虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 月岡貞夫編 第1回 文通から始まった手塚治虫との絆

2025/05/02

関係者インタビュー

私と手塚治虫 月岡貞夫

第1回 文通から始まった手塚治虫との絆

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回はアニメーション作家の月岡貞夫さん。「天才アニメーター」と呼ばれた月岡さんは、日本アニメ界のレジェンド的存在です。手塚治虫とのエピソードから、現在のアニメ界の考察まで、さまざまな視点でお話を伺いました。

PROFILE

月岡貞夫(つきおか・さだお)

アニメーション作家。1939年新潟県生まれ。手塚治虫のアシスタントを経て東映動画入社。『西遊記』(1960年)、『ねずみの嫁入り』(1961年)、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年)に携わり、24歳にして東映のテレビアニメシリーズ第1作となる『狼少年ケン』(1963年)の総監督を務める。その後フリーとなり、NHKみんなのうた「北風小僧の寒太郎」(1974年)、CMの富士通のタッチおじさん、明治うがい薬のカバくんなど、多くの作品で知られる。虫プロ作品では『W3』『悟空の大冒険』『リボンの騎士』などに携わる。第45回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞。中国美術大学、西安美術大学、北京電影大学客座教授。


 

◾️小学4年生から文通がスタート

 

──月岡さんは、長らく手塚先生と文通をしていたとか?

 

文通というより、ファンレターです。はじまりは小学4年生くらいだったでしょうか。

 

──ぜひ、経緯を教えてください!

 

当時は貸本屋の時代で、今のように誰でも簡単にマンガの本を買うことはできませんでした。しかもうちは田舎だったから、近所に貸本屋すらなくて、バスか汽車で街まで行かなきゃならない。兄貴が街まで出かけたついでに本屋に寄って、手塚先生のマンガを買ってくるんです。

 

──お兄さんが買ってきたマンガ本が、手塚先生との出会いに......。

 

昔のマンガ本って、奥付に作者の住所や電話番号が載っていたんですよ。

 

──え! 個人情報丸出しですね!

 

そういう良い時代があったんですよ(笑)。

うちはいくつか商売をしていたから、正月になると父親宛に年賀状がどっさり届く。それを見て、自分も手塚先生に年賀状を送ってみようと思ったのがきっかけでした。書き方もわからないから、宛名は兄貴に書いてもらってね。『流線型事件』のウサギのキャラクターを描いて送りました。そうしたら、すぐにお返事がきたんです。当時の先生の住所は、兵庫県の宝塚市でした。

 

──とすると、手塚先生は20歳くらいでしょうか。まだ大学生だった頃ですね。

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『流線型事件』194810月)

誠実な「ホップ社」と悪どい「ウルフゾオン社」、2つの自動車会社の競争を描く。さまざまな悪だくみを仕掛けてくるウルフオゾン社に、ホップ社は勝てるのか......。タイトルの「流線型」は自動車の形状のこと。

◾️「私のアシスタントをやってくれませんか?」

 

それから毎年年賀状のやりとりが始まりました。手塚先生からのお返事は、全部でこのくらい(厚さ4センチほど)になったでしょうか。先生が東京に引っ越したときは、手塚先生のお母さんが返事をくださいました。「治ちゃんは東京に行ったから、今度は東京のここに手紙出してね」って。

 

──きっと、お母様も「いつもの月岡くんだわ」と返事をくださったんですね。

 

高校生くらいになると、「絵がずいぶんうまくなったね」なんて年賀状に添えて一筆書いてくれましたね。そして高校2年生のとき「私のアシスタントをやってくれませんか?」という封書の連絡がきたんです。

 

──手塚治虫から直々に! いわゆる青田買いですね。

 

ありがたいことに、手塚先生が自分から声をかけてアシスタントになったのは、マネージャーの今井氏によれば、私だけだそうです(笑)。でも、当時の私はアシスタントって何をするんだろう、と思いましたよ。兄貴に聞いたら調べてくれましたが。

 

3のときには、「決心がついたらなるべく早く」「いよいよ決心が固まったら、まずは布団を送るように」なんて電報を送っていただきました。というわけで、卒業証書をもらった翌日に、東京に汽車で飛びました。

 

──親御さんは賛成してくれたんですか?

 

いや、親父は不本意でした。うちは祖父の代から芝居小屋、映画館をやっていたんですが、それは兼業で、祖父が神社建築の棟梁だったらしいのですが、父の代になると神社のオーダーなどはまるでないから、一般住宅の設計をしていたらしいんです。親父は私に建築のほうを継いでほしかったんじゃないかな。兄貴は建築には全然関心がなくて、私は絵も得意でしたが、映画の『鞍馬天狗』なんかを観て、京都の建築なんかに強い興味がありましたから。

親父に相談したら「お前には建築をやってもらいたいから、建築の大学に進んだらどうなんだ」とか言われました。その日の夜に今度はおふくろに相談したら、「お前が好きなら、好きなことをしたらいいんじゃないか」と言ってくれたんです。

 

 

◾️ほめられた色塗りの技術

 

──当時のアシスタントさんは、どんな方が?

