虫ん坊

手塚マンガあの日あの時+(プラス) 『ブラック・ジャック』再入門 第2回:アンチヒーローB・Jはこうして誕生した!!(下)

2023/02/03

『ブラック・ジャック』再入門 第2回:アンチヒーローB・Jはこうして誕生した!!(下)

写真と文/黒沢哲哉

 手塚治虫の代表作のひとつである『ブラック・ジャック』が2023年、連載開始50周年を迎えた。1973年11月に『週刊少年チャンピオン』で連載が始まって以来、いまだ人気の衰えないこの名作だけど、この作品がいったいどんな時代にどんないきさつから生まれたものだったのか、よくご存知ない方も多いだろう。そこで「『ブラック・ジャック』再入門」と題して、この作品誕生の背景と手塚の試行錯誤の日々を振り返ってみたい。第1回は、『ブラック・ジャック』誕生にいたる手塚流アンチヒーローの系譜を振り返ります!!


◎おとなを主人公として本物の"悪"を描く!

 アトム→トッペイとロック→百鬼丸と続いた手塚治虫のアンチヒーロー像創造の試みには、この段階でまだやり残していることがひとつあった。それは主人公を子どもではなくおとなにすることだ。

前編でも書いたように、この数年前からマンガ界を席巻していた劇画は、おとなのアンチヒーローをリアルに描くことで、おとなの読者をも夢中にさせていた。その劇画に対抗するためには、手塚マンガにもおとなのアンチヒーローが必要だったのである。

 そして手塚は、発表の舞台を『週刊少年チャンピオン』に移し、初めておとなのアンチヒーローを描いた。それが70年に発表した『アラバスター』である。

 主人公は元花形オリンピック選手の青年だ。だが恋人に顔の醜さをなじられて裏切られたことから青年は自暴自棄となり、罪を犯し、投獄されてしまう。

 やがて出所した彼は、ひょんなことから体を透明にする装置を手に入れた。そして本名を捨ててアラバスターと名乗り、世の中の美しい人や美しいものを次々と消し去り始めるのだ。

14_blackjack_sai_nyuumon01-19.jpg

14_blackjack_sai_nyuumon01-20.jpg

2018年、立東舎刊『アラバスター[オリジナル版]』より

◎黒ずくめのアンチヒーロー

 この『アラバスター』も発表当時は残念ながらあまり高い評価を得ることはできなかった。しかし手塚が自分流のアンチヒーローを模索する中では、これもまた避けては通れない道だったのである。

 ちなみにこのアラバスターも、手塚がいきなり思いついたキャラクターではなかった。この作品に先立つ68年、雑誌『少年』連載の『鉄腕アトム』最後のエピソードとして発表された「火星から帰ってきた男の巻」の中で、手塚はアラバスターの原型のようなキャラクター、ユダ・ペーターを登場させている。

 凶悪殺人犯ユダ・ペーターは当局の追求を逃れて火星に逃亡した。そこで体から電気を発する力を得たユダは、過去の犯罪が時効を迎えた18年後に地球へ帰還し、再び悪事を働き始める。

