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手塚マンガあの日あの時+(プラス) "テレビっ子"手塚治虫を読もう!!(1960年代編) 第2回:地球調査隊が出会った"テレビっ子"少年!!

2019/06/28

"テレビっ子"手塚治虫を読もう!!(1960年代編)
第2回:地球調査隊が出会った"テレビっ子"少年!!

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 テレビ大好き"テレビっ子"の手塚治虫が、マンガの中で描いたその時代のテレビの流行語やテレビの人気キャラクター、それを探る旅の第2回目は、1960年代半ばへと向かいます。この時代に発表された2つの少年マンガの中で主人公たちが発している流行語とは!?


◎1965年のテレビ番組視聴率ベストテン!

 今回、我われあの日あの時+(プラス)調査隊がやってきたのは、前回訪ねた『鉄腕アトム』「史上最大のロボットの巻」の時代からおよそ1年後の1965年春だ。
 この年のテレビ放送受信契約数は1,822万4213世帯。前年から1,092万世帯も増え、普及率は75.6%となった。まさに"テレビっ子"の時代が到来したころだ。
 この年の視聴率ベスト10を紹介すると、1位がNHKの「NHK紅白歌合戦」で視聴率は驚きの85.0%。以下、2位:フジテレビ「プロボクシング世界バンタム級タイトルマッチ 原田VSラドキン」(61.5%)、3位:フジテレビ「プロボクシング世界バンタム級タイトルマッチ 原田VSジョフレ」(58.8%)、4位:NHK「ついにかえらなかった吉展ちゃん」(54.9%)、5位:9月17日放送の「NHKニュース」(53.9%)、6位:日本テレビ「三菱ダイヤモンドアワー」(53.1%)、7位:NHK「太閤記」(47.8%)、8位:9月17日放送のNHK「スタジオ102」(45.9%)、9位:TBS「てなもんや三度笠」(45.3%)、10位:日本テレビ「プロ野球日本シリーズ第3戦 巨人×南海」(43.1%)となっている(関東地区のA.C.ニールセン調査より)。

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1960年代のものと思われるテレビ型貯金箱。箱には「PLASTIC(プラスチック)」と大仰に書かれているが、そのプラスチックもあまり品質の良いものではなく造形も粗雑だ

◎テレビの視聴率は時代を映す!

 5位と8位にある9月17日は台風24号が本州南西部に上陸し、福井・奈良・和歌山・静岡方面で多数の被害を出した日である。当時は、このような災害の際にもっとも頼りになる情報源がテレビだったのだ。
 また第4位のNHKの番組は、7月5日に放送されたもので、戦後最大の誘拐殺人事件とも言われた「吉展ちゃん事件」について報じた特集番組だと思われる。
 1963年3月、台東区の当時4歳だった少年が誘拐されて自宅に身代金50万円を要求する電話がかかってきた。しかし犯人は金の受け取りに失敗した後、少年を殺害。7月3日に別件で逮捕された犯人の男が犯行を自供し、7月5日に荒川区の墓地に埋められていた少年の遺体が見つかったのである。

◎川原でCMソングを歌っていた少年が......!!

 この年の『週刊少年サンデー』5月30日号から手塚治虫が新たに連載を始めたのがSFマンガ『W3(ワンダースリー)』だった。
 196X年、人類は相変わらず戦争を繰り返していた。そこで宇宙連盟は地球を滅ぼすか救うかを決めるため、地球へ調査隊を送りこむことにした。こうして地球へやってきたのが銀河パトロール隊の精鋭であるボッコ、プッコ、ノッコの3人だった。3人はそれぞれ地球の動物の姿に変身し調査を開始する。
 そこで3人(動物の姿になっているので絵的な見え方としては3匹)が、知り合ったのが地球の少年・星真一だった。
 連載では第4話目となる回で、その星真一が初登場するシーン。川原に寝転んでいる真一がメドレーのように歌っているのが当時のCMソングの数々だったのだ。

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『W3(ワンダースリー)』より。地球調査員のノッコが地球へ持ち込んだ反陽子爆弾のスイッチを入れてしまった。これが爆発したら地球は消し飛んでしまう。そんな折、川原に寝そべってのんきにCMソングを歌う少年がいた! ※画像はすべて国書刊行会刊『手塚治虫トレジャーボックス W3(ワンダースリー)』より

◎5秒スポットCMの時代!

