文/山崎潤子
関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は大ヒット漫画『Dr.コトー診療所』の作者である山田貴敏さん。デビューのきっかけや取材へのこだわり、手塚治虫にも通じる天才的なエピソードなどを伺いました。
PROFILE
山田貴敏(やまだ・たかとし)
1959年岐阜市生まれ。中央大学在学中に『二人ぼっち』 で講談社新人漫画賞佳作を受賞。『マシューズ 心の叫び』でデビュー後、『風のマリオ』などの連載を経て小学館に移籍。2000年に『Dr.コトー診療所』の連載を開始し、累計発行部数1,200万部を超える大ヒット作となる。同作品は吉岡秀隆主演でドラマ化(2003年、2006年)、映画化(2022年)され、今もなお多くのファンの心をとらえている。
豊島区立トキワ荘マンガミュージアムにて
特別企画展「ぼくの漫画の歴史 山田貴敏展 ~Dr.コトーと仲間たち~」を開催中。
【開催期間:2025年4月5日(土)~7月27日(日)】
──トキワ荘マンガミュージアムの企画展、拝見しました。素晴らしかったです!
手塚プロダクションさんにも協力していただいて。スペースを広げてくれとか、いろいろわがままを言わせてもらいました。何度か展示物も入れ替えるので、一度来られた方もまた楽しめるようになっています。
──『Dr.コトー診療所』の原画も拝見しましたが、驚いたのは山田先生が初めて描かれたという『二人ぼっち』の原画でした。山田先生って、最初からものすごい画力があったんですね。しかもいきなり50ページの作品とは!
『二人ぼっち』を描いたのは中央大学の漫研(漫画研究会)にいた頃です。この作品を描いたのは、賭けをした結果なんですよ。
──賭け?
漫研に在籍していたといっても、僕は漫画なんて描いたことがなかったんです。部室に行けば漫画がタダで読めるというくらいの気持ちでした。
──絵が描きたいとか、漫画家になりたいというわけじゃなかった?
そうです。部室に顔を出して漫画を読んで、読んだら帰るだけ。当時の僕は「何も描けないくせに偉そうにしている」と思われるような部員だったわけです。部室に顔を出しては後輩たちを引き連れて「メシおごってやるぞー」みたいな感じだったから。
──山田先生、後輩におごるなんておぼっちゃまなんですか?
全然。でも、お金だけはたくさん持っている大学生だったんですよ。
僕は「すかいらーく」というファミレスでアルバイトをしていたんです。当時、アルバイトの時給は350円くらい。それなのに、僕は最終的に1500円もらっていたから。
──えっ! 時給350円の時代に1500円!?
社員さんが時給1000円だったんですけど、それも超えちゃって。
──......1970年代末あたりだと、時給1500円なんてありえないです!
アルバイトを始めた頃、その店舗は赤字だったんですよ。僕は在庫チェックの係もしていたから仕入れについて思うところがあって......、エリアマネージャーに「このお店、僕の言う通りにすれば絶対黒字になりますよ」と進言したんです。
──マンガの第1話みたいな展開!
