2018/12/26
手塚治虫が活躍した「あの日あの時」へタイムスリップして手塚マンガと時代との関わりを調査するこのコラム、前回に続いて今回は第2回「手塚治虫ファン大会」が開催されたあの日へタイムスリップいたします! 第1回と同じ東京千代田区の九段会館で開催された第2回大会。そこに集まった手塚ファンが見聞きしたものはいったい何だったのか!? それでは皆さん、我われあの日あの時調査団と一緒に調査を始めましょう!!
皆さん、現在の日時は1980年4月20日、間もなくお昼の12時になろうかというところです。私たちあの日あの時調査団は、無事にタイムスリップを終えて東京の九段会館に到着しました! 間もなくここで第2回「手塚治虫ファン大会」が開催される予定で、今回もすでにたくさんの手塚ファンが開場を待って行列を作っているようです。並んでいる人の会話にさりげなく耳を傾けてみると、どうやら列の先頭に並んだ人は朝の6時半にここへやって来たようです!
この当時手塚治虫ファンクラブの顧問的な役割を担っており、ファン大会では第1回から司会進行役を務めた元大都社編集長・篠田修一さんはこう語っておられます。
「第1回でもかなり早くから開場に並ばれている方がいましたので、第2回の時も当然そうなるだろうと予想していました。そこで第2回の時には先着50名に火の鳥のレコードのポスターをプレゼントしました」
しまった! 調査なんてしてる場合ではなかった!! 我われもこっそり列に並んでおくべきでした!!
そんな後悔はともかく、入場が始まったのであの日あの時調査団もそれにまぎれて会場内へ潜入する。来場者に配られたプログラムには、それぞれアトムやヒゲオヤジなどのスタンプが捺してあり、これが会の後半で開催されるプレゼント抽選会の引換券となる。例えばプログラムにアトムのスタンプが捺されていた人は「アトム賞」で手塚のサイン色紙がもらえる、といった具合だ。
館内ロビーには、全国のファンクラブ支部や書店が机を並べて物販コーナーを設けており、新刊本や貴重な古本などを販売している。
そして午後1時、いよいよファン大会が始まった。司会の篠田さんによる開会のあいさつの後、16ミリフィルムによる映画上映がスタート。プログラムにはないが、最初に上映されたのは旧虫プロの制作した『鉄腕アトム』第16話「白い惑星号」。これは後に紹介するように、この年の秋から日本テレビ系列で新作『鉄腕アトム』の放送が決定していたために参考上映されたものだろう。
また篠田さんによれば、当初予定していた『南へ行ったミースケ』が都合で上映出来なくなったために急きょ用意されたのが、手塚家秘蔵のホームムービーだった。これは映画や写真が大好きな手塚の父が8ミリカメラで撮影したプライベート映像で、手塚ファミリーが自宅の庭などで遊んでいる様子などを記録したものだ。また兵庫県の宝塚ホテルで開かれた手塚の結婚式の映像などもあった。
続いて上映されたのは、このファン大会当日にTBSで放送される予定の『ディズニーランド大全集 手塚治虫のディズニーワールド探検旅行』という番組を、手塚自身がこのイベント用に再編集したものが上映された。この時代はまだホームビデオがあまり普及していなかったので、ファン大会に参加したために番組を見られなくなった人もいたはずで、これはうれしい配慮だった。
この番組は、この年の3月16日から4月3日にかけて、手塚が国際交流基金のマンガ大使として渡米した際に収録されたものだ。
フィルム上映の後、いよいよ手塚治虫が登壇! 手塚はまず直近のアメリカ訪問で見聞したアメリカのアニメ・マンガ事情を報告した。アメリカの大学UCLA内にあるアニメ専門シアターの充実ぶりや、『火の鳥2772・愛のコスモゾーン』がアメリで大好評だったことなど。しかし一方で『火の鳥2772』は海外市場を意識しすぎたために日本での興行が思ったほどふるわなかったことを述べた。そこで手塚は日本のアニメが広く世界に受け入れられるために必要な要素とは何なのかを今後も考えていくという決意を述べた。
さらに手塚がこの年の10月から日本テレビで新作『鉄腕アトム』の放送が始まることを報告したのに対して、ファンから質問コーナーでこんな質問が投げられた。
──最近どうもアニメのリバイバルがはやっているのですが、どうして今『鉄腕アトム』が必要なのですか。
先生 うーん、いい質問だなァ。実は本当はアトムでなくても良いのです。しかし、何故もう一度アトムを作ろうとしたかといえば、僕自身もう一度アトムを見直したいし、僕にとってアトムが何だったかということだけではなしに、あの当時、テレビの『鉄腕アトム』を見ていた人達にとっても何だったかということを問い直してみたかったのです。とにかくアトムはテレビになってしまったために誤解をうけまして、戦後の民主主義の産物だとか、機械文明を謳歌したものだとかいわれたんです。ところが今だにそういう誤解を持っている人もいるんで、僕自身は『鉄腕アトム』をこういうメッセージで送りたかったんだということをハッキリさせたいんです。だから今度のアトムが僕の本当のアトムで、何も昔人気があったから作るわけではないんです。タイトルを『新アトム』としなかったのも、そのためです。
(「手塚治虫ファンクラブ会誌6号「マンガとアニメの楽しい一日 第2回ファン大会《手塚先生を囲んで》」より)
さて、ここらで我われあの日あの時調査団はこっそりと開場を後にして、次回はさらに1年後の第3回ファン大会会場へ潜入します! ではまた次回!!
取材協力/篠田修一
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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