 それぞれのセリフを順番に見ていこう。「マイペースでのもう アサヒスタイニー アッ」の「アサヒビール・スタイニー」はこの年の3月に朝日麦酒(現・アサヒビール)が新発売した小瓶のビールである。
 当時日本ではビールといえば633mlの大瓶が一般的だったが、海外では飲みきりサイズの小瓶が広く普及しており、日本でも潜在需要があるということでの発売だった。
 334mlという小瓶のため、いつでもどこでも気軽に飲めるということで、朝日麦酒はこれを「マイペース・ドリンキング」と名付け、テレビCMでは「マイペースで飲もう!」というキャッチフレーズで大々的に売り出したのだ。
 特にこのCMが記憶に残ったのは、この少し前に放送法が改定されたことと深い関係があった。1962年、それまで無音で企業名や商品名が表示されるだけだった5秒CM(カードCMと呼ばれた)が動画もOKとなった。そこでCM製作者たちはその5秒(実質3秒半)の中でいかに商品名を強く印象づけるかに並々ならぬ努力を払ったのだ。
 そんな5秒CMのひとつが「マイペースで飲もう、アサヒスタイニー、アッ!」だったのである。ほかにも例を挙げると、アイデアル洋傘(丸定商店)の「なんである、アイデアル」、小西六写真工業(現・コニカミノルタ)の「コニカはコニカ、いいと思うよ」、清酒神聖の「かあちゃん、いっぱいやっか」などなど。
 ただしこの動画の5秒CM、あまりにもエスカレートしたためにわずか3年で廃止され、現在は地方局でほそぼそと流れているのみだ。

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「アサヒビール・スタイニー」新発売当時の新聞広告(1964年3月)。海外の小瓶ビールをバックにスタイニーが汗をかいて立つ!

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「マイペースで飲もう」のコピーが使われた「アサヒビール・スタイニー」の新聞広告(1964年8月)。発売して初めての夏を迎え、「マイペースで飲もう」のテレビCMもこのころから始まったのだろうか

◎栄養剤CM戦争が過熱!!

 真一が次に歌っている「アスパラ アスパラ アスッパラ ア・ス・パ・ラでやりぬこうっ!!」は田辺製薬(現・田辺三菱製薬)の栄養剤「アスパラ」のテレビCMソングだ。
 1960年代から70年代にかけて、こうした栄養ドリンクや栄養剤のCMがテレビを席巻した時代があった。高度経済成長に沸き立つ中で、世のお父さんたちはみな一様に疲れており、各種の栄養剤でその疲れを癒しながら日々モーレツに働いていた。
 製薬メーカー各社はそんな疲れたお父さんに商品を買ってもらうべく、CMに有名人を起用したり、耳に残る印象的なキャッチコピーをひねり出してはテレビで連呼した。
 大正製薬の栄養ドリンク「リポビタンD」
は1963年からCMに当時読売ジャイアンツの選手だった王貞治を起用、「ファイトで行こう! リポビタンD」のキャッチフレーズで商品の名前を広く知らしめた。
 また武田薬品の「アリナミン」は1964年に銀幕の大スター三船敏郎を起用して注目を集めた。
 一方で田辺製薬は、1962年に「アスパラ」を発売するまでは業務用医薬品が主力の製薬会社であり、本格的に民間市場へ参入するのはこれが初めてだった。そこで田辺製薬は、他社のCMが軒並みいかつい男性を起用する中で当時17歳の歌手・弘田三枝子を起用したのだ。
 若くはつらつとした弘田の姿を前面に押し出すことで、彼女の明朗さと商品の新鮮なイメージを強く結びつけたのである。資料によれば、同社は当時としては破格の月間5000万円を広告費に投入。スポットCMを集中的に流すことで商品の認知度を一気に高めていったのである。
「ア・ス・パ・ラでやりぬこう!!」というフレーズは、こうして真一少年の耳にも強く残っていたようである。

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田辺製薬「アスパラ」の新聞広告(1963年9月)。テレビCMでは弘田三枝子が「アスッパラ!」と力を込めて歌う歌い方が新しいと評判を呼んだ

◎雨が降ってる日曜日のハプニング!!

「──即席ラーメン パパといっしょにたべたいな」は、メーカー名が伏せ字になっているが、明星食品のインスタントラーメン「明星ラーメン」の当時のCMソングである。
「明星ラーメン」は明星食品が1962年に発売した即席ラーメンだった。1958年に日清食品が発売した即席ラーメン「チキンラーメン」は麺そのものに最初から味付けがされており、それに追随した他社製品もすべて味付け済みの麺が使用されていたが、この「明星ラーメン」は粉末スープを別添にした初の即席ラーメンだったのである。
 ミッキー・カーチスと松島トモ子が歌うCMソングの元歌詞はこんなショートストーリーになっていた。雨が降ってる日曜日、坊やが転んだようで道端で泥んこになって泣いている。なぜ急いだのかを坊やに尋ねると「明星即席ラーメン、パパと一緒に食べたいの!」と坊やは言うのである。
 ということで星真一少年がテレビっ子であることはこの初登場シーンの一コマでじつに良く理解できたが、彼がこのときなぜこの3つのCMソングを歌っていたのかは謎である。あるいはそこに意味などまったくなかったのかも知れないが......。

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「明星ラーメン」の新聞広告(1963年6月)。CMソングを募集しているが、もしかしてこの入選作があの「♪雨が降ってる日曜日~」の歌だったのか?

