文/山崎潤子
関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回はアニメーション作家の月岡貞夫さん。「天才アニメーター」と呼ばれた月岡さんは、日本アニメ界のレジェンド的存在です。手塚治虫とのエピソードから、現在のアニメ界の考察まで、さまざまな視点でお話を伺いました。
PROFILE
月岡貞夫(つきおか・さだお)
アニメーション作家。1939年新潟県生まれ。手塚治虫のアシスタントを経て東映動画入社。『西遊記』(1960年)、『ねずみの嫁入り』(1961年)、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)に携わり、24歳にして東映のテレビアニメシリーズ第1作となる『狼少年ケン』(1963年)の総監督を務める。その後フリーとなり、NHKみんなのうた「北風小僧の寒太郎」(1974年)、CMの富士通のタッチおじさん、明治うがい薬のカバくんなど、多くの作品で知られる。虫プロ作品では『W3』『悟空の大冒険』『リボンの騎士』などに携わる。第45回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞。中国美術大学、西安美術大学、北京電影大学客座教授。
◾️手塚治虫との長電話
──月岡さんと手塚先生との関係は長らく続いていたそうですが、思い出深いエピソードはありますか?
私が東映に入ってからですが、手塚先生から夜中によく電話がかかってきました。だいたい夜中の1時過ぎから、朝方の4時か5時くらいまでかな。先生からの電話をこちらから切るわけにもいかないでしょう。眠くても、次の日早くても、話していました(笑)。
──編集者に知られたら「長電話する暇があったら原稿を描け」って言われそうですね。
ちなみにどんなお話を?
主に悩み相談でしたね。「月さん、僕のあの作品どう思う?」とか「どうして受けないんだろう」とか、そういったことです。私もズケズケと言うタイプだから「先生、あれは最初を読むとお尻(結末)が見えちゃうんですよ」みたいなことを平気で話していました。マンガのアイデアの話も、よくしましたね。
──月岡さんの歯に衣着せぬ意見が、むしろありがたかったのかもしれませんね。
やはり先生は晩年までウケるかどうかについて、実践していらっしゃったと思います。もちろん、先生がそうした悩み相談をするのは私だけじゃなかったと思いますけどね。そういう意味では、手塚先生は人の意見に耳を傾ける人ではああったし。観た映画や読んだ本も、どんどん吸収してご自分の作品に昇華しますからね。
◾️手塚治虫と名物編集者の大ゲンカ
手塚先生が本気でケンカをしているのを一度見たことがあります。相手は豪傑で知られる秋田書店の編集者、壁村耐三さん。原因ははっきりわかりませんが、何かで揉めたんでしょうね。手塚先生が大きな声を出して「表に出ろ、この野郎!」なんて言って、壁村さんの胸ぐらをつかんだんです。壁村さんのほうも「殴るなら殴れよ」みたいに顎をつきだしてね。マネージャーの今井さんが慌てて出てきて、「壁さん、ここは勘弁してよ」って、なんとか穏便に収めましたが。
──手塚先生が激昂するなんて。
壁村さんも言いたいことを言う人ですからね。手塚先生があんなに怒ったのは私も初めて見たし、他のみんなもそうだったと思います。私だけ1メートルそばで参戦すべきかどうか躊躇していました。その場にいた編集者たちは震え上がっていましたし。
でも、あのときの手塚先生はちょっとかっこよかったですよ。私もそういう機会があったら真似してやろうって思いましたから。
──みなさんまだ若くて血気盛んだったのもあるでしょうね。でも、そういう時代って青春ですよね。
たしかに、あちこちで激しいシーンはたくさんありました。昔は本音をぶつけ合うことが多かったですからね。
◾️手塚治虫の心配事
──月岡さんの時代は、手塚先生との距離も近かったんですね。大先生と弟子というより、いろいろ相談できる盟友のような?
