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手塚マンガあの日あの時+(プラス) 『ブラック・ジャック』再入門 第6回:どん底の時代からのマンガのような復活劇!!(下)

2023/06/09

『ブラック・ジャック』再入門 第5回:どん底の時代からのマンガのような復活劇!!(下)

写真と文/黒沢哲哉

 今年連載開始50周年を迎える『ブラック・ジャック』。本コラムでは『ブラック・ジャック』再入門と題して、改めて魅力を掘り下げています。第5回・第6回では手塚治虫がどのような状況の中で『ブラック・ジャック』を生み出したのかに焦点を当てていきます。


◎虫プロ倒産への序曲!

 さてここで前回の冒頭に書いた、手塚がこの時代に抱えていた2つの重大問題、そのうちのもうひとつの問題、虫プロの経営危機についても見ていこう。

 虫プロは62年に手塚が私財を投じて設立したアニメ制作会社である。翌63年には日本初の連続テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を発表してこれが大ヒットとなる。その後はテレビアニメブームの波に乗って多くのアニメ作品を発表し、一時は社員が550人に増えるほど会社は急成長を果たした。

 しかしじつはその影で、倒産への序曲はもうすでに始まっていた。会社経営に関してまったくの素人だった手塚が社長を勤め、しかもその社長はマンガの仕事に追われてほとんど経営に関われない。そんな状況の中で砂上の楼閣は土台からサラサラと静かに崩れ始めていたのだ。

 以下、手塚のエッセイからの引用だ。

「かげりがでたのは、出版部内のトラブルが最初であった。外部から勧誘した幹部と、スタッフとのあいだにささいなディスコミがあり、それがもつれて、大きな対立になっていった。遺憾なことにオーナーだったぼくはその事情をすこしも知らなかった。しかし事態は悪化していって、トラブルのまま幹部は休職してしまい、社員は組合を結成して闘争を始めたのである」

(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』所収「どん底の季節」より。※初出は1986年、PHP研究所刊『くじけそうになった時に読む本』)

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『鉄腕アトムクラブ』1966年6月号に掲載された「特集 世界の虫プロ」より。虫プロ全盛期の様子が伝わってくる

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『がちゃぼい一代記』トビラ。※画像は平凡社刊『子どもの昭和史 手塚治虫マンガ大全』より

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『がちゃぼい一代記』より

◎社長業とマンガ家のかけもち

 折しも60年代末から70年代にかけては、労働運動が活発な時代だった。虫プロとその子会社の虫プロ商事でも組合が結成されて盛んに労働運動が行われていた。

 そして70年6月 虫プロ商事において、労働争議で業務を停滞させた責任を取って初代社長の今井義章が退陣すると、手塚が虫プロと同時に虫プロ商事の社長も兼務することになった。

 その結果、昼は経営者として従業員との交渉を続け、夜はマンガを描くという生活が1か月も続いたという。手塚は当時をこう振り返る。

「描いていても、当然、身がはいらない。気が集中できない。

 仕上がった原稿を見て、ぼく自身、ああ、絵が荒れてるな、内容が暗いなあと思うことがしばしばだった。事実、この当時の作品は暗澹(あんたん)として救いのないものが多い。読み返すのがつらくなるようないやなムードが漂っている」

(前出のエッセイ「どん底の季節」より)

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1992年、朝日新聞社刊『手塚治虫物語 1960-1989』(伴俊男+手塚プロダクション)より

◎落ち込んだ気持ちが作品にも反映

 手塚の言う通り、この時期の作品を振り返ってみると、たしかに暗い内容の作品が多い。

『ボンバ!』(『別冊少年マガジン』70年9月号~12月号)は、中学生の少年・男谷が人に対する憎しみの気持ちをたぎらせたとき、どこからともなく幻の馬・ボンバが現れて事故を起こしたり街を破壊したりするというお話だ。

 また『ブラック・ジャック』の2作前に『週刊少年チャンピオン』(7012月~71年6月)に連載した『アラバスター』も、この世の美しい人すべてを恨み、その人たちを次々と消し去っていく極悪人が主人公のお話だった。

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『ボンバ!』より

◎人生最悪の日!

