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関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第4回 たった16ページで表現できる緻密なストーリー

2024/08/09

関係者インタビュー

私と手塚治虫 わたべ 淳編

4回 たった16ページで表現できる緻密なストーリー

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は漫画家のわたべ淳さん。前回の石坂啓さんらとともに、手塚プロダクションで手塚治虫のアシスタントを務められました。当時の知られざるマル秘エピソードの数々や、手塚治虫の印象的な言葉などを中心にお聞きします。

 

prof_watabe.jpgPROFILE

わたべ淳(わたべ・じゅん)

漫画家、作家。

東京都生まれ。

 

東京都出身。小学生、中学生、高校生時代を富山市、金沢市などで過ごす。1978年に手塚プロダクションに入社、1980年に『海へ...』にて「ヤングジャンプ」でデビュー。主な作品に『レモンエンジェル』『ホウキとオートバイ』などがある。


 

16ページあったら、なんでも描ける

 

──わたべ先生は、手塚プロダクションには何年間ぐらいいらしたんですか?

 

2年半くらいです。「ヤングジャンプ」でデビューして、担当編集も連載に向けて頑張ろうって言ってくれたので、それを機会にね。当時の僕としては大決心でしたが。

 

──前回の石坂啓さんもそうですが、アシスタントさんは次々デビューされましたよね。漫画家として独り立ちしてから、手塚先生について思うことはありましたか?

 

僕、手塚先生の大好きな言葉があるんです。

それは「16ページあったら、何でも描けますよ」という言葉。

新入社員のころ、先生が何度かホワイトボードを使って漫画教室みたいなものをやってくれたんですが、たしかそのときに言っていたと思います。

 

──なるほど。16ページあったら......ですか。

 

16ページあれば何でも描けるというのは、自分の中では大きな気づきでした。

手塚先生の漫画って、長いものもありますが、短いものも多いでしょう。たとえば『ブラック・ジャック』だって1話が18ページか20ページくらいだし、あの中に話がみっちり詰まっていますよね。

 

──あのページ数の中に、壮大なストーリーが描かれていますよね。

 

たった16ページでも、構成いかんによってはなんだって描けるということです。だから僕も漫画家として、16とか18とか、決められたページ数で話をまとめる作業が好きでした。その中でも、1ページだけコマを大きくして緩急をつけたりして。

 

──短くても感銘を受ける漫画ってありますよね。

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『最後はきみだ!』1963年)[SFミックス」1より]

平和な村が突然敵国の海兵隊に占拠された。3人の少年は山の向こうの飛行場に手紙を届けるために奮闘するが......17ページの短編だが、少年たちの冒険を通じて、ドタバタ、ピンチ、謀略、友情、ケンカ、裏切り、スリル、アクション、そして最後のどんでん返しまで、さまざまな要素が詰まったストーリー展開になっている。

■長ければいいわけじゃない

 

ちょっと話はずれますが、(八代目)三笑亭可楽という、明治生まれの古典落語家がいてね。同じ話でも、他の落語家は細かい説明や間を入れるんだけど、彼は江戸っ子だから、ちゃちゃっとやる。他の落語家が40分使うところを20分で終わってしまうんです。でも、その詰まり方がなんともいいんですよね。終わり方も、軽い余韻でストンと落としちゃう。

『ブラック・ジャック』もラストに長々説明せず、余韻だけ残して終わるものが多いでしょう。ああいうの、僕はかっこいいなと思うんですよ。

 

──『ブラック・ジャック』は1話1話が間伸びせず、かつ深いですよね。

 

もちろん、「16ページあったら何でも描ける」というのが、現在の漫画界で通用するかどうかはわわかりません。描き込みが細かくなって、漫画表現も変わっていますから。1ページ2コマとかでページがどんどん進んでいく漫画も多いですが、やっぱり僕は、手塚先生のようにコマで読ませていくのが漫画だなと思います。

 

──たしかに、今はスマホで読むなど、漫画表現も変わっていますね。でも、X(旧Twitter)でも4×4の16ページみたいなものもよく見かけます。16ページというのは、漫画の基本なのかもしれませんね。

 

