2019/08/26
一読三嘆!! 『七色いんこ』を8倍楽しむ読み方!!
第1回:世相と流行を知ると2倍楽しめる!!
代役専門の名役者にしてじつは大泥棒! そんな奇妙な主人公が活躍するマンガ『七色いんこ』は、手塚治虫が第2の『ブラック・ジャック』を目指して『週刊少年チャンピオン』に連載した意欲作だった。けれども正直なところ、作品の面白さと中味の深さに比して注目度がイマイチ低い! そこで今回の「あの日あの時+(プラス)では、このマンガをより楽しめる読み方を3回に分けて紹介することにした。これを読めばあなたもきっと、今すぐ『七色いんこ』が読みたくなってくる......かも知れません!!
◎ギャグを前面に打ち出した意欲作!!
『七色いんこ』は1981年から82年にかけて雑誌『週刊少年チャンピオン』に連載された。
手塚治虫が少年マンガの世界で奇跡の復活をとげたと言われる大ヒット作『ブラック・ジャック』。その連載が同誌79年4月30日号で終了し、間に『ドン・ドラキュラ』の短期連載を挟んでからの、満を持して発表した作品が、この『七色いんこ』だったのだ。
このころは『週刊少年チャンピオン』の絶頂期であり発行部数は推定で250万部を超えていた。当時の連載作品を見渡してみると、かつて少年マンガの主流を占めていた冒険活劇やSF、熱血スポーツマンガなどはまったく載っていない。代わって看板作品となっているのは、読者と等身大の少年少女たちが素顔で登場するラブコメやギャグマンガである。
そこで手塚もシリアスな人間ドラマの『ブラック・ジャック』から大きく舵を切り、ギャグを前面に打ち出した『七色いんこ』の連載をスタートさせたのだ。
自分の人気を脅かすライバルマンガ家が出現したとき、手塚はいつも、あえて相手の土俵に上がって真っ向勝負を挑んできた。劇画ブームのときも妖怪ブームのときもそうだった。そして新たにギャグマンガという土俵で真っ向勝負を挑んだ作品、それが『七色いんこ』だったのである。
『七色いんこ』第3話が掲載された『週刊少年チャンピオン』1981年4月10日号の表紙(上)と目次。見事にギャグと青春コメディが並んでいる
◎連載された時代を知るとギャグが2倍楽しくなってくる!
さてそこで今回のテーマ『七色いんこ』を2倍楽しむ読み方だ。
手塚マンガに散りばめられたギャグの多くは、その作品が発表された時代の世相や流行と密接な関わりを持っている。具体的に言うと登場人物の何気ないセリフが当時の流行語のもじりだったり、話の流れをぶった切って挿入された意味不明のカットがじつは当時のテレビCMのパロディだったりする、というのは手塚マンガお得意のギャグだ。
『七色いんこ』もその例外ではなく、全編に散りばめらたギャグの多くが当時の流行語だったり、コマーシャルのパロディだったりする。
ただし『いんこ』の場合、そのディープさというか、マニアック度がほかの作品とくらべてもかなり強く、ほんとうにその時代の読者でないと分からないものが多いのだ。
そこで今回は『七色いんこ』をまだ読んでいないという方や、単行本で読んだけどいまいちピンと来なかったというあなた!! そう、今回はあなたのために、作中に散りばめられた謎のフレーズや謎のカットの元ネタを掘り起こしてみようと思います。
ではさっそく発掘調査開始だッ!!
◎いんこの抗議に対しパーラーの店主が言い放った言葉は......!?
『七色いんこ』は毎回、実在する劇や芝居を下敷きとしてドラマが進行する。第8話「ゴドーを待ちながら」は、フランスの劇作家ベケットの同題の戯曲を下敷きにしたお話だ。
この話の中で登場人物がしゃべる「カラスの勝手でしょ」というセリフが今回最初に紹介する当時の流行語だ。
物語は、いんこが街角で一体のロボットと出会うところから始まる。この女性型ロボット・オルガは、この当時神戸で開催中だった「ポートピア'81」のために作られたという設定だ。だがポートピアでの役目を終えた彼女は街角の小さなパーラーで看板ロボットとして使われていた。今のソフトバンクのヒト型ロボットPepperくんのような感じだろうか。
だがそのお店での扱いがあまりにもひどいため、見かねたいんこが店主にもの申す。
「いつまでオルガをサラシものにする気だいマスター」
それに答えてパーラーの主人が開き直って答えたセリフが、「カラスの勝手でしょ」だった。
第8話「ゴドーを待ちながら」より。神戸ポートピアでの役目を終えたロボットのオルガは、街角の小さなパーラーで看板ロボットとして使われていた。※以下、マンガの画像はすべて講談社版手塚治虫漫画全集『七色いんこ』より
◎志村けんの破壊的ギャグ!