 極端な言い方をすると、いわばアトムの敵役として登場したユダ・ペーターをそのまま主役に据えた作品が『アラバスター』だったのだ。

 常に全身黒ずくめの服を着たユダ・ペーターとアラバスターのシルエットは、ブラック・ジャックまで、そっくりそのままつながっている。

14_blackjack_sai_nyuumon01-24.jpg

『鉄腕アトム』「火星から帰ってきた男」より、ユダ・ペーターとアトムの初対面シーン

◎手塚流アンチヒーローのひとつの完成形

 そしていよいよ『週刊少年チャンピオン』731119日号から『ブラック・ジャック』の連載が始まる。

 主人公の青年ブラック・ジャックは天才外科医でありながら医師免許を持っておらず、ワケアリの患者を治療するために高額な報酬を要求する。

 ブラック・ジャックは、いったいなぜそれほどお金に執着するのか、顔の大きな傷はいったいいつついたものなのか。

 当初は謎だらけで怖いだけの男だった主人公の素顔が回を追うごとに少しずつ明らかになっていくにつれ、彼に多くのファンがつくようになった。

 そして1話読み切り形式の短期集中連載として始まったこの作品は、それに伴い人気を上げていき、足かけ10年という長期連載となった。

 長い苦闘の末に、手塚治虫は『ブラック・ジャック』に、ついに自分流アンチヒーローのひとつの完成形を生み出したのである。

14_blackjack_sai_nyuumon01-21.jpg

14_blackjack_sai_nyuumon01-22.jpg

14_blackjack_sai_nyuumon01-23.jpg

『ブラック・ジャック』連載第3話「ミユキとベン」より。ブラック・ジャックがいまだ冷酷な面しか見せなかったころのお話だ

◎アトムはアトムでなきゃならんのだ

 それでは最後に、手塚治虫自身がこれまで振り返ってきた試行錯誤の過程について、いったいどんなことを語っているか、それをまとめて振り返ってみることにしよう。

 先に言っておくと、これらの文章に書かれているのは、手塚の「失敗した」という懺悔の気持ちと、「残念だった」という後悔の思いがほとんどだ。

 だけどそんな地を這うような汗と努力の結果が『ブラック・ジャック』として結実したのだとしたら、それまでの失敗と後悔もそれぞれがかけがえのない貴重な種子だったことがよく分かるだろう。

 まずは「青騎士の巻」発表当時の思いを振り返ったエッセイからの引用を紹介しよう。

 78年に発表されたこのエッセイは、手塚が匿名の誰かさんと対談をしているというスタイルで書かれている。

「ところで、鉄腕アトムを敵役にしてしまうという話があったと聞いているが......」

「かつて、アトムの図式が飽きられたときに、いっそアトムを魅力あるワルにしちまったら、という声があったんだ。劇画の『ワル』(※編注:70~72年、原作:真樹日佐夫、作画:影丸譲也、名門高校を舞台に不良と学校の戦いを描いた)がヒットする前の頃だがね。

 だがこの手のものは、一面、ワルを徹底的に割り切ってワルに、ヒーローはあくまで自分側に、という、読者の根本的な欲求があってね、『スター・ウォーズ』がヒットしているのもそれだし」

「『水戸黄門』もいぜんとして受けてるし」

「だから、アトムはアトムでなきゃならんのだ。ましてやスーパーマンにおいてをや。だから余計悪役側を念入りに豪華ケンランと描(えが)くべきなのだ」

(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集3』「鉄腕アトムとスーパーマン」より ※初出は『月刊スーパーマン』1978年1月号)

◎「悪とはなにか」というテーマの原型は!?

 続いて『バンパイヤ』の連載が始まって半年後に発表されたエッセイより。この文章でも、手塚が、自分が目指しているものと読者が期待するものが大きくかけ離れていることに悩んでいる様子がうかがえる。

 最近、ある少年誌に、「バンパイヤ」というマンガをはじめた。これに物凄く非難が集中した。

「まれにみる駄作! やめちまえ。手塚はもう終わりだ」

「バカヤロー手塚、絵は荒涼、ストーリーは陳腐。独創のカケラもない。そんなに金が儲けたいか」

 ぼくはとび上がり、ノド仏をかきむしり、鼻毛を五本ずつひっこ抜き、ウオノメをナイフでけずりとって激怒する。

(中略)

「バンパイヤ」は(中略)「マクベス」のパロディである。ボクはシェイクスピアは斎藤茂吉(さいとうもきち)氏ぐらい好きだが、「マクベス」と「リチャード三世」だけは大嫌いだ。あのロシア料理の羊みたいなどぎつさが手塚節に合わないらしい。これを使う気になったのは、「悪とはなにか」という、愚にもつかないテーマの物語の、骨組みにしたかったからだ。

(中略)

 ボクの作品は、今後、いったいどこへいけばいいのだろうか。ボクの気持ちと裏腹に、時代がある方向へつっ走っているとすれば、もういままでの手塚治虫は、死んでしまったのかもしれない。「狡知をもっている」はずの手塚治虫は、フェニックスのように生まれ変わって、巧妙に別の方角へ歩いていくかもしれない。そういう時期のジレンマが「バンパイヤ」などを描く気を起こさせたのだとすれば、マクベスの三人の妖婆は、ボクにその方角を示してくれそうな気がするのだが。

