文/山崎潤子
関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は現在一迅社の社長を務める野内雅宏さん。野内さんは『週刊少年マガジン』編集者時代、手塚治虫の読み切り作品を担当されています。編集者視点で手塚治虫の多忙さがわかるエピソードをお聞きしました。
PROFILE
野内雅宏(のうち・まさひろ)
編集者、経営者。1981年講談社入社、『週刊少年マガジン』編集部に配属される。『バリバリ伝説』(しげの秀一)、 『はじめの一歩』(森川ジョージ)、『BOYS BE...』(イタバシマサヒロ/玉越博幸)など、数々のヒット作品に携わる。1997年より6年間『週刊少年マガジン』編集長を務める。2018年よりマンガとアニメ・ゲーム関連本などを幅広く手がける株式会社一迅社の代表取締役社長を務める。
──野内さんは『週刊少年マガジン』の編集者時代、手塚治虫のマンガを担当されたことがあるそうですね。
『ダリとの再会』という読み切り作品でした。
──本日はそのときのお話をお聞かせいただきたく思います!
僕は読み切りを一度担当させていただいただけで、手塚先生と縁が深かったわけではないのでおこがましいのですが......。懐かしい話なので、ぜひ。
『ダリとの再会』(1982年3月)
主人公のウルフは暴走族のボス。バイクで信号無視をしたあげく、トラックと衝突して大ケガを負う。
同乗していた恋人を亡くし、暴走族も解散。自暴自棄になったウルフに対し、看護用ロボット「D・A・R・1号」、通称「ダリ」が献身的な看護をするが......。
──当時実際に担当した編集者さんの生のお話は貴重です。よろしくお願いします。
僕は1981年に講談社に入社して『週刊少年マガジン』編集部に配属されました。『ダリとの再会』が掲載されたのは82年の15号(3月)ですから、入社1年目のぺーぺーだった頃の話です。
当時の僕はまだ右も左もわからない新人で、まだ連載の担当も持っていなかったんです。いわば遊軍的な位置づけで、先輩の手伝いをしたり、持ち込みの新人作家さんのマンガを読んだりしていて。ダイヤモンドの原石を見つけて自分で連載を立ち上げるのを夢見ていたような頃でした。
──まだ新人だった野内さんが、手塚先生の担当になった経緯というのは?
当時手塚先生は何本も連載を抱えていましたが、『週刊少年マガジン』では『三つ目がとおる』が終わって、連載はしていなかったんです。
その頃、『週刊少年マガジン』創刊24年目突入ということで、名作家たちの読み切りを何週かにわたってやっていこうという企画があったんです。「マガジンTHEスペシャル」と銘打った肝いり企画で、やはり第一弾は手塚先生がふさわしいんじゃないかということになったわけです。
野内さんが担当した『ダリとの再会』が掲載された号。(『「週刊少年マガジン」五〇年 漫画表紙コレクション』(講談社)より)
──(該当号の表紙を拝見しつつ)おおお!これですね。なんと表紙に!
過去に手塚先生の担当だった方は、部署異動してしまっていたんですね。そこで新人に担当させたらどうかという話になったらしいんです。私が手塚先生の大ファンだと話していたことも、編集長の頭にあったのかもしれませんが。
──新人だった野内さんに大役が回ってきたわけですね。
もちろん「えっ? 本当に僕でいいんですか?」という状態でした。マンガ界の巨匠で、しかも肝いり企画の第1弾でしょう。実績のない新人編集が担当していいものかと思いましたけど、先ほども話したように仕事らしい仕事もない遊軍状態でしたから「ぜひやらせてください」となったんです。
憧れだった手塚先生のマンガを担当できるんですから、僕にとっては夢のような話です。ウキウキしていると、どういうわけか周りの先輩たちはにやにやしているんですよ。「そんなに喜んでいていいのかな」「大変だぞ......」みたいなニュアンスでね。
──なるほど。純真な新入社員に待ち受ける未来を想像して......。
先輩たちに理由を聞いたら、「行けばわかるよ」って言われたのを覚えています......。
というわけで、まずは手塚プロダクションに伺って、当時手塚先生のマネージャーだった古徳さんという方に、ここでの編集者としての「しきたり」のようなものを教えてもらったわけです。
──しきたり? どんなことですか?
