2023/05/12
写真と文/黒沢哲哉
今年連載開始50周年を迎える『ブラック・ジャック』。本コラムでは『ブラック・ジャック』再入門と題して、改めて魅力を掘り下げています。第5回・第6回では手塚治虫がどのような状況の中で『ブラック・ジャック』を生み出したのかに焦点を当てていきます。
『ブラック・ジャック』第1話が掲載された『週刊少年チャンピオン』の発行日は1973年11月19日。週刊誌は表記された発行日のおよそ1か月前には店頭に並ぶから、この年の10月中旬に世に出たことになる。
じつはこのころ手塚は重大な問題を2つ抱えていた。ひとつは手塚が心血を注いで設立したアニメ制作会社虫プロダクションの経営状況が悪化して倒産寸前の危機に陥っていたこと。そしてもうひとつが手塚本人が人生最大のスランプにおちいっていたことだった。60年代後半から台頭した劇画の人気に押され、ヒット作を生み出せない時期が5年以上も続いていたのだ。特に少年誌での人気低迷は顕著で、少年誌での長期の連載はほとんどなくなっていた。
現・手塚プロダクション社長の松谷孝征は当時をこう振り返る。松谷は73年春に手塚プロへ入社し、当時は手塚のマネージャーを務めていた。
「その頃(黒沢注:73年当時)の手塚は連載も少なく、冬の時代を迎えていました。何せ100ページくらいの原稿を、あの手塚治虫自ら出版社に持ち込んでいたくらいですから。そんなとき春に連載も終わった『週刊少年チャンピオン』の編集長だった壁村さんから「読み切り作品を描いてほしい」という話が来たんです」
(2008年、秋田書店刊『ブラック・ジャック トレジャーブック』所収「B・Jインタビュー1 B・Jが残したメッセージを多くの子どもたちに伝えていきたい」より)
『ブラック・ジャック』連載開始時の担当編集者だった岡本三司も当時をこう語る。
「最初の予定では、4、5回連載して、最終回は無人島に行ってエンディング...という予定だったんですよ。まぁ、漫画家生活30周年ということで、一種のバラエティ番組的なニギヤカシ作品のはずだったんですね。正直いって、こんなモンスター的な作品になるなんて、そのときは少しも思いませんでした。ぼくも、正直そんなに気合がはいってなくて...。先生に「タイトル決まりました?」と聞いたら、「『ブラック・ジャック』にしようと思うんだ」とおっしゃるわけ。そこでぼくは「先生、サブタイトルじゃなくて、本タイトルを教えてくださいよ」なんて失礼なことをいってしまったくらいですよ」
(2001年、秋田書店巻『ブラック・ジャック 300STARS'Encyclopedia』所収「ブラック・ジャック誕生秘話「めぐり会い」伝説 名作は瞬時にして生み出された!」より)
松谷の「読み切り」という言葉と岡本の「4、5回連載」という言葉で若干の差異があるが、いずれにしても『チャンピオン』からの依頼が長期連載の大作でなかったことだけは確かだ。つまりこのとき手塚に用意されたのは大御所のゲスト席だったのだ。
岡本の言葉の中に「漫画家生活30周年」とあるが、1946年にプロデビューした手塚の実際の30周年は76年であり、言ってみればこれも大御所を立てるための飾り物の"金看板"だったということだ。
だがじつはこのころ、引退の危機を迎えていたマンガ家は手塚治虫だけではなかった。マンガ界全体を俯瞰してみると、マンガ界はまさに世代交代の時期を迎えていたからだ。
1940年代から60年代にかけて、手塚とその影響を強く受けたマンガ家たちによって戦後ストーリーマンガの世界は大きく切り開かれてきた。しかし70年代に入るとそこからさらに先へ進んだ新しい表現をする新たな作家たちが続々と誕生してきていたのだ。
名前を挙げるとキリがないが、一例を挙げると、山上たつひこ(『光る風』70年、『喜劇新思想体系』72~74年)、吾妻ひでお(『エイト・ビート』71年、『ふたりと5人』72~76年)、ジョージ秋山(『デロリンマン』69~70年、『アシュラ』70~71年)、永井豪(『デビルマン』72~73年、『マジンガーZ』72~73年)などなど、いずれもそれまでにないテーマや表現手法が大きく注目されていた。
こうした流れの中では、かつて一時代を築いた大御所だったとしても、そのままの作風で第一線にとどまり続けるのは難しい状況になっていたのだ。
岡本は、宮崎克原作、吉本浩二漫画によるマンガ『ブラック・ジャック創作秘話』の中では、こんな言葉も語っている。
「カベさんは手塚先生の死に水をとろうとしてるんだと思ったね...」
『チャンピオン』から自分に用意されたのが大御所のゲスト席だということは、それまで数多くの編集者と接してきた手塚にもすぐに分かったにちがいない。
だが手塚はそこで投げやりになることは決してなく、ある斬新な企画を提案する。それが天才外科医を主人公とした今までにない医療マンガのアイデアだった。
松谷は前出のインタビューの中でそれを聞いて「子ども漫画で医者が主人公というのは、人気の面でどうなのかという不安はありました」と懸念を語っている。それは恐らく『チャンピオン』編集部内でも同様の感想だったことだろう。だが『チャンピオン』の壁村耐三編集長はこれにGOサインを出したのだった。
企画が通ると、手塚はさっそく意欲的にこの作品に着手した。当時手塚のチーフアシスタントを務めていた福元一義は、そのときの手塚の様子を後にこう語っている。
「手塚先生は非常に張り切って、作画資料の医学書を自ら用意したほどでした(ふつう、資料は他のスタッフが買っていました)。この時に先生が購入した高価な三冊の医学書は、連載中ずっと資料として重宝され、いわば作品の"バイブル"となりました。また医療機器等はどういうツテで手に入れたのか、病院向けのカタログを先生から直接渡されていました」
(2009年、集英社刊、福元一義著『手塚先生、締め切り過ぎてます!』より)
こうしてついにスタートした『ブラック・ジャック』だが、新連載にもかかわらず第1話は巻頭でもカラーでもなくモノクロページだけというひっそりとしたスタートだった。
読者による人気投票の結果も、松谷が心配したとおり12~13本の連載作品がある中で12位というほぼ最下位からのスタートだった。
だが剛腕で知られた壁村編集長は、生まれたばかりのこの作品に早くも大きな可能性を見出していたようだった。
壁村は人気投票の結果を無視し、当初最終回となる予定だった第4話で初の巻頭カラー30ページを用意した。そして連載の継続を決定したのである。
このころには手塚も作品に手応えを感じ始めていたようで、74年2月18日号掲載の第12話「畸形嚢腫」でピノコという新キャラクターを誕生させている。
ピノコの登場は、アンチヒーローが主役のお話に単に彩りを添えるだけのものではない。ピノコの無邪気さがブラック・ジャックに本音を語らせ、無口で無表情なこの男の人間性を引き出す重要な役割りを担っている。ここでもしピノコの登場がなければ『ブラック・ジャック』がこれほど長期連載になることはなかったに違いない。
逆に言えば手塚はこの作品を長期連載化するために必要不可欠なキャラクターとしてピノコを投入したわけだ。当時リアルタイムで『チャンピオン』を読んでいたぼくも、このピノコの登場によって「手塚先生が本気を出した!」と感じたのだった。
そして前出の岡本のインタビューによれば、74年11月25日号に掲載された第50話「めぐり会い」で初の人気投票2位を獲得し、これ以降は1位も含めて人気投票上位の常連作品となっていったのである。
<つづく>
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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