(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集3』より。※初出は『話の特集』1966年10月号所収「手塚治虫への弔事」)

◎徹底的に救われないニヒルな作品

 最後に『アラバスター』についても、手塚はこんなことを記している。

 どんなに出版社から本にさせろとたのまれても、どうしても気がのらない作品ってものがあるものです。

 名をあげるとなんですが、「ダスト18」「ブルンガ1世」「ハリケーンZ」エトセトラ......それにこの「アラバスター」

(中略)

「アラバスター」は、なにより、物語の暗さがいやなのです。江戸川乱歩の「一寸法師」とか「淫獣」などのようなグロテスクで淫靡なロマンを描こうと思ってはじめたのが失敗のもとです。ぼくには、どうも徹底的に救われないニヒルな作品をかくくせがあって、この「アラバスター」もそれにおちこんでしまったのです。

(講談社版手塚治虫漫画全集『アラバスター』第2巻「あとがき」より)

◎B・J誕生に至る貴重な道筋

 いかがだっただろうか。どの作品についても、手塚の後悔に満ちた言葉が連綿と書き連ねられている。中でも『アラバスター』は、単行本のあとがきで「単行本にしたくなかった」とまで書いているとは、よほど失敗作だったという気持ちが強かったようである。

 だけど、ここまで読んでくださった皆さんには、どの作品も『ブラック・ジャック』誕生に至る貴重な道筋だったことがおわかりいただけたはずだ。

 ここに紹介した作品の中に興味を持ったものがひとつでもあれば、ぜひ手にとって読んでみていただきたい。『ブラック・ジャック』誕生前の宝石の原石を、そこかしこに見つけることができるだろう。

 さて次回は『ブラック・ジャック』のもうひとつのユニークポイントである、医者が主人公の医療マンガという点について、過去の医者マンガの系譜を振り返りつつ深掘りいたします。

 それではまた次回!!


黒沢哲哉


1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


手塚マンガあの日あの時+(プラス)

■バックナンバー

第1回:手塚ファン1,000人が集結! 手塚治虫ファン大会開催!!

第2回:ファン大会再び! 手塚治虫、アトム復活にかける思いを語る!!

第3回:ブレーメン4の夏、九段会館は暑かった!

手塚マンガのルーツを調査せよ! 第1回:手塚治虫を自然科学に目覚めさせた1冊の本!

手塚マンガのルーツを調査せよ! 第2回:手塚治虫が習作時代に影響を受けた幻のマンガ!

手塚マンガのルーツを調査せよ! 第3回:手塚SFに多大な影響を与えた古典ファンタジーの傑作とは!?

"テレビっ子"手塚治虫を読もう!!(1960年代編) 第1回:『鉄腕アトム』に出てきた謎のおじさんの正体は!?

"テレビっ子"手塚治虫を読もう!!(1960年代編) 第2回:地球調査隊が出会った"テレビっ子"少年!!

"テレビっ子"手塚治虫を読もう!!(1960年代編) 第3回:カラーテレビ時代の幕開けに登場した不謹慎番組とは!?

一読三嘆!! 『七色いんこ』を8倍楽しむ読み方!! 第1回:世相と流行を知ると2倍楽しめる!!

一読三嘆!! 『七色いんこ』を8倍楽しむ読み方!! 第2回:キャラクターの元ネタを探ると4倍楽しめる!!

一読三嘆!! 『七色いんこ』を8倍楽しむ読み方!! 第3回:ニュースの真相を知ると8倍楽しめる!!

『ばるぼら』が描いた1970年代という時代 第1回:1960-70年代の新宿を闊歩していたフーテンとは!?

『ばるぼら』が描いた1970年代という時代 第2回:政治、カネ、そしてストレス!!

『ばるぼら』が描いた1970年代という時代 第3回:日本沈没とノストラダムス

不思議生物"ママー"の世界!! 第1回:ママーはあなたの本音を代弁してくれる!?

不思議生物"ママー"の世界!! 第2回:大発見! 「日本の国土ッ」は"ママー語"だった!!

不思議生物"ママー"の世界!! 第3回:ママーのルーツは咳止め薬だった!?

