2022/09/09
写真と文/黒沢哲哉
前回取り上げた「SFブーム」が作品のシチュエーションにフォーカスしたブームだとすれば、「美少女ブーム」現象とは「キャラクター愛」の隆盛といえるのではないだろうか。多くのクリエイターにとっても、キャラクターへの愛は作品を生み出す力となっていく。
今回は、1971年の『ふしぎなメルモ』のメルモちゃんを嚆矢として、ブームのさなかに次々と登場した代表的キャラクターやクリエイターたちを振り返ってみました。
前回、前々回のコラムで書いてきたように、美少女マンガ・アニメブームがピークとなったのは1980年代前半のことだ。けれどもその伏線は、すでに70年代初頭から始まっていた。
71年10月、手塚治虫原作のテレビアニメーション『ふしぎなメルモ』の放送が始まった。制作は手塚プロダクション。この作品は元々手塚が幼年向けの雑誌に発表した『ママァちゃん』という作品が原作であるが、アニメでは対象年齢を小学校中学年以上に上げて性教育の要素を取り入れた"性教育アニメ"として製作された。
母親を交通事故で亡くし、幼い2人の弟とともに孤児となった小学3年生の少女メルモ。そのメルモを心配した母親の霊が、天国の神様にお願いし、メルモに不思議なキャンディを手渡す。そのキャンディは食べると年齢を自由に変えられるミラクルキャンディだった。
もとは幼年誌に掲載された作品のため、メルモのキャラクターはアニメの設定年齢以上に幼く見え、それがキャンディを食べることでセクシーな大人に変身する。これは後の美少女マンガ・アニメに通じる主人公のルーツと言ってもいいだろう。
ということで、諸説あるとは思うけど、ぼく(黒沢)の見解では、70~80年代にかけての美少女マンガ・アニメの系譜はこの『ふしぎなメルモ』あたりがスタート地点だったと考えている。
また手塚はこのころから後の美少女マンガブームに通じるキャラクターを何人も誕生させている。それもなぜかそのほとんどが、後に『プライム・ローズ』を発表することになる『週刊少年チャンピオン』誌上でのことだった。
その最初の作品が70年に発表された『やけっぱちのマリア』だ。等身大のラブドールに、亡くなった少女の魂が宿るというお話で、元がラブドールということでしょっちゅう全裸になるマリアは、もしも80年代の美少女マンガブームのころにデビューしていたら、間違いなくブームの中核を担うキャラクターとして人気を得ていただろう。
続いて70年から71年にかけて連載された『アラバスター』(70~71)。ここに登場したのは体が透明な少女・亜美。物語の前半では幼女として登場した彼女が少しずつ成長していく姿が何とも艶めかしい。
『ブラック・ジャック』(73~78)のピノコは皆さんご存知だろう。元々は畸形嚢腫として排除される運命だった臓器だけの女性。その女性にブラック・ジャックが人工の体を与えて甦らせたのがピノコだった。ちなみにこのピノコという名前は童話のピノキオから取ったということを手塚は後年語っている。
そして『ドン・ドラキュラ』(79)に登場した、ドラキュラ伯爵の娘で吸血鬼の美少女チョコラ。頼りない父親に対して母親のように振る舞うこともあれば、その一方でミーハーな一面もある。これもまた美少女マンガブームのころに最も愛された少女キャラの原型と言っていいだろう。
このように手塚マンガの中には、70年代初期から継続的に美少女キャラが登場していたが、いずれも主人公ではなくサブキャラクターだったため、発表当時、彼女たちが単独で注目されることはあまりなかった。
しかし70年の後半になると、いよいよ美少女マンガ・アニメブームの芽が大きくふくらみ始める。
77年5月、サブカルチャー誌として創刊したばかりの雑誌『月刊OUT』(みのり書房)が、その創刊第2号で『宇宙戦艦ヤマト』を特集した。そしてこのとき特集の冒頭を飾ったのはヤマトでも主人公の古代進でもなく、ヒロイン森雪のセクシーショットだった。この特集が話題となり『宇宙戦艦ヤマト』の劇場公開へ、そしてその後のヤマトブームへと続いていくことになる。
78年9月には『週刊少年サンデー』で高橋留美子の『うる星やつら』の連載がスタートした。主人公ラムちゃんの着る虎縞ビキニの水着は、この数年後にコミックマーケットでのコスプレが流行すると、コスプレイヤーの定番のコスプレキャラとなる。
さらに同じ月、みのり書房から『月刊OUT』の兄弟誌としてSFマンガ専門誌『月刊Peke(ペケ)』創刊。吾妻ひでお、内山亜紀(当時は野口正之名義)がSF+美少女マンガを寄稿。