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1964年10月の「明星ラーメン」の新聞広告。今も昔も冬はやっぱりインスタントラーメンですね!

◎戦国時代の少年がCMソングを歌う!?

 さて今回は1960年代に発表された手塚作品の中からもうひとつ、当時の人気CMソングが引用されているマンガがあるので紹介しよう。1967年から68年にかけて、こちらも『W3』と同じ雑誌『週刊少年サンデー』に連載(第2部は『冒険王』に移って連載)された『どろろ』である。
『どろろ』は現在、新作のテレビアニメが人気放送中であるが、その原作マンガの中で、どろろがテレビのCMソングを歌っていることはあまり知られていない......。
 時は戦国時代。48匹の魔物に体の48ヵ所をうばわれた青年・百鬼丸。彼が妖怪を1匹倒すごとに奪われた体の一部が戻ってくる。そしてその百鬼丸の腕に仕込まれた刀が欲しくて彼の旅にくっついているのが泥棒少年のどろろだった。
 そのどろろが鎧を着た足軽との戦いの中でCMソングを叫ぶのは、第10章「ばんもんの巻」である。ある村へやってきたどろろと百鬼丸。その目の前に謎の巨大な板壁がそびえ立っていた。その周囲に渦巻く妖気。
 間もなくしてどろろは、村が戦争に巻き込まれそうなことを知り、それを知らせようと村へ走る。その目の前に鎧を着た足軽が立ちはだかった。そこで争いとなった中でどろろが叫ぶのが次のセリフである。
「大きいことはいいことだ ホイ!!」
 これは森永製菓が1967年に発売した「エールチョコレート」のCMソングである。

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戦国時代を舞台とした妖怪マンガ『どろろ』で、少年どろろが歌ったCMソングとは......!? ※画像は講談社版手塚治虫漫画全集『どろろ』より(以下同)

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丘の上にそびえる巨大な板壁「ばんもん」。どろろはここでこのばんもんによって家族と離ればなれになってしまった少年・六助と出会う

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戦が始まり、足軽に取り囲まれたどろろ。そこで飛び出したのが、下段右したのコマのセリフ「大きいことはいいことだ ホイ!!」というCMソングの歌詞だった

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「大きいことはいいことだ」の言葉通り、どろろは驚異的な大声で足軽たちを蹴散らす!

◎小柄などろろが大きく叫ぶ!!

 同社の公式サイトによれば、1967年にカカオ豆の輸入価格が下がったことで、大型の板チョコ「エールチョコレート」の発売を決めたのだという。従来の板チョコよりもひと回り大きくて値段は一般的な50円!
 そしてこの「エールチョコレート」のCMに起用されたのが、当時タレントとしても人気だった指揮者で作曲家の山本直純だった。CMでは気球に乗った山本が、富士山をバックにゴンドラから身を乗り出し、「大きいことはいいことだ ホイ!!」と歌う1300人のコーラス歌手を指揮していた。ちなみに曲を作曲したのも山本である(作詞は村瀬尚)。
『どろろ』では、足軽がどろろに刀で斬りかかりながら「こ このチンピラめっ!!」「大ミエきりやがって!!」と言った言葉に対し、体の小さいどろろが「大きいことはいいことだ ホイ!!」と言って茶化す。
 さらにその後のコマでは、どろろがコマからはみ出すほどの大声で叫んで相手をぶっ倒している。まさに"大きいことはいいこと"だったのだ!
 ではまた次回! 1960年代の最後には、何と手塚マンガにテレビ界を揺るがしたお下劣番組のタイトルが登場いたします。果たして何でしょう。お楽しみに!!

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「森永エールチョコレート」1967年9月の新聞広告。エールチョコはほかのチョコレートにくらべると包装がかなり簡素化されており、ここでもコストダウンがはかられていた。だがチョコを山ほど食べたいと常に願っていた子どもにとってはこの大きさこそが最大の魅力だったのだ


黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


手塚マンガあの日あの時+(プラス)

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