虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 月岡貞夫編 第2回 手塚治虫の代役で東映に派遣。そしてアニメーターの道へ

2025/06/06

関係者インタビュー

私と手塚治虫 月岡貞夫

第2回 手塚治虫の代役で東映に派遣。そしてアニメーターの道へ

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回はアニメーション作家の月岡貞夫さん。「天才アニメーター」と呼ばれた月岡さんは、日本アニメ界のレジェンド的存在です。手塚治虫とのエピソードから、現在のアニメ界の考察まで、さまざまな視点でお話を伺いました。

PROFILE

月岡貞夫(つきおか・さだお)

アニメーション作家。1939年新潟県生まれ。手塚治虫のアシスタントを経て東映動画入社。『西遊記』(1960年)、『ねずみの嫁入り』(1961年)、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)に携わり、24歳にして東映のテレビアニメシリーズ第1作となる『狼少年ケン』(1963年)の総監督を務める。その後フリーとなり、NHKみんなのうた「北風小僧の寒太郎」(1974年)、CMの富士通のタッチおじさん、明治うがい薬のカバくんなど、多くの作品で知られる。虫プロ作品では『W3』『悟空の大冒険』『リボンの騎士』などに携わる。第45回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞。中国美術大学、西安美術大学、北京電影大学客座教授。


◾️うちには「天才」がいるから、その人がやります!

 

──手塚先生のアシスタントはどのくらい?

 

1年半くらいだったかと思います。

 

──その後、月岡さんは石ノ森章太郎さんとともに、東映で仕事をすることになるわけですよね。手塚先生が制作に携わる東映動画(現・東映アニメーション、以下東映)の長編アニメーション映画『西遊記』(1960年)で、忙しすぎる先生の代わりに東映に派遣されたとか......。

 

そうなんです。本来は手塚先生が行って絵コンテや演出などアニメの仕事をするはずでしたが、マンガの連載が忙しすぎてどうにもならない。そこで先生が「うちには『天才』がいるから、絵コンテ作業は彼がやります!」って、なぜか私が行くことになったんです。

 

──マンガの神様に「天才」と言わしめた!

 

でも、そういう触れ込みだったから、最初東映のアニメーターたちは多少反感を持ったようです。「何が天才だ」って、思いますよね。

当時の東映はすでに企画部、演出部、作画部と組織化されていて、企画部は東大や慶應、早稲田卒といった有名大卒ばかり、作画部は東京藝大をはじめ、美術大卒しか採用しないというところでした。私は高卒ですからね。

 

──でも、月岡さんはその後東映に......。

 

東映の企画部や演出部、はては専務あたりからも「君のアニメの才能は比類ない。ぜひ東映に残ってくれ」と言われて、結局そのまま入社することになったんです。

 

──すごい!

 

東映始まって以来の高卒ですけど(笑)。まわりの連中はみんな大学出でしょう。「お前いくつ?」なんて聞かれるから、馬鹿にされないように、年齢は4つサバを読んでいました。

 

──つまり、逆サバですね。

 

何十年もたってから、当時同僚だったひこねのりおさんに実年齢がバレて「嘘つきー!」って怒られました(笑)。


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『ぼくの孫悟空』19521959年、マンガ)

石から生まれた威勢のいい暴れん坊の石ザルが、仙人に弟子入りして孫悟空という名前と術を授かる。孫悟空は三蔵法師とともに、天竺にお経をとりに行く長い長い旅をすることになるが......。言わずと知れた中国四大奇書のひとつ「西遊記」の手塚バージョン。月岡さんが駆り出された東映動画の『西遊記』(1960年)は、このマンガを原作として制作された。

 私の仕事は、東映動画での定時(午後5時)までの仕事のほかに、手塚先生に東映サイドのアイデアや意見を伝えることもありました。5時に仕事が終わると手塚先生の代々木の仕事場によって、そこで東映からのアイデアを絵に起こして渡したり、手塚先生にアイデアをいただいて、それを絵コンテに起こしたりしていたのです。手塚先生は原作とともに、共同監督でもありましたから。

 手塚先生からはたくさんアイデアが出てきます。東映動画は演出の藪下泰司さん以下、演出助手チーフの白川大作さん、「セカンド」と当時呼んでいた、演出助手に高畑勲さん、黒田昌郎さんがついていました。東映側は主に口出しするのは白川さんでしたね。私が普段スタッフルームにいて、出入りが多いのは白川さん、企画者の渾大坊五郎さん。あとは、『白蛇伝』の企画の赤川孝一さんもときどき顔をのぞかせていました。

 

◾️ゴボウ抜きで東映の作画チーフに

 

──手塚先生側としては派遣、つまりちょっと人材を貸したつもりだったのに、結局東映に入社することに......いざこざはなかったんですか?

