虫ん坊

関係者インタビュー 私と手塚治虫 山田貴敏編 第3回 ディープな取材から生まれた『Dr.コトー診療所』

2025/07/18

関係者インタビュー

私と手塚治虫 山田貴敏

第3回 ディープな取材から生まれた『Dr.コトー診療所』

文/山崎潤子

関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は大ヒット漫画『Dr.コトー診療所』の作者である山田貴敏さん。デビューのきっかけや取材へのこだわり、手塚治虫にも通じる天才的なエピソードなどを伺いました。

PROFILE

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山田貴敏(やまだ・たかとし)

1959年岐阜市生まれ。中央大学在学中に『二人ぼっち』 で講談社新人漫画賞佳作を受賞。『マシューズ 心の叫び』でデビュー後、『風のマリオ』などの連載を経て小学館に移籍。2000年に『Dr.コトー診療所』の連載を開始し、累計発行部数1,200万部を超える大ヒット作となる。同作品は吉岡秀隆主演でドラマ化(2003年、2006年)、映画化(2022年)され、今もなお多くのファンの心をとらえている。

豊島区立トキワ荘マンガミュージアムにて

特別企画展「ぼくの漫画の歴史 山田貴敏展 ~Dr.コトーと仲間たち~」を開催中。

【開催期間:2025年4月5日(土)~7月27日(日)】


◾️医療漫画で「間違ったこと」は描けない

 

──『Dr.コトー診療所』の医療知識はどうやって取材されたんですか?

もちろん、コトーのモデルになった瀬戸上健二郎先生にも取材もして、医療監修の先生にもいろいろお聞きします。ただ、どうしても術式(手術等の決められた方法や手順)というものがあって「こういうケガをした場合、どうやったら治りますか?」って聞いても、マニュアル通りの答えしかいただけないんです。

──ウルトラCみたいな治し方はないんですね。

その通りです。
取材で「ここで患者の心臓が止まったら、どうなりますか?」と聞くと、「死にます」って返ってくる。「死なないとしたらどうなります?」「いや、死にます」って。そういう部分は変えられないんですよ。医師として間違ったことは絶対に言えませんから。
でも、当たり前の話を描いても、誰も読んでくれないでしょう。そこで必要なのは、僕がストーリーにハードルを作ることなんです。

──ハードルとは?

たとえば、コトーが難しいオペの最中に、もう一つのオペを指導しなければいけない状況をつくる。コトーは自分のオペをしながら、もう一つのオペの穴を見つけるわけです。「この数字がおかしいから、もう一度確認して」って。コトーがそれに気づかなかったら、患者は死んでいた。そして周りにいた他の医師が「なぜあの状況であんなことに気づけるんだ......」となるわけ。

──なるほど。状況にハードルをつくることで、正当な術式でもコトー先生のすごさがわかりますね。

そうです。死んでしまうような状態で、死なないポイントをコトーが見つける。しかも、コトーだから見つけられたっていうストーリーにするわけです。

──現代の正しい医療に照準を合わせながら面白くするには、ストーリーにひねりが必要なんですね。


■漫画に描かないことまで、徹底的に取材をする

病気を扱う漫画だから、病気を笑ってはいけないし、取り上げる病気に対する理解を深めないといけないというのが僕の信条です。ヒロインの星野さんは乳がんになりましたが、連載の半年くらい前から、乳がんについて徹底的に勉強しました。病態や術式だけじゃなく、罹患率や最新の検査技術の実態まで、できるかぎり取材しましたね。今やいろいろな病気や術式に詳しくなりましたよ。
ただ、医療技術は日進月歩ですから、『Dr.コトー診療所』の連載中は最新技術だったものが、今では当たり前になっているみたいなことは多いですけど。

──そこは『ブラック・ジャック』もそうですよね。ブラック・ジャックの神業は荒唐無稽だったりもしますけど。

手塚さんは医者だから、自信をもって描けたのでしょうね。そういえば『ブラック・ジャック』で体にメスを忘れるというエピソードがあるでしょう。僕も事故で体のあちこちに医療用の金具が入っていますが、周囲を組織が囲んで取り出せなくなっています。体に害はないといっても、体はきっと異物とみなしているでしょうね。
医療について詳しくなるほど、自己免疫や自然治癒能力が捨てたものじゃないってことも実感します。

