奈良編 第3話:その時がこなければたどり着けない!? 伝説の神社!!
写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
謎の招待状に導かれながら手塚治虫と手塚マンガに関係する場所を巡る奈良の旅。これまでに2つのキーワードの場所を訪ね、残る3つ目の場所がどこなのか、考えあぐねているところへ怪しいタクシードライバーが現われ、彼が最後のキーワードの場所へ案内してくれるというのだ。まるで手塚マンガから出てきたような男の運転するタクシーでぼくが向かった先は......!!
◎奈良の山奥で降ろされたぼくは......!!
「お客さん、着いたぜ」
そう言われてぼくは目覚めた。タクシーに揺られているうちに、旅の疲れが出ていつの間にか眠ってしまったようだ。
タクシーを降りると目の前に小さな赤い橋が架かっていた。橋の名前は「弁天橋」。そして橋の脇には「天河大辨財天社」の看板が立っていた。そうか、3つめのキーワード「社」とは「天河大辨財天社」の「社」だったのだ!
そういえば微かに聞いたことがある。奈良の山奥に、手塚マンガ『火の鳥』とゆかりの深い神社があるという話を......。
と、そのとき背後で車のエンジン音がしたので振り返ると、タクシーが代金も受け取らずアッという間に走り去ってしまった。それにしても彼......手塚マンガに出てきた男に似ていたな......。
最後のキーワード「社」の場所を目指し、ぼくを乗せたタクシーはひたすら南へ走る......
朱塗りの橋の名前は「弁天橋」。この橋は異界へと通じる橋なのか......
◎山奥の神社と手塚治虫の関係とは......!?
またひとりになったぼくは、橋を渡り天河大辨財天社を目指して歩き始めた。細い山道を少し歩くと、やがて大きな石灯籠と赤い鳥居が見えてきた。ここが目指す天河大辨財天社だ。
社務所を訪ねると奥からひとりの女性が出てきて境内を案内してくださるという。女性は天河太々神楽講事務局ボランティアスタッフの谷島美惠子(やじまみえこ)さんと名乗った。
この日はあいにく宮司が不在だったため、谷島さんの案内で境内を巡り、宮司には後日電話でお話しをうかがうことになった。
谷島さんによれば、天河大辨財天社が創建されたのは飛鳥時代のことで、役行者によって開山されたのがその始まりと伝えられているという。かつては道路などもまったく整備されておらず、秘境と呼ばれるほどの深山にあったため、「その時がこなければ行こうとしてもたどり着けない」とも言われたのだとか。
また天河大辨財天社は古くから水の神、才能の神、芸能の神そして財宝の神として崇められていて、拝殿には神様に能を奉納するための能舞台がしつらえられている。
それにしてもそんな深山の神社と手塚治虫の『火の鳥』にいったいどんな関係が!? ああ、早く話が聞きたい!!
天河大辨財天社へ到着。ここに立つだけで神秘的な"気"に包まれた気分になってくる
本殿へと通じる石段。本殿には神様に能を奉納するための立派な能舞台がしつらえられている
天河大辨財天社に古来から伝わる神器「五十鈴(いすず)」。金と銀、それぞれ3つずつの鈴は、魂の進化にとって重要な三つの魂の状態(みむすびの精神)をあらわしているとのことだ
◎宮司が語る天河大辨財天社の縁起......!!
ということで後日、天河大辨財天社の第65代宮司・柿坂神酒之祐(かきさかみきのすけ)氏に電話でお話をうかがったのでお伝えしよう。
黒沢「柿坂宮司、この天河大辨財天社は、手塚治虫の『火の鳥』と関係があるそうですね」
柿坂「はい。私は生まれも育ちもこの天川村なんですが、この村には昔から真っ赤な鳥を見ると縁起が良いという言い伝えがありましてね、かつて私も能舞台の上を美しい鳥が飛ぶ姿を見たことがありました。それが火の鳥だったのかどうかは分かりませんが、手塚治虫さんの『火の鳥』とは昔からご縁があったのかも知れません」
『火の鳥 鳳凰編』より。橘諸兄(左)は、仏師茜丸が製作した火の鳥の像に魅せられる。※以下、手塚マンガの画像で特記なきものはすべて講談社版手塚治虫漫画全集より
◎縁が縁を結び手塚先生も天川へ来訪!!
