没後31年を経た今でも毎月のように新刊が出され続けている手塚治虫マンガの復刻版。しかし最近、復刻される作品の傾向が以前とは少し変わってきていることにお気づきだろうか。その変化とは何か? そしていま手塚ファンが期待する復刻とは!? 今回から3回にわたり、手塚マンガ復刻の最前線で仕事をする編集者、デザイナー、プロデューサーに話をうかがい、2020年を手塚マンガの復刻新時代と名付け、その秘密に迫ります!! 第1回目の今回は、かつて"復刻をする意味がない"とまで言われていた!?『アドルフに告ぐ』オリジナル版の担当編集者を直撃、刊行までの舞台裏をうかがいます!!
大手出版社から赤本と呼ばれる手塚治虫の幻の旧作が初刊行時の体裁に限りなく近い形で新刊として出版される、いわゆる"復刻版"は2000年以前からポツポツと刊行されてはいた。だがそこへ大手出版社が続々と参入し、復刻版ラッシュが始まったのは2008年からである。2008年、小学館クリエイティブが『おもしろブック版 ライオンブックス』のシリーズ全作を完全復刻して発売。さらに金の星社が、1960年代に鈴木出版から刊行された『手塚治虫漫画全集』10巻の復刻版を発売した。またポプラ社からは、1950年代にあかしや書房から刊行された『手塚治虫漫画傑作選集』7巻が復刻発売された。そしてこれ以後、手塚マンガの復刻版は年を追うごとに出版点数を増やしていったのだ。それがひとつのピークを迎えたのは2012年のことだ。この年にはなんと1年で22セットもの手塚マンガ復刻版が出版されている。
それから8年、かつて幻の傑作と言われた手塚の初期作品はほとんどが復刻版で読めるようになった。そのためここ数年は復刻ラッシュも一段落したように見えていた。ところがである。いま手塚マンガの復刻版にちょっとした変化が起き始めているというのだ。その変化とはいったい何なのか......!?
その謎をさぐるべく、今回お話をうかがうのは、これまで手塚マンガの復刻版を数多く手がけ、2020年3月に出版された『オリジナル版 アドルフに告ぐ』で編集担当を務めた国書刊行会の樽本周馬さんである。
樽本さんは1974年奈良県の出身。2000年に国書刊行会へ入社し、2009年より同社の〈手塚治虫オリジナル版復刻シリーズ〉以降の手塚マンガ復刻シリーズの編集を手がけてきた。その他の担当書籍には『映画監督 神代辰巳』、『サイレント映画の黄金時代』などの映画本がある。
手塚マンガの復刻に関して充分な経験を持つ樽本さんだが、『アドルフに告ぐ』にはこれまでの復刻と異なる点があった。それは『アドルフに告ぐ』が、かつて"復刻する意味がない作品"と言われていたことだ。それはいったいどういうことなのか!? さっそく樽本さんにお話をうかがおう!!
「手塚ファンの皆さんがよくご存じの通り、手塚先生は雑誌に連載された作品を単行本化する際に大幅な描き変えをおこなうことで有名です。
思い入れの強い作品ほど大幅に修正されることが多く、『アドルフに告ぐ』も手塚先生の愛着が特に強い作品のひとつでした。そのため単行本化の際には全編にわたってセリフの変更やコマの入れ替えなどが行われています。とくにラストは単行本化の際に20ページ分の描き足しがあり、読み終えた後の印象がまるで違います。
今回の企画は濱田さん(黒沢注:濱田高志氏=アンソロジストで、手塚治虫の復刻マンガの企画・編集を多数手がける)から提案していただいたもので、私は本作を単行本でしか読んだことがなかったのですが、初めて雑誌連載版を全編読んで、ここまで違うのかと衝撃を受けました」
それを聞いただけでも手塚ファンとしてはぜひ両方を読みくらべてみたくなります。ところが"復刻する意味がない"というのはどういうことでしょう。
「"『アドルフに告ぐ』の雑誌版は復刻しない"とおっしゃっていたのは、2016年に急逝された、手塚プロ資料室長の森晴路さんです。森さんは資料室長として全ての手塚マンガの復刻に関わっておられましたが、その森さんがいつも大切にしておられたのが手塚先生の作品に対する思いでした。
手塚先生は単行本で加筆をしたものがその作品の完成形だと思っておられました。連載時には描ききれなかったものが単行本で補完されたということですね。ただし、単行本版では雑誌版を全編描き変えたり大幅削除したりしているので、雑誌オリジナル版を刊行する価値と意味がある。そして、アドルフの場合は削除よりも加筆が多いので、森さんとしては、雑誌版を出す意味はあまりないという考えだったんだと思います」
樽本さんがおっしゃる通り、じつは黒沢も2015年に手塚マンガの復刻について森さんから話をうかがった際に、これと全く同じ話を聞いている。以下、森晴路さんの当時のお話の一部を引用しよう。
「ぼくは必ずしも絶版本を初版当時のままの形で復刻するのがベストだとは決して思っていないんですよ。(中略)
それからこれは後期の作品ですが『アドルフに告ぐ』は例によって単行本化の際に大幅に加筆修正されていて、雑誌連載時とは内容が大きく変わっているんですね。しかも単行本の方が完成度が高い。そうなると資料的な価値は別にすると、雑誌連載時のものをオリジナルとして復刻することにどれだけの意義があるのかということです」
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・手塚マンガあの日あの時 第38回:手塚マンガ・復刻の源流を探る!!