 そして7311月、ついに虫プロ倒産の日がやってくるのだが、その前にこの時期の手塚と虫プロの関係を整理しておこう。

 手塚は71年6月にすでに虫プロの社長を退任しており、その後は子会社の虫プロ商事の社長(70年6月~)だけを勤めていた。しかし73年8月22日、その虫プロ商事が4千万円の不渡手形を出し、親会社の虫プロに先駆けて倒産してしまった。

 当時手塚は『週刊少年チャンピオン』に『ミクロイドS』を連載しており、その最終回が掲載されたのがこの年の9月3日号だから、虫プロ商事の倒産は、ちょうどこの号が世に出た直後のことだった。

 つまり『チャンピオン』編集部から短期連載の依頼があったのも恐らくこの時期だったはずで、手塚は自分の会社の倒産という重大事態が起きている最中に『ブラック・ジャック』の構想を練っていたことになる。

◎手塚治虫が行方不明!?

 虫プロ商事に続いてついに虫プロ本体が倒産したのは『ブラック・ジャック』連載第1話が世に出た直後の7311月5日のことだ。皮肉にも手塚の誕生日の2日後である。負債総額は虫プロ商事の10倍のおよそ4億円だった。

 先ほども書いたように手塚はこのときすでに虫プロの社長は退任していたが、退任後も役員に乞われるまま大量の手形にサインをしていたため、個人で多額の負債を負うことになってしまったのだった。

 このニュースを報じた11月6日の『讀賣新聞』には、虫プロ倒産を伝える記事の末尾に「手塚さん所在不明」という見出しでこんな文章が続いている。

「二年前に社長を交代したとはいえ、虫プロの事実上の主催者である手塚さんは五日朝、手塚邸隣の同プロ事務所にちょっと顔をみせただけで、その後は所在不明になっている」

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『讀賣新聞』197311月6日号より

◎虫プロ倒産の日もファンサービスを......

 まるで手塚が債権者からトンズラしたか、絶望して早まったことをしているのではないかと思わせるような悪意のある記事だ。

 では事実はどうだったのか。この日のことを手塚は後年のエッセイでこう書いている。

「ある日、ぼくは所属している漫画集団のサイン会でデパートに詰めていて、一杯飲んで帰った。

 その留守中に記者達が、虫プロ臨終の記事の取材に飛び回っているのを知らなかった。翌日朝刊を見てビックリした。手塚治虫が行方不明だと言う。こいつはマンガになるわいと思った」

(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集2』所収「虫プロ奮戦記」より。※初出は『週刊読売』19731124日号)

 そうなのだ、じつは手塚は虫プロ倒産という人生の岐路ともいうべき日にも、マンガ家としてファンサービスに勤めていたのである。

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1992年、朝日新聞社刊『手塚治虫物語 1960-1989』(伴俊男+手塚プロダクション)より

◎手塚を救った救世主!

 虫プロの倒産によって手塚が負った負債は個人ではどうにもならない金額だった。押し寄せた債権者は手塚のマンガとアニメの権利を要求した。それらを手放せば借金からは開放される。だがそうすれば手塚は手塩にかけて生み出した作品の権利をすべて失ってしまうことになるのだ。

 するとそこへまるでマンガのような展開でひとりの救世主が現れた。大阪で「アップリカ」という育児器具の会社を経営する葛西健蔵である。自身も債権者のひとりだった葛西は、かつて自社の経営が苦しかった時代に鉄腕アトムのキャラクターを入れた商品で経営が立て直せたことがあり、それをずっと恩義に感じていた。そして虫プロ倒産に際し、ピンチに陥っていた手塚のもとへ駆けつけてくれたのだ。

 以下、葛西の言葉を引用しよう。

「なにしろ、手塚氏の場合は、ふつうの会社の破産や倒産とちがって、本人自身が財産なのです。会社の権利を押さえたり、証書を押さえたりということではなく、手塚治虫という個人を押さえれば金になるのです。だから始末が悪い。手塚治虫が描くものがお金になり、すでに持っている版権がお金になるのです。ところがその個人が押さえられてしまうと、手塚治虫はまったくおしまいなのです」

1997年、岩波書店刊、手塚治虫著『ぼくのマンガ人生』所収「「闘争心」が彼の再生の原動力だった──葛西健蔵さん、苦境時代の手塚治虫を語る」より)

◎敗戦処理を一手に引き受け!

