入れするんだから。やっぱり天才ですよ。
──これまで描いてきた量が多いから、というのもあるんでしょうか。
あきお:そう思うでしょう。でも、手に覚えさせるのはそう簡単なことじゃないんです。しかも手塚先生は同時にいくつもの連載を抱えながら、まったくジャンルの違う話やキャラクターを描き分けていく。一瞬一瞬で切り替えるのかもしれないけど、やっぱりちょっと、尋常じゃないですよね。
あきお:手塚先生って、気づかいもすごいんですよ。あるとき僕と先生と、2人きりで夜中に仕事をしていたことがあるんですが、先生は見切りをつけてくれて「堀田くん、もう帰っていいよ」と。終電もない時間で、僕はタクシーで帰ることになるわけですが、先生はちゃんと「ゲルある?」って聞いてくれるんですよね。「ゲル」っていうのは医学用語で「現金」という意味だそうで、「タクシーに乗るための現金はちゃんと持ってる?」って聞いてくれるわけです。
──お忙しいのにお財布の中まで心配してくれるとは。『手塚治虫アシスタントの食卓』では、京都でお小づかいをもらったエピソードもありましたね。
あきお:僕が京都まで原稿をとりに行ったとき、「ちょっと待ってください」と5000円も小づかいをくれたんです。当時は5000円でもちょっとした大金だったけど、他のアシスタントは1万円もらったと聞いていたから、ちょっとがっかりしたけどね(笑)。今思えば5千円札しかなかったのかもしれないし、もう一回くらい時間稼ぎをしようっていう気もあったのかもしれないね。
──せっかく京都まで来てもらって待たせるんだから、食事や観光でも楽しんでおいでという気持ちでしょうね......やっぱり気づかいの鬼ですね。
あきお:僕はパチンコで倍にしたけどね(笑)。
──それにしても、京都まで原稿をとりに行くなんてすごいですよね。
あきお:先生は常に仕事に追われているわけです。地方に行こうが何かの会合に出ようが、締め切りが常についてくる。そういう意味では「どんなにお金かかってもいいから、締め切りに間に合わせることを優先する」という感覚はありましたよね。売れっ子にしかできないことかもしれませんが。
──なるほど。そういう部分では経費に糸目はつけないわけですね。合理性がなかろうが、先生が描くことに価値があるわけですからね。
あきお:そういう意味では、先生はお金にはあまりこだわりはなかったんじゃないかな。虫プロ倒産を経て、手塚プロダクションをどこに移すかというときに、松谷さんが先生に「高田馬場3丁目の事務所物件とご自宅と、どっちにしますか?」って聞いたときは、即答で「事務所」と答えたそうだから。
かよ:お金をかけて事務所を借りてでも、仕事を最優先にしたかったわけよね。
あきお:それに、以前手塚先生が住まわれていた井草の借家に引っ越しの手伝いに行ったときは、「えー! これがあの手塚治虫の家なの?」って驚きましたよ。本当にごくごく普通の家だったから。
──虫プロ倒産後に移った借家ですよね。井草の前は富士見台の豪邸ですから、かなりの落差ですよね。
あきお:井草の借家からの引っ越し先は大きな家でしたけどね。でも都心から原稿をとりに行くには、だいぶ不便なところでしたね。
──東久留米と花小金井の間くらいでしたっけ? 先生にとっては地理的な不便さみたいなことは、あまり関係ないんでしょうか。
かよ:何かで読んだ話ですが、手塚先生は虫が好きだから、自宅は自然が多いところを希望していて、本当はもっと遠くになるはずだったんですって。でも家族からの大反対にあったらしいですね(笑)。
[第4回に続く。次回は手塚治虫考察などついて聞いていきます]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
バックナンバー
関係者インタビュー 私と手塚治虫 第1回 華麗なる(?)手塚家の生活
関係者インタビュー 私と手塚治虫 第2回 自由奔放な娘と手塚家の教育方針
関係者インタビュー 私と手塚治虫 第3回 母よ、あなたは強かった
関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第1回 古き良き、虫プロ時代
関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第2回 昆虫愛がつないだ関係
関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第1回 冷めることがなかったアニメへの情熱
関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第2回 いつだって、手塚治虫はみんなの中心にいた
関係者インタビュー 私と手塚治虫 華平編 中国と日本、縁で結ばれた手塚治虫との出会い
関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第1回 『鉄腕アトム』にあこがれて、手塚治虫を目指した少年
関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第2回 アシスタントが見た、手塚治虫の非凡なエピソード
関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第3回 本当にあった、手塚治虫のかわいい!? わがまま
関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第1回 僕がいま、映画『ばるぼら』を撮った理由
関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第2回 手塚治虫が『ばるぼら』で本当に描きたかった心の中
関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第3回 AIでは再現できない、手塚治虫の目に見えない演出のすごさ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第1回 昭和時代の子供が出会った手塚漫画
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第2回 ひとりのファンと手塚治虫の邂逅
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第3回 手塚治虫がつないでくれたたくさんの縁