「カラスの勝手でしょ」というフレーズは、このころテレビで大ヒットしていたお笑い番組『8時だョ! 全員集合』(TBS)の中でザ・ドリフターズの志村けんが使っていたギャグである。
童謡『七つの子』の節で「カラス~なぜ鳴くの~」と歌い出し、それに続けて「カラスの勝手でしょ」と落とす。公開放送だったこの番組で、志村の口からこのギャグが出ると、客席からは文字通り爆笑の渦が巻き起こった。
いんこがオルガと初めて出会ってから1年後、彼女はボロボロになりながらも、いまだパーラーの前に立っていた。その哀れな姿を見かねたインコは店主に意見する。しかし返ってきたのは「カラスの勝手でしょ」という冷たい言葉だった
志村けんのギャグ「カラスの勝手でしょ」の参考画像がなかったので、その少し前に流行したヒゲダンスのレコードをご紹介。こちらは1979年ごろ、『8時だョ! 全員集合』の中で志村と加藤茶が披露したダンスパフォーマンスである。2人が付けヒゲと燕尾服でダンスを踊りながら様々な芸を披露する
1950年生まれの志村けんはこのとき31歳。ザ・ドリフターズの他のメンバーが40代から50代にさしかかろうという中で、メンバー見習いという立場で後から加入した志村は体を張ったキレのあるギャグを連発し、ザ・ドリフターズ人気再燃の立役者となったのだ。
手塚も志村のこのギャグを気に入っていたようで、第15話「じゃじゃ馬ならし」の中でも、いんことスケバン刑事・千里万里子の会話の中で、2人にこのフレーズをしゃべらせている。
第15話「じゃじゃ馬ならし」より。駅で激しく口論しながらも、お互いに「~の勝手でしょーッ」という同じフレーズを使っているいんこと万里子
◎空前の漫才ブームの中で......!!
さらに当時の流行語をもうひとつ。
第10話「誤解」は、九州・阿蘇の山中で嵐に降り込められたいんこがたまたま逃げ込んだ宿で、恐怖の一夜を過ごすというお話だ。
この物語の冒頭で、暴風雨の中、車を飛ばしながら「ついてねえや」と愚痴るいんこが、吐いた言葉が「そーなんですよ川崎さん」という自分自身への謎の相づちだった。
じつはこの言葉も当時、あるお笑いコンビによって流行語となった言葉だった。そのお笑いコンビとは、ぼんちおさむと里見まさとの2人組「ザ・ぼんち」である。
『七色いんこ』の連載と重なる1980年から82年ごろにかけて、日本は空前の漫才ブームに沸いていた。そんな中、関西を中心に活動していたザ・ぼんちもブームに乗って全国的な人気を獲得。その彼らの当たりネタがこの「そーなんですよ川崎さん」だったのだ。
この言葉の元ネタは、これまた当時、人気が過熱して世の注目を集めていたテレビのワイドショー番組だった。
ちなみにこの物語に登場する宿屋の建物は、ヒッチコック監督の恐怖映画『サイコ』(1960年)に登場するベイツ・モーテルのデザインがほぼそのまま引用されている。
第10話「誤解」より。嵐の中、山中で車のガソリンが切れてきた。そこでつぶやいたのが、「そーなんですよ川崎さん」という言葉。この言葉の元ネタは......
第10話「誤解」でいんこが駆け込んだ宿屋。ヒッチコック監督の映画『サイコ』をご存知の方は、この建物を見た時点で早くも嫌な予感が......。そしてこういう時の予感は大体当たるものなのだ
◎じつはワイドショーから生まれた流行語!?
