虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂啓編 第2回 天才の仕事ぶりと「あの都市伝説」の真実

2024/01/05

関係者インタビュー

私と手塚治虫 石坂 啓編

第2回 天才の仕事ぶりと「あの都市伝説」の真実

文/山崎潤子

 関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は漫画家の石坂啓さん。石坂さんは手塚プロダクションで手塚治虫のアシスタントを務めたことでも知られています。手塚治虫に対する憧れや当時のアシスタントや編集者たちのエピソード、漫画に対する思いなど、さまざまな角度からお聞きしました。

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PROFILE

石坂 啓(いしざか・けい)

漫画家。
愛知県名古屋市生まれ。大学卒業後、上京して手塚プロダクションに入社。手塚治虫のアシスタントを1年間務め、在社中に漫画家デビュー。主な作品に『キスより簡単』『アイムホーム』『ハルコロ』など、エッセイ集に『赤ちゃんが来た』『お金の思い出』などがある。


■アニメと漫画の板挟み......

 

私が手塚プロダクションに入社したのは、1978年です。当時、手塚先生は『ブラック・ジャック』の他にも、『三つ目がとおる』『火の鳥』『ブッダ』『ユニコ』など、たくさんの連載を抱えていらして、大変忙しい時期でした。しかも日本テレビの『愛は地球を救う』で2時間アニメ(『100万年地球の旅 バンダーブック』)をやった年でしょう。手塚先生としては久しぶりに大好きなアニメをつくれるということで大喜びでいらっしゃったし、みんな先生が大好きで尊敬しているからそのことは喜ばしいことでしたが......。

 

──漫画とアニメの同時進行は、どんな感じでしたか?

 

漫画とアニメの仕事はまったく違うものなので、先生がアニメをやっていると漫画が遅れる、漫画をやっているとアニメが遅れるということで、どうしても、漫画部とアニメ部が対立状態みたいな形になってしまうんです。といっても、「なんでアニメ部ばかり店屋物を食ってるんだ!」とか、低次元の争いですけどね(笑)。

 

もちろん、もっと昔に虫プロダクションのような大所帯でアニメをつくっていた時代もあって、当時は当時で大変だったと思います。でも、虫プロが倒産して先生も負債を抱えて大変な状態になって、大好きなアニメをあきらめた後、『ブラック・ジャック』で巻き返した頃ですからね。他の連載漫画も軌道に乗って、漫画部はものすごく忙しかったんです。

 

──その状態でアニメをやろうというのは、たしかに無謀ですよね。

 

アニメは放映日が決まっていて遅れるわけにはいかないでしょう。それでもなかなか進まないから、アニメ部からすれば「先生、漫画を描いている場合じゃないです!」ということになるわけです。

 

──先生の取りっこみたいな感じですね。

 

先生の部屋から原稿が降りてくると、「漫画の原稿か、アニメのラフか、どっちだ?」っていう状態です。先生が漫画を描いているのがバレないように、漫画の原稿をこっそり持ち運びしたことまでありました。後から思えばとにかく忙しかった時期ですが、エキサイティングな毎日だったともいえますよね。

 

──アニメはもうやらないと決めた手塚先生も、アニメをやりたいという気持ちには抗えなかったのでしょうね。

 

私が入社した年は、お給料は決して高くはありませんが、それでも漫画家のアシスタントという条件でいえば、ちゃんとしていたんです。しかも先輩に「漫画の調子がいいから、ボーナスが12ヵ月分出るよ」って聞いて、「やったー! ラッキー!」という感じだったんです。

でも、先生がアニメをはじめた結果、ボーナスは半月分になってしまいました(笑)。

 

──そ、それはショックかも......(笑)。

 

でも、手塚先生がアニメやりたいというなら、やっぱり、ぜひともやってほしいわけです。やりたいことができるのは素晴らしいことだし、先生ご自身もいろいろやる気に満ちあふれていらっしゃったから。

 

■天才の仕事量とスピード

 

手塚先生が生涯で描かれた漫画やイラストの枚数は15万枚と言われているそうです。それって単純計算すると、週刊誌4本を40年やっていることになるんですね。常識で考えれば、そんなことありえません。ありえないんですが、現場を体験した者としては、そのくらい描いていたかもと思えるんです。

 

