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関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第2回 飛び出した名言「あなたたちね、仕事に命かけてください!」

2024/06/07

関係者インタビュー

私と手塚治虫 わたべ 淳編

2回 飛び出した名言「あなたたちね、仕事に命かけてください!」

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は漫画家のわたべ淳さん。前回の石坂啓さんらとともに、手塚プロダクションで手塚治虫のアシスタントを務められました。当時の知られざるマル秘エピソードの数々や、手塚治虫の印象的な言葉などを中心にお聞きします。

 

prof_watabe.jpgPROFILE

わたべ淳(わたべ・じゅん)

漫画家、作家。

東京都生まれ。

 

東京都出身。小学生、中学生、高校生時代を富山市、金沢市などで過ごす。1978年に手塚プロダクションに入社、1980年に『海へ...』にて「ヤングジャンプ」でデビュー。主な作品に『レモンエンジェル』『ホウキとオートバイ』などがある。


■僕のピンチはみんなのピンチ!?

 

──手塚先生について、印象に残っていることはありますか?

 

印象的なのは、やっぱり先生の少しわがままなところでしょうか。

たとえば、あるとき手塚先生が僕らのいる制作室に入ってきて「僕の差し歯がないんです。僕の差し歯、知りませんか?」と言うわけです。もちろん、アシスタントが先生の差し歯なんて知るわけがない。でも、一応みんな自分の周りをキョロキョロ見回すんです。あるわけないのにね(笑)。

「〇〇がない」とか「〇〇がないと描けない」って先生が大騒ぎする事件はしょっちゅうあったから、僕らは「先生にとっては『僕のピンチはみんなのピンチ』ってことなんだろうね」と結論づけたわけです。

 

──自分のピンチをみんなで共有したいというか、「困った気持ちをわかってくれ!」みたいな気持ちがあったのかもしれませんね。手塚先生ならではの「巻き込み力」ともいえますよね。

 

もしかすると、先生の時間延ばす作戦だったのかもしれないけど(笑)。

 

 

■手塚治虫の「非合理的」な仕事術

 

巻き込むといえば、こんな話もあります。

たとえば手塚先生が仕事か何かで外国に行く。忙しい先生ですから、帰ってすぐに仕事をしなきゃいけないわけです。そんなとき、先生は「すぐやります。成田のホテルでやります」というわけ。そうすると僕らアシスタントは道具を持って成田まで行くんです。

でも、本来なら先生が成田から高田馬場の仕事場に直行して、すぐに取りかかるのが一番合理的ですよね。

 

──たしかに!

 

ホテルじゃ資料もないしね。必要なら、あわてて買いに走ったりもしなきゃいけない。会社にいけば資料はたくさんありますから。

先生としては、描きたいと思ったら今すぐ描きたいという気持ちもあったのかな。車や新幹線、飛行機の中でも描いていたくらいだから。原稿を今かいまかと待っている編集者たちに「帰国後にすぐ描きます」っていう姿をアピールする意味もあったかもしれませんが。

だから、僕らも内心「手塚先生が高田馬場に帰ってくるほうが早いのに......」って思いつつ、成田に向かうわけです。

 

──かまってちゃんっぽくてかわいい感じがしますね。たまにはみんなを巻き込んで仕事をしたかったのかも。

 

ブツクサ言いながら、先生に振り回されるのは面白かったです。いつもと違う場所に行って仕事をするのを、むしろ僕らも楽しんでいたところがありますね。

先生自身は楽しんでいたかどうかはわかりませんが。なかなか原稿が上がらずにイライラする編集の人たちはそれどころじゃないだろうけど。

 

 

■恵まれていたアシスタント生活

 

──わたべ先生は他の漫画家さんの現場もたくさん経験されているわけですが、手塚プロダクションに入ってみて、どうでしたか?

 

これは他の人も言っているだろうけど、一応株式会社だったから、ちゃんと休みがとれるのはありがたかったです。徹夜したら、徹夜明けの当日と翌日が休みになりましたから。

アシスタントは漫画家の先生と一緒になって何日も徹夜するのが当たり前という時代でしたから。そういう意味では、アシスタントの立場としては楽だったのかな。

 

──会社員として身分が保障されていますしね。

 

時間外手当がつくというのもありがたかったですね。

徹夜明けに家で少し寝て、夕方近くに「人、足りてますか?」って会社に電話をして、マネージャーやチーフが「助かった! 来てくれる?」ということはよくありました。編集の人にはむしろ「君は朝までやっていたのに、また来てくれるなんてありがたい!」なんて言われましたよ。

 

──少しでも急ぎたい編集さんからは、お礼を言われるわけですね。

 

僕より前の先輩、寺沢武一さんなんかは、休みはすべて自分の漫画を描くために使っていたそうです。僕なんかは、お給料を増やしたくてあえて時間外をやっていましたけどね(笑)。いずれにせよ、僕らがいた頃は会社としての制度も整っていたから、漫画のアシスタントにしては比較的ホワイトな現場でしたね。

 

そういえば、クリスマスには会社からケーキをいただきました。小さいホールケーキにキャラクターが描かれていてね。さすがにひとりじゃ全部食べきれないから、近所にあった竹宮恵子さんの仕事場に差し入れしました。

 

──粋な福利厚生ですね。

(社員へのクリスマスケーキプレゼントは、今でも続いているそうです!)