学生アルバイトの言うことですから、最初は「こいつ、何言ってんだ?」という反応でした。でも、赤字の原因は食品ロスだと思ったんです。たとえば水曜日はその地域で集まりがあるから平日でも混み合う。頼むのはみんなハンバーグ。だから水曜日はハンバーグの仕入れを倍にする。そのかわり、他の平日は半減する。曜日ごとに発注することで、ロスを減らそうと思ったんです。
──アルバイトの大学生が考えることじゃないですね。
そう説明すると、エリアマネージャーが「君が発注してみないか?」って。データをとりながら発注するようにしたら、みるみるうちにV字回復しました。そのとき、時給は倍にはなりましたね。
──うわー! すごい。
それから、バラバラの注文でも同じテーブルにほぼ同時間で提供できるよう、キッチンへの指示も工夫しました。僕がホールにいるときは、注文した料理が10分ですべてテーブルに揃うように。
──今はそういうこともシステム化されているでしょうけど、当時からそれをやっちゃうなんて......。
その様子を本部の偉い人が見て、時給が1000円超えて、社内試験を受けて社員がいなくても僕だけで店が回せるようになって、新入社員の教育係もやるようになって......、最終的に時給は1500円に(笑)。
──普通の会社員より稼いでいそうですね。
深夜も合わせて1日9時間働くと、14000円近く。ほぼ毎日働いて、月40万くらい稼いでいました。仕送りもあったし、4万円のアパートを友人とシェアしていたから家賃も2万円でしょう。しかも当時は1食100円でまかないのような制度もあったから、食費もかからない。だからお金持ちだったんですよ(笑)。
──アルバイト時代の話を聞いて、山田先生に何をやっても成功しただろうなと思いました。会社員だったらごぼう抜きで大出世するタイプですね。
そんなことないですって(笑)。
前置きが長くなったけど、だから漫研では漫画を書く暇なんてなかったし、暇はないけどお金はあるから、後輩によく学食でおごっていたんですよ。
──おごってくれるキップのいい先輩って、人気者になりますよね(笑)。
そうなんです。でも、そんなの真面目にマンガを描いている人からすれば面白くないじゃないですか。だから4年生のとき、漫研のある同期が「おい山田っ、お前はなんでそんな偉そうなんだ。いつも後輩を引き連れて」って言い出して。僕に言わせれば「お前がケチだからだよ」だけど、彼はバイトもせずに仕送りだけで漫画に打ち込んでいたから、お金の余裕なんてなかったわけです。
というわけで、「山田が漫画を描けるかどうか、カツ丼を賭ける!」ということになったんです。しかも、学食棟の上階にある、ちょっとお高い和食屋さんでね。
──カツ丼を賭けた戦い......。
しかも50ページも描けっていうんです。当時の僕にはカツ丼代なんて大したことはなかったけど、そいつが600円のカツ丼を奢ることの痛手がわかっていたから、やってやろうという気になったんです。
──でも、はじめて漫画を描いたわけですね。
それでできたのが『二人ぼっち』という作品です。
でも、僕は定規がうまく使えなくてね。石や木は描けるけど。建物が描けない。だから設定を砂漠にして登場人物も男女2人だけ。男女2人しか出てこないから、多少作画が崩壊しても大丈夫だと思ったんです(笑)。
──原画を拝見しましたが、初めて漫画を描いた人の画力とは思えなかったです! そしてその作品で、講談社新人漫画賞佳作を受賞されたわけですよね。
──ということは、山田先生はほとんど下積みみたいなことをなさっていないんですか?
そんなことはないんです。
当時、僕についてくれた担当編集がとても熱心でね。最初の作品がSFチックだったからか、僕のところに量子力学とか相対性理論とか、そういう本を山のように持ってきてくれるんです。しかも毎日のようにやってきては「新しいネタ浮かんだ?」なんて聞いてくる。
僕は特にSFが好きなわけじゃなかったから、SF作品はあきらめてもらおうと思って、1作めとはまったく違うファンタジー作品を描いたんですが......それが大失敗。初めての連載なのに、人気はずっと最下位で、苦悩の連続でした。
──山田先生にもそんな過去が......。
自分が漫画家になってよかったのかと、自問自答する毎日でした。
でも、あるとき編集長がご飯に誘ってくれて「人気なんか気にするな。僕は今の山田くんじゃなく、2年後の山田くんを見ているんだ」と言ってもらって、何とか立ち直ったんです。
──そうだったんですね。
別の苦労もありましたよ。僕はそれまで漫画を描いたことがなかったから、常識を知らなかったんです。枠線もうまく引けないし、2色刷りの意味も知らなくて、青と赤を使っていいのかと思ってたくらいですよ。
──一般的には黒と赤だなんて、わかりませんよね。それだけトントン拍子でデビューしたということでしょうけれど。
それはそれで相当苦労しました。アシスタント経験がないから、アシスタントをどうやって扱っていいかわからないしね。
──子どもの頃から絵はお上手だったんですか?
