写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
幼いエゾオオカミの大冒険を描いた手塚治虫のマンガ『ロロの旅路』。前回は彼らの冒険の出発点となった北海道・北見山地を訪ね、2つ目のキーワードの謎が解明された。
謎の招待状に書かれた3つのキーワードの謎を探りながら、手塚治虫と手塚マンガに関わる場所を訪ねる虫さんぽ+(プラス)の旅。道東から始まった北海道の旅もいよいよクライマックス! 3つ目のキーワードの示す場所は果たしてどこか。そして今回はどんな出会いと発見があるのだろうか!?
札幌で一夜を明かしたぼくは、目覚めるとすぐにまた車を出発させた。
網走から北見山地へ。手塚治虫の作品の舞台となった場所を訪ねた前回までの旅。その旅で3つのキーワードのうち2つの謎は解けた。残るキーワードは「連」のみ。この「連」というキーワードが示す場所はいったいどこなのか!?
旅の終わりが近づいていることを感じつつ、気の向くままに車を走らせていると、ぼくはいつしか函館港へやってきていた。
港では間もなく出港する予定の青森行きフェリーの乗船準備が始まっている。近くに車を駐めてその風景をぼんやりと眺めていると、係員が歩み寄ってきて、なぜかぼくに乗船券を手渡し早くフェリーに乗るようにと促した。
ぼくは係員に「招待状の謎を解くまでは帰れないんですが......」と言ったのだが、次の車が待っているからとせかされ、無理やり乗船させられてしまった。
この日の津軽海峡は波もなく快晴で、函館港を出たフェリーはぐんぐんと速度を増し、まっすぐに青森港を目指して進んでゆく。
すべてのキーワードの謎を解かないままに北海道を出てしまうというまさかの展開にかなり焦ったが、もうこうなったら成り行きにまかせるしかない。
およそ3時間40分後、ぼくの乗ったフェリーは定刻通り青森港へ到着した。するとスマートフォンの地図アプリがいきなりどこかへの道案内を始めた。到着予定時刻は11分後。目的地はすぐ近くのようである。
ナビに案内されるままにぼくがたどり着いたのはある観光施設だった。「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」。かつて津軽海峡で運航されていた本物の青函連絡船がここに係留されていて現在は記念館になっている。
ここでぼくはようやくこの場所へ導かれた理由がわかった! 手塚マンガ『ロロの旅路』の中で、北見山地から母親を追う旅に出たロロたち3匹のエゾオオカミの兄弟......、彼らが本州へ渡るときに飛び乗ったのが青函連絡船だったのだ!!
青函連絡船はその名の通りかつて青森と北海道の函館を結んでいた定期運航船だ。運航していたのは国鉄、つまり今のJRである。
その青函連絡船が現在のフェリーと大きく違うのは、船の中に鉄道の線路が敷かれており、貨物列車がそのまま船に乗り入れて海を渡っていたことだ。しかし1987年に国鉄が分割民営化され、さらにその翌年に青函トンネルが開通したことで、青函連絡船はその役目を終え廃止となったのである。
駐車場に車を駐めて八甲田丸に歩み寄ると、ぼくの到着を待ってくれていた人がいた。「八甲田丸を存続する会」代表の葛西鎌司さん(75)である。
背筋の伸びたシャキッとした姿勢で出迎えてくれた葛西さんは、かつてこの船で乗組員として働いておられた方で、現在はボランティアガイドをされているという。
葛西さんの案内で船内を見学させていただこう。葛西さんによれば、八甲田丸は1964年に竣工し、それから1988年3月13日の青函連絡船終航の日まで23年7ヵ月間にわたり運航された。青函連絡船の中では現役期間がもっとも長かった船だということだ。
八甲田丸の全長は132メートル、総トン数5,382.65トン、旅客定員1,286名の大きな船である。船内は地下1階から4階の航海甲板(ブリッジ)まである。
現在はチケットカウンターと受付が2階に設けられているので、この2階から見学を開始しよう。葛西さんは複雑に入り組んだ通路を迷うことなく上へ下へスイスイと歩いていく。それはそうだろう、かつてはここが葛西さんの仕事場でありホームグラウンドだったのだ。
葛西さんは1970年に当時の国鉄へ入社し八甲田丸に三等機関士として配属された。そこで3年間勤務した後、いくつかの船を乗り継ぎ1986年に機関長として再び八甲田丸へ戻ってきたのだ。そしてそれ以後は88年3月13日の終航日までずっと八甲田丸に乗り続けておられたのである。
事前に『ロロの旅路』を読んでおられた葛西さんによれば、この作品の中に描かれた青函連絡船は、洞爺丸型といわれる旧型の連絡船ではないかという。
「昭和30年代に建造された八甲田丸と、洞爺丸型の違いは、列車が乗り入れる車両甲板の開口部に開閉式の船尾扉があるかないかです。洞爺丸型には船尾扉がありませんでしたので、ロロたちは恐らくそこから船に飛び乗ったんだと思います。
青函連絡船に船尾扉が付いたのは昭和29年の洞爺丸台風以降のことです。この台風では洞爺丸が沈没して多くの犠牲者が出てしまいました。その沈没の原因となったのが、車両甲板の開口部から高波を受けて浸水したためでした。それでそれ以降に建造される青函連絡船には船尾扉が付くようになったんです」
なるほど~、船の構造にもいろいろな歴史が込められているんですね。
船内を案内していただいて圧巻だったのは、巨大なエンジンが並ぶエンジンルームだ。この船には1,600馬力のエンジンが8基搭載されているという(見学できるのは第1主機室の4基のみ)。エンジンはきれいで今にも轟音を上げて動き出しそうである。そんなことを葛西さんに言うと葛西さんは、
「終航の日まで元気に動いていたエンジンですからね。きちんと整備すれば今でも動くはずですよ!」と力強く答えたのだった。
そして青函連絡船最大の見所は、やはり1階車両甲板に展示されている鉄道車両だろう。列車がそのまま船に乗り込むというのは世界的にも珍しいらしく、ぜひ運航中にこの目で見てみたかったものである。
もちろん巨大な鉄板が開口部を塞いでいる船尾扉も、ここを訪れた際にはぜひ皆さんの目でご確認いただきたい。
ちなみに八甲田丸が係留されている場所のすぐ後ろには、鉄道の線路を連絡船と連結するための可動橋と線路の一部がそのままの形で残されている。2011年にはこの八甲田丸と可動橋が「機械遺産」に認定されたとのことである。
3つ目のキーワードの謎がようやく解けた。キーワード「連」とは青函連絡船の「連」だったのだ。
葛西さんにお礼を述べて八甲田丸を後にする。北海道を反時計回りに巡ってきた今回の旅もついに終わりだ。
太陽が西に傾き、金色に輝く八甲田丸が、バックミラーの中でみるみる小さくなっていった。そして大通りを右折すると、その姿ももう見えなくなっていた。
さて次回の虫さんぽ+(プラス)ではいったいどこへ行くことになるのか!? 次回のさんぽにもぜひおつきあいください!!
取材協力/青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸、葛西鎌司(八甲田丸を存続する会)
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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虫さんぽ+(プラス)
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