たしかにそうですね。富士見台で家や虫プロのスタジオを建てるための土地を買うときも、私が同行したくらい。「月さん、不動産屋が紹介してくれた土地を見に行くんだけど、一緒にいかない?」って。
──相談相手として心強い存在だったんでしょうね。
そういえば、虫プロが倒産する半年くらい前だったかな。「月さん時間ある? ちょっと来てくれない?」と電話で呼ばれたことがあるんです。話を聞いてみると、「頼みたいことがあるんだけど......月さん、虫プロの社長をやってくれないか」というわけです。「私に社長なんてできるわけないじゃないですか」って、そのときは真面目に断りましたけど。
──経営状態が悪化して、今のままではダメだ、信頼する人にまかせたいと思ったのかもしれませんね。
手塚先生は忙しいのもあって、経営面ではどんぶり勘定なところがありましたからね。
『新聊斎志異 女郎蜘蛛』(1971年)(タイガーブックス4巻所収)
手塚治虫が宝塚の実家で体験した出来事や知人から聞いた不思議な話を描く。絵描きを目指す真島と丸橋は、由紀をめぐる恋のライバル。真島を選んだ由紀を丸橋は殺してしまい、軍の命令に反する真島は特高警察によって目を潰される。目が見えなくなった真島が絵を描き続けられる驚愕の理由とは......。手塚治虫がこうした不思議な話を意外と(?)愛していたことがよくわかる作品集。
◾️「虫プロを潰したのは俺だ!」
実際に見たわけじゃないから真偽はわかりませんが、こんな話があるんです。
虫プロの倒産後3、4年経ったころ、チーフカメラマンをしていた熊谷さんが「今度一緒に昼飯を食ってくれないか」というので、会いにいったんです。そうしたら「虫プロを潰したの、実は俺なんだ」と告白するんです。「カメラマンの君が責任を感じるような問題じゃないだろう」と言うと、「いやそうなんだ。話を聞いてくれ」というわけです。
──いったいどんな事情が!?
ある日、徹夜で撮影していた熊谷さんはスタジオの裏口から出てタバコを一服していたそうです。スタジオは手塚先生の屋敷のすぐ脇にあって、裏口は屋敷の庭側にあった。庭には池や築山があって、松なんかもきれいに植えてある。しかも、祠までありました。
彼がタバコを吸いながら庭のほうを眺めると、築山のあたりで明かりがチラチラ動いたそうです。しかも、その明かりが祠の周りを回っている。なんだろうと茂みの間から目を凝らすと、どうやら人らしい。近づいてみると、その人物は祠に向かってお祈りをしている。眼鏡が光るからもしかして先生か? と。そこで背後から「先生ですか?」と声をかけたそうです。振り向いたのはやはり手塚先生でした。頭に白いハチマキを巻いて、両サイドにロウソクを2本立てた異様な姿だった。そして先生は「熊ちゃんか。ああ、もうこれはもうダメだ」と顔を覆ったそうです。
──つまり、庭の祠にお百度参りをしていた?
そういうことです。「先生、どうしたんですか?」と声をかけると、「人に見られると願(がん)が消えちゃうんだよ」と。そして「熊ちゃん、虫プロは潰れるよ......」と言ったそうなんです。
──先生は虫プロがなんとか持ち直すように願を......。泣けますね。
結局その後倒産してしまったから、熊谷さんは「自分のせいだ。あのとき声をかけなければ」と罪悪感で3年間悩んだらしいのです。「月さんに聞いてもらって、少し楽になったよ」というから、私は大笑いしましたけどね。
OBにこの話をすると「手塚先生がそんなことをするはずがない」と言う人もいるけど、熊谷さんは真面目で一徹な男だから、嘘をつくはずがない。『どろろ』を描いた先生ですから、私は本当だと思いますよ。
◾️アニメに恋して、アニメの礎をつくった
テレビ局や出版社の期待に応えるために、手塚先生は無理をしすぎましたよね。それは長所でもあり、弱さでもあったと思います。
──働きすぎたという側面は、どうしてもありますよね。
晩年は、絵のほうも、抽象的な言い方ですが、少し寒くなっているというか、ポーズもパターン化されていったように思います。アイデアもバーゲンセールするほどあると豪語していましたが、私は不安になってきたからの強がりなんじゃないかなと思ったりもしました。
ただ、手塚先生が日本のマンガ界、アニメ界に大きな役割を果たした人物であることは間違いありません。ストーリーマンガ表現の礎をつくったのも手塚先生ですからね。大好きなアニメは、本業にはできなかったけれど。
──本妻はマンガ、愛人がアニメと冗談を言ったように、アニメは好きだけど、マンガが忙しすぎてなかなかうまくいかないもどかしさもあったのかも......。
でも、テレビアニメの『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』だって、もともと手塚先生のところにいた人たちがつくっているわけですからね。やっぱりいろいろな意味で、手塚先生がいなかっったら今のマンガ界、アニメ界はありませんよ。
──日本アニメの黎明期には、月岡さんをはじめ、才能のある人がたくさんいらっしゃった感じがします。
才能があったかどうかはわからないけど、時代や状況がそうさせたんじゃないでしょうか。
手塚先生のまわりには、面白い人がたくさんいましたから。おかげさまで楽しい思いをずっとしてきました。
今先生が生きていたら、どうしているだろう......テレビアニメはこりごりで、劇場アニメにシフトしているかもしれませんね(笑)。
[了]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
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