巷で起きた下世話な三面記事や芸能人のゴシップネタを突撃リポーターと呼ばれるテレビ記者がしつこく取材してスタジオで紹介する「ワイドショー」番組。そのルーツは1960年代の半ばごろまでさかのぼるが、1980年ごろになるとリポーターも単なる記者からタレント化し、それぞれの個性がギャグのネタにされることも間々あった。
「そーなんですよ川崎さん」という言葉も、元々はテレビ朝日が昼の12時から放送していた『アフタヌーンショー』の中で、リポーターの山本耕一がよく使う言葉だった。
山本がスタジオで、取材してきた事件の現場状況をリポートする。それに対して司会の川崎敬三が的確な受け答えをしたときに、山本がまさに我が意を得たりという態度で言う言葉がこの「そーなんですよ川崎さん!」だったのだ。
いんこがこの言葉の前にしゃべっている「A地点からB地点へ出て......云々」というセリフも、山本リポーターが事件の状況を説明する様を戯画化した、ザ・ぼんちのギャグに含まれているセリフである。
こうして勢いに乗ったザ・ぼんちは1981年1月にレコードデビューも果たした。近田春夫作詞・作曲によるデビュー曲『恋のぼんちシート』の歌詞は、まさに「そーなんですよ川崎さん」というこの言葉から始まっている。
ザ・ぼんちのデビューシングル『恋のぼんちシート』。じつはこのジャケットには歌詞が書かれていない。その代わりにこんな人を食った文言が......「山本さん! このレコードには歌詞がついてないんですか? そーなんですよ!川崎さん。このレコードはA地点からC地点へ行く間になんと歌詞が消えたんですね!!」。いやいや、歌詞は付けようよ
◎ミステリー・トレインが大ヒット!
第41話「欲望という名の電車」では、いんこが、「欲望」と名付けられた当時の国鉄の奇妙な電車に乗る。そこでいんこがつぶやくのがこんなセリフだ。
「「欲望」という名の国鉄か......
それにしても面白い名前をつけたもんだな
このごろ ブルー・トレインとかアンドロメダ号とか
いろんな名前をつけたがるもんだが」
この"アンドロメダ号"というのは、1979年に当時の国鉄が企画した、行き先不明の臨時観光列車、いわゆるミステリー・トレインのことだろう。
1979年7月22日から23日にかけて、国鉄は松本零士原作のアニメ『銀河鉄道999』劇場版の公開に合わせて東映とタイアップし、ミステリー・トレイン「銀河鉄道999号」を企画した。行き先は事前に明かされない謎の"アンドロメダ駅"。これが予想外の人気となり、22日と23日の各日832人ずつの募集に対し合計4万人以上の希望者が殺到する騒ぎとなったのだ。
当時の新聞記事では、チケットの発売駅である上野駅と池袋駅に殺到した人の波が写真付きで紹介されている。
テネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』は1951年、ヴィヴィアン・リーとマーロン・ブランドの主演で映画化された。これは翌1952年に日本初公開された当時のパンフレット
第41話「欲望という名の電車」より。いんこが「欲望」という名の電車から、ほかの列車にも思いをはせる......
謎の目的地「アンドロメダ」行きの国鉄臨時列車「銀河鉄道999」の人気ぶりを写真入りで紹介した『讀賣新聞』1979年6月28日号(上)と『讀賣新聞』1979年7月2日号の記事。赤字の国鉄にとって、この企画のヒットは干天の慈雨だったと報じている
◎ネタばらしをしちゃダメよ!
ちなみにこのとき『朝日新聞』は初日のツアーが終ったばかりの翌日7月23日の朝刊でアンドロメダ駅がどこだったのかを早々にバラしてしまい、ファンのひんしゅくを買った。
22日のツアーに参加した人が1,000人以上いたから多くの人はすでに答えが分かっていたかも知れないが、掲載するのはせめて23日の夕刊にしてほしかった。
じつは『朝日新聞』は後年、手塚治虫ファンに対しても同様のフライング報道を行っている。
2014年11月、神奈川県が「さがみロボット産業特区」をアピールするため、県内の"どこか"に鉄腕アトムのキャラクターを使った「アトム信号機」を設置した。県ではその正確な場所をあえて明かさず、ゲーム感覚で探すのを楽しんで欲しいという企画で、メディアにもそのように広報を行った。
それを受けてマスコミ各社が「どこにあるか、家族で探してみよう」という口調で紹介する中、何とただ一社『朝日新聞』だけがその場所をはっきりと記事に書いてしまったのだ。
スクープ合戦になりがちなマスコミでは間々あることだけど、一マンガファンとしては、メディアにはもう少し空気を読んでもらいたいと切に願うのであります。
『朝日新聞』1979年7月23日号の記事。見出しの1行目で目的地をバラしている。ちょ......それは......!!
