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再録・手塚マンガあの日あの時 第2回:アポロ月着陸と月の石(その1)

2021/02/19

再録・手塚マンガあの日あの時 第2回:アポロ月着陸と月の石(その1)

写真と文/黒澤哲哉

(※この記事は2009年4月当時の内容をそのまま再録したものです。記事内でご紹介した事実などはすべて取材当時のものとなります)

◎今年はアポロの月着陸から40年目


 日本時間2009年3月16日午前8時43分、日本人宇宙飛行士・若田光一さんが、スペースシャトル・ディスカバリー号で3度目の宇宙へと旅立った。今回は国際宇宙ステーションに3ヶ月間滞在する予定で、いまこうしている間も、若田さんは宇宙空間でそのミッションをこなしている。
 今年はアメリカのアポロ11号が月着陸を成功させてからちょうど40年目にあたり、何かと宇宙に関する話題が多い。けれども、いまひとつ盛り上がりに欠ける印象だ。
 40年前のあの日はそうではなかった。


 日本時間1969年7月21日午前11時56分、アポロ11号のアームストロング船長は、人類として初めて地球以外の星に降り立った。
 その瞬間の模様は全世界に生中継で放送された。この日は夏休み初日だったので、家の外で遊んでいたぼくは父親に呼び戻され、家族全員で食い入るようにテレビを見た記憶がある。
「食い入るように」というのは文字通り夢中で見たという意味もあるが、もうひとつは映像がボケボケで画面にノイズが入りまくり、目を凝らして見ないと何が何だか分からないからでもあった。
 しかしそれでも、ぼくらはこの映像が、科学の無限の可能性を示したのだと確信し、まるで自分が月に降り立ったかのように喜び、興奮したのである。

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アポロフィーバー当時発売された、ゼンマイで走る宇宙船のおもちゃ。形は、アポロよりというより1960年代のジェミニ宇宙船に似ている


 アポロ11号は月の石を採取して7月25日に帰還。続く12号も11月19日に月面着陸に成功し、その12号が持ち帰った石は、翌年大阪で開催された日本万国博覧会=EXPO'70のアメリカ館に展示されて、連日数時間待ちの行列をつくった。
 夏休みにはその列がさらに長くなり、そこへ猛暑が加わって体調を崩す客が続出した。あわてた日本政府は、アメリカから寄贈された月の石(アメリカ館のものよりはるかに小さい)を、急きょ日本館でも公開することにしたが、それでもアメリカ館の行列が短くなることはなかった。

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駄菓子屋で売られていたアポロのシール。人工着色がいい味を出している

◎月の石騒動をチクリと風刺


 手塚治虫は、当時さっそくこのアポロと月の石をマンガに登場させている。
 アポロ11号の月着陸の直後に刊行された『漫画読本』1969年8月号に発表したのが、短編『アポロはなぜ酔っ払ったか』である。
 男をまどわす魔性の美女が、化粧を落とすと実は恐ろしいほどの不細工顔だった、というのは、地球から見上げる月の美しさと、アポロが降り立った荒涼とした月面とのギャップを皮肉ったものだ。
 またこの短編では、父親と4人の息子がこの女に次々とたぶらかされる哀愁物語と並行して、アポロ宇宙飛行士の悲哀も描いている。

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『アポロはなぜ酔っ払ったか』は、講談社の全集第258巻『雑巾と宝石』に収録。シニカルな風刺マンガを収録した短編集だ


 月の石を持ち帰って英雄となったアポロ11号に続き、アポロ12号も月面着陸に成功する。ところがもう持ち帰るものが何もない。そこで地球基地から「せっかくだからタクアン石でも持って帰ってくれ」と命令され、宇宙飛行士が腐ってヤケ酒を飲むというオチである。
 ちなみに、これはもちろん、本物のアポロ12号が月へ行って万博に展示する石を持ち帰ってくる前に描かれた作品だ。


 ところでそもそも、この年、アメリカがなぜアポロを月へ行かせたのか。実はその目的は当初から曖昧だった。月面を調査することで地球誕生の歴史が解明できるとか、いろんな理由は付いていたが、ハッキリ言ってそれらはどれも後付けだった。
 平たく言えば、当時はアメリカとソ連が国の威信をかけて宇宙開発競争をしている真っ最中であり、アメリカとしては、何としてもソ連より先に"アメリカ人を"月へ送り込まなければならなかった。ただそれだけなのである。
「タクアン石を持って帰るためにわれわれは月へ来たのか?」
 そう自問しながら月着陸船の中で酒をラッパ飲みする宇宙飛行士の姿は、ぼくら多くの日本人が、月着陸の成功に浮かれていたお祭り騒ぎの中で、その本質をチクリと衝いた辛口の名セリフだったと言えよう。

◎万博での熱狂を予見?


 また手塚治虫は、そのアポロ12号が月から帰還した直後にも、月の石を題材とした大人向けの風刺短編を描いている。『漫画サンデー』に掲載された読み切りシリーズ『サイテイ招待席』の1編『月に吠える女たち』(1969年11月22日号)がそれだ。

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『月に吠える女たち』は講談社の全集第83巻『フースケ』に収録。同僚や上司たちが発情した女に次々と襲われる中、主人公フースケだけは、なぜか誰にも相手にされない(笑)


 月の石を万博会場で売ったら飛ぶように売れた。そこでアポロをどんどん飛ばして月の石を大量に持ち帰る。その結果、月はツルツルの丸坊主になり、月から地球へ特殊な放射線が照射されるようになる。その放射線は女性だけに影響し、満月の夜になると、女性が発情して男性を次々と襲い始める。
 月着陸の直後に描かれた二作品が、いずれも皮肉たっぷりの風刺マンガであるというのが面白い。


 では、手塚治虫はアポロの月着陸を喜んでいなかったのだろうか。それについては次回、考えてみたい。
 ところでこの作品には、もうひとつ注目していただきたいところがある。それはこれが大阪万博が始まる3か月前に発表されていたということだ。
 いま読み返してみると、あの大阪万博での、日本政府をもあわてさせた月の石騒動を、まるで見てから描いたかのような作品になっている。


 よく、手塚マンガの功績をたたえるありがちな論法として、過去の手塚作品から後の時代に実現したもの「だけ」を抜き出し、「手塚マンガは未来を予見していた、だからスゴイ!」と持ち上げたりする。これはあまりにも安っぽい評価のしかたで、ぼくはあまり意味がないような気がするのだが、それでもこの月の石騒動の予見は、ジミにスルドい"近未来予知"だったと思うのだが、いかがだろうか。

 さて次回は、月着陸を題材とした手塚治虫のエッセイや子ども向け作品を紹介しながら、手塚は人類の月面到達を、当時どう考えていたのかを振り返ってみたいと思います。ぜひまたお付き合いください。

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大阪万博でアメリカ館に展示された月の石を紹介した記事。『小学館BOOK なぜなに万国博』(小学館 1970年4月発行)より

(初出:2009/04/16)


黒沢哲哉


1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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