2021/11/19
写真と文/黒沢哲哉
『手塚治虫とトキワ荘』や『アニメ大国建国紀 1963-1973』などを著した中川右介という作家がいる。中川氏の著作がユニークなのは、徹底した文献調査によって、埋もれていた"歴史の真実"や、誤って後世に伝わってしまった"伝説の真相"などを次々と明らかにしていることだ。我々「あの日あの時+(プラス)」調査隊は中川氏本人を直撃し、その執筆手法の秘密をうかがってきた!!
東京の巨大ターミナル駅新宿。我々「あの日あの時+(プラス)」調査隊は、ここからJR中央線に乗って数駅目のO駅で下車、駅前からバスに乗り込んだ。
バスは対向車とすれ違うのがやっとという狭い住宅街の中の道を、右へ左へとうねるように車体を揺らしながら走り抜けていく。
やがて目的地のバス停に到着、バスを降りると目の前に中川右介氏が立っておられた。バスの到着時間を見計らってわざわざ出迎えてくださっていたのだ。
「わざわざ来てくださってありがとうございます。さあ、どうぞどうぞ」
中川氏は気さくにそう言って、我々を仕事場へ招き入れてくれた。
中川右介。1960年東京生まれ、出版社勤務を経てその後自身でも出版社を経営。現在は文筆家として幅広いジャンルで執筆活動を続けている。
今回、われわれ「あの日あの時+(プラス)」調査隊が中川氏のお話をうかがいたいと思ったのは、数多く出版されている手塚マンガ研究書や作品論、作家論の中でも、中川氏の執筆スタイルが非常にユニークなものだからだ。
その執筆スタイルとは「文献資料をひたすら読み込むことで伝説の向こう側にある真実を浮かび上がらせる」というものだ。
手塚治虫とともに仕事をした編集者やアシスタント、作家仲間が年々減っていき、手塚マンガをリアルタイムで読んでいた読者も少なくなっていく中、今後、手塚マンガを語りたい、手塚治虫を研究したいという若い人が出てきた時に、中川氏の執筆手法というものが大いに参考になるのではないかと思うのだ。
玄関のドアを開けて中へ入ると、すぐ目に飛び込んできたのが講談社版手塚治虫漫画全集の整然と並べられた書棚だ。刊行当時、書店に予約して購入していたものですべて初版だそうだ。
さらに応接室へ案内されると、こちらには窓際に手塚マンガの復刻版が積み上げられていて、その中には希少な限定版も含まれている。手塚ファンとしてはこの本のラインナップを見ただけで「おぬし、できるな!」というライバル意識が目覚めてきて、ついついコレクター談義を始めたくなってしまう。だがここはぐっとこらえて話を本題に戻そう。
中川氏のマンガやアニメに関する著作は多いが、今回メインでお話をうかがうのは2019年に出版された『手塚治虫とトキワ荘』(集英社刊、※2021年集英社文庫版も発売)だ。この本はタイトル通り、かつて東京都豊島区椎名町(現・南長崎)にあったアパート「トキワ荘」を軸として日本の戦後マンガ史の一断面を描いた本である。
トキワ荘は昭和28(1953)年に手塚治虫が最初にここへ入居したことで、その後、手塚を慕う多くの若きマンガ家たちが暮らすようになった。当時ここに住んでいたのは寺田ヒロオ、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石森章太郎(石ノ森章太郎)、赤塚不二夫など、後に日本のマンガ黄金時代を担うことになる人々だ。そしてトキワ荘はやがて「伝説のマンガアパート」と呼ばれるようになった。
だが有名になったことでトキワ荘にまつわる伝説は事実とフィクションが入り乱れ、どれが真実でどれが創作なのかが分かりにくくなってしまった。
中川氏はそれを膨大な文献や資料を読み込んでひとつひとつ丹念に検証していくことで、伝説に埋もれたトキワ荘の真実の姿を浮かび上がらせていったのだ。
2段組で総ページ数384ページ。かなりのボリュームの本であるが、読み進めるごとに新たな発見があり、非常に密度の濃い本だ。
まずは中川氏に、この本の企画の発端からうかがおう。
「ぼくは2017年に集英社から『江戸川乱歩と横溝正史』という本を出しまして、その後で担当編集さんと、次は何をやりましょうという打ち合わせをして、その中で「トキワ荘はどうだろう」という話が出てきたんです。
ただ『江戸川乱歩と横溝正史』のときは、乱歩も横溝も集英社からはほとんど本を出されていなかったので(しがらみがないため)わりと自由に書けたんです。でもトキワ荘がテーマとなると、集英社には「手塚賞」と「赤塚賞」というマンガ賞がありますし、ご縁が深いですからね。執筆する上で不自由があるかも、と覚悟していました。でも結果的には関係者の方々が皆さん好意的で何の不自由もなく書くことができました」
企画が決定すると、中川氏は先ほども紹介したようにまず文献資料を集めるところから仕事を始める。
「この本のときは、編集者の書いた本などのいわゆる関連書籍を集めるところから始めました。マンガ作品そのものは、すでに多くの作品を読んでいたし手元にありましたので、必要に応じて内容を確認するだけで、あらためてすべてを読み返すということはしていません。未読だった作品は入手して読みました」
