虫ん坊

手塚マンガあの日あの時+(プラス)『ばるぼら』が描いた1970年代という時代 第1回:1960-70年代の新宿を闊歩していたフーテンとは!?

2019/11/27

『ばるぼら』が描いた1970年代という時代

第1回:1960-70年代の新宿を闊歩していたフーテンとは!?

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稲垣吾郎と二階堂ふみの主演で一般劇場公開が待たれる映画『ばるぼら』。その原作となった手塚治虫のマンガ『ばるぼら』は1973年に発表された。作家の心の奥底をそのままさらけ出したかような奇妙な幻想に満ちたこの作品......今回のコラムはこの不可思議なマンガ『ばるぼら』を軸として、そこに描かれた1970年代という時代を振り返ります!


◎歪んだ空間の中で描かれる不可思議な物語(ストーリー)!

『ばるぼら』というマンガをご存知だろうか。『ばるぼら』は、手塚治虫が1973年から74年にかけて小学館の雑誌『ビッグコミック』に連載した作品だ。

 人気小説家・美倉洋介の元へ、ある日新宿で知り合ったフーテンの少女バルボラが転がり込んでくる。そのバルボラには不思議な力があって、彼女がつきあう芸術家はその才能が大きく開花する。ところが彼女に見捨てられると一転、芸術家はスランプに陥り一気に奈落の底へと落ちていくのだ。

 バルボラは芸術の女神=ミューズなのか、はたまた魔女か!? 1970年代という混沌とした時代を背景として、手塚が芸術とは何か、創作とは何かというテーマに真正面から挑んだ意欲作、それが『ばるぼら』なのである。

◎映画公開と2冊の単行本!

『ばるぼら』は手塚治虫の長男でヴィジュアリストの手塚眞監督によって映画化され、今年10月~11月に開催された「第32回東京国際映画祭」で世界初上映された。主役の美倉洋介とバルボラを演じたのはそれぞれ稲垣吾郎と二階堂ふみである。

 この映画祭の『ばるぼら』のチケットは瞬殺で売り切れとなり、ぼく(黒沢)も残念ながら購入できなかった。一般劇場公開は2020年中の予定と発表されているので、今はそれを心待ちにしているところだ。

 またこのタイミングで小学館クリエイティブから『ばるぼら オリジナル版』が刊行され、角川文庫版の『ばるぼら』も新装版として刊行された。じつは黒沢は小学館クリエイティブ刊『ばるぼら オリジナル版』の企画・編集を担当し、巻末解説の一部も執筆している。しかし紙の本ではページ数に限りがあるため取材したことの半分も書き切れなかった。

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映画『ばるぼら』のポスター。『ばるぼら』の世界観が見事に表現されていて映画公開の期待が高まる!

©『ばるぼら』製作委員会

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『ばるぼら オリジナル版』(20191120日発売、小学館クリエイティブ刊、定価5,400円+税)。判型は雑誌連載時と同じB5判で520ページの大ボリューム。過去の単行本に収録されなかったトビラや削除されたページを連載時のまま復元。単行本化の際に改変されたセリフもすべてオリジナルに戻した初の完全版である

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角川文庫版『ばるぼら』(20191024日発売、KADOKAWA刊、定価940円+税)。角川書店から上下巻で刊行されていた文庫の合本新装版。巻末には中野晴行の改題と手塚眞の解説を収録

◎現代と1970年代、時代はどう変わったのか!?

 そこで今月から3回にわたり、映画『ばるぼら』の一般劇場公開前の予習も兼ねて、手塚治虫のマンガ『ばるぼら』と、この作品が発表された1970年代という時代との関わりを振り返ってみることにしよう。

『ばるぼら』は全く予備知識なく読んでも、もちろん十分に楽しめる傑作であるが、物語の背景には、この作品が発表された1970年代という時代の空気がさりげなく、しかししっかりと封じ込められている。

 映画版『ばるぼら』は物語の時代が現代に置きかえられているというが、手塚眞監督が現代を舞台として原作をどのように料理したのか。今回のコラムはそれを知る上でも大いに役立つはずである。

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『ばるぼら』連載第1回目のトビラ。無為にうずくまるこのポーズがフーテン少女バルボラのトレードマークなのだ。※以下『ばるぼら』の画像はすべて小学館クリエイティブ刊『ばるぼら オリジナル版』より

◎あのころ新宿にたむろしていた"フーテン族"とは!?

