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手塚マンガあの日あの時+(プラス) 手塚マンガのルーツを調査せよ! 第2回:手塚治虫が習作時代に影響を受けた幻のマンガ!

2019/03/27

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手塚マンガのルーツを調査せよ!

第2回:手塚治虫が習作時代に影響を受けた幻のマンガ!

 手塚治虫に影響を与えた3冊の幻の本を探す旅、今回はその第2冊目だ。手塚治虫がマンガを描き始めたばかりのころに影響を受けたという「とある漫画」を探したい。ところがその探索は困難を極めた。その漫画は単行本化されておらず、いつ発表されたのか、何という雑誌に掲載されたのかも分からなかったからだ。果たしてその幻の漫画は発見できるのか。今回もさっそく調査開始である!!


◎大阪のデパートで買ってもらった本!

 若き日の手塚治虫に影響を与えた3冊の本、その第2冊目は、手塚治虫の"真のデビュー作"に影響を与えた幻の漫画だ。その幻の漫画について語っているのは、手塚治虫の妹の美奈子さんである。さっそくその美奈子さんのインタビュー記事を読んでみよう。※カッコ内は黒沢注

「私たちは(母に)よく大阪の阪急デパートへ連れていってもらいました。(中略)兄が「これがほしい」と言って、母にマンガを買ってもらっていた記憶があります。中の兄も私も「お兄さまばかりずるい」と言って一冊ずつ買ってもらいました。(中略)

 兄はよくそれらのマンガからキャラクターを借りて、自分のマンガに出演させていました。とくに好んでいたのは横山隆一先生の『フクちゃん』のシリーズです。そこに出てくるフクちゃんはもちろん、キヨちゃんや健ちゃんの絵をよく描いていました。フクちゃんはピンピン生チャンの相手役にしたほどです。(中略)ピンピン生チャンの原型は、田河水泡先生の『玩太郎日記』や『小型の大将』などからとったキャラクターだったようです。その頃の兄のマンガのスタイルは、自分流の上に横山・田河両先生の画法を加味したものでした」

(1997年岩波書店刊『ぼくのマンガ人生』所収、宇都(旧姓・手塚)美奈子さんインタビュー「兄のマンガには二つの軸がありました」より)

 横山隆一の『フクちゃん』は、ご存知の方が多いと思うけど、田河水泡の『頑太郎日記』と『小型の大将』というマンガはぼくも知らない。

『ピンピン生チャン』は1937年(昭和12年)、手塚が小学3年生のころに初めて描いたマンガと言われているものだ。ワラ半紙のような紙に鉛筆で描かれ、同級生の間で回覧されたという。その手塚の正真正銘の処女作に影響を与えた漫画となればぜひとも読んでみたいところだが、あいにくネット検索では何も情報が得られなかった。

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手塚治虫が少年時代に描いたマンガについて触れているイラスト記事。『ピンピン生ちゃん』も紹介されている。『手塚ファンマガジン』No.22(1981年)より。※初出は1965年『ぼくら』

◎ついにモンダイの本を発見!!

 ネット検索で書名が出てこないということは恐らく単行本化されていない作品なのだろう。だとしたら掲載誌を見つけるしかない。田河水泡は講談社の雑誌を主な活動の場としていたから、まずは当時の講談社の雑誌をひとつひとつ当たってみることにした。

『少年倶楽部』や『幼年倶楽部』を見ても見つからず。『凸凹黒兵衛』が掲載されていた『婦人倶楽部』も調べてみたがこちらにも載っていないようだ。たまにマンガが載っていた講談社の娯楽雑誌『キング』にまで範囲を広げてみたがこちらでも掲載は確認できず。捜査は早くも行き詰まってしまった。

◎ケン一探偵長になって推理してみたら......!!

 こんなとき、手塚治虫が生み出した少年名探偵のケン一探偵長だったらどうするだろうか。恐らくいったん別の方向から推理してみるのではないか。

 そこでぼくも別角度から考えてみることにした。

 先ほどの美奈子さんのお話をあらためて読み返すと、手塚が母親から本を買ってもらったとき、次兄の浩さんと美奈子さんも一緒に本を買ってもらっていたという。その後に続くのが「兄はよくそれらのマンガから~」という言葉なのである。