手塚先生は一般的に締め切りに遅れるというイメージがありますが、それは何本も連載を抱え、尋常ではない仕事量をこなしていたからです。描き出してしまえば1日半か2日で連載原稿を終わらせてしまうのですから、ものすごいスピードです。しかも、先生にはまだまだ描きたいことがたくさんあるというのだから、やっぱり天才ですよね。

 

──7本同時連載とか、常軌を逸していますよね。

 

売れっ子の漫画家さんで、23本並行して週刊連載を持つ人もいましたが、たいていは短い期間です。それでも、どうしても絵は荒れるし、お話も似通ったものになりがちです。

手塚先生の漫画は大人向けから子ども向け、シリアスなものから流行りのものまで多岐に渡るし、あの内容と密度で何本も連載を抱え続けるというのは、どう考えても人間業とは思えません。

そのうえ、少しでも時間があれば映画館に出かけて行ったり、付き合いもいいから人のパーティに出てスピーチをしたり、頼まれれば講演会もしたり、テレビにも出たり、海外にも出かけたり......。宇宙人にしか見えませんよね(笑)

 

──忙しいときの先生の雰囲気はどうでしたか?

 

何をするにも慌てている感じです。先生が通ると、いつも早足で「パタパタパタパタ......」ってスリッパやサンダルの音がするんです。しかも決して運動神経がいい人の早足じゃないの。そういうところは、手塚先生の愛らしいところなんです。

歩くのも速いんですが、たとえば私たちがいま話しているような、ごく普通の会話のスピードってあるでしょう。話して、返ってきてという会話のキャッチボールのスピード。それが先生の場合、3倍速くらいなんです。会話の内容を一瞬で理解してしまうから、「うんうん。それで?」「その先は?」という感じ。常人のスピードはかったるくてしかたがないんでしょうね。

 

──頭の回転がものすごく速かったんですね。

 

だから先生と会話をするときは、こちらは大慌てで緊張しっぱなし。だって先生の3倍速に合わせなければいけないんですから。先生にしてみれば、もたもたしている暇があったらあれもこれもできるし、「なぜこんなことがわからないんですか!?」って、歯がゆい気持ちだったでしょうね。

でも、先生は威張っているつもりも偉そうにしているつもりもないんです。その証拠に、仕事が一段落するとにこにこして「お疲れさま」「ありがとう」って声をかけてくださる。でも、張り詰めているときの手塚先生の仕事の回転数は、やっぱ常人じゃなかったですよね。

 

■有名な都市伝説を目撃し、広めたのは......

 

手塚先生に関するエピソードはたくさんありますが......。

いまでは都市伝説のようになっていて、言い出したのはたぶん私かなっていう話があるんです。大友克洋さんと手塚先生のエピソードです。

 

──大友先生の絵を見て、手塚先生が「僕も描けるよ」と言ったというあれですか?

 

はい。私がアシスタントをやめて漫画家になった頃の話です。あるとき、新人の漫画家10人ぐらいが手塚先生のイベントに色紙を出したとかで、ちょこっとお手伝いをしたことがあるんです。大変光栄なことに、先生がそのお礼にと、夕食をごちそうしてくださいました。その場にいたのは、大友克洋さん、吾妻ひでおさん、御厨さと美さん、いしかわじゅんさんなどなど。女性は私だけだったと思います。

 

──ものすごく豪華な食事会ですね。

 

大友さんについては、デビューしたときからみんなが注目していたんです。漫画家はもちろん、絵心のある人はみんな大友さんの絵を見て、ショックを受けていましたから。私もお会いするのは初めてで「この方が大友さんかぁ......」という感じでした。

 

──大友先生は新人漫画家の中でも注目の存在だったわけですね。

 

食事会で、手塚先生は一人ひとりに気さくに声をかけてくださいました。私たち新人漫画家はみんな手塚先生を大尊敬していますから、緊張しているわけです。

そこで手塚先生が大友さんに向かって「あなたが大友さんですか。僕、あなたの絵を見たけど、上手いねえ」ってほめられたんです。「虫眼鏡で見たけど、ひとつもデッサンが狂っていないね」って。大友さんは照れながら緊張されていました。「手塚先生さすがだな。ちゃんと大友さんの絵を見ているんだ」って思いましたよ。

そうしたら手塚先生が「でもね。僕もあの絵は描けるんです。描こうと思えば、誰の絵でも描けるんです」って、大友さんに向かって言うわけです。

 

──あの有名なセリフを生でお聞きになったんですね!

