2023/12/08
写真と文/黒沢哲哉
『火の鳥』望郷編の読みどころを探るコラムの第2回です。
いったいロミは、どんな社会的背景の中で生まれたのか、『火の鳥』望郷編発表当時の社会や、ロミの「先輩」にあたる手塚の大人漫画のヒロインたちの姿と照らし合わせながら読んでみましょう。
『火の鳥』望郷編が『火の鳥』全編の中でも異色なのは女性を主人公としていることだ。人類の歴史、あるいは人間文明の歴史を描こうとすると概して男が中心の物語となりがちだ。そのため望郷編以外の主人公は必然的に男が多かった。
けれども望郷編で「生き物はなぜ生きるのか」という大命題に取り組もうとしたとき、物語の主人公は女性に託されたのだろう。
一方でそこにはこの作品が発表された1970年代という時代との関わりも強くあったと思われる。
『火の鳥』望郷編は『月刊マンガ少年』76年9月創刊号から78年3月号まで連載された。ちょうどそのころ、60年代の終わりごろにヨーロッパやアメリカで始まった「ウーマン・リブ」運動が日本に上陸し、女性の権利拡大と開放が国内でも叫ばれ始めた時代だった。72年には国連総会において75年を国際婦人年と定め、世界的にも女性の社会進出や文化の発展への女性参加が目標として大きく掲げられた。
そうした時代の流れをいち早く感じ取った手塚は、60年代の終わりごろから早くも女性をドラマの主軸として据えた作品をいくつも発表している。
69年から70年にかけて『ビッグコミック』に連載された『I.L』は、どんな人物にも変身できる謎の女性アイエルが世の中の男たちを裏から操り歴史を動かしていくというお話だった。
また70年から71年にかけて『プレイコミック』に連載された『人間昆虫記』も、男を次々と破滅に追いやる魔性の女性が主人公のお話だった。
さらに73年から74年にかけて『ビッグコミック』に連載された『ばるぼら』もまた、芸術家たちに寄生して生きるバルボラという名の謎のフーテン女が主人公のお話だった。バルボラが寄生した男はその才能を大きく伸ばして画家や作家として大成功するが、バルボラに見捨てられるととたんに破滅してしまう。
と、ここまでの作品は女性キャラクターが主人公であっても、あくまでも語り手は男性キャラクターであった。それまで女性が隠していた力を開放したら、男中心の社会はいったいどうなるのか、それを男性目線から描いたものだったのだ。
ところが『火の鳥』望郷編に先がけて手塚が74年から75年にかけて『漫画サンデー』に連載した『一輝まんだら』は、女性を本格的な主人公に据え、女性側の視点に立って描かれたお話だった。
物語の舞台は日清戦争(1894-95年)直後の中国。貧しい農村に生まれた娘、姫三娘(き さんじょう)は、戦後の混乱の中を必死で生き延び、やがて明治末期の日本に渡って、そこで日本政府と対立する自由思想を掲げた人々と行動を共にすることになる。
姫三娘がやってきたころの日本は明治初期から始まった女性解放運動が少しずつ実を結ぼうとしていた時代だった。女性が自由民権運動に参加し、廃娼運動も盛り上がりを見せていた。そして大正期に入るころには大正デモクラシー(大正期に流行した民主主義的・自由主義的風潮)の流れの中で女性の参政権運動や女性の労働運動・社会主義運動への参加も活発になっていた。
『一輝まんだら』の中にはこうした時代の風潮を描いたセリフも物語の端々に織り込まれている。
たとえば小舟で海上を漂流していた姫が、日本の客船に救助される場面。船のオーナーである鉢須賀公爵夫人が独断で姫を乗船させたことに船長が激怒する。
「奥様にそんな権限はありませんぞ」
そう言った船長の頬に夫人は強烈な平手打ちを食らわせてこう言い放つのだ。
「あなたのは女性に対してのはなはだしい蔑視! 私が婦人解放と婦人参政権運動を指示してることはご存知? 日本の女性の地位は奴隷と同じです!」
再び女性解放運動が盛んになっていた70年代の半ばに、こうした時代の物語を描いたのは、手塚が女性を真正面から描いてみたいという明確な意図があってのことだろう。
さらにここで誤解を恐れずに言うならば、姫三娘の容貌が "美女"として描かれず、時に男装に身を固めるのは、男性目線でのドラマが入り込むのを排除したいという理由からだったのではないだろうかとぼくは考えている。
これらの作品を経て、男性と女性の問題を生物に雄と雌が存在するという生物の原点にまで立ち返り、人間という生物の"雌"として、一人の女性の生涯を描こうとしたのが『火の鳥 望郷編』だったのである。
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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