またこのころ、美少女マンガ・アニメブームの胎動と時を同じくして美少年マンガのブームも始まろうとしていたことにも注目しておくべきだろう。
78年10月、サン出版(現マガジン・マガジン)から美少年マンガ雑誌『COMIC JUN』創刊。竹宮惠子、木原敏江、大島弓子らが寄稿。創刊3号(79年2月号)からは『JUNE(ジュネ)』と改題し、その後の美少年マンガブームの中核雑誌となっていく。
79年12月、宮崎駿監督の映画『ルパン三世 カリオストロの城』公開。公開当時は興行的にはあまり振るわなかったが、一年後の80年12月にテレビで放送されたあたりから、この作品に対する再評価が始まり、美少女アニメブームのひとつの起爆剤となっていく。そしてこの映画に登場する少女クラリスは、やがて美少女アニメブームを代表するヒロインとなっていったのだ。
ちなみにこの作品の中でクラリスと強引に結婚式を挙げようとするカリオストロ伯爵に対し、主人公のルパンが「ロリコン伯爵!」と呼ばわる場面がある。このルパンのセリフが、アニメファンの間で"ロリコン"という言葉を一般化するひとつのきっかけになったとも言われている。
またアニメのキャラクターに対して実在の人物のようなファン感情や恋愛感情を抱く「二次元コンプレックス」という概念もまた、このクラリスから広まったという説もある。
80年代に入ると、それまで静かなブームでしかなかった美少女マンガ・アニメブームが、広く世間にも認知され始める。
80年6月、内山亜紀の初単行本『気ままな妖精』(久保書店)発売。
81年7月、吾妻ひでおの「純文学シリーズ」と銘打った美少女マンガ作品集『陽射し』(奇想天外社)発売。
81年8月、大阪で開催された第20回SF大会において公開された8ミリフィルムの自主制作アニメーション「ダイコン3 オープニングアニメーション」が話題となった。
これはランドセル型のジェット噴射装置を背負った少女が、さまざまなSFメカやモンスターと戦うというパロディ作品で、わずか5分半ほどのショートアニメだが、戦う美少女の魅力をぞんぶんに描いてSFマニアたちに強烈な印象を与えた。
制作したのは当時大阪芸術大学に在籍し、後にガイナックスを立ち上げることになる庵野秀明、山賀博之、赤井孝美の3人だった。
このSF大会には手塚治虫も参加したが、手塚はオープニングアニメの上映には間に合わず、その日の夜に別室で再上映してもらって見たという。
81年10月、まんがマニア向けの専門誌『ふゅーじょんぷろだくと』が「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」という特集を掲載。吾妻ひでおや内山亜紀など、美少女マンガブームの立役者たちが集まる座談会などが収録された。
これを読むと、まさにこのころからマンガとアニメの作品表現の中で「美少女」というひとつのジャンルが確立していった様子がうかがえる。
さらに翌82年3月、この『ふゅーじょんぷろだくと』の特集に刺激を受けた大塚英志が企画し、徳間書店から刊行されたのが『アップル・パイ 美少女まんが大全集』だった。
そしてこうした流れの中で、82年7月、手塚治虫の『プライム・ローズ』の連載が始まったのである。
だが美少女マンガ・アニメのブームがピークとなった85年9月、マンガやアニメとともに盛り上がりを見せていた実写の少女写真雑誌が当局の摘発を受けた。美少女ブームの中でだんだんと過激さを増していたことに社会的な批判が高まっていたからだ。そしてこの摘発によって美少女マンガ・アニメのブームも沈静化へ向かった。
さらに88年から89年にかけて東京と埼玉で連続幼女誘拐殺人事件が発生し、89年7月にその犯人が逮捕されると、犯人の男がアニメと特撮のマニアだったことが判明。以後、世間からはオタクとロリコンが激しいバッシングにさらされた。
その後、子どもを性的搾取や性被害から守ろうという世界的な意識の高まりから、かつてのような実写の少女写真集やビデオなどは違法化し、規制の対象となる。そのような中でマンガやアニメの中の美少女像は2000年代以降、新たなフェーズを迎えている。
ということで今回のコラムは以上!
次回からはまた新テーマでお送りいたします。それではまた!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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