手塚マンガの復刻新時代を斬る!! 第1回:雑誌連載版『アドルフに告ぐ』復刻の意味!!

手塚マンガの復刻新時代を斬る!! 第2回:手塚復刻本、ブックデザインの秘密に迫る!!

手塚マンガの復刻新時代を斬る!! 第3回:手作り感満載の復刻本、刊行の秘密に迫る!!

『ばるぼら』に描かれた幻想の東京をさんぽする!! 第1回:あのころ、新宿は喧騒に包まれていた!!

『ばるぼら』に描かれた幻想の東京をさんぽする!! 第2回:歌舞伎町五丁目にその店はあった!!

『ばるぼら』に描かれた幻想の東京をさんぽする!! 第3回:下水道迷宮の行きつく先は──!?

『鉄腕アトム』の代筆作家を調査せよ!! 第1回:あの大マンガ家もアトムを描いていた!!

『鉄腕アトム』の代筆作家を調査せよ!! 第2回:ひっそり差し替えられた代筆ページ!!

再録・手塚マンガあの日あの時 第1回:B・Jとミグ25亡命事件

再録・手塚マンガあの日あの時 第2回:アポロ月着陸と月の石(その1)

『鉄腕アトム』の代筆作家を調査せよ!! 第3回:代作もまた面白い!!

再録・手塚マンガあの日あの時 第3回:アポロ月着陸と月の石(その2)

再録・手塚マンガあの日あの時 第4回:"悪魔のような男"はこうして生まれた -バンパイヤからMWへ-(その1)

再録・手塚マンガあの日あの時 第5回:"悪魔のような男"はこうして生まれた -バンパイヤからMWへ-(その2)

手塚マンガに新たな光を!『マグマ大使』編 第1回:フリーダムすぎる変形の魅力!!

再録・手塚マンガあの日あの時 第6回:アトム誕生の時代─焼け跡の中で─

再録・手塚マンガあの日あの時 第7回:アトムの予言─高度経済成長のその先へ─

手塚マンガに新たな光を!『マグマ大使』編 第2回:「人間モドキ」のサスペンス

手塚マンガに新たな光を!『マグマ大使』編 第3回:『マグマ大使』の宇宙観

Theインタビュー:『手塚治虫とトキワ荘』の著者、中川右介の執筆手法を探れ!! 第1回:文献資料を読み込むことの意義とは!?

Theインタビュー:『手塚治虫とトキワ荘』の著者、中川右介の執筆手法を探れ!! 第2回: テリトリーは気にしない! 縦横無尽な在野精神!

Theインタビュー:『手塚治虫とトキワ荘』の著者、中川右介の執筆手法を探れ!! 第3回: 中川流執筆術をほんの少しだけご紹介!

シリーズ企画 手塚マンガとブーム:スター・ウォーズとSFXブームの時代(1977-1983) 第1回:『スター・ウォーズ』とスペースオペラの復権!

シリーズ企画 手塚マンガとブーム:スター・ウォーズとSFXブームの時代(1977-1983) 第2回:スーパーマンの復活とE.T.降臨!

シリーズ企画 手塚マンガとブーム:スター・ウォーズとSFXブームの時代(1977-1983) 第3回:幻のSF映画がついにリバイバル!!

手塚マンガあの日あの時+(プラス) シリーズ企画 手塚マンガとブーム:美少女マンガ・アニメブームの時代(1977-1985) 第1回:『プライム・ローズ』VS『あんどろトリオ』

手塚マンガあの日あの時+(プラス) シリーズ企画 手塚マンガとブーム:美少女マンガ・アニメブームの時代(1977-1985) 第2回:『あんどろトリオ』の内山亜紀先生仕事場訪問&インタビュー!!

手塚マンガあの日あの時+(プラス) シリーズ企画 手塚マンガとブーム:美少女マンガ・アニメブームの時代(1977-1985) 第3回:『ふしぎなメルモ』から『プライム・ローズ』まで

手塚マンガあの日あの時+(プラス) 『ブラック・ジャック』再入門 第1回:アンチヒーローB・Jはこうして誕生した!!(上)


CATEGORY・TAG虫ん坊カテゴリ・タグCATEGORY・TAG虫ん坊カテゴリ・タグ