再び樽本さんに話をうかがおう。
樽本さん、ではなぜ今回、その『アドルフに告ぐ』を雑誌連載時の「オリジナル版」として刊行することにしたのでしょうか。
「先ほども言いましたように、雑誌連載版を読んでみてすごい衝撃を受けたんです。連載1回ごとの工夫がすごいんですよ。毎回わずか10ページの中に盛り上がりがあって、ラストではしっかりと引きがつくられていて。
単行本版ではそうした部分が修正されていて、またエピソードの順番もかなり異なっています。両者を読み比べてみるとこれはまったくの別作品だと、そう思ったんです。
それも森さんがおっしゃっていたようにマニアや研究者向けのものとして価値があるというだけでなく、一般のファンも楽しめるんじゃないかなと。
それで今まで実現されていなかったオリジナルの大判サイズ(B5判)で箱入りの愛蔵版として、手塚先生の生誕90周年という節目に刊行する作品としてふさわしいのではないか、と手塚プロに企画を出させていただきました。実際は発行が遅れて90周年には間に合わず大変申し訳なかったのですが......。
企画提出のときに手塚プロでお力添えをいただいたのが手塚プロ出版局長の古徳(稔)さんと資料室の田中(創)さんでした。かつて資料室の森さんが"復刻しない"とおっしゃっていた作品ではありますが、濱田さんと一緒に「オリジナル版」刊行の意義を説いて、おふたりにはご理解をいただきました。そして最終的に古徳さんから「出版OK!」のお返事をいただいたのです」
こうして国書刊行会の『アドルフに告ぐ オリジナル版』の編集は始動した。樽本さんのお話は続きます。
「ここで誤解のないように申し上げておきたいのは、森さんが亡くなったから、森さんがやらないとおっしゃっていたものをやっちゃえ、ということでは決してないということです。現在、手塚プロの資料室は森さんの後任として田中創さんがおひとりで切り盛りされています。今回の企画はその田中さんの全面的な協力がなければ実現しませんでした。そしてその田中さんの復刻に対する考え方、見方というのはやはり森さんとは異なるものなんです。それは森さんの否定ではなく、田中さんなりの新しい視点といいますか、手塚マンガの新たな価値を引き出すという考え方でもあるわけです。
言い換えれば手塚治虫作品というのはそれくらい大きなものであって、別の視点から見ることでまた新たな価値が発見される、奥が深いものなんだと思います」
復刻版の刊行によって作品に新たな価値を与える、というのは手塚マンガの復刻に長くたずさわってこられた樽本さんならではの鋭い意見だろう。刊行後の反響はどうだったのだろうか。
「おかげさまで売れ行きは好調です。最近はネットやSNSですぐに反応が見られるのがありがたいですね。そこで見られた感想では、まず本の大きさに驚いたという方が多かったですね。雑誌版と同じB5判で箱入り3分冊+別冊ですから。実際、手に取っていただけるとズッシリとした重量感があります。
あとは絵の鮮明さに感動したという意見もありました。小さな単行本だと細かい線がつぶれてしまっていたものが鮮明に見えると。そこは印刷だけでなく紙質にもこだわりましたのでうれしかったです。
それとうちの本はたいへん高価なので意外に思われるかも知れませんが、今回の『アドルフ』はけっこう若い方にも買っていただいているようなんです。文庫版で小さかったアドルフ・カミルが大判で鮮明に見られてうれしい、という感想もありました。
じつは2013年に「手塚治虫トレジャー・ボックス」のひとつとして出した『どろろ』でも同じような現象がありました。トレジャー・ボックスの『どろろ』も18,000円+税という高価な本だったんですが、2019年にテレビで新作アニメが放送されたところ急に注文が来て品切れになってしまいました。