 

そうなんです。でも、さすがにそのときは内心「手塚先生ったら、よく言うなあ」って思いました。他のみんなもそう思ったんじゃないかな。だって、手塚先生が描くキャラって、靴とか丸っこくて、タッチが全然違うじゃないですか。

 

──たしかに。

 

それが手塚先生らしくておもしろかったから、私がその話を誰かに話して、それがだんだん広まって、朝日新聞の天声人語にまで取り上げられるまでに......。あの場にいたのは限られた人たちだけだったし、大友さんが自分でおっしゃるはずはないから、おそらく犯人は私よね(笑)。

 

──有名な都市伝説の源がここに!!!(笑)

 

いまでは手塚先生の負けず嫌いを象徴する笑い話みたいになっているし、私もその場では「よく言うなあ」って思いましたけど、後から冷静に考えてみたら、たしかに先生は描けたかもと思います。

だって先生は中学生の頃にものすごくリアルで精密な昆虫の絵を描いていらっしゃるでしょう。漫画を描くとき、先生はカブラペン(同じ太さの線が描ける)しか使わなかったですが、丸ペン(細く繊細な線が描ける)を駆使して時間をかければ、きっと描けたでしょう。

先生、私、いまはそう思っております!

 

──手塚先生のタッチは、速く描けるタッチでもあるわけですよね。

 

常に三倍速で仕事をこなす手塚先生の仕事量やスピードは、半端なものではありませんでした。1ページの原稿を切って、アシスタントが手分けして仕上げて、後から合体させることもしょちゅう。先生はアシスタントが下手な背景を描くと「誰ですか? これ描いたのは!」なんておっしゃっていたけど、時間があれば自分で描きたかったと思います。時間がたっぷりあったら、ものすごく精密な宇宙船やロボットだって描きたかったのかもしれませんよね。

 

■見開きの絵が魔法のように仕上がった!

 

NHKの浦沢さんの番組(『浦沢直樹の漫勉neo 手塚治虫スペシャル』)でも話しましたが、私がよく覚えているのは、『火の鳥』乱世編の見開きで、村祭りで大勢の村人たちが大きな焚き火の周りで踊るシーンです。先生のほぼ真っ白な状態のラフを見て、編集は頭を抱えていたわけですよ。普通の漫画なら先生の主線があれば時間が読めますが、難しい構図ですし、こんなの何時間かかるだろうって。

現場では「これはさすがにアシスタントに描かせるだろうから、なんとかなるでしょう」みたいな話をしていたんです。そうしたら、その話が先生に聞こえていたのか......、先生が下書きなしで大勢の村人が焚き火を囲んで踊る様子を、一人ひとりものすごいスピードで描き上げたんです。まるで魔法のようでした。

 

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『火の鳥』乱世編(1978-1980年)
村人たちが焚き火を囲んで踊る圧巻のモブシーン。

 

──すごい絵ですよね。

 

だって、持っている笠の角度まで一人ひとり変えているでしょう。それに、真ん中の焚き火によってできる一人ひとりの影まで、全部先生が描いているんですよ。

 

──真ん中に炎があるから、一人ひとり影の出方が違いますね。

 

手塚先生は、本当に絵がうまい方なんです。大友先生のときは「よく言う」なんて思っちゃって本当に失礼しました。

 

──「アシスタントに描かせよう」という話を聞いて、意地でも自分で描いた説。そういう子供っぽいところは、手塚先生らしさですよね。

 

アシスタント仲間の堀田くんに聞いた話ですが「いまどきこんなヘルメットかぶってバイク乗るやつなんていないんじゃない?」っていう雑談を先生に聞かれてしまったらしく、全部描き直してあったんですって。よけいなことを言わなきゃ、時間がかからなかったのにーって(笑)。

 

──アシスタントの雑談も、しっかり聞いているわけですね。

 

いつ聞かれているかわからないのよ(笑)。もちろん確実な話ではありませんが「あれ? 先生、聞いていたのかな」っていうことはよくありました。手塚先生のそういうちょっと子どもっぽい、可愛らしいところも含め、私にとっては本当にかっこいいし、惚れ惚れしちゃうんです。

 

 

次回は、アシスタント時代のエピソード(失敗談)を伺います。


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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