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関係者インタビュー 私と手塚治虫 山田貴敏編 第4回 言うなれば、手塚治虫とは「ぶち壊し屋」です

2025/07/25

関係者インタビュー

私と手塚治虫 山田貴敏

第4回 言うなれば、手塚治虫とは「ぶち壊し屋」です

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は大ヒット漫画『Dr.コトー診療所』の作者である山田貴敏さん。デビューのきっかけや取材へのこだわり、手塚治虫にも通じる天才的なエピソードなどを伺いました。

PROFILE

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山田貴敏(やまだ・たかとし)

1959年岐阜市生まれ。中央大学在学中に『二人ぼっち』 で講談社新人漫画賞佳作を受賞。『マシューズ 心の叫び』でデビュー後、『風のマリオ』などの連載を経て小学館に移籍。2000年に『Dr.コトー診療所』の連載を開始し、累計発行部数1,200万部を超える大ヒット作となる。同作品は吉岡秀隆主演でドラマ化(2003年、2006年)、映画化(2022年)され、今もなお多くのファンの心をとらえている。

豊島区立トキワ荘マンガミュージアムにて

特別企画展「ぼくの漫画の歴史 山田貴敏展 ~Dr.コトーと仲間たち~」を開催中。

【開催期間:2025年4月5日(土)~7月27日(日)】


◾️手塚治虫との邂逅

──山田先生は、手塚先生とリアルな接点はありましたか?

 

そういえばご存命の頃、手塚賞のパーティに呼ばれたことがあったんです。審査委員長の手塚さんにお会いできるかと思ったら、審査の途中で急に審査委員長を降りられたと聞いて......。

 

──え! それはなぜでしょう?

 

「手塚賞を人にあげるというのはおかしい。僕がほしい!」と言われたそうです。僕は「手塚さんらしいー!」って思ったんですが、そういうわけで、そのときはお会いできなかったですね。でも、その場にいた人たちはあ然としていましたが(笑)。

 

──もっとも審査員に向いてない人間かもしれませんね(笑)。

 

その前にも何かのパーティでお見かけして、ご挨拶したいなと思って近くまで行ってみたことがありますが、手塚さんのまわりには常に人だかりができていて、僕は新人だったから躊躇してしまいました。でも、あのときご挨拶しておけばよかったなあって、思いますよね。

 

──生の手塚治虫を見たことがあるんですね。

 

はい。結構背が高い方で、トレードマークのベレー帽をかぶっているから目立つんですよ。

 

 

■火の鳥も好き

 

──山田先生は好きな手塚漫画はありますか?

 

全部好きですよ。アトムやサファイアも好きですが、作品でいえば『火の鳥』ですよね。未来や過去や宇宙を縦横無尽に描いて、鼻の大きな彼(黎明編では猿田彦)があちこちに登場して、漫画でこれほどまでに壮大な世界観を表現できるなんてすごいと思いました。

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『火の鳥』宇宙編(1969年)

「黎明編」で鼻が大きく膨れ上がった猿田彦は、「未来編」の猿田博士、「ヤマト編」のイマリ、「鳳凰編」の我王などとして登場し、重要な役割を担う。「宇宙編」では宇宙船の乗組員猿田として登場。赤ちゃんに戻った恋のライバルを亡き者にしようとしたことから、火の鳥によって子々孫々の罰を受ける。シリーズを通して、このキャラクターから人間の悲しき業が描かれる。

 

NHKのドキュメンタリー『手塚治虫 創作の秘密』は何度も見ました。体力づくりのために壁で逆立ちしたりして、おもしろいんですよね。

「アイデアだけはバーゲンセールしてもいいくらいある」とおっしゃっていましたが、本当にすごいことですよ。そのアイデアを残してくれればよかったのにと思いますが、きっと他の人に描かれるのは嫌なんでしょうね(笑)。

 

──そうでしょうね。

 

漫画に関してはシビアな人だったんでしょうね。だって「手塚賞は僕がほしい」っていうくらいですから。

 

 

■手塚治虫は「ぶち壊し屋」

 

手塚さんの漫画で驚いたのが、コマをバーンと突き破っていく自由自在なコマ割りです。コマの上にバーンと人物を入れたりして、すごく動きが出ますよね。こんなのありなんだって、見習いましたよ。僕は漫画家になるまで描くことにあまり触れてこなかったから、1作目ができたのは本当に手塚さんのおかげです。

 

それに手塚さんって、漫画を打ち立てた人みたいに言われますが、僕はむしろ「ぶち壊し屋」みたいなところがあるって思うんです。

 

──常識を破るというような?

