写真と文/黒沢哲哉 地図/しげとも(手塚プロダクション) 絵/MJ・K(手塚プロダクション)
招待状に導かれ、『ブラック・ジャック』アナフィラキシーの舞台・横田基地周辺をめぐる虫さんぽ+、第2話は東京都から埼玉県へ向かいます! そこには作品のクライマックスとなったあの場所が...!?
謎の招待状に導かれてここ東京都福生市へやってきた虫さんぽ+(プラス)隊。1つ目のキーワード「福」はまさしくここ福生市を指していた。残るキーワードは2つ。果たしてその意味は......!?
ということでぼくは今、手塚治虫の代表作『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」(1973年発表)の舞台となった東京福生市の横田基地沿いの国道16号線を歩いている。
1973年当時、手塚マンガの名スターであるメイスン大佐もこの界隈を歩いたと思うとなかなかに感慨深い。
だけど残念なのは基地の外周を高いコンクリート塀がぐるっと囲っていて基地の中の様子がほとんどうかがえないことだ。かつて70年代の終わりごろにぼくがここを訪れたときは、基地の周りはほとんどが金網で、離発着するF-4ファントムII戦闘機やC-5ギャラクシー輸送機などを金網越しに目の前で見ることができた。
なので、どこかそのようなビュースポットはないかとカメラを持ってキョロキョロしながら国道16号線を北上し、福生市から羽村市へ入ったときだった。基地の敷地内から出てきた2人の男性が、突然ぼくの行く手をさえぎって立ちはだかった。
ひとりは小柄で太っちょなヒゲ面の白人で、肌寒い日だったのに半袖Tシャツにカーキ色の軍用パンツという薄着の男。腕の筋肉がボディビルダーのようにパンパンに張っている。もうひとりは黒縁メガネをかけ、分厚い黒のロングコートを着た細身で長身の日本人である。
ヒゲ面の白人が英語でぼくに何かを話しかけ、それをメガネの日本人が翻訳する。
「先ほどから基地の写真を撮っているようですが、何か目的があるんですか?」
白人の男性は在日アメリカ軍の憲兵であり、日本人はその通訳だという。
「私たちは、監視所から基地の方を撮影している人物がいるという通報が入ったのでここへ来ました。あなたの服装がその報告と一致していたので声をかけさせていただきました」
白人が英語で話すと、日本人がそれを直訳風な日本語に翻訳して伝える。
ぼくは5分ほどかけてふたりに目的を説明し、撮影した写真を見せ、彼らはようやく納得してくれたようだった。ただし通訳の持っていたスマホのカメラでぼくの免許証の写真と両手の指紋の写真を撮影され、さらには白人男とのツーショット写真も撮影された。ツーショット写真を撮ったのは彼との身長差からぼくの身長を推定するためだという。これでどうやらぼくもアメリカ軍にマークされる男になってしまったようだ。
さらにふたりから開放されて30分後、交番の前を歩いていたところ、交番の中から警察官が走り出てきて呼び止められ、さっきの白人憲兵と全く同じことを言われた。何と地元の警察にも通報が入っていたのだ。
いやはや参りました。だけどここが日本で良かった。仮にどこかの軍事国家だったとしたら問答無用で逮捕・収監されていただろう。これくらいで済んだ日本はまだまだ平和な国なのだと思うことにしよう。
ちなみに後から考えたらぼくの個人情報は彼らにすべて渡してしまったが、彼らについては所属も氏名も一切聞いていなかった。基地の中から出てきたから偽者ではないだろうけど、ここはやはりきちんと確認をしておくべきでしたね。
ともかく気を取り直してさんぽを続けよう。
『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」の中でB・Jはアナフィラキシー体質を持ったメイスン大佐の息子を横田基地内で手術した。しかしその直後、手術が成功したはずの大佐の息子はアナフィラキシー症状を発症して急死してしまう。
メイスン大佐はB・Jの手術ミスだと思い込み、怒りが爆発、銃を持って基地を飛び出した。
B・Jを追うメイスン、逃げるB・J。ふたりはやがて霧深い湿地帯へと迷い込む。