 第1回目の今月は、住所不定無職で正体不明の少女バルボラの唯一の肩書きである"フーテン"とは何かを紹介しよう。

 1960年代から70年代にかけて、新宿を中心に"フーテン"と呼ばれる若者たちが数多く棲息していた。そしてバルボラもそのフーテンのひとりとして作品に登場する。

 ちなみに「ふうてん」を辞書で引いてみると次のように書かれている。「ふうてん【瘋癲】1.精神状態が正常でないこと。また、そういう人。癲狂。2.定まった仕事も持たず、ぶらぶらしている人。」

 だが、かつて新宿にたむろしていた若者たちを指して"フーテン"と呼ぶ場合、この辞書の言葉だけでは彼らをまるで説明できていない。

◎フーテン文化は1962年ごろから始まった!

 新宿のフーテン文化の源流は、『ばるぼら』が描かれるおよそ10年前の1962年ごろにさかのぼる。

 1960年、日米安全保障条約の調印に際し、若者たちを中心に過激な反対運動が巻き起こった。いわゆる60年安保闘争だ。しかし同年6月19日、安保条約は自然成立し、闘争に挫折した左翼学生やアメリカのヒッピー文化の影響を受けた若者たちがこのころから新宿にたむろすようになった。

 最初は、行く当てのない若者たちがてんでんばらばらに繁華街にたむろしている。そんなありふれた光景だったのかも知れない。それに目を止める大人たちもほとんどいなかっただろう。ところが同じような若者たちがひとりまたひとりと集まり出し、やがてそれが数十人規模の集団を形成するようになっていく。新宿へ行けば自分と同じような行き場を失った若者たちと出会えるらしい。そんなウワサが東京から地方へと少しずつ広まってゆき、同じような若者たちが新宿へ新宿へと押し寄せるようになっていった。

 そして誰が言ったのか、彼らのことを"瘋癲"の当て字で"風転"、あるいはカタカナ表記で"フーテン"と呼ぶようになったのは196162年ごろからだったようだ。。

 文化人類学者で歌人でもあった深作光貞の著書『新宿考現学』(68年、角川書店刊)によれば、彼らが好んだアングラ、ハプニング、サイケデリックなどの言葉で形容される刹那的で退廃的なライフスタイルや、通称ラリぱっぱと呼ばれた睡眠薬遊びもちょうどこのころから始まったという。

 ちなみに後ほど紹介するマンガ家の永島慎二が新宿のフーテンたちと交流を始めたのは1961年の春ごろからで、かなり早かったことがわかる。

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『ばるぼら』の冒頭シーン。薄汚れた新宿の雑踏を主観的なタッチで描くこのスタイルはまさに永島慎二の絵を思わせる

◎"フーテン"と"ヒッピー"の違いとは!?

 彼ら新宿に集うフーテンがアメリカのヒッピーと大きく異なっていたのは、その行動に政治的・思想的な背景がほとんどなかったことだ。

"ヒッピー"とは1960年代のアメリカで誕生した若者たちやその運動のことだ。ベトナム反戦運動に端を発し、既存の社会制度や慣習を否定する若者たちが次第に集まり始めた。彼らはやがて長髪や奇抜な服装で街を闊歩し、自然回帰を訴えるようになり、ついには文明社会そのものを否定するに至ってゆく。

 ではそうした主義主張を持たない日本の"フーテン"はいったいどんな若者たちだったのか。前出の深作の著書にはこのように書かれている。

「彼らは、あまり売れない芸術家だったり、自称芸術家、大学に籍だけおいている文学青年、受験勉強より小説や詩を大事に思う浪人や高校生など」

 特に感受性の強い若者たちが、管理社会の息苦しさにいたたまれず、そこから逃れるために"フーテン"になったのだ。大人たちはそれを単なる「逃避」だと批判した。しかし1970年代という時代には、社会全体がそんな閉塞感で満ちていたのだ。

