2023/11/03
写真と文/黒沢哲哉
2023年11月、『火の鳥』 望郷編が初めて『火の鳥 エデンの花』『火の鳥 エデンの宙』というタイトルでアニメ化されました。そこでこの機会に今回から3回にわたって『火の鳥』全編の中でも特に異色なテーマを扱っているこの作品をくわしく読み解いてみます。アニメを見る前、あるいは見た後でもこれを読めば『火の鳥』 望郷編に対する理解がぐっと深まるはずですぞ~~~っ!!
『火の鳥』望郷編は、朝日ソノラマから刊行された『月刊マンガ少年』1976年9月創刊号から78年3月号まで連載された。手塚治虫が自ら"ライフワーク"と言っていた大長編シリーズ『火の鳥』の第8作目にあたる。
現在単行本としてまとまっている『火の鳥』シリーズの第1作となる黎明編は、虫プロ商事から刊行された雑誌『COM(こむ)』67年1月創刊号から連載が始まった。以後、未来編、ヤマト編、宇宙編、鳳凰編、復活編、羽衣編、そして望郷編と続いたが、虫プロ商事が倒産したことでこの『COM』掲載版望郷編は未完となってしまった。
それから3年後、『月刊マンガ少年』で新たな構想の元で連載を始めたのが現在広く知られている望郷編である。
こうした『火の鳥』シリーズの成り立ちと作品構成は複雑なので詳しく知りたい方は以下の過去のコラムをご参照いただきたい。
・手塚マンガあの日あの時 第49回:大長編『火の鳥』の読み方ナビ・入門編!!
・手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!
それでは『月刊マンガ少年』版の望郷編を見ていこう。近未来、地球の人口が急増し、人工物で埋め尽くされた地球に嫌気がさした人々が他の星へ移住するケースが相次いでいた。そんな中、ロミと丈二というふたりの恋人同士が地球を脱出し、辺境の惑星「エデン17」に移住する。だがここを売った悪徳不動産屋の男の話はすべてが嘘で、「エデン17」は人間が住むにはまるで適していない荒れ果てた星だった。やがて地震による事故によって丈二があっけなく命を落としてしまうと、ロミひとりだけが残された。
それから間もなくしてロミは丈二との赤ん坊を産み落とした。
そこへ悪徳不動産屋の男が舞い戻ってきた。男は丈二が死んだのを知るとロミに言い寄るが、ロミは丈二との赤ん坊がまさに泣き声を放っているシェルターを背に男に銃を向け、こう言い放つ。
「あたしの子よ あたしとジョージの子」
「カインって名づけたわ......」
「あの子が おとなになるのをゆっくり待つわ」
「そしてね あの子と結婚するつもりなの」
ロミは躊躇することなく不動産屋の男を撃ち殺し、その後、カインを残して人工冬眠に入った。そして20年後、冬眠から目覚めたロミはカインと結ばれて6人の子を産んだのだ。
「生き物が生きている理由は何か」という問いへの答えの一つは、「子孫を残すため」というものだろう。子孫を残して種を次の世代へつないでいくこと、それは生物の本能をも超えた自然の"摂理"だ。地球上では35億年にわたってこの摂理に従い様々な生物が生まれては滅びながら命をつないできた。その摂理を、辺境の星に放り出されたひとりの人間の女性の生き様の中で描こうとしたのが、この望郷編なのだ。
手塚はこれ以前の『火の鳥』6編の中においても人間の生と死の問題を正面から描いてきた。人間の死に対する怖れ、生への執着、不老不死への渇望。一方で人間と異なる生物が進化して、やがて滅んでいく姿も描いた。
だがそれらはあくまでも人間の視点を中心に描かれていて、たとえるなら哲学者に対して「人はなぜ生きるのか」という問いかけをしているかのような物語だった。
ところがこの望郷編は、ロミというひとりの人間の生き様を描いているにもかかわらず、人間という属性を離れてより生物学的な視点に立ち「生き物はなぜ生きるのか」という原初的な問いに対する答えを見出そうとしているのだ。
しばしば"マンガの神様"と形容される手塚治虫だが、この作品こそは、あらゆる意味で"マンガの神様"でなければとても描けない一編と言っていいだろう。
望郷編の中盤には、ロミよりもさらに過酷な環境の中で必死に子孫を残そうとしている知的生物も登場する。その種族の外見は人間と良く似ているが、大きく違うのは男女ふたつの上半身を持つ"雌雄同体"の生物であることだった。
氷に閉ざされた死の星で絶滅しかかっていた彼(と彼女)たち。そこへたまたまロミとロミのひ孫に当たるコムが乗った宇宙船が通りかかった。それは彼(と彼女ら)にとっては千載一遇のチャンスだった。彼(と彼女ら)のうち誰かひとつの個体だけでも宇宙船に拾われれば、他の星で子孫を残す可能性が生じるのだ。
このエピソードを読んでぼくは『ファーブル昆虫記』に出てきたある昆虫を思い出した。ツチハンミョウという昆虫だ。ツチハンミョウの幼虫はハナバチの巣に寄生して、ハナバチの卵を餌にして成虫になる。だがツチハンミョウは最初からハナバチの巣に卵を生むわけではない。卵を生むのは草地で、卵から孵った幼虫は花のてっぺんに登り、そこで蜜を求めてやってくるハナバチの雌をじっと待つのだ。やがて雌のハナバチがきた瞬間にその体に乗り移り、そのままハナバチの巣の中へ入り込むというわけだ。だが間違ってアブや別の種類のハチなどにしがみついてしまった場合、その幼虫はもう生き残ることはできない。そのためツチハンミョウは子孫を残す確率を少しでも上げるために一度に4千個もの卵を産むのである。
少年時代に昆虫採集に熱中していた手塚の頭の中には、このエピソードを描く際、ツチハンミョウのような過酷な生き方をする虫たちのイメージが下敷きとしてあったことは間違いないだろう。
またこの種族が雌雄同体、つまり雄と雌の両方の性質を併せ持った生物だったことも、この作品のテーマである「子孫を残そうとする生物の摂理」を際立たせている。
雌雄同体の生物はミミズやナメクジなど地球にも存在するが、これは自分が生きている間に異性と出会う確率が少ない状況でも子孫を残す可能性を高めるためだと言われている。
ロミがここで雌雄同体の彼(と彼女)に出会ったことで、人間としての倫理を捨ててまで子孫を残そうとした、雌雄が分かれている「人間」という生命体だからこそやむを得ず人間社会では罪とされた形での生殖を試みた彼女の壮絶な生き様がより際立って見えてくるのである。
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
手塚マンガあの日あの時+(プラス)
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