虫ん坊

虫さんぽ+(プラス)大阪編 第1回:大阪・十三で旧制中学の同級生を訪ねる!!

2018/11/14

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 今回より「虫さんぽ」が「虫さんぽ+(プラス)」にリニューアル致します!
 毎回提示されるキーワードの謎を解きながら、手塚先生の足跡と手塚マンガの舞台を皆さんと一緒に巡ります。第1回目の今回は、手塚先生が旧制中学時代に特別な体験をしたある場所を訪ねます。しかも案内人として、手塚先生とその体験を共にした親友が登場!! さて今回はいったいどんなさんぽになるのでしょうか。さっそく出発いたしましょう!!



◎大阪から届いた招待状!

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 2018年某日、ぼく・黒沢の元へ差出人の書かれていない1通の手紙が届いた。消印は大阪市淀川区。開封してみると中には【招待状】と書かれた1枚の手紙が入っていた。紙には「13」、「石」、「堂」という謎の文字が3つ。そして手塚先生のトレードマークである「虫」のサイン! これは虫さんぽ+(プラス)の招待状に違いない。そう判断したぼくはすぐに手塚プロのI藤プロデューサーに連絡し、一緒に大阪市淀川区へと向かうことにした。それにしてもこの3つの文字はいったい何を意味しているのだろうか......。
 大阪梅田から阪急電車に乗ったぼくとI藤Pが降り立ったのは、淀川区の十三駅である。1つ目のキーワード「13」は手紙の消印からするとここ十三駅に違いないと推理したのだ。
 電車を降りて十三駅のコンコースを歩くと、折しも手塚治虫生誕90周年記念ということで、通路の壁面いっぱいに年表が掲げられている。やはり「13」の文字はここ十三駅で正解だったようだ。




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阪急電鉄十三駅。下町っぽい雰囲気が落ちつきます



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その阪急駅の通路には、両側の壁面いっぱいに手塚治虫生誕90周年記念パネルが掲げられていた



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そしてふと足元を見ると誰か(?)の足跡が......それをたどっていった怪談の先にいたのは『ジャングル大帝』のレオだった!



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宝塚の手塚治虫記念館まではここから1本。このまま宝塚までさんぽするのもアリですね



 そしてここで我々を出迎えてくれたのは、手塚先生の旧制中学時代の同級生・金津博直さんだった。金津さんは手塚先生と同じ昭和3年生まれの御年90歳。杖をついておられるが足取りはしっかりしており、ここから10分ほどの場所にある自宅から歩いて来られたのだという。




◎ふたりは暗い戦争の時代に知り合った!!


 場所を駅からほど近いホテルプラザオーサカのカフェラウンジへと移し、金津さんにお話をうかがうことにした。金津さん、よろしくお願いいたします!

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今回、貴重なお話をしてくださった金津博直さん。


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ダンディに着こなしたシャツの袖には鉄腕アトムのカフスボタンが輝いていた!!


「おふたりとも遠いところからよう来てくれはりましたね。私はもう生まれたときからずっとこの十三に住んでいます。後でご案内しますけどね、この先に十三バイパスという通りがありまして、その通りの先に北野高校があります。そこが昔は旧制北野中学といって、私と手塚くんはその学校で知り合うたんです」

 手塚先生と金津さんは昭和16年に旧制北野中学へ入学。旧制中学校は5年制で、1年から2年までは別のクラスだったが3年生の時に同級生となり、それから2年間、学校生活をともにしたという。
 だが時代は暗い戦争の時代だった。ふたりが中学へ入学した年の12月、太平洋戦争が始まった。

「それでも3年生くらいまでは何とか勉強らしいことが出来ていました。手塚くんは阪急電車に乗って宝塚から十三まで通っとったんですが、駅から学校までの途中にうちの家がありますから、帰りはいつもうちへ寄ってから帰りよるんです。うちが休憩地なの(笑)。
 うちと学校の間に、十三公園いう公園がありますけど、そのころはそこが「十三の森」いうて、うっそうとした森やったんです。その森の中を抜けてうちに寄って、それから帰るんです。当時はバイパスもなかったし、ここらはみんな遊び場やったんです。
 そのころは手塚くんのお父さんも仕事の関係でよく十三へ来られていたので、本屋さんとかでお父さんに会うこともありました。宝塚の手塚くんの家へもよく遊びに行きましてね、お父さんにもお母さんにもかわいがってもらいました」

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旧制北野中学校の絵ハガキ。「大阪府立北野中學校 玄關と温室」というキャプションが書かれており、裏には昭和10年の消印。
2本の木の奥にチラッと見えているのが温室だろう。当時はこんな大きな温室があったようだ


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北野中学校昭和19年度4年1組の記念写真。当時は戦時中だったので、何かあったときのために顔と名前が一致するようにという先生の発案で、
全員が胸に大きな名札を付けている。※画像提供/金津博直氏



◎軍需工場に動員されて......!


 だが、戦争が激しくなると手塚先生と金津さんの中学生活も否応なく変化を強いられた。最初は勤労奉仕と称して授業を中断しては、防空壕を掘るのを手伝ったり、労働力が不足している工場へ行って軽作業を手伝ったりしていた。
 しかしそれでもいよいよ人手が足りなくなってくると、授業は完全になくなり、朝から軍需工場へ通って従業員と一緒に仕事をする通年勤労動員が始まったのだ。

「うちの中学で通年勤労動員が始まったのは4年生の二学期、昭和19年9月からですわ。どこの工場へ行かされるかは身長順で決まるんやけど、背の高い方から順番に振り分けられていって、当時まだ身長が低かった手塚くんは、ぎりぎりぼくと同じ班になったの。手塚くんの次の子は別の班になって別の工場へ行かされたんです。
 それで私らは、十三から淀川を渡った対岸の中津にある「大阪石綿工業」という会社の工場に動員されることになりました」

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かつて手塚先生や金津さんの遊び場だった雑木林森"十三の森"は、現在はすっかり整備されて公園になっている



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金津さんが手塚先生に折々に描いてもらったサイン色紙。右下のレオがいちばん古そうだ。直子ちゃんというのは金津さんの娘さんのお名前だ



 ここで2つ目のキーワードが出てきた。2つ目のキーワード「石」とは、大阪石綿工業のことだったのだ!!
 ということで次回、我々虫さんぽ隊は大阪石綿工業跡地へと向かうことになる!! 次回更新をお楽しみにっ!!


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黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


■前回の記事はこちらから
・虫さんぽ 第61回「夏の関西さんぽ(後編)エキゾチックタウン神戸でポートピア'81の思い出をたどる!」


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