横田基地の近くに作中の風景と似た湿地帯がないかと探したところ、基地から車で北東へ20分ほどの場所に大谷戸湿地と西久保湿地という場所があることが分かった。さらに調べてみると、そこは「さいたま緑の森博物館」というフィールドミュージアム(野外博物館)の一部であるらしい。
フィールドミュージアムというのは、一般的な博物館のように建物の中に展示物が置かれた博物館ではなく、自然の景観とそこに暮らす生き物などをそのまま観察できる場所、すなわちここに広がる広大な自然そのものが博物館の展示なのだ。
公式ホームページによれば「さいたま緑の森博物館」がオープンしたのは1995年7月のこと。そのきっかけとなったのは、1960年代から70年代にかけて住宅地や墓園などの開発によってこの地域の里山がどんどんと失われていくことに危機感を覚えた地元の人々が、狭山丘陵の自然を守ろうという構想を立ち上げたのが始まりだったのだそうである。
従って『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」が発表された73年当時はまだこの博物館はなかったわけだけど、むしろかつての湿地帯や雑木林などの里山風景がまだそこここに残っていた時代でもあったということだ。
ということでベースサイドストリートから車に乗り、さいたま緑の森博物館へ行ってみることにした。
国道16号線から車でさいたま緑の森博物館へ行くには住宅街の中の狭い道を通り抜けることになる。ちょうど小学校の下校時間と重なったため、その道を何人もの小学生が列をつくって歩いていた。運転には十分に気をつけよう。
さいたま緑の森博物館は大きく3つのエリアに分かれている。ふるさと景観展示ゾーン、雑木林展示ゾーン、植生遷移展示ゾーンの3つである。目的地の大谷戸湿地と西久保湿地は中央の雑木林展示ゾーンにある。
まず向かったのは大谷戸湿地だ。"谷戸(やと)"というのは「谷の入口」という意味だ。車を駐車場にとめてなだらかな坂道を登っていくと、ログハウス風の案内所と小さな人工の池があり、その周辺にはこんもりとした雑木林が広がっている。ふりかえると緑の森博物館の近くまで民家があり、まさに昔ながらの里山の風景なのである。マンガの風景にかなり近いことを感じる。
続いて大谷戸湿地から車で5分ほどの西久保湿地へ移動する。今回は横着して車を使ったが、ウォーキングルートもあるので徒歩でも15分ほどの距離である。
車を降りて湿地へと向かう。そしてその風景を見た瞬間、ここだ! と思った。
持参したマンガの絵と見くらべてみても、まさにここがロケ地だったと断言できるほど雰囲気がそっくりなのだ。
手塚先生が『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」を構想した際に、横田基地の近くにこんな湿地帯があることを知っていたかどうかは分からない。ただの偶然だった可能性もある。
だけど情報収集能力にかけても天才的だった手塚先生のことだから「このあたりにこんな風景がある」ということくらいは知っていたのではないだろうか。
いずれにしても、このお話のクライマックスの舞台として湿地帯は最高のシチュエーションだったことは間違いない。
いまは博物館となっているこの風景は、自然を愛する地域の人々の手によって、これからもずっと残り続けていくに違いない。
皆さんもぜひ『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」を読んでここ西久保湿地を訪れてみていただきたい。ぼくが感じたのと同じ感動を味わえるはずである。
こうして2つ目のキーワード「谷」の意味も分かった。「谷」は谷戸を意味する文字だったのだ。
そろそろ陽が傾いてきた。日本の原風景にすっかり満足したぼくは、残るキーワード「Di」の謎を解くべく、再び横田基地の方へ戻ることにした。
協力/さいたま緑の森博物館
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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