幼稚園のとき、潜水艦の中で働く人の絵を描いて総理大臣賞をいただいたことはあります。潜水艦の断面図で、中で働く人や潜望鏡を見る人を描いた記憶がありますね。
それ以来、大学4年までまともに絵を描いたことはなかったんですが、絵を描くことは嫌いじゃなかったんでしょうね。
──普通の幼稚園児はそんな絵を描けません。やっぱり山田先生は天才です!
そういえば、僕は手塚さんに謝らなきゃいけないことがあって......。
僕の初期作品のキャラクターって、どんぐりまなこで、まさにアトムなんですよ。『マシューズ 心の叫び』『風のマリオ』『マッシュ』あたりなんて特にそうです。
──たしかに、目が丸っこくてアトムっぽいかも!
でしょう。鼻だけはちょっと変えたんですけどね(笑)。
──アトムっぽいキャラクターになったのは、何か理由が?
よくぞ聞いてくださいました。僕、子供の頃『鉄腕アトム』がめちゃくちゃ好きだったんです。漫画やアニメはもちろん、特に覚えているのが実写版。おそらく再放送だったと思いますが、いまだに主題歌も全部歌えます。実写版のアトムは映画の「007」をコメディにしたようなスパイアクション風味で、面白かったんですよ。
しかも、僕の初恋の人は『リボンの騎士』のサファイアなんですよ。だから僕はフランツ王子が大っ嫌いでね(笑)。
『リボンの騎士』(1963年−1966年[なかよし版])
男の子と女の子、2つの心を持ったシルバーランドの王女サファイア。しかし、王女は王位につけないという掟から、サファイアは王子といつわって育てられることになる。フランツはサファイアと恋に落ちる隣国ゴールドランドの王子。
──恋のライバルですね。サファイアって女性人気が高いキャラクターですが、山田先生は凛とした女性が好みなんでしょうか?
そうかもしれませんね。男装のときの凛々しい姿と、女の子に戻ったときのギャップもいいですよね。チンクとの絶妙なコンビ感も大好きです。アニメのオープニングも最高で、イントロを聞くだけで胸がキュンとなりますよ(笑)。あれって、歌詞に女の子バージョンと男の子バージョンがあるんですよね。
──そういえば、先生の作品のヒロインって、ちょっとサファイアっぽいですよね。
それを言われると思いました。ちょっと気が強いところもあったりしてね。
──『Dr.コトー診療所』の星野さんは、サファイアに恋をした山田先生だから生まれたヒロインなんですね。納得です!
僕、本当に手塚プロダクションさんに足を向けて寝られないですよ。アトムを見て漫画を描くし、ヒロインの原型はサファイアだし(笑)。
[第2回に続く]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
バックナンバー
関係者インタビュー 私と手塚治虫 第1回 華麗なる(?)手塚家の生活
関係者インタビュー 私と手塚治虫 第2回 自由奔放な娘と手塚家の教育方針
関係者インタビュー 私と手塚治虫 第3回 母よ、あなたは強かった
関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第1回 古き良き、虫プロ時代
関係者インタビュー 私と手塚治虫 小林準治編 第2回 昆虫愛がつないだ関係
関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第1回 冷めることがなかったアニメへの情熱
関係者インタビュー 私と手塚治虫 瀬谷新二編 第2回 いつだって、手塚治虫はみんなの中心にいた
関係者インタビュー 私と手塚治虫 華平編 中国と日本、縁で結ばれた手塚治虫との出会い
関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第1回 『鉄腕アトム』にあこがれて、手塚治虫を目指した少年
関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第2回 アシスタントが見た、手塚治虫の非凡なエピソード
関係者インタビュー 私と手塚治虫 池原 しげと編 第3回 本当にあった、手塚治虫のかわいい!? わがまま
関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第1回 僕がいま、映画『ばるぼら』を撮った理由
関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第2回 手塚治虫が『ばるぼら』で本当に描きたかった心の中
関係者インタビュー 私と手塚治虫 手塚 眞編 第3回 AIでは再現できない、手塚治虫の目に見えない演出のすごさ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第1回 昭和時代の子供が出会った手塚漫画
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第2回 ひとりのファンと手塚治虫の邂逅
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第3回 手塚治虫がつないでくれたたくさんの縁
関係者インタビュー 私と手塚治虫 濱田高志編 第4回 「手塚作品の復刻版をつくる」意義
関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第1回 手塚プロダクションに二度入社した男
関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第2回 富士見台時代から大きく変わった高田馬場時代へ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 伴俊男編 第3回 アシスタントが見た「手塚治虫」という天才
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第1回 89歳の今でも、最新漫画やアニメまでチェック