16ページあればなんでも描けるって、僕は今でもそう信じています。

 

 

■忘れられない、手塚治虫がアトムを弾く姿

 

そういえば、手塚プロダクションの忘年会の二次会か三次会だったと思うけど、赤坂かどこかのスナックに行ったんです。モンキー・パンチさんたちゲストも何人かいらしていてね。

店の奥にアップライトピアノがあったんですが、手塚先生が『鉄腕アトム』の主題歌を弾きはじめたんです。それがもう、かっこよくてね。手塚先生がピアノを弾けるという噂は聞いていたけど、本当に弾けるんだなって。しかも気取ったクラシックなんかじゃなく、アトムを弾くんだから。漫画家でこんなことさらっとやっちゃうなんて、もうかっこよすぎですよね。

 

──それは貴重な経験ですね。

 

楽器つながりで思い出しましたが、たまたま会社にギターを持っていったことがあるんです。帰りに友だちの家に遊びに行ってギターを弾こうと思って。

日曜出勤か何かで制作室にはほとんど人がいなかったから、仕事の合間にギターで『鉄腕アトム』を弾いていたんです。

そうしたら、手塚先生が部屋に入ってきて「僕ね、娘にそういうギター買ってあげたいんだけど、いくらくらいあれば大丈夫ですか?」なんて聞いてくる。「僕が持っているくらいギターだから、1万いくらくらいです。上はキリがないから、4万か5万出せばいいのが買えますよ」なんて答えたけど。

手塚先生が廊下を歩いているとき、「アトムを弾いてるやつがいるな」と思って覗いてくれたのかな(笑)。

 

──絶対思ったと思います。しかも『鉄腕アトム』を弾いていたことにはあえて突っ込まないところが手塚先生っぽい!

 

 

■オタクの元祖? おもしろい先輩たち

 

──アシスタント時代のお話って、ザ・青春って感じで、お話を伺うとうらやましくなりますね。

 

実際にいたのは2年半だったけれど、もっと長くいたような気がしますよね。濃い時間だったし、奇人変人のような先輩たちもたくさんいたしね(笑)。

 

──個性的な人がたくさんいたわけですね。

 

藤子不二雄さんの『まんが道』を読んで、漫画界には変わった人がいるんだなとは思っていましたが、「本当にいるんだ!」って思いましたよ。たとえば、チーフアシスタントだった福元一義さん。彼は誰かを呼ぶときに、〇〇くんとか〇〇さんじゃなく「お宅」って呼ぶんです。『まんが道』でそういう場面があったけど、実際に言う人に会ったのははじめてでした(笑)。

 

──福元さんは亡くなってしまいましたが、手塚ファンの間では有名な方ですよね。

 

福元さんはもともと編集をしていてアシスタントになった方ですが、僕らの父親くらいの年齢でね。小柄で、いつもインスタントコーヒーをマグカップになみなみと入れていた姿を思い出します。当然ながら絵も上手くて、綺麗なタッチでね。僕は福元さんにも、ずいぶん生意気を言ったような気がします。

 

──福元さんは、厳しい方だったんですか?

 

そんなことはないですよ。でも、背景とか色塗りなどの仕事をアシスタントに振っていくのは苦労したと思います。それぞれの力量、速さ、得意分野なども考えなきゃならないし、ちょっと絵がまずいと手塚先生から小言を言われるわけですからね。

福元さんが手塚先生に「これ誰が描いたんですか? この人が描くといつも傾いてるんですよ」なんて言われて、「あっそれ、僕だ......」なんていうことも。で、福元さんが僕のところにきて「お宅、いつも傾いてますよ」って言ってくる。

 

 

■ずば抜けていたアウトプットの量

 

──わたべ先生にとって手塚先生って、どんな存在でしたか?

