文/山崎潤子
関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は大ヒット漫画『Dr.コトー診療所』の作者である山田貴敏さん。デビューのきっかけや取材へのこだわり、手塚治虫にも通じる天才的なエピソードなどを伺いました。
PROFILE
山田貴敏(やまだ・たかとし)
1959年岐阜市生まれ。中央大学在学中に『二人ぼっち』 で講談社新人漫画賞佳作を受賞。『マシューズ 心の叫び』でデビュー後、『風のマリオ』などの連載を経て小学館に移籍。2000年に『Dr.コトー診療所』の連載を開始し、累計発行部数1,200万部を超える大ヒット作となる。同作品は吉岡秀隆主演でドラマ化(2003年、2006年)、映画化(2022年)され、今もなお多くのファンの心をとらえている。
豊島区立トキワ荘マンガミュージアムにて
特別企画展「ぼくの漫画の歴史 山田貴敏展 ~Dr.コトーと仲間たち~」を開催中。
【開催期間:2025年4月5日(土)~7月27日(日)】
──前回は山田先生の大学時代の話をお聞きしましたが、高校生の頃はどんな感じでしたか?
悪知恵ばかり働くタイプでしたね。先生が遅れると勝手に黒板に「自習」って書いて遊びに出たり、自分たちの机を椅子をベランダに隠して授業を抜け出すとか(笑)。先生に怒られてばかりでした。
──空いている机がなければ全員出席になる......(笑)。たしかに悪知恵ですが、知恵を働かせることが前回のアルバイトの話にもつながるような......。
今思えば、漫画の仕事につながったのは高校時代の遅刻の言い訳かもしれません。
僕の家は高校から自転車を飛ばせば3分だったんですが、僕はどうしてもNHKの朝ドラを見たかったんです(笑)。当時朝ドラは8時15分から8時30分までで、朝礼開始がだいたい8時35分くらい。飛ばせばなんとか間に合うんですが、先生が先に着くこともあるんですよね。ぜいぜい言いながら「いや、これには理由が......」っていろいろな言い訳を考えたんですよ。
──どんな言い訳ですか?
「マンホールにおばあちゃんが落ちて、助けておんぶして家まで送りました」
「近くにヘリコプターが不時着したらしくて、何事かと様子を見に行っていました」
みたいに、毎日ストーリーを考えるんです。
先生やクラスのやつらも半分わかっていながら「自衛隊のヘリだったの?」なんて聞くから、「うん。〇〇の方向に向かってたから、自衛隊機だったんじゃないかな」「双発機だった?」「いや、単発機だったかな」なんてもっともらしく。
──日々架空の話を考えたわけですね。すごい想像力(笑)。
毎日のようにその場で思いついた話をしていたから、いわゆる嘘つきですけど、それが漫画のストーリーづくりにはかなり役立ちました。
──山田先生は画力もずば抜けていらっしゃいますが、ストーリーテラーとしての力も卓越していますよね。
講演で、中学生くらいの子にこんな質問されることがあるんです。
「僕は漫画が大好きで小学生のときからずっと描いています。将来漫画家になれますか?」
そう聞かれたら、僕は「なれないね」って答えるんです。
そして、こう続けます。
「机の上だけで君が考える世界は、まだまだめちゃくちゃ狭い。僕は大学4年まで一切漫画を描いたことがなかったけど、いろいろな世界を見て、いろいろなことを体験した。どんなに荒唐無稽な話でも、どこかにリアリティがあるから、読む人に伝わるのだと思う。
なら、今の君がやることはなんだろう。友達と遊んだり勉強したり映画を見たりすることだ。その経験が自分の引き出しにどんどん詰まっていくから」
──これはいいお話ですね。
『Dr.コトー診療所』を読んで感動しましたと言っていただけることも多いですが、どんな話でも何らかのリアリティがないと、人の心は動かすことはできないんですよ。
──リアリティって、読者に伝わるんでしょうね。
たとえば「走っていてひざ小僧をすりむいた」にも、いろいろあるじゃないですか。舗装されていないグラウンドなら傷口に小さな石ころが入っちゃったり、アスファルトでザーッとやっちゃう一番痛いパターンとか。それってたくさん転んだ経験がないとわからないですよね。切り傷ひとつとっても、ざっくり切ったのか、鋭利な刃物でサッと切ったのかで全然違うしね。