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第4回 「手塚作品の復刻版をつくる」意義
関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第1回 手塚プロダクションに二度入社した男
関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第2回 富士見台時代から大きく変わった高田馬場時代へ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第3回 アシスタントが見た「手塚治虫」という天才
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第1回 89歳の今でも、最新漫画やアニメまでチェック
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第2回 日本のテレビ番組、その夜明けを駆け抜ける
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第3回 戦争をくぐり抜けてきたからこそ、わかること
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第4回 過去から現在まで、博覧強記の漫画愛
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第5回 アニメ『ジャングル大帝』の知られざる裏話
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第1回 漫画家になる決意を固めた『新選組』
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第2回 漫画家の視点で「手塚漫画」のすごさ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第4回 『鉄腕アトム』に見る、手塚治虫の漫画手法
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第1回 新人の制作担当からアニメーターへ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第2回 嗚呼、青春の富士見台。虫プロダクションの日々
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第3回 手塚治虫との距離が近づいた、高田馬場時代
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第4回 手塚治虫という原点があったから、今がある
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第1回 漫画少年、「漫画家への道」に葛藤する
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第2回 自ら退路を断って決めた、アシスタント生活
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第3回 手塚アシスタントのリアルな日々
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第4回 アシスタントは見た! 『MW手塚治虫』事件と『よれよれの手塚治虫』事件
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第5回 『The♥かぼちゃワイン』は「あの作品」に影響を受けていた!?
関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢 考史編 第1回 新人時代の『チャンピオン』編集部
関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢 考史編 第2回 時代によって変化するマンガの世界と価値観
関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢 考史編 第3回 天才編集者と天才マンガ家~『ブラック・ジャック』誕生の秘密
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第1回 「手塚治虫がアイドル」だった少女、夢を叶える
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第2回 天才の仕事ぶりと「あの都市伝説」の真実
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第3回 いまだから言える! 「手塚先生、あのときはごめんなさい!」
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第4回 アシスタントは「手塚番」の編集者よりははるかに楽!
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第5回 「身近なもの」だったから、私たちは漫画に夢中になった
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第1回 僕らは手塚治虫をもっと見上げておくべきだった
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第2回 飛び出した名言「あなたたちね、仕事に命かけてください!」
関係者インタビュー 私と手塚治虫 鈴木 まもる編 第1回 あの『火の鳥』を絵本にするというプレッシャー
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第3回 超マル秘エピソード「手塚治虫と一緒に〇〇を......!? 」
関係者インタビュー 私と手塚治虫 鈴木 まもる編 第2回 絵本を描いて改めてわかった『火の鳥』のすごさ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第4回 たった16ページで表現できる緻密なストーリー
関係者インタビュー 私と手塚治虫 鈴木 まもる編 第3回 いい絵本には、作者の「好き」がたくさん詰まっている