2021/02/26
写真と文/黒沢哲哉
『鉄腕アトム』の代筆作家を探っていくシリーズ連載第3回は、テレビアニメ化された『アトム』を盛り上げるために発行された『鉄腕アトムクラブ』に掲載された代作についてご紹介します。「代筆」ではなく「代作」としたのは、エピソードまるごとをストーリーから絵までを描いたいわゆる「二次創作」だから。毎月『鉄腕アトムクラブ』に載せる目玉マンガを休みなく描き続けるために、虫プロダクションの実力者たちが活躍しました。
手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』を代筆した作家を深堀りするコラムも今回がラスト。今回はテレビアニメ『鉄腕アトム』が大ヒットしていた時代にこの作品を手塚に代わって代作していた作家を3人紹介しよう。
今回紹介するのは作品の一部を代筆したのではなく、『鉄腕アトム』のエピソードを丸ごと代作した作家たちである。
1963年1月からフジテレビ系列でテレビアニメ『鉄腕アトム』の放送が始まった。日本初の連続テレビアニメとされるこの作品は、手塚治虫が主催するアニメ制作会社虫プロの制作によるものだった。
このアニメが大ヒットすると、サービス精神旺盛な手塚はファンを盛り上げようと虫プロ内に「鉄腕アトムクラブ」というファンクラブを創設した。そして毎月1回、会報を発行して会員に送付したのだ。その会報が『鉄腕アトムクラブ』である。
会報とは言っても単なる冊子にとどまらず、著名なSF作家による短編小説やSF豆知識的な読み物が掲載されていたりして中身の充実度は半端なものではなかった。そして何といってもこの会報の目玉となっていたのが、毎号掲載される『鉄腕アトム』の新作だった。
手塚は『鉄腕アトムクラブ』には「うそつきロボットの巻」(64年9月号)や「盗まれたアトムの巻」(65年6月号~9月号)、「人面岩の巻」(66年2月号、3月号)などの名作を描いている(※連載時には各話タイトルはなく、これらのタイトルは後の単行本化の際に付けられたもの)。
手塚としてはもちろん毎号自分で描きたかったに違いないが、さすがにそれは不可能だったようで、『鉄腕アトムクラブ』には代筆作家として3人のマンガ家の名前がクレジットされている。
『鉄腕アトムクラブ』で『鉄腕アトム』を代筆したひとり目は北野英明である。
北野英明の名前はご存じの方も多いだろう。北野は少女漫画でデビューした後、手塚のアシスタントを経て虫プロへ入社、アニメーションの制作に関わった。
虫プロのアニメ作品で北野の名前がクレジットされているもっとも古い作品は、1964年7月に劇場公開された『鉄腕アトム・宇宙の勇者』だ。北野はこの作品に原画のひとりとしてクレジットされている。
北野はその後も演出や動画などさまざまなポジションで1970年代まで虫プロのアニメ制作に多く関わっており、『鉄腕アトムクラブ』での『鉄腕アトム』の代作は、そうしたアニメ制作の仕事の合間を縫っての仕事だったようだ。
北野が最初に代筆したのは65年2月号だった。64年12月号と1月号に掲載された「ジャングル魔境の巻」の執筆が恐らく続かなくなってしまったのだろう。この2月号のタイトルカットには「制作 虫プロダクション」とクレジットされ、欄外に「原作・手塚治虫/え・北野英明」と記載されている。
そしてここからはしばらくの間、北野の代筆による『鉄腕アトム』のオリジナルエピソードが続くのである。その結果、北野は『鉄腕アトム』を最も多く代筆した作家となった。
これらの代筆作品に手塚はどの程度関わっていたのか。例えば原案だけを提供していたのか、それともコマ割りだけか、あるいは下描き程度までは渡していたのか。それらは一切不明だが、北野英明の描く『鉄腕アトム』は絵柄もコマ割りもまったく破綻しておらず、じつにのびのびと手塚の代役を務めている。
ちなみに北野は後年、『リボンの騎士』の代筆も務めている。
その後、1970年代に虫プロを去った北野は再びマンガ家に戻った。そこで彼は麻雀劇画という新たなジャンルを開拓し、そのジャンルの第一人者として長く活躍したことは多くの人が知るところだろう。
『鉄腕アトムクラブ』で『鉄腕アトム』を代筆した作家はあと2人いる。井上智(井上さとる)と大野ゆたか(大野豊)だ。
この2人はともに佐賀県出身で、福岡県出身の松本零士らと一緒に「九州漫画研究会」という同人グループを結成していた。
そうした縁からだろうか、2人は前後して虫プロダクションのまんが部に入社し、手塚のアシスタントや代筆を務めていたのである。
『鉄腕アトムクラブ』では2人ともじつに手慣れた感じでアトムを描いており、無理して模写をしているという感じはまったく見られない。だけどそれぞれの絵を並べてみるとやはりそれぞれに微妙な個性があり、その違いを見比べてみるのも面白い。
井上は『鉄腕アトム』以外にも手塚の代作を手がけていて、最も知られているのが『マグマ大使』だろう。『マグマ大使』は1965年から67年にかけて雑誌『少年画報』に連載された作品だ。しかし連載後半になると手塚はほとんど執筆できなくなり最終章の「サイクロップス編」は丸々井上智の代筆で連載された。この連載の途中で井上は虫プロを退社したが、虫プロのすぐ近くに仕事場をかまえており退社後も『マグマ大使』の執筆を続けた。
一方の大野豊は、1968年に虫プロが制作したテレビアニメ『わんぱく探偵団』のコミカライズを雑誌に連載するなどして活躍。1970年代に入ってからは独立し、元手塚プロマネージャーだった平田昭吾がプロデュースしたポプラ社の「アニメ絵本」シリーズで作画を手がけるなどしている。
さてこのたびは3回にわたって『鉄腕アトム』を代筆した8人の作家にスポットを当ててみたがいかがだっただろうか。長期の連載だった『鉄腕アトム』には、じつはこの方たち以外にも著名なマンガ家が関わっていたのではないかとぼくは睨んでいます。何か新事実が発覚したらぜひまたお知らせしたいと思います。
さて次回の「手塚マンガあの日あの時+(プラス)」では、どんな手塚マンガを深堀りするか!? ヒントは『マ』で始まる大人気ヒーローマンガです。おやっ!? すでに今回のコラムに作品名が出てきていましたでしょうか......お楽しみに!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
手塚マンガあの日あの時+(プラス)
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