 フーテンを社会の脱落者と見なし見下していた人々の中にも、内心ではフーテンに対する漠然とした憧れがあった。それが1970年代という時代だったのである。

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『新宿考現学』(深作光貞著、1968年、角川書店刊)より。新宿に棲息するフーテン族の中へ入り、その素顔を取材した貴重なルポルタージュだ

◎あのころ、フーテンになったマンガ家がいた!

 マンガ家の永島慎二は、このころから深夜の新宿に通いフーテンたちと交流するようになった。そして後年、その体験を元に『フーテン』という連作マンガを発表している(1967-70年、未完)。

 手塚の『ばるぼら』には明らかに永島慎二のこの作品を意識したと思われる部分があるので、永島と『フーテン』について、ここでもう少し詳しく紹介しておこう。

 1937年生まれの永島は、1952年、15歳の時に貸本マンガ誌でデビューした。そして1961年には代表作『漫画家残酷物語』を発表し注目を浴びる。だが永島の作品は自分自身の身を削ることによって成立する性質のものであり、その重圧の中でマンガを描き続ける苦しさに次第に耐えられなくなっていく。そしてそこから逃れるように新宿でたむろするフーテンたちと行動を共にするようになっていったのだ。

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『フーテン』(永島慎二著、2008年、まんだらけ出版部刊)。『フーテン』の単行本はこれ以前にもいくつか刊行されていたが、掲載誌が移り変わっていることなどもあって、どれも未収録エピソードがあった。そうした中で刊行された初の決定版がこれだった

◎フーテンになっても逃れられない創作の苦しみ......!!

『フーテン』の主人公であるマンガ家のダンさんこと長暇貧治(ながひまひんじ)は、まさしくそのころの永島慎二自身の姿だ。長暇は出版社に出向いて完成する当てもない次回作の原稿料を前借りし、自分自身に対する言い訳を見つけては、仲間たちのいる新宿へと出かける。

 非生産的な生き方に誇りを持っているフーテンたちは、そんな長暇の逃避行動責めることは決してなく、むしろ暖かく迎え入れてくれる。だがそれで長暇自身の心が晴れることはない。彼がマンガ家をやめない限り、この重圧から逃れることはできないのだ。

 そしてこれはマンガ家に限らず創作を生業とするものの宿命だろう。ヒットする作品を生み出した創作者に対し大衆は次回作も当然のように傑作を期待する。しかし芸術の女神・ミューズはいつも気まぐれであり、次も微笑んでくれるかどうかは作者自身でさえ分からないのだ。これは『ばるぼら』の美倉洋介が抱える苦悩とまったく同じものなのである。

 永島はマンガ『フーテン』の連載にも苦しんだ。連載は複数の雑誌にまたがって中断と再開を繰り返しながら細々と続けられたが、予定した構想の半分までを描いたところで筆が止まり、この作品が完結することはついになかったのである。

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『フーテン』(永島慎二著、2008年、まんだらけ出版部刊)より。売れないマンガ家の長暇貧治は、マンガを描かずに借金を重ね、さらに自分を追い込んでいく

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『フーテン』(永島慎二著、2008年、まんだらけ出版部刊)より。フーテンが集まる秘密の集会の場面。当時のフーテンの生態がリアルに切り取られている

◎フーテン族の全盛期は1969年だった

 新宿のフーテンは1960年代の半ばを過ぎると次第に数が減り、一時は絶滅したかに見えた。それが再び盛り上がったのは67年の夏ごろからだ。

 67年の夏は猛暑だった。当時は今のようにエアコンが普及しておらず、ファミリーレストランもなかった時代だ。都市部でも夜遅くまで営業している店は限られていた。そこで深夜営業の店が多い新宿へ、若者たちが暑さから逃れるために集まってきたのだ。