 

というよりも「自分がいいと思ったことはそれでいいんだ」という感じでしょうか。それによって常識がぶち壊れようが関係ないって突き進んだ人だって、僕は思っています。

だから、漫画家として手塚さんを踏襲するなら、そういう「ぶち壊し屋」の部分だと思っているんです。

 

 

■大反対された「離島の医療漫画」

 

『Dr.コトー診療所』の連載前、医療漫画は「『ブラック・ジャック』の後に『ブラック・ジャック』なし」って言われるくらいヒットが難しいとされていたんです。しかも離島の医療漫画なんて誰が読むんだって。

 

──編集サイドからは反対されたんですか?

 

そういえば、『風のマリオ』を描くときも「彫刻をする少年の話なんて誰が読むんだ」って大反対されて、副編集長にはこう言われたんです。

「山田君、君の前に大きな湖があると想像してごらん。そこに小さな石でもぽーんと投げれば、波紋が広がるだろう。でも、目の前にあるのが空の池では、どんなに大きな石を投げても何も起こらないんだよ」って。

 

──なるほど。ウケないジャンルは空の池というわけですね。

 

当時は新人だったから、やっぱりダメかと思ったんです。そうしたら僕の担当編集者がこう言ってくれたんです。

「お前はどういう漫画を描きたいんだ? 流行りの学園ラブコメやスポーツ漫画で大きな湖に小石を投げたいのか? 違うだろう。お前がやることは、空の池に水を入れることだよ。どうやって水をいれるか、それだけを考えろ」と。

 

──とても素敵な言葉ですね。

 

結局『風のマリオ』は、人気投票で1話目は3位、2話目は2位、3話目は1位に2票差の2位でした。

 

──おおお!

 

『Dr.コトー診療所』のときも、同じように反対されました。当時の『ヤングマガジン』は人がたくさん死ぬ漫画が多くて、そういうのがウケるとされていた。ならば人が死なない医療漫画でも描こうと思ったんです。いざ連載をはじめたら、52週、つまり1年間ずっと人気トップになりました。

 

──人が死のうが死ぬまいが、おもしろいものはおもしろい。結局ジャンルなんて関係ないですよね。

 

 

■「死なない漫画」で人が死んだ

 

死なない漫画と言ったけど、唯一、作中で三上先生っていう人は死んでしまったんです。

 

──三上先生、死んでほしくなかった!

 

あのときは担当編集者と揉めに揉めたんですよ。僕がネームを見せたら「何ですかこれは。もしこれを描くつもりなら、僕は原稿を受けとりません。山田ファンの僕はこんな原稿読みたくない!」って。「受け取らなければ会社にいられなくなるでしょうから、僕は小学館をやめます」とまで言ったからね。

 

──読者にとって主要キャラクターの死というのはショックですが、それだけ思い入れが強かったんですね。

 

でも僕は、だからこそ、ここで描かなきゃいけないって思ったんですよ。三上を描き始めてから、三上はどんどんどんどんコトー化していったんです。離島に行って、何かあればコトーに相談して、コトーがアドバイスする。そして島の人と打ち解ける......。「三上って誰?」と考えたら、コトーなんですよね。この関係性を逆転させるには、コトーに『三上くん、僕はこれでよかったんだろうか』て言わせなきゃいけない。

 

──なるほど!

 

三上の死については営業担当や局長まで出てきて話し合いをするような大問題に発展しました。結局描きたいように描かせてもらいましたが、そのあと星野さんが乳がんになったとき、読者から「星野さんは殺さないで」っていうメールをたくさんいただきました。「山田なら殺しかねない」と思われたんでしょうね(笑)。

 

 

■月間210枚描いていた頃

 

──山田先生は連載を何本も抱えていたことも?

 

月間、週刊、隔週と3本連載していた頃は、月に210枚描いていたこともありました。

 

──手塚先生の仕事量もすごいですが、山田先生もすごいです......。

 

1日7ページベースでしたからね。マンションの7階が仕事場で、2階のファミレスで編集者と打ち合わせをするんですが、「ちょっとだけ眠らせて」って仮眠をとったら目の前の編集者が代わっていましたね。

 

──起きたら次は私の番です、みたいな(笑)。

 

シリアスな絵を描きながら他の漫画のシーンを思い浮かべて、にたにた笑いながらシリアスなシーンを描くからアシスタントが気味悪がっていました(笑)。

 

──描きながら他のことを考えないと間に合わない......。

 

そうでしょうね。目の前の原稿に集中しながら、他の漫画のコマ割りが頭の中に浮かぶんですよ。テレビ画面のワイプみたいなものがいくつか出てきて、同時にいろいろなことを考えながらやっていました。

 

──まさにマルチタスク。山田先生はやっぱり天才だと思います!

 

 

[了]

 

 


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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