 

それなりにはありました。マネージャーの今井さんが「手塚が手塩にかけて大事に育ててきたのに」と東映と交渉したり、うちの親父まで新潟から呼ばれたりしてね。

ただ、私は東映でアニメーションをやってみたいという気持ちになっていたんです。そのうえで、いつか手塚先生に恩返しをしたいと。その気持ちを手塚先生に話したら、先生も「僕もアニメーションをやりたい。だから、東映でアニメーションを勉強して、また戻ってきて」と、快く出してくれました。

 

──よかった。一応円満退社的な感じに......。

 

東映では、どんどん重要な仕事をまかされるようになりました。2年目で作画のチーフになって、2ケタのスタッフを抱えるようになったんです。

 

──おお! ゴボウ抜きで出世したんですね。

 

 

◾️『狼少年ケン』の別名クレジットの謎

 

──月岡さんは東映入社後、『狼少年ケン』で原作、作画、監督、演出、主題歌の作詞など、多くの仕事を担当されたと聞きました。

 

はい。でも、クレジットが私の名前ばかりになるとおかしいから「原作は大野寛夫ということにしませんか?」なんて企画部の籏野さんから言われてね。だから大野寛夫っていうのは、架空の名前なんですよ。しかしこれが後年トラブルの種になってしまいました。作詞した音楽の使用権の処理で、JASRACに迷惑をかけてしまいました。

 

──そうだったんですね。考えてみれば、東映は日本のアニメの黎明期をつくった会社ですよね。

 

日本で最初に商業アニメーションを成功させたのは、東映の劇場用長編『白蛇伝』(1958年)です。私も中国人の生徒などに「日本のアニメーションは手塚先生がはじめたんですか?」とよく聞かれますが、実は東映動画という会社が手塚先生よりも先にはじめているんですよ、と答えています。

 

──アニメという新しい文化が日本で生まれようとするとき、月岡さんはまさにその文化の中枢にいらっしゃったわけですね。

 

今思えばあの頃は自由な空気がいっぱいありましたし、あらゆるジャンルの専門家がいっぱい集まっていましたね。

 

 

◾️『ニュー・シネマ・パラダイス』の世界

 

──月岡さんがアニメーターとしてすぐに頭角を表したのはなぜでしょうか?

 

きっと、子どもの頃からフィルムをよく観ていたし、特にアニメを追いかけていたからでしょうね。

 

──なるほど。ご実家が映画館だったからですね。

 

『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画があるでしょう。私の子どもの頃はまさにあの世界でした。映画のプロジェクターは、大きなフィルムが上にあって、その下にレンズがある。レンズの手前に光源があって、フィルムを送ることで映像が映し出される仕組みです。

一缶のフィルムの映写が終わったら、フィルムの巻き戻しを人力でしなきゃならないから、よくその手伝いをしていました。面白いシーンにはフィルムにこよりを挟んでおいて、巻き戻すときにあのコマはどうなっているんだろうって、じっとフィルムを観察するわけですね。そうすると「こういうふうにして動かしているんだ」ってわかるわけですよ。今ならビデオデッキがあれば誰でも簡単にコマのチェックはできるんですよね。

 

──フィルムの観察という経験がアニメーターとしての才能につながったんですね。

 

 

◾️変わらぬ手塚治虫との関係性

 

──東映動画に移ってから、手塚先生との関わりは?

 

手塚先生のところを出たといっても、先生の仕事場の近くにアパートを借りていましたから東映の仕事が終わったら、手塚先生とのところにほぼ毎日顔を出していました。マンガの仕事は富士見台の手塚邸に引っ越すまで続いていました。

とはいえ、東映にいながら大っぴらに手塚先生の仕事をするわけにもいかないし、虫プロとしてアニメ制作が始まってからも、関係は続いていましたよ。だから、『鉄腕アトム』などたくさん手伝いましたがアニメでは名前を出さずにお手伝いしていました。

 

──だから東映移籍後も、多くの手塚アニメに関わったわけですね。

 

手塚先生には大きな恩義がありましたから、手伝いでも何でもやりますよという気持ちでした。アニメだけでなく、忙しいときはマンガも手伝いました(笑)。

ただ、私は『ジャングル大帝』をやりたかったんですが、ちょうど『狼少年ケン』と重なっ

て、タイミングが合わなくてね。『リボンの騎士』のパイロットフィルムもやったけど、実はあのテーマにはどうも乗れなくて......。先生も「月さん、乗っていないんだな」ってわかったでしょうね。

 

 

[第3回に続く]

 


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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