 彼らは冷房の効いたスナックや深夜営業の喫茶店にたむろしたり、金のないものは東口駅前の芝生広場(通称:グリーンハウス)に寝転んでラリぱっぱに興じた。これに注目したマスコミが"フーテンの再来だ"と興味本位に騒ぎ立てたことで、新宿にさらに多くの若者が集まるようになったのだ。

 翌68年の春から夏にかけて若者の数はさらに増えた。当時の週刊誌記事によれば、四ッ谷・淀橋両警察署が把握していたフーテンの数はおよそ1,000人。当時の彼らのテリトリーは主に新宿駅東口から歌舞伎町、花園町界隈だった。

 この第2のフーテン文化は69年以降、再び下降線をたどっていったがすぐに消滅することはなく、『ばるぼら』が発表された70年代の半ばごろまでは細々と続いていくことになる。

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『ばるぼら』第1話より。このページからも永島タッチへの敬意と目配せが感じられる

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フーテンが新宿へ戻ってきた1967年夏の『朝日新聞』より。フーテンに批判的な意見を持っていた教育評論家の無着成恭と、フーテン擁護派の映画監督・大島渚が紙上で意見をぶつけ合う

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『朝日新聞』1968年4月5日号より。新宿駅東口にフーテンがたむろする一方、西口には左翼学生が集まり連日大混乱となっていた様子が報じられている

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雑誌『メンズ・メイト』(1968年9月創刊号、一水社刊)では、フーテン族を商売に利用しようとした人々が、したたかなフーテン族に逆利用されたというルポ記事を掲載

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1969年ごろになるとフーテン族にも変化が見え始めた。『サンデー毎日』(1969年6月15日号)では、フーテン族が仲間とつるむのをやめて、自分なりの生き方を模索し始めた様子を取材している

◎芸術の女神・ミューズはどこにいる!?

 創作に携わったことのある人なら誰でも、人生のうちに何度か自分自身の力量を超えた傑作を生み出したいう経験を持ったことがあるだろう。そんな時に多くの創作者が口にするのが「アイデアが天から降ってきた」というような文言だ。不意に現われて自分の創作を助けてくれる目に見えない力の存在......昔の人はそれを芸術の女神=ミューズの力だと信じた。ミューズは常に創作者の近くにいる。だがある創作者に対してミューズが微笑むかどうかは、まったくの運まかせなのである。

 ここからは推測だが、手塚が『ばるぼら』の構想を練っているとき、主人公の小説家・美倉洋介の姿に『フーテン』のマンガ家・長暇貧治の姿が重なった。そのとき美倉の近くにいるはずのミューズが、日がな一日新宿駅の片隅にうずくまっているフーテンの少女だったとしたらというアイデアに結びついたのでは......。そう推理することも決して強引ではないのではないだろうか。

 そしてこれも、後追いで推測すれば、ごく簡単な発想のように思えるが、ゼロからこのアイデアに至るのは並の想像力では成し得ない。これもまた手塚の背後で微笑んだミューズの力の成せる業だったのかも知れない。

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『ばるぼら』より。美倉は旧知の作家ルッサルカから、バルボラがミューズであると教えられる。だが美倉はそれを一笑に付したのだった

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『ばるぼら』より、バルボラが美倉に初めて"女"を見せる場面。ここで語られている美倉のモノローグは、過去の単行本ではこの雑誌連載版から内容が大きく変更されている

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『ばるぼら』より。バルボラをモデルとして描いた小説はその後一大ベストセラーとなるが......

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バルボラに見放された美倉は一転してスランプに陥ってしまう。美倉を取り囲んでいた人々は潮が引くように去って行き、一人残された作家の哀れさは正視できないほどに痛々しい

 さて次回は、1970年という時代に世界で起きていた事件や、日本の社会に渦巻いていた様々な問題、社会現象など、あのころの世相から『ばるぼら』を読み解きます。ぜひまた次回のコラムにもお付き合いください!!


黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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