『魔の山』(1972年)
登山の魅力に取り憑かれた青年が、懇願されて遭難者の救助に向かうが......。登山の厳しさや友情がリアルに描かれている。「ぜひ手塚さんにもロッククライミングを......」と体験取材を望まれたが、結局登山マニアの編集者にくわしい話を取材して描いたという。
──山田先生は取材を丁寧にされるそうですが......。
車の漫画(『ONE&ONLY』)を描くときには、実際にA級ライセンスを取ってレースにも出ました。
──そ、それはすごすぎます。
サーキットを走るということがまったくわからなかったから。そんな人間がサーキットの漫画を描いても、読者に伝わらないと思ったんです。
筑波サーキットは右回りのサーキットですが、右周りで20周ぐらい走って、ブレーキをかけずに最終コーナーに進入するんです。内側の縁石にバーンと乗り上げて、そのまま右に切って後ろのタイヤがドリフトするように滑りはじめたら、少し調整を入れて左にハンドルを切りながら右に曲がっていく。
──へえ......。
そんなこと、実際に体験してみないとわからないですよね。最初はコーナーでブレーキを踏むのが当たり前だと思っていましたが、当時レースで活躍していた三原じゅん子さんに「ブレーキなんて踏んでるのあんただけだよ。だからタイムが出ないんだよ」って言われました(笑)。
──やっぱり、常識的な運転じゃないんですね。
勇気もいりますよ。内側の縁石に乗り上げただけで振られるし、少しでもハンドルの調整を間違えればくるくるとスピンを起こす。うまくいって抜けたときはめちゃくちゃ気持ちよくて、そういうギリギリ感がだんだん快感になってくるんです。
それに、サーキットを走るとGがかかるから、右回りのコースで降りてから鏡を見ると、左目が真っ赤になってるんです。左側に血が寄っちゃうわけです。
──まさにリアル! それは体験しなければわかりませんね。
F1レーサーなんてとんでもない世界ですよ。体の負担もあるけど、死と隣り合わせですから。
──漫画のためにA級ライセンスを取る山田先生も、相当なものです。
こんなこともありました。『過去の旅人』という漫画に陶芸家の先生が出てくるんですが、陶芸のことをよく知らないまま描くのは嫌だなと思って、急きょ2泊3日で山口県の萩に出かけました。「萩焼のことを教えてください」と、いきなり高名な先生の窯を訪ねたんです。
──山田先生、行動力もすごいですね。
まずは窯を見せてもらったんですが、天井が高くて、床は土の独特の湿り気があって、なんとも気持ちがいいんです。そして先生が窯から作品を出すと、どこからともなく「チン......チリンチリン......チン」って、いい音がする。風鈴かと思って先生に聞いたら「窯から出すと温度が変わるから、表面のガラス質が細かく割れる。その音だ」ということでした。そんなこと、実際に体験するまで知りませんでしたよ。
──へえ。萩焼といえば、あのひびですものね。
工房でもいきなり「キーーーン」という音がして、何かと思ったら、大きな作品は1週間くらいしてから音がなるんですって。反響もあって、かなり大きく聞こえましたよ。
──本当に、体験しないとわからないことばかりですね。
ろくろも回させてもらいました。その先生のろくろは「蹴ろくろ」といって、足で蹴って回すんですが、これが素人ではなかなか難しい。でも、僕は漫画を描いているからか中心線が見えるんですね。だからうまくできたようです。初心者用の土からプロ用のザラザラの土でもつくらせてもらって、窯の先生が「よし。お前は漫画家引退したらうちに来い」って(笑)。
──山田先生、ここでも才能があらわになりましたね(笑)。
[第3回に続く]
山崎潤子
ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。
バックナンバー
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