中川氏に限らず、作家やライターならば文章を書くときに関連した資料を集めるというのは誰でもやることだ。だが中川氏の場合、その資料の範囲が驚くほど広く、また読み込み方も深い。『手塚治虫とトキワ荘』の場合、巻末に収録された「参考文献」のリストは何と2段組6ページにも及んでいる。これらをすべて読み終えてから執筆をスタートさせるのだろうか。
「いえいえ、このときは大体3分の2くらい読んだところで書き始めましたね。書いていくうちに足りない部分が出てきますので、そうしたらまた買い足すという感じです。
ただしこの3分の2というのは最初から3分の2だと分かっているわけではなくて、原稿を書き始める時点では、資料はこれで十分と思ってスタートしているんです。でも結果的にはあと3割くらい不足していたということです」
資料を読み込んでいくと、中川氏の頭の中には少しずつ大きな歴史の流れの全体像が浮かび上がってくるのだという。そしてその流れの中に不明な点や矛盾点があれば、さらに別の資料に当たってそれらの穴をひとつひとつ埋めていく。
「たとえばある人物ともうひとりの人物の証言を並べると双方の日時が矛盾してしまう、というのはよくあることです。トキワ荘の場合も、ある出来事があったのは事実だけれども、それが何年何月のことだったかがはっきりしない。
でもマンガの場合、ありがたいのは作品という確たる証拠があることです。そのマンガが何年何月号に載ったのかというのは動かぬ証拠ですから、それに矛盾するものは勘違いだと断定できるんです。
一例を挙げると石ノ森章太郎が高校生のころに手塚治虫の『鉄腕アトム』「電光人間の巻」の作画を手伝ったという有名なエピソードがあります。これについては手塚先生も石ノ森先生もそれぞれがマンガやエッセイに書かれていますが、この時期がおふたりの記述で半年以上ずれているんですね。
だけど雑誌『少年』の別冊付録として「電光人間」が刊行されたのは1955年1月号だという動かぬ証拠があるわけです。そこから逆算すれば、雑誌の発売は12月の上旬で書かれたのは10月か11月中に間違いないというというのはおのずと分かってくるわけです。石ノ森先生は「(執筆を手伝ったのは)一学期の中間テスト前」と書いているけれど、実際は二学期だったということになる。
アリバイ崩しじゃないけれども、こうして「あなたがこの作品を書いたのはこの時期のはずだよ!」と言って事実を突きつけるわけです(笑)」
また中川氏は、資料を読み解く際にはその著者の性格や、その資料が執筆された背景なども理解しておく必要もあると言う。
「手塚先生は話を大きく盛って書かれる傾向がありますね(笑)。石ノ森先生は日時に関してはあまり気にされない性格です。赤塚先生はエッセイや自伝をいくつか出版されていますが、じつはほとんどが長谷(邦夫)先生の代筆だったと言われています。このあたりでもいろいろと齟齬がありまして......。
赤塚先生のエッセイ『ギャグほどステキな商売はない』に「学童社のカレー事件」というのが出てきますが、これも複数の資料を総合すると、どうやら長谷先生の創作だったというのは明らかです」
学童社のカレー事件というのは1955年に『漫画少年』を発行していた学童社が倒産したとき、それを聞きつけた赤塚と長谷が編集部へ駆けつけたところ、編集者とマンガ家の永田竹丸が泣き笑いしながらお互いにカレーをぶつけ合っていたというエピソードである。
中川氏は言う。
「そもそもトキワ荘の先生たちというのは皆さん話を面白くする天才じゃないですか。だからついつい話を面白くしちゃっているわけですね。誰もウソをつこうとかだまそうとかしているわけじゃないんです。もちろん何かを隠そうとしているわけでもない。なのでその人たちの自伝の面白おかしい部分が本当にどこまで本当なのかというのはきちんと見極めないといけないんです」
こうして書かれた『手塚治虫とトキワ荘』を読むと、トキワ荘がじつはとても静かなアパートだったことがよく分かる。
たとえば藤子不二雄Aの『まんが道』やテレビドラマなどで描かれたフィクションを見ると、トキワ荘は中川氏の描写とは対象的にいつもワイワイとにぎやかな印象がある。狭い四畳半の部屋に全員がギュウギュウ詰めで集まってトキワ荘名物のチューダー(焼酎のサイダー割り)を飲みながら熱いマンガ論を戦わせたり、仲間に蝋細工のピーナツを食べさせるいたずらを仕掛けたり。あるいは和服に袴をはいて侍の扮装をし、8ミリカメラで映画作りの真似事をしたり......。
だが『手塚治虫とトキワ荘』にはこうした面白おかしいエピソードはほとんど引用されていないのだ。これについて中川氏は......、
「もちろん、これらの面白おかしい出来事がウソだったとは言いませんが24時間それをやっていたわけではないですよね。それにマンガと文章の違いはありますがぼくもものを書く仕事ですから、トキワ荘の先生方がだいたいどのような生活をされていたかは想像できるんです。あのころの作品量から考えると、1日24時間のうち食べるときと寝るとき以外の20時間近くは机に向かっていたのではないか、とかですね。
映画やドラマと違って自分だけで作品を描き上げなければいけない仕事ですから、孤独といえば孤独ですよね」
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
手塚マンガあの日あの時+(プラス)
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