柿坂宮司のお話はさらに続きます。
柿坂「当社と手塚治虫さんとのご縁をお話しするにはもう少し昔にさかのぼらなければなりません。
昭和56年に当社で御開帳がありましてね。その時に世界的に有名なキーボーディスト、 喜多郎の音楽をテープで流したんです。神社の御開帳で現代音楽を流すというのは当時は画期的なことでした。
そしてその時来ておられたある音楽プロデューサーの方が、アメリカで活動している素晴らしいミュージシャンがいるよと言って私にある方を紹介してくれたんです。それがヒーリング音楽の第一人者である宮下富実夫さんでした。
宮下さんの音楽を聴いた私は感動してすぐに連絡を取ってお話させていただいたところ、たちまち意気投合いたしまして、当社で奉納演奏をしてくださることになったのです。
一方、角川書店の社長で映画作りに積極的だった角川春樹さんも当社へ足しげくお参りにお越しいただいておりまして、そうした中で、宮下さんと角川春樹さんとが知り合ったのです。
そして昭和60年のことです。角川さんが手塚治虫さんの『火の鳥 鳳凰編』を劇場用アニメ映画として制作することになり、音楽は宮下富実夫さんが担当されることになりました。
この時に角川さんがテレビ番組の企画で子どもたちから『火の鳥』の絵を募集して、それを額に入れて当社へ奉納してくださったんです。その際には手塚治虫さんも来られました。20~30人の大人数で来られたと記憶しておりますが、手塚さんは特に深く祈られておりましてその姿に感動しました。その時は手塚先生もまだお元気で「104歳まで生きてやることがある」とおっしゃっていましたね。
ご芳名帳にも署名をしていただいたのですが、平成23年8月~9月の台風12号による豪雨でこの地域は大きな被害を受けまして、残念ながらそのご芳名帳も所在が確認できておりません」
劇場アニメ映画『火の鳥 鳳凰編』(1986年東宝)のパンフレット。監督りんたろう、声優は我王を堀勝之祐が、茜丸を古川登志夫が演じた
ファンから寄せられた火の鳥のファンアート。このような絵馬型の額に入れて角川春樹氏と手塚先生が天河大辨財天社へ奉納した
1枚1枚の絵をじっくり見ていくと、それぞれに個性があり、さまざまな火の鳥像があるのが興味深い
◎手塚先生とのご縁は今も続いている......!!
黒沢「天河大辨財天社と手塚先生の間にはそんなご縁があったんですね」
柿坂「そのご縁はいまもつながっておりまして、手塚るみ子さん(手塚治虫の長女)にもお越しいただきましたし、マンガ家の岡野玲子さん(手塚治虫の長男・眞氏の奥様)にはもう何度もお越しいただいています。
手塚さんはもはや歴史上の人物と言ってもよいでしょう。いまだに子どもに深い影響と感動を与えておられるのですから。ですので角川さんと手塚さんから奉納された火の鳥のファンアートは社宝として永遠に受けついでいくつもりです」
黒沢「柿坂宮司、ありがとうございました!!」
天河神社の奥に建つ来迎院(手前)。その後ろには樹齢およそ700年以上という、奈良県指定天然記念物の大銀杏がそびえ立つ
境内にある五社殿。右奥から龍神(りゅうじん)大神、大将軍(だいしょうぐん)大神、大日霊貴(おおひるめのむち)神、天神(てんじん)大神、大地主(おおどころぬし)大神
境内に祀られている「天石」のひとつ。天河大辨財天社のある場所は神域とされ、天から4つの石が降りそそいだと言い伝えられている
役行者を祀った行者堂
◎角川春樹と『火の鳥』とのふしぎな縁!