 

アシスタントの先輩には、マンガ家の吉田竜夫さんら久里一平兄弟のグループと活躍していた笹川ひろしさんがいました。後年、吉田グループはアニメーション制作に転換し、笹川さんはギャグアニメという分野を切り開いていくんです。私が入った頃はもう辞めていたけど、忙しいときに手伝いにきていてね。私はいちばん新人だったから「僕ちゃん」なんて呼ばれました(笑)。それから、のちに手塚先生のマネージャーになる平田ポン(昭吾)ちゃん。彼らは福島県の出身で、会津に手塚先生のファンクラブ(会津漫画研究会)みたいなものがあったんです。

それから、『ダメおやじ』『BARレモン・ハート』の古谷三敏さんもいましたね。

 

──どんな雰囲気で仕事を?

 

私が入った頃は、手塚先生のアシスタントたちは10畳くらいの同じ部屋で仕事をしていました。手塚先生はいつもは2階の仕事場にいて、アシスタント用の机が4つと、マネージャーのための机が一つあって。当時マネージャーだった今井さんが、手の空いたアシスタントに仕事を割り振っていました。いつもは常勤のアシスタントで間に合いますが、切羽詰まってくると笹川ひろしさんやしのだひでおさんに電話して、手伝いに来てもらっていました。そういうときは、マネージャーの机を開けて、そこで描いてもらっていました。私がいたころに一度だけ、トキワ荘の石ノ森章太郎さんにもお願いして、キャラクターの作画まで頼んだことがあったようです。アシスタントにそこまで任せることはごくまれでしたけれど。

 

ただ、今考えてみると、私は少し難しい仕事を担当させてもらったような気がします。本来はマネージャーが仕事を割り振るわけですが、私には「月岡くん、この色塗りやってよ」なんて手塚先生が直接原稿を持ってきて指示するんです。当時色塗りは先生がほとんどご自分でされていたんですが、私だけはやらせてもらえました。

 

──月岡さんの実力に信頼があったんですね。

 

そういえば、いよいよ東京行きが決まったとき、何か作品を持ってくるようにと連絡をもらったんです。作品って言われても、手塚先生のマンガの模写ばかり。でも手塚先生のところに行くのに、手塚先生の模写というのも変かなと思って、ディズニーの模写をたくさん持っていったんです。それを見た手塚先生が「月岡くん、色塗りがうまいねえ」なんてほめてくれました。昔のことですが、ほめられた記憶はちゃんと残ってるんです(笑)。

 

──色塗りの技術もお墨付きだったわけですね。

 

うちは映画館をやっていたから、映画の看板も描くんです。叔父さんが絵や文字を描くのがうまくてね。兄貴もなかなかなもので、役者の大きな絵を描いていました。

 

──昔は映画の看板が手書きでしたね!

 

そういうわけで、絵の具やポスターカラーなど、絵を描く道具だけはたくさんあったから、色塗りは慣れていたんです。とはいえ看板用の絵の具やポスターカラーは不透明絵の具なので、マンガの世界で透明な水彩絵の具を使うのには多少戸惑いましたが、高校の美術部では水彩画も描いていましたので、すぐ順応できました。

 

 

◾️健康のために自炊したら......食あたり事件発生!

 

アシスタント時代は楽しかったですよ。手塚先生のところで嫌な思いというのは、一度もしたことがなかったなあ。当時のアシスタントもみんな面白くて、仕事をしながら軽口を叩き合ってね。

 

──何かおもしろいエピソード、ありましたか?

 

アシスタントの誰かが脚気になって「野菜が足りないからだ」という話になったんです。仕事中はみんなカツ丼とか天丼とかの店屋物ばかりだったから。私はどちらかという草食男子で、五目そばや野菜炒めなんかを食べていたんですけどね(笑)。

で、手塚先生が「健康のために自炊をしよう」と言い出したんです。古さん(古谷三敏)が元板前ということで、彼が調理担当になったんですね。

そうしたらあるとき、魚介の大盛がふるまわれた際に、全員が食あたりを起こしちゃったんです。どうやら原因は赤貝らしくて、調理の問題ではなく、素材の問題だったわけですが......。あのときはトイレの順番を争う大騒動でした。手塚先生も、トイレはまだかって2階からドタドタ降りてきて。

 

──大変ですが、ギャグマンガみたいな状況ですね。

 

でも、手塚先生は権力を行使することなく、ちゃんと順番待ちしてましたよ(笑)。

 

 

[第2回に続く]

 


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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