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第2回 日本のテレビ番組、その夜明けを駆け抜ける
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第3回 戦争をくぐり抜けてきたからこそ、わかること
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第4回 過去から現在まで、博覧強記の漫画愛
関係者インタビュー 私と手塚治虫 辻真先編 第5回 アニメ『ジャングル大帝』の知られざる裏話
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第1回 漫画家になる決意を固めた『新選組』
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第2回 漫画家の視点で「手塚漫画」のすごさ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第3回 萩尾望都と手塚治虫は何を話したのか
関係者インタビュー 私と手塚治虫 萩尾望都編 第4回 『鉄腕アトム』に見る、手塚治虫の漫画手法
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第1回 新人の制作担当からアニメーターへ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第2回 嗚呼、青春の富士見台。虫プロダクションの日々
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第3回 手塚治虫との距離が近づいた、高田馬場時代
関係者インタビュー 私と手塚治虫 吉村昌輝編 第4回 手塚治虫という原点があったから、今がある
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第1回 漫画少年、「漫画家への道」に葛藤する
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第2回 自ら退路を断って決めた、アシスタント生活
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第3回 手塚アシスタントのリアルな日々
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第4回 アシスタントは見た! 『MW手塚治虫』事件と『よれよれの手塚治虫』事件
関係者インタビュー 私と手塚治虫 三浦みつる編 第5回 『The♥かぼちゃワイン』は「あの作品」に影響を受けていた!?
関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢 考史編 第1回 新人時代の『チャンピオン』編集部
関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢 考史編 第2回 時代によって変化するマンガの世界と価値観
関係者インタビュー 私と手塚治虫 沢 考史編 第3回 天才編集者と天才マンガ家~『ブラック・ジャック』誕生の秘密
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第1回 「手塚治虫がアイドル」だった少女、夢を叶える
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第2回 天才の仕事ぶりと「あの都市伝説」の真実
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第3回 いまだから言える! 「手塚先生、あのときはごめんなさい!」
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第4回 アシスタントは「手塚番」の編集者よりははるかに楽!
関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂 啓編 第5回 「身近なもの」だったから、私たちは漫画に夢中になった
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第1回 僕らは手塚治虫をもっと見上げておくべきだった
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第2回 飛び出した名言「あなたたちね、仕事に命かけてください!」
関係者インタビュー 私と手塚治虫 鈴木 まもる編 第1回 あの『火の鳥』を絵本にするというプレッシャー
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第3回 超マル秘エピソード「手塚治虫と一緒に〇〇を......!? 」
関係者インタビュー 私と手塚治虫 鈴木 まもる編 第2回 絵本を描いて改めてわかった『火の鳥』のすごさ
関係者インタビュー 私と手塚治虫 わたべ 淳編 第4回 たった16ページで表現できる緻密なストーリー
関係者インタビュー 私と手塚治虫 鈴木 まもる編 第3回 いい絵本には、作者の「好き」がたくさん詰まっている
関係者インタビュー 私と手塚治虫 堀田あきお&かよ編 第1回 『手塚治虫アシスタントの食卓』が生まれた理由
関係者インタビュー 私と手塚治虫 堀田あきお&かよ編 第2回 アシスタント時代を彩った愛すべき登場人物たち
関係者インタビュー 私と手塚治虫 堀田あきお&かよ編 第3回 マンガの神様の超絶技法
関係者インタビュー 私と手塚治虫 堀田あきお&かよ編 第4回 「手塚治虫=時代が生み出した概念」説
関係者インタビュー 私と手塚治虫 野内雅宏編 第1回 新人編集者、マンガの神様の読み切り担当になる
関係者インタビュー 私と手塚治虫 野内雅宏編 第2回 初対面の手塚治虫と、いきなりタクシーで打ち合わせ