ちなみに『火の鳥 鳳凰編』アニメ映画化の際に行われた角川春樹と手塚先生との対談で、角川氏が天川村と火の鳥について語っているので、その文章の一部を引用しよう。それによれば何と角川氏も子どものころに火の鳥を見たことがあるのだという。
「角川 実はうちの人間を天川(黒沢注:天川村のこと)に取材に行かしたんですよ。現地に『火の鳥を見た』という人が3人いるんです。
手塚 ほう。
角川 赤い鳥だと言うんですね。どうも話を聞いていると、私が子供の頃に見たやつなんです。それは幸せの鳥だそうで、生涯に一度だけ見える。見ることができた人は幸福になれるというんです。私は中学の時、その真紅の鳥が自宅の梅の木にいるのを見たことがある。家中で私だけが見えたんです」
(角川文庫版『火の鳥』第14巻別巻より。※初出は1986年角川書店刊『火の鳥(ニュータイプ100%コレクション)』)
この対談の中で角川氏は、ほかにも角川書店のマークが鳳凰であるなど『火の鳥』との縁を熱く語っている。このアニメ映画はまさに角川氏の情熱と『火の鳥』への思いが結実した作品だったのである。
『ニュータイプ100%コレクション 火の鳥』に掲載された手塚先生と角川春樹氏の対談。この対談の中で、手塚先生は火の鳥の完結編になる予定だった「現代編」の構想についても触れている。それについては過去のコラムで紹介済みなので、ぜひこちらをご参照いただきたい。
『火の鳥 鳳凰編』より。良弁上人が我王に輪廻転生を説く場面。ここから我王は命の意味について考え始める。そして火の鳥はその生命の営みを時空を超えたところから見守る存在なのだ
『火の鳥 鳳凰編』より。天川村で見られるという火の鳥の言い伝え。ぼくは今回は見ることが出来なかったが、次の時がきたらきっと見られるに違いない
天河大辨財天社からさらに10分ほど山奥へ入ったところに建つ鎮魂殿(同社の旧本殿が移築されている)。時間があればぜひこちらへも参拝していただきたい
鎮魂殿(禊殿)の石段から名も知らぬ小さな花が顔を覗かせていました
その場所からふと振り返ってみれば、そこはご覧の通りの深山幽谷。確かにその時がこなければたどり着けない場所であることを実感した
天河大辨財天社の力にあやかるべく五十鈴の根付けをひとつ買い求めた
◎新たな招待状を受け取った!!
今回も無事に3つのキーワードを解くことができた
さて、3つ目のキーワードを解いたぼくもそろそろ奈良を後にする時が来たようだ。しかしここから街までどうやって出ればいいのだろう......。
そう思いながら弁天橋のたもとに立ちつくしていたときだ。背中に人の気配を感じて振り向くと、いつの間にか目の前にひとりの男が立っていた。近くには横道もないのに、男はいったいどこから現れたのか。
ボサボサの髪に尖ったあごひげを生やしたその男は、ぼくに1枚の紙を差し出してこう言った。
「私が奪った美術品の隠し場所に興味はないかね?」
見るとその紙は、何と次の虫さんぽ+(プラス)への招待状だった。
そしてまたぼくの元へ次なる招待状が......!! 次回からは、この3つの文字が示す場所へ皆さんをご案内いたしましょう
そのまま立ち去ろうとする男を呼び止めると、男は謎の言葉を残していきなり煙のように消えてしまった!
男が言った言葉とは、
「アカノ タニン......」
赤の他人? この言葉にいったいどんな意味があるのか? 突然消えた男はもしかして魔術師!? どうやら我々虫さんぽ+(プラス)隊の新たな旅はもう始まっているようだ。
ということで次回からの「虫さんぽ+(プラス)」新シリーズ、お楽しみに!!
取材協力/大峯本宮 天河大辨財天社
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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