まず、原稿がほしいなら、常にここ(手塚プロダクション内で編集者たちが原稿待ちをする部屋)にいなければいけないというわけです。
なぜなら、先生は上の仕事部屋からいつ降りてくるかわからない。そのときにいないと君のところの原稿は描かず、ほかの出版社のここで待っている編集者の分を優先するから、「ここにいること」が大事だと言われました。
──とにかく、近くにいて待ちの姿勢というわけですね。
仕事部屋をいきなりノックして「先生、打ち合わせしたいんですけど」なんて、もちろん御法度。そんなことをしたら即出禁です。先生が一段落して降りてくるタイミングを待ってくださいということでした。
最初のうちは「それも仕事のうちか」と思って、待っていたんです。待っていればそのうち先生が降りてきて、話ができるだろうって軽く考えていました。
でも、一向に先生とお話する機会は訪れず......。
──それは何も知らない新人にはつらいですね(笑)。
直行直帰で朝から晩までずっと詰めていましたから、講談社に入社したはずなのに、手塚プロダクションに入社したみたいでしたね(笑)。編集部には「まだ予告のカットすらもらえていません」みたいな報告をたまにするだけで。先輩に相談しても「手塚先生の場合は席を外さずひたすら待つしかない」「マネージャーさんに窮状を訴えてみたら?」くらいのアドバイスしかもらえないんです。
──先生に会えないなら、マネージャーと懇意になって取り次いでもらうくらいしか方法がないわけですね。
といっても他の出版社の方々も常時3、4人詰めていて、当然彼らのほうが付き合いも長いわけですから。いきなりマネージャーさんの懐に入るのも難しいんです。
──連載を落とすわけにはいかないから、他の編集者さんも必死でしょうね。雰囲気はどんな感じでしたか?
先生のスケジュールの取り合いですから、多少殺伐とした感じはありました。それでも古い付き合いの編集者同士は、それなりにコミュニケーションをとっていましたが。
でも、僕はいきなり読み切りをお願いしにきたぽっと出の新人編集でしょう。しかも他の編集者からすれば「余計な読み切りなんか入れやがって」っていう存在なわけです。しゃしゃり出るわけにもいかず、健気に待つしかない。だから、決して居心地がよかったわけではないですよ。その頃になってようやく「先輩たちのニヤニヤはこれだったのか」と気づきましたね(笑)。
──待っている間は何をして過ごされるんですか?
当時はスマホも携帯もありませんから、本やマンガを読むくらいしかやることがなくて。食事で抜けるときは極力短時間で済ませていました。席を外したタイミングで先生が降りてきて会えなかったらと思うとね。とにかく早く食べられるチャーハンとかをかきこんで、すぐ戻ってくるようにしていました。何もしなくて楽だと思うかもしれませんが、ただ待つだけっていうのも、なかなか忍耐力がいりますよ。
──結局、どのくらい詰めていたんですか?
1ヵ月以上だったかと思います。
──1ヵ月も!? そもそも、読み切りの内容については決まっていたんでしょうか?
いえ。まったく決まっていませんでした。そんな状態ですから、もう間に合わないんじゃないかって不安になってきますよね。他社の編集の方たちも口々に「うちもかなりヤバい」みたいなことをおっしゃるわけですから、やっぱり連載のほうが優先かと思いますし。
──たしかに、それは不安な状況ですね。
事情もよくわからないまま、先生が降りてきてくれるのを信じてひたすら待つ日々が続いて......。
で、ある日突然古徳さんから「あ、講談社さん」って呼ばれて、「今日の夜中、先生は花小金井のご自宅にタクシーで帰るから、同乗して車内で打ち合わせをしてください」と言われたんです。「おおお、やっと来たーーー」って。
[第2回に続く。次回は車内での打ち合わせについてお聞きしていきます!]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
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