このときも"どろろ"と"百鬼丸"のキャラクターのファンの方たちが、単行本だけでは物足りない、内容が違うという雑誌版も欲しいということで大人気になったという経緯がありました」
売れ行き好調となると気になるのは次の企画だが、国書刊行会では次の手塚マンガ企画の構想もあるのだろうか。
「まだ仮タイトルですが『手塚治虫大人漫画大全』というものを準備しています。これは手塚先生の大人漫画を集めた作品集です。大人漫画といっても劇画タッチの作品ではなく『フースケ』とか『人間ども集まれ!』のような風刺漫画タッチの作品ですね。こうした大人漫画作品には単行本に未収録のものがまだ数多くあるんです。また単行本化されている作品でも、元はフキダシのセリフが先生の手書き文字だったものが活字に置き換えられているので、雑誌の書き文字版を再現します。先生の書き文字は、ファンの方はご存じだと思うのですが、すごくいい味なんですよね。相当分厚い本になる予定です。
この企画は私が考えまして、かつて資料室の森さんに打診したことがあったんです。そのとき森さんから「売れないからやめておけ」と言われました(笑)。
でも私はやっぱり手塚治虫の大人漫画が大好きなものですから、どうしてもやりたいということで、じつは『アドルフに告ぐ』と一緒にこの『大人漫画大全』企画を出して通していただいたのです。こちらも生誕90周年には間に合いませんでしたけど......」
樽本さんのお話は続きます。
「この大人漫画大全企画にしても、森さんは本当に親切心で「売れないよ」と言ってくれたと思います。森さんはもちろん手塚大人漫画を否定するわけではなくて、講談社版の全集などでも大人漫画はあまり売れなかったというデータをお持ちだったわけですね。ただ、別の出し方をすればまた違う読者がいるのではないかと思うのです。やっぱり雑誌版はいいよね、という読者がいると。それに手塚マンガはとにかく膨大な量がありますので、まだまだ発掘され尽くしていない魅力が潜んでいるはずなんです。
実際、手塚先生の原稿はいまだに新発見とかされているでしょう。幻の作品が見つかったとか、全集未収録作品がまだあった、とかね。驚きますよね。
雑誌版オリジナルを別作品として読むというのも、これまであまりなかった楽しみ方だと思うんです。今までは単行本版で読んでそれで終わりでした。
でもたとえば音楽の世界だと、ビートルズのアルバムは40周年、50周年の時に昔のセッションやデモバージョンなどをすべて集めた完全盤が出ますよね。
マンガにもそういう楽しみ方があるというのが最近ようやく分かってきたのではないかと思うんです。私も小学生の時からの手塚ファンですので、ファンとしては手塚マンガはビートルズと同様に作品のすべてのバージョンを知りたいし持っておきたい。それは皆さん同じ思いでしょう?ということで復刻シリーズを続けています」
樽本さん、ありがとうございました!
樽本さんのお話をうかがって今の手塚マンガの復刻版が持つ意味というのがよく分かった。最近の復刻版は、コレクション的な価値や資料的な価値があるだけではなく、その作品にもう一つの新たな魅力を加えるものだったのである。
さて次回は、『アドルフに告ぐ オリジナル版』を始め、ここ数年、手塚マンガの復刻版カバーデザインを数多く手がけている気鋭のブックデザイナー米川裕也さんに話を聞きます。復刻版のもたらす新たな価値について米川さんは何を思い、デザイナーとしてそれをどうデザインに反映させているのか、その秘密に迫ります。お楽しみに!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
手塚マンガあの日あの時+(プラス)
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