 

なんだろうな。とにかくものすごく大きな存在です。巨人ですよね。

当時アシスタントだった僕らも、先生が亡くなった年齢を超えてしまいましたが、そうなるとなおのこと、先生の大きさに気づくんです。

僕なんて16ページ描くのも精一杯なのに、先生は何本も連載を抱えて、お話を考えて、アニメもやって......。アシスタントが何人もいたとはいえ、人物はすべて自分が描くわけですから。絶対にできることじゃありません。それを思うとやっぱり巨人、いや怪物ですよ。

 

──驚異的な仕事量ですよね。

 

僕らも漫画家だから、描きたいことはたくさんあるんです。でも「じゃあ描いてみよう」と思うと、なかなかうまくいかないことが多い。そう簡単にネームにできるわけじゃないんです。

 

──何事も、頭の中で考えたことを形にしたり、実行に移すのが難しいわけで。描きたいものをすぐにアウトプットできるのも、手塚先生の偉大さでしょうね。

 

手塚先生がストーリーをたくさん描けるのは、たくさん映画を観たり、本を読んだからだなんて言われますが、どれほど映画や本をインプットしても、誰もが手塚先生のように描けるわけじゃないですよね。見聞きしたものを創作に変換する力がずば抜けていたんだと思います。

 

──普通の人が10インプットしたら5アウトプットできるところを、100出てくるみたいな。

 

 

■いまだ残る、手塚治虫から浴びたオーラ

 

知人が講談社の『手塚治虫全集』を揃えていて、外国に行くからということで譲り受けたんです。というわけで、今うちには全巻(400冊)あるんです。それを本棚に並べて改めて眺めてみると、一緒に仕事をしていた僕らでさえ、すごいとしか言いようがありません。

あの偉業を分析しようとしても、うまくいかない。ただただ、すごいんです。

 

あんなすごい人のもとでアシスタントをしていたんだって、今になって思いますよね。

漫画家としてだけじゃなく、人間としても桁外れな存在だったと思います。スケールの大きさを考えても、いまだに『火の鳥』にかなう漫画はないですしね。

 

──漫画の神様と言わしめるだけのことはありますね。

 

手塚先生は、ものすごいオーラにあふれていた人物だった気がします。

僕は漫画描きとしては平凡なほうだったと思うけれど、アシスタント時代の2年半で浴びた先生のオーラで、ここまでやってこれたんじゃないかな。そのおかげで、今でも漫画界の端っこにいられるような気がします。

 

──それは漫画界全体にもいえるんじゃないでしょうか。先生は神様が遣わした存在なのかと思っちゃいますね。日本に漫画文化を広めるために。

 

 

■「でも先生、いくらなんでも早すぎました」

 

手塚先生が『鉄腕アトム』を描いたのは20代後半だと思いますが、絵柄もでき上がっていますよね。

今はキャラクターも3頭身とか4頭身とかじゃなくて、リアル寄りのものが多いですが、手塚先生のキャラって本当に漫画らしいんですよ。だから汗を飛ばしたり、走ってきて急に止まるときにキキーッ!ってなったり、漫画的な表現が似合うんですよね。

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『鉄腕アトム』黄色い馬の巻(1963年)[『鉄腕アトム』3 より]

新種の麻薬「黄色い馬」を注射されてしまったお茶の水博士のシーン。麻薬中毒になるというシリアスな展開だが、デフォルメされたキャラクターやコミカルな動きによって、生々しくならず、漫画らしい表現になっている。

──たしかに、スピード感、躍動感、弾力性などなど、昔の漫画のほうが動きがありますよね、絵柄がリアルになると、どうしてもギャグが減って静止画みたいになりがちで。

 

アトムなんて、丸っこくてかわいらしいキャラクターで、漫画として笑えるシーンもありつつ、よくよく読むと深い話でね。これこそが漫画だって、僕なんかは思いますけれど。

 

──手塚先生は数をこなしただけでなく、パイオニアとして漫画の原型をつくり、切り開いていったんですよね......。

 

でも、60歳で逝ってしまうなんて、いくらなんでも早すぎましたよね。

手塚先生が今も生きていたら、例の「僕だって描ける」で、どんどん新しいものにチャレンジしていったでしょうね。その姿、見たかったなあ。

先生が何かの記念パーティのときに「あと〇年描きます!」っておっしゃっていて、計算したらそれが80歳までだったんです。先生は80歳まで描き続けるんだ、すごいなあって思ったのをよく覚えていますから。

 

 

[了]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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