 葛西は手塚の版権を一時的にすべて預かり、債権者に土下座をして返済を待ってもらったり、出世払いの約束を取り付けたりした。手塚の実印は手塚の妻の悦子さんに預け、むやみに押さないよう厳重に管理した。こうして少しずつ手塚が暗闇から抜け出すための道筋をつけていったのだ。

 もしもこの葛西の尽力がなかったら、手塚マンガの権利はいまごろどうなっていたのだろうか、考えただけで恐ろしくなってくる。

◎「この人、ほんまに天才や」

 それにしても驚くのは、こんな最悪の状況の中でも、手塚は動じることなくマンガを描き続けていたことだ。

『ブラック・ジャック』は第2話以降も普通に連載を続け、前にも書いたように第4話では初の巻頭カラー、第12話ではピノコ初登場と、本格連載への布石を着々と打っている。

 こうした手塚の仕事ぶりには葛西も目をみはっている。葛西によれば、押し寄せる債権者たちに対して葛西が頭を下げている最中も、手塚は隣のビルで黙々とマンガを描き続けていたのだという。

「怖い債権者が数十人も押しかけて来て、「金を返せ」と迫っているのです。ふつうの人なら、怖くて怖くて、そんなときにマンガを描けるものではありません。私は、債権者の人たちに詫びながら、「この人、ほんまに天才や」と思ったものです」(前出の葛西の談話より)

◎B・Jに続くヒット作が誕生!!

 こうして虫プロ倒産という人生最大の危機を乗り越えた手塚は、『ブラック・ジャック』の連載が軌道に乗った74年7月、『週刊少年マガジン』で新たな連載を開始する。

 超能力を持った三つ目族の少年・写楽保介が活躍する『三つ目がとおる』である。この作品も当初は1話読み切りの月イチ連載だったが、好評だったためにまもなく週刊連載化され、『ブラック・ジャック』と並ぶ70年代手塚マンガの代表作へと成長していくことになる。

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『週刊少年マガジン』1974年7月7日号『三つ目がとおる』第1話

 しかしこの間にも、74年4月には債務整理のために自宅を売却し、借家に転居するなど虫プロ倒産の事後処理は続いていた。

 それでも手塚治虫は、ここに5年以上続いたスランプをようやく抜け出し、ついに完全復活を果たしたのである。

 手塚は葛西に対しては生涯恩義を感じており、79年に発表した『どついたれ』という作品の中には葛西健蔵をモデルとした葛城健二というキャラクターを登場させている。

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『どついたれ』より、葛城健二の登場シーン

◎「いだいな きじん」

 2016年2月、当時90歳の葛西がNHKのテレビ番組『ファミリーヒストリー』に出演し、このころの手塚についてのインタビューに答えた。ただしこのとき葛西は病床にあって言葉が発せなかったため、筆談でのインタビューとなった。

 インタビューの最後、インタビュアーが葛西に「手塚治虫さんはどんな人物でしたか?」と質問すると、葛西はベッドの上で天井を仰ぎながらしばし黙考した後、目の前に掲げられたスケッチブックに、おもむろにこう大書した。

「いだいな きじん」

 偉大な奇人──これはまさに手塚治虫を的確に評した言葉ではないだろうか。

 この翌年の1710月、葛西は91歳で亡くなった。このとき葬儀委員長をつとめたのは手塚プロ社長の松谷孝征だった。

◎かくしてB・Jは永遠の名作に!

 逆境の中で生まれた名作『ブラック・ジャック』。命をテーマとしたこの作品が今も多くの人に感動を与え、人々を勇気づけるのは、この作品の中に、手塚自身の逆境にも負けない不屈の精神と、逆境の中でも必ず自分を信じて助けてくれる味方が現れるのだという信頼の気持ちが込められているからに違いない。

後年、手塚はあるエッセイの中で、自身のこんな座右銘を紹介している。

 人を信じよ、しかしその百倍も自分を信じよ

「人を信じることは人類を信じていることだ。人類の叡智、人類の良心を信じるからこそ平和がのぞめるし、未来に向かって進めるのだ。しかし一方、世に出れば人間は何人もの敵を迎えねばならない。これは生存競争のためである。

(中略)

私のプロダクションが倒産の憂き目にあったとき、何人の信頼すべきスタッフに裏切られたかしれない。そんなとき、自分を強く信じていなければ、そのときの心の打撃のために立ち直れなかったことだろう。

そして何度もの体験からひとつの言葉が生まれた。この座右銘は、私の創作なのである」

(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集7』所収「私の座右銘」より ※初出は1985年、全日本社会教育連合会刊『あなたに贈る81人のことば』)

 ということで今回のコラムはここまで! お読みいただいた皆さんが『ブラック・ジャック』のもうひとつの素顔を知ってくださっていたら幸いです。

 それではまた次回のコラムでも、手塚マンガの新たな秘密をいっしょに探訪いたしましょう!!


黒沢哲哉


1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


手塚マンガあの日あの時+(プラス)

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