2020/12/18
写真と文/黒沢哲哉
手塚治虫の代表作のひとつである『鉄腕アトム』。このマンガが大ヒットしたのは1950年代から60年代にかけてのことだ。そのころ手塚は雑誌連載を複数抱え、超多忙をきわめていた。だが多くの読者が心待ちにしている人気作品『鉄腕アトム』の連載を止めるわけにはいかない。そこで有名無名数多くのマンガ家がピンチヒッターとして『鉄腕アトム』の執筆を手伝った。今回から3回にわたり、そんな『鉄腕アトム』の代筆作家を深堀りしてみることにした! 子どもたちが『鉄腕アトム』に夢中になっていたあのころ、舞台裏でどんな人々が手塚治虫を助けていたのか、こっそりと覗いてみよう!!
『鉄腕アトム』といえば少年ロボット・アトムが大活躍する手塚マンガの代表作である。その最初の連載は光文社の雑誌『少年』1952年4月にから始まり同誌の休刊号である1968年3月号まで続いた。
『鉄腕アトム』の連載が始まったのは、手塚が東京の雑誌で本格的に活動を始めてまだ数年しかたっていない時期である。常勤のアシスタントはおらず作品の執筆は手塚がすべてひとりでやっていた。そしていよいよ締め切りが厳しくなってくると、若手のマンガ家やマンガ家の卵に臨時で応援を依頼していたのだ。
そうして手塚マンガの執筆を手伝った人の中には、その後超大物作家となった人も少なくない。
そんな時代に『鉄腕アトム』の助っ人として駆り出された代筆作家のひとり目を紹介しよう。その人物は当時まだプロのマンガ家ではなく、マンガ家目指して雑誌にせっせと投稿を続けている高校生の少年だった。その少年の名前は小野寺章太郎、後の石森章太郎(石ノ森章太郎)である。
電話も普及していなかった当時、手塚は宮城県在住の小野寺少年に電報でアシスタントを依頼、ほどなくして詰め襟の学生服を着たニキビ顔の少年が上京してきた。
その時、手塚が彼に依頼したのは、『少年』55年1月号に別冊付録として付けられる予定の「電光人間の巻」で背景を描いてもらう仕事だった。ここからの経緯は後年の石ノ森のエッセイから引用しよう。
「二年の春。
突如、手塚先生から電報が舞い込む。シゴ トヲテツダ ツテホシイという。尊敬する人気マンガ家からのアシスタント依頼! 驚喜して直ぐさま(学校を休み)上京。(中略)
手伝うのは[鉄腕アトム]の附録"電光人間の巻"だという。
しかし、待機するも──肝心の原稿が中々届かない。担当編集者の話から推察すると、どうやら他社の別の原稿と並行で描いているらしい」
小野寺少年は学校を休んでまで上京しているのに、こうしてほとんど仕事を手伝えないまま時間だけが過ぎていった。そして数日が経過したところで学校のことが不安になってきた小野寺少年は編集者にこう切り出した。
「...何枚か下描きを纏めてもらって、それを持って家へ帰りたいんですが......。家でやって、出来次第すぐに返事しますから...。実は──明後日から中間テストがあるんです」(石森章太郎著『章説・トキワ荘・春』(1981年、スコラ/講談社刊)
こうして小野寺少年は手塚の下描きを持って宮城へ帰っていった。ところが締め切りが迫っても一向に小野寺少年から原稿が届かない。心配しているところへようやく届いた原稿を見て手塚は驚いた。原稿には背景だけでなく人物までしっかりとペン入れがされていたのだ。
一部の絵は手塚があわてて描きなおしたようだが、小野寺少年の絵になる部分も多々残されており、『鉄腕アトム』「電光人間の巻」は、期せずして手塚治虫と(後の)石ノ森章太郎との合作となってしまったのである。
石ノ森章太郎は前出のエッセイの中で、後日談をこう記している。
「アトムやヒゲオヤジまでペン入れされた返送原稿を見て、いやァタマゲタ、と言うのを後に聞く。かえって大変だったのだ、とも──。それはそうだろう。クセの強い石森アトム、石森ヒゲオヤジでは、なおさざるを得ないのだから......」
さて、続いてもうひとり、後の大物マンガ家が作画を手伝った『鉄腕アトム』を紹介しよう。その大物マンガ家とは横山光輝である。横山光輝が手伝ったのは1956年8月号から11月号にかけて連載された「ミドロが沼の巻(連載時タイトル:美土路沼事件の巻)」だ。
横山光輝はこの前年の1955年3月に単行本『音無しの剣』(東光堂)でデビューしたばかりの新人だったが、それ以前にもいくつかの短編を発表しており、手塚もその才能にはすでに注目していた。
そして同年、手塚が過去に描いた短編『ターザンの洞窟』『海流発電』『黄金都市』の3作品を横山がリメイクして雑誌『少年』に発表するという、手塚としては異例の"合作"も行っていた。
その横山に「ミドロが沼の巻」の応援を依頼したのも彼を十分に信頼していたからだろう。横山はこの依頼をそつなくこなしたようだ。この当時の横山の絵は手塚の影響がかなり強く残っていたから、予備知識なく見ていたら横山が手伝っていることすら気づかないだろう。
だがそのつもりで各コマを詳細に見ていくと、後の横山タッチに通じる人物や風景が随所に見られて楽しい。横山ファンの方はぜひ各コマを凝視して彼の手になる絵を探してみていただきたい。
この「ミドロが沼の巻」の仕事ぶりから、恐らく手塚は横山がまだ新人のうちは、今後も『アトム』の作画を手伝ってもらいたいと考えていたに違いない。
ところが横山は「ミドロが沼」を手伝った翌年『少年』1956年7月号から『鉄人28号』の連載をスタートさせた。するとこの作品がたちまち大ヒットし『鉄腕アトム』と並ぶ『少年』の2大看板作品のひとつとなった。
そのため横山が『鉄腕アトム』を手伝ったのは、後にも先にもこの「ミドロが沼の巻」ただ1話きりだったのである。
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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