◎CMで大活躍したハワイ出身の人気力士!!
続いてテレビコマーシャルにも注目してみよう。
第9話「アルト=ハイデルベルク」は、ドイツの作家W・マイヤー=フェルスターの『アルト=ハイデルベルク(別名:学生王子)』を下敷きとしたドラマだ。
この劇の舞台で代役を務めるいんこに対し、もじゃもじゃのモミアゲが印象的な脇役のひとりが、話の展開を無視していきなり「マルハチ」というセリフを吐く。
これは当時、アメリカ・ハワイ州出身の力士、高見山大五郎が出演していた丸八真綿のふとんのCMのパロディだ。
愛嬌のある表情とモジャモジャのモミアゲがトレードマークだった高見山大五郎は、実力と人気を兼ね備えた力士としてテレビCMにも数多く出演していた。
昭和10年発行の岩波文庫版『アルト ハイデルベルク』(番匠谷英一訳)。
第9話「アルト=ハイデルベルク」より。ステージでいんこの相手役をつとめたモミアゲの印象的な俳優......枕を抱えて「マルハチ」と叫ぶこの人は、もしかして有名なお相撲さん......!?
◎酒好きの犬がブランデーを飲むときは......!?
第16話「彦市ばなし」では、いんこの相棒で酒好きの俳優犬・玉サブローが、酒の置いてある喫茶店で昼間から飲んだくれる。
ウイスキーに続いてブランデーを注文した玉サブローが、ブランデーの入ったコーヒーカップにコップの水を注ぐ。
それを見ていたいんこがあきれ顔でひとこと。
「ブランデー水で割ったらアメリカン」
いんこの言ったこの言葉は、1978年ごろからテレビで放送されていたサントリーブランデー「V.S.O.P」のCMコピーだ。
たとえばこんなCM。若者達が踊って楽しんでいるディスコに、いきなり軍服を着た米軍のMP(憲兵)が現われる。緊張する店内。ところがMPは、出されたブランデーのグラスに腰の水筒から水を注ぎ、それをうまそうに飲む。そこで件のCMコピーが流れる。
「ブランデー水で割ったらアメリカン」
第16話「彦市ばなし」より。喫茶店でのんだくれている玉サブロー。ブランデーにコップの水を注いでグイッ。通だねぇ!
◎薄味の飲み物をアメリカンという風潮......
ブランデーの水割りは当時でも特に新しい飲み方ではなかったが、それを薄味のアメリカンコーヒーに見立てて"アメリカン"と称したことで話題となったのだ。ただし当時はこの言い方を非難する向きも少なからずあった。
そもそも本場の"アメリカンコーヒー"はただの薄味コーヒーではない。浅煎りしたコーヒー豆を大量に使って淹れたコーヒーのことを"アメリカンコーヒー"と呼ぶ。ところが当時の日本では、コーヒー専門店以外の喫茶店では、普通に淹れたコーヒーをお湯で薄めて出すのが"アメリカン"という認識の店がかなり多かったのである。
その誤解をブランデーにまで広げるのか、ということで、一部のコーヒー通とブランデー通の方々は激しく怒っていたわけである。
と、そんな議論はともかくとして、この一連のシーンでは、心地よく酔っぱらった玉サブローの絶妙な名演技をとくとお楽しみいただきたい。
◎隠れた流行語はまだまだあるっ!
ということで今回はココまで。『七色いんこ』を読めばあのころの時代が見えてくる。そんな楽しみがひとつ広がったのではないだろうか。もちろん『七色いんこ』の中には、まだ紹介していない流行語が埋もれている。皆さんも気になったセリフがあったらネットで検索したり、年配の人に聞いてみたりしてください。きっと新たな発見に出会えるに違いありません。ではまた次回! 今度は『七色いんこ』が2倍×2倍で合計4倍楽しめる読み方をお教えいたします!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
手塚マンガあの日あの時+(プラス)
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