 

 

■アニメ地獄の中で「仕事に命かけてください!」

 

ただ、僕らは漫画部だからいいけれど、アニメ部のほうは大変だったでしょうね。当時は高田馬場のセブンビルで、アニメ部も漫画部も一緒でしたが、アニメ部の人たちが廊下に新聞紙を敷いて寝ているなんてことが日常茶飯事でした。

 

──わたべ先生がいた頃は、24時間テレビのアニメもありましたしね。

 

夜中にアニメ部の部屋を覗いて、誰もいないのかなと思ったら、みんな机の下で寝ているということもありました。ときには手塚先生まで事務所の床に横になっていたりするからびっくりしますよ。さすがに手塚先生が床で寝ていたら、アニメ部のスタッフも帰れないでしょうから。

24時間テレビのアニメをやっていた頃は、忙しすぎて僕ら漫画部もセル画の色塗りなど、アニメ部の仕事を手伝うことがありました。そのときに聞いた先生の言葉が、いまだに忘れられません。

 

──どんな言葉ですか?

 

そのときのアニメの状況は、一刻を争うほどの忙しさだったわけで、先生も時間がなくてカリカリしていたと思います。アニメの進行がぎりぎりなのに、漫画の仕事もたくさん抱えていましたからね。

そんななか、首から絵コンテ作業用のストップウォッチを下げて、頭にはベレー帽じゃなくて手拭いを巻いた手塚先生がいきなりアニメ部に入ってきて、「あなたたちね、仕事に命かけてください!」って言うんです。もしかして、誰かが何かやらかしたのかもしれませんが。

 

──仕事に命をかける......。

 

シーンとして、誰も何も答えませんでした。僕個人としては、漫画部なのにアニメの手伝いをしているわけだから、内心「命なんかかけられるか」なんて思ってしまったんですが、あとになってみると、ジーンと伝わるものがありました。

あのときなぜ「はい、わかりました!」って言えなかったのかなって、今でも少し後悔があります。ポーズでもいいから、嘘でもいいから、返事がしたかったなって。

 

──先生ご自身は、きっと命をかけていたわけですよね。でも、若いスタッフたちは、何も答えられなかった......。

 

先生のあの言葉は、いまだに思い出しますね。まあ漫画部の僕が空気を読まずに返事をしたら、先輩たちに「なんだこいつ」ってにらまれただろうけど(笑)。

 

──でも、仕事に命をかけるって、なかなか言えない言葉ですよね。ドラマのセリフではありそうですが、手塚先生が言うと本物ですね。

 

 

■原稿の端っこを使ったやりとり

 

僕らと同期のアシスタントに、絵がすごくうまいやつがいたんです。あるとき手塚先生が彼に「ここに"馬に乗った侍"の下描きをしてください」と指示をしたんです。彼は手塚先生そっくりのタッチで下描きをして、「僕が描いた下描きを手塚先生がなぞってくれるんだ」とうれしそうにしていました。

でも、いざ原稿が降りてきたら、手塚先生は彼の下描きの線を一本もなぞっていないんです。彼も「先生、僕の線を全然なぞってない!」と嘆いていました。

 

──先生のプライドのようなものでしょうか。「なぞるわけじゃない。参考にするだけだ」みたいな。

 

かもしれませんね。

僕も似たようなエピソードがあるんです。先生が下描きで暴走族を描いてきたんですが、先生が描く暴走族がちょっと古くて、昔のカミナリ族みたいな感じだったんです。

僕は当時バイクに乗っていたし、オートバイ関連の写真誌なんかもよく見ていたから、今風に描くならこうだよなって、原稿の断ち切りの部分にドカヘルを首の後ろにかけたままの当時の暴走族の横顔を描いたんです。

 

──「先生、最近はこうですよ」というメッセージですね。

 

そうしたら、先生がドカヘルを首の後ろにかけたキャラクターを描いてきてね。「やった! 通じた」と思ったけど、今思えばものすごく生意気だったよね。

 

──ちゃんと取り入れてくれたんですね。

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『ドン・ドラキュラ』1979年)

トランシルヴァニアから現代日本に復活したドラキュラ伯爵と娘のチョコラがさまざまなトラブルに巻き込まれ、ドタバタコメディが繰り広げられる。わたべ先生のアドバイス通り(?)、2コマにわたって「ドカヘルを頭の後ろにかけている暴走族」が登場する。

いやいや、自分の生意気ぶりに驚きますよ。相手はあの手塚先生なんだから。当時の僕って、本当に空気読めなかったですよね(笑)。

 

──でも、手塚先生はそういうアイデアを出してくる人は嫌いじゃなかったような気がします。あるいは、あえてアシスタントのアドバイスを聞いてやろうみたいな親心かも?

 

だといいですけどね。

 

──原稿の端を使った無言のやりとりを、おもしろく感じたのかもしれませんね。

 

 

[第3回へ続く]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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