2019/01/23
手塚治虫が活躍した過去の時代へタイムスリップし、手塚マンガの「あの日あの時」を調査するあの日あの時調査団。今回我われが調査に向かう時代は1981年8月です。この年の夏に「24時間テレビ」で放送予定の長編アニメ作品、そのタイトルは『ブレーメン4』。その放送のおよそ20日前......ということは手塚のスケジュールも恐らくパッツパツだったであろう日に、東京都の九段会館で第3回「手塚治虫ファン大会」が開催されました。果たしてこの年のファン大会はどのようなものだったのか。さっそく1981年の夏へ時間冒険いたしましょう!!
1981年8月2日午前11時、我われあの日あの時調査団は無事に東京千代田区の九段会館前に到着した。天気は快晴だ。一昨年、昨年に続いて恒例となった「手塚治虫ファン大会」、その第3回が間もなくここで開催されることになっているのだが......おー、やはりもう行列が出来ているようだぞ!
今回も列に並んでいるファン達の会話をこっそり聞いてみよう。なになに......一番乗りのファンは何と昨年より1時間も早い5時半着だとな! また岩手県や鹿児島県などの遠方から駆けつけたファンもいるようだ。今回は8月開催となったために関係スタッフは集客を心配していたようであるが、それも杞憂だったようだ。我われもこのまま会場へ潜入してみよう!
ということで、今回もものすごい熱気の中でファン大会が始まった。
恒例のアニメ上映コーナーまず上映されたのは、来年1982年の春にテレビ放送される予定の新作アニメ『ドン・ドラキュラ』パイロットフィルム(兼第1話)。続いて上映された『おかしな一日』は、1970年に大阪で開催された「日本万国博」のセイコーパビリオンで上映された6分弱の短編アニメである。2人のいたずらっ子宇宙人が地球の時間を狂わせて大混乱を起こしてしまうというお話だ。
続いてパイロット・フィルム集と題して上映されたのが、『リボンの騎士』、『どろろ』、『アポロの歌』の各パイロットフィルムだ。パイロットフィルムというのは作品制作前にスポンサーなどに見せるためのサンプル映像であり通常は一般公開されるものではない。なのでこの映像が見たくてこの会場へ来ているファンも多いに違いない。
アニメ上映もとどこおりなく終わってプログラムはいよいよ手塚治虫のトークコーナーへ移る......段取りだったのだが、今回も手塚の会場到着が遅れたため、司会の篠田修一さんは、イベントの実行スタッフを壇上へ上げて、トークで時間をつなぐことにした。
まずはひとりひとり自己紹介をして、それでも時間が余ったので、篠田さんはそれぞれに手塚の悪口を言ってもらうことにした。
その悪口大会が始まったところへ、舞台袖から手塚本人が足音を忍ばせて登場し、客席からクスクスと笑いがこぼれ出す。
その直後、篠田さんたちもようやく手塚登場に気が付き、場内は大爆笑となった。
手塚のステージトークは、現在制作真っ最中の『ブレーメン4』の話から始まった。
『ブレーメン4』はこの年の8月23日に日本テレビの番組「24時間テレビ」内で放送される予定の長編アニメ作品である。
「この暑い中、たくさんの方がきてくださって、たいへんありがとうございます。
いつもでしたら、4月にファン大会を催すわけなんですが、今年はぜひ、みなさんに『ブレーメン4』を──完成していればの話なんですが、お見せしようと思って、8月にしてもらったんですが、やっぱり、間に合いませんでした。(会場から笑い)
『ブレーメン4』では、ぼくは原画を二百カット受け持たされているのですが、実はまだ六十カットしかできていないんです。ですから今、たいへんな状態なのですが、『ブレーメン4』は動物ものですので、
この『ブレーメン4』はTVアニメなんですが、ぼくとしては、『火の鳥2772』が終った時点で、実験アニメの方をやるつもりだったんです。ところが、アトムを始めてしまって...そしたら24時間TVの方もやらなくてはいけないということになって。昨年みなさんとお約束していたのが、全然進んでいないのです。また、それとは別に、三分間くらいのショートアニメをやろうという話もあったのですが、立消えとなってしまいました。たいへんおはずかしいと思っています」(『手塚ファンmagazine』1981年10月号「アニメにマンガに熱をこめる手塚先生」より)
その後は準備中の新作について、近々本格的なSFマンガを描きたいと思っているという構想を熱く語り、「"やっぱり手塚のSFはひと味違うな"と言ってもらえるよう努力したい」と述べたり、連載中の『陽だまりの樹』や『七色いんこ』についても熱く語った。
やがて話は昨年と同じく、日本のアニメやマンガをいかにして世界市場へ持っていくかという話へ移っていった。
「ぼくは、日本でも海外でも理解され、評価されるアニメを作りたい。しかし、『火の鳥2772』の例もあるように、そういうふうに作った作品が、果たして日本で受けいれられるかどうか......。その辺を、今後みなさんとともに十分検討して、なんとか世界中に通用する、すばらしいアニメーションを作っていきたいですね」(同記事より)
お楽しみ抽選会では手塚が二百枚もの色紙を用意して来場したファンを喜ばせた。そして会は5時半に終了。
だが今回も第2部としてシークレット作品の上映が用意されていた。それは手塚治虫の長男で当時日本大学芸術学部の学生だった手塚眞氏が自主制作した8ミリ映画『MOMENT』の上映である。
もちろんあの日あの時調査団もそのまま会場に居残って最後まで鑑賞し、今回の調査を終了したのである。
さて次回はどんな時代の「あの日あの時」を調査することになるのであろうか。乞うご期待っっっ!!
取材協力/篠田修一
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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