虫さんぽ+(プラス) 第1回:大阪・十三で旧制中学の同級生を訪ねる!!
写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
今回より「虫さんぽ」が「虫さんぽ+(プラス)」にリニューアル致します!
毎回提示されるキーワードの謎を解きながら、手塚先生の足跡と手塚マンガの舞台を皆さんと一緒に巡ります。第1回目の今回は、手塚先生が旧制中学時代に特別な体験をしたある場所を訪ねます。しかも案内人として、手塚先生とその体験を共にした親友が登場!! さて今回はいったいどんなさんぽになるのでしょうか。さっそく出発いたしましょう!!
◎大阪から届いた招待状!
2018年某日、ぼく・黒沢の元へ差出人の書かれていない1通の手紙が届いた。消印は大阪市淀川区。開封してみると中には【招待状】と書かれた1枚の手紙が入っていた。紙には「13」、「石」、「堂」という謎の文字が3つ。そして手塚先生のトレードマークである「虫」のサイン! これは虫さんぽ+(プラス)の招待状に違いない。そう判断したぼくはすぐに手塚プロのI藤プロデューサーに連絡し、一緒に大阪市淀川区へと向かうことにした。それにしてもこの3つの文字はいったい何を意味しているのだろうか......。
大阪梅田から阪急電車に乗ったぼくとI藤Pが降り立ったのは、淀川区の十三駅である。1つ目のキーワード「13」は手紙の消印からするとここ十三駅に違いないと推理したのだ。
電車を降りて十三駅のコンコースを歩くと、折しも手塚治虫生誕90周年記念ということで、通路の壁面いっぱいに年表が掲げられている。やはり「13」の文字はここ十三駅で正解だったようだ。
そしてここで我々を出迎えてくれたのは、手塚先生の旧制中学時代の同級生・金津博直さんだった。金津さんは手塚先生と同じ昭和3年生まれの御年90歳。杖をついておられるが足取りはしっかりしており、ここから10分ほどの場所にある自宅から歩いて来られたのだという。
◎ふたりは暗い戦争の時代に知り合った!!
場所を駅からほど近いホテルプラザオーサカのカフェラウンジへと移し、金津さんにお話をうかがうことにした。金津さん、よろしくお願いいたします!
「おふたりとも遠いところからよう来てくれはりましたね。私はもう生まれたときからずっとこの十三に住んでいます。後でご案内しますけどね、この先に十三バイパスという通りがありまして、その通りの先に北野高校があります。そこが昔は旧制北野中学といって、私と手塚くんはその学校で知り合うたんです」
手塚先生と金津さんは昭和16年に旧制北野中学へ入学。旧制中学校は5年制で、1年から2年までは別のクラスだったが3年生の時に同級生となり、それから2年間、学校生活をともにしたという。
だが時代は暗い戦争の時代だった。ふたりが中学へ入学した年の12月、太平洋戦争が始まった。
「それでも3年生くらいまでは何とか勉強らしいことが出来ていました。手塚くんは阪急電車に乗って宝塚から十三まで通っとったんですが、駅から学校までの途中にうちの家がありますから、帰りはいつもうちへ寄ってから帰りよるんです。うちが休憩地なの(笑)。
うちと学校の間に、十三公園いう公園がありますけど、そのころはそこが「十三の森」いうて、うっそうとした森やったんです。その森の中を抜けてうちに寄って、それから帰るんです。当時はバイパスもなかったし、ここらはみんな遊び場やったんです。
そのころは手塚くんのお父さんも仕事の関係でよく十三へ来られていたので、本屋さんとかでお父さんに会うこともありました。宝塚の手塚くんの家へもよく遊びに行きましてね、お父さんにもお母さんにもかわいがってもらいました」
◎軍需工場に動員されて......!
ここで2つ目のキーワードが出てきた。2つ目のキーワード「石」とは、大阪石綿工業のことだったのだ!!
ということで次回、我々虫さんぽ隊は大阪石綿工業跡地へと向かうことになる!! 次回更新をお楽しみにっ!!
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/