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『ブラック・ジャック』(1973−1983)「ときには真珠のように」
ある日ブラック・ジャックのもとに届けられた荷物。中身は石のような鞘に包まれたメスだった。差出人はBJの命の恩人である医師・本間丈太郎。BJが本間先生を尋ねると、先生は驚くべき告白をはじめる......。ラストのコマで本間先生の名言が生まれた重要な回。


■『Dr.コトー診療所』で絶対に描かないこと

僕は『Dr.コトー診療所』を描くうえで、決めたことがあるんです。
「その病気を漫画に描くことで、ひとりでも傷つく人がいるなら、描かない」。

──なるほど......。

取材を進めていくと、患者さんや関係者の多くは「その病気のことを多くの人に理解してほしい」とおっしゃいます。僕自身、病気についての誤った知識で差別を受けるようなことがあったら取り払いたいと気持ちで描くつもりです。
でもあるとき、1人の方から「ずっとその病気で苦しんできたから、取り上げられるだけで苦しい気持ちになる」というメールをいただいて、僕は描くのをやめました。半年以上取材をして、ストーリーも決めていましたが、やめました。

──多くの患者さんや関係者の賛同も得ても......。

99人の人が描いてくれとおっしゃっても、僕が描くことで傷つく人が1人でもいたら、ダメなんです。たとえ連載が始まったとしても、話は打ち切る方向で収めようと思います。

■たった5コマを描くために、深い知識をつける

医療ものって、いい加減な知識では描けないんです。どうやったら治るのか、治らなくても共存していく可能性はあるのか、その治療を受けるメリット・デメリットは何か......描くうえで、知らなきゃいけないことがたくさんあります。

──生半可な知識で薄っぺらに描けば、読者にも伝わるのかもしれませんね。

術式などを一から勉強して、分厚い医学書を読み漁って、監修の先生に何度も相談して、その病気についての知識を頭に入れて描くわけですが、それがたったの5コマだったりするのは、つらいところでもありますが。

──すごすぎる! でも、知識に裏打ちされているから説得力があるんでしょうね。

それがわからないと、たった5コマでも、確信を持って描けないんです。知識と確信を持って描ければ、コトーをはじめ登場人物の心の動きや行動がすべてつながってくるんですよね。


■島の人たちが生き生きと描かれる理由

──企画展でも『Dr.コトー診療所』執筆時の離島取材の様子を拝見しました。そこで生活する人まで取材するのかと驚きました。

「しげさん」のモデルになったがいらっしゃるんですが、しげさんのキャラクターを考えたら怒られるかなと思いましたけど、ご本人が登場シーンを拡大コピーして部屋に貼ってくださってるんですよ。

──「離島の人ってこんな感じ」というステレオタイプな想像ではなく、キャラクター造形も取材されるんですね。

実際にお会いすると、仕草とかもわかるでしょう。しげさんはコトーのことを「おいヤブ!」なんて呼ぶけど、外から来た人に「この先生、ヤブなんですか?」って聞かれると、「誰がヤブだい!」って怒る。あまのじゃくだけど、本当に嫌いならあんなに頻繁にコトーのところに顔を出さないですよね(笑)。

──最初は閉鎖的なところもあるけど、信頼関係ができれば心を開いてくれるという、リアルな人との出会い方みたいですよね。

コトーのキャラについては、実は『Dr.コトー診療所』を描く前に、『へなへな』という漫画で真逆のキャラを書いたんです。スーパードクターで、ヘリコプターで離島にやってきて、みんなが拍手で迎えるみたいな。しかもメスを握るのは苦手だけど魚を下ろすのがうまいっていう。

──本当にコトー先生と真逆ですね。

悪役っぽい主人公でしたが、描いていて自分が嫌だったんですよね。だからコトーは手術しかできない不器用なキャラクターにしたんです。暑がり・寒がりで、酒に弱いし、船にすぐ酔うし、カップ麺しか食べない、でも手術はうまいっていう。

──たしかに!


[第4回に続く]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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