 つまり手塚が参考にしたのは、自分が買ってもらった本に限らず、弟や妹が買ってもらった本も含まれていたのではないだろうか。

 そこで探索範囲を当時講談社が発行していた絵本にまで広げてみたところ、ついに田河水泡の『頑太郎日記』の掲載誌を発見したのである。

 それがここに紹介した『講談社の繪本 漫画と軍歌画集』(1937年11月発行)である。

 講談社の繪本(絵本)シリーズは戦前から戦中にかけて、良家の子女に絶大な人気を誇っていたシリーズで、古典童話や偉人伝を題材にして毎月数冊ずつ定期刊行されていた雑誌スタイルの絵本である。そしてそのラインナップには時々このような漫画だけの特別号もあったのだ。

 この『漫画と軍歌画集』には田河水泡の『頑太郎日記』のほかに島田啓三の時代劇漫画『ワガママ姫』や、井上一雄のお笑い漫画『ビックリ案山子』などが収録されていた。

◎手塚少年が魅せられた幻の漫画がコレだ!

 さっそくその中の『頑太郎日記』を見てみよう。

『頑太郎日記』は、ごく平凡な少年・頑太郎を主人公として子どもの日常を描いたほのぼの作品だ。ただしこの号で展開されているのは戦争ごっこだ。「漫画と軍歌」というテーマに内容を合わせたからだとは思うが、「軍用犬」や「慰問袋」、「決死隊」といった言葉を子どもたちが当り前のように使っているところに時代を感じる。

 主人公の頑太郎は丸坊主の少年で手塚の『ピンピン生チャン』の生チャンと良く似たキャラクターである。またほのぼのとした物語の語り口やテンポにもこのマンガの影響が垣間見えた。

 手塚はこうして見聞きしたものを片っ端から吸収しつつ、やがて独自の世界観と表現方法を作り上げていくのだが、そのスタート地点のひとつにこの田河水泡の『頑太郎日記』もあったわけである。

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『漫画と軍歌画集』(1937年、大日本雄辯会講談社刊)の表紙と、そこに収録されていた田河水泡の『頑太郎日記』。ついに見つけた!!

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『漫画と軍歌画集』より。勇ましい軍歌とほのぼのした井上一雄の漫画。このアンバランスさがこの時代の世相を映し出している

◎『ピンピン生ちゃん』へのあふれる愛着!!

 ちなみに1958年から59年にかけて、手塚は『ピンピン生チャン』のリメイク作品『ピンピン生ちゃん』を講談社の学年誌『たのしい三年生』に連載している。そのあとがきで、この作品のルーツとなった田河水泡のマンガについてや、この作品に対する思い入れを語っているのでこちらも紹介しよう。

「『ピンピン生ちゃん』は、特にのってかきました。なぜかというと、この題名は、ぼくが小学三年生のときにつくった漫画の題名だからです。

 漫画本の中でそだったぼくは、ことに田河水泡さんに傾倒していました。田河さんの作品の主人公からヒントを得て、ぼくはピンピン生ちゃんなる子どもを創作し、ノートにえんぴつでかいて友だちに見せました。(中略)

 坊主頭の生ちゃんは、ぼくが小学三年生のとき、はじめてつるつるの丸刈まるがり頭になった、思い出のスタイルです。ヒゲオヤジよりも、ヒョウタンツギよりも歴史の古いこのキャラクターに、ぼくは満腔まんこうの愛着を感じます」

(講談社版手塚治虫漫画全集『マアちゃんの日記帳』所収「ピンピン生ちゃん」あとがきより)

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手塚が小学校3年生のときに描いた作品『ピンピン生チャン』「フクチャンノカイゾクブタイ」(1937年)の巻。※画像は『手塚治虫全史』(秋田書店刊)より

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こちらも『ピンピン生チャン』(1937年)より。横山隆一のキャラクター"フクちゃん"もゲスト出演している。※画像は手塚治虫生誕80周年記念展図録『手塚治虫展 未来へのメッセージ』(東京都江戸東京博物館刊)より

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1958年から59年にかけて連載されたリメイク版の『ピンピン生ちゃん』。※カラー画像は『別冊太陽 子どもの昭和史 手塚治虫マンガ大全』(平凡社刊)より、モノクロ画像は講談社版より

 ということで今回の調査も終了! え? 『小型の大将』はどうなったって? えーと、そちらは引き続き調査続行ということで!! 皆様、何か情報がありましたら手塚プロ気付、あの日あの時+(プラス)調査室までご一報ください!!

 さて次回は、多くの手塚SFマンガに影響を与えたある有名なSF小説を、手塚も読んだ日本初訳本の原本を入手して振り返ります。ではまた次回、お楽しみに!!


黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


手塚マンガあの日あの時+(プラス)

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