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虫さんぽ+(プラス)大阪編 第2回:大阪・中津の軍需工場跡地で、辛かった戦争時代の想い出を歩く!

2018/12/12

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大阪編 第2回:大阪・中津の軍需工場跡地で、辛かった戦争時代の想い出を歩く!

写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい

 3つのキーワードの謎を解きながら、手塚治虫先生と手塚マンガに関わる場所を巡る虫さんぽ+(プラス)。前回は1つ目のキーワード「13」を解読。大阪の十三(じゅうそう)駅へ向かい、そこで手塚先生の旧制中学時代の同級生・金津博直さんと出会うことができた。さらにその金津さんから2つ目のキーワードの答えがもたらされた。「石」というキーワードが示していた場所、それは戦時中、手塚先生が勤労動員にかり出された軍需工場「大阪石綿工業」だったのだ!!


◎下町の小さな駅に2つ目のキーワードの答えがあった......!!

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 金津博直さんから2つ目のキーワードのヒントをいただいた我々虫さんぽ隊は、さっそくその場所へと向かった。
 大阪の阪急電鉄中津駅は、梅田駅のひと駅手前、小さな工場や住宅がひしめく中の高架駅である。大都会梅田のすぐ隣とは思えない静かな駅で、まるで郊外へやってきたかのような雰囲気だ。かつて、ここから徒歩10分ほどの場所に「大阪石綿工業」の工場があった。
 昭和19年9月、当時旧制北野中学の4年生だった手塚先生は、同級生の金津博直さんらとともに勤労動員でこの工場へ通うことになった。勤労動員とは、戦争のために不足した労働力を補うために、学生や生徒が軍需工場や軍事施設などで働かされることをいう。
 以下、金津博直さんのお話をうかがいながらその場所を訪ねてみよう。

「大阪石綿へは、私らのクラスからは40人ほど行きました。朝、中津の駅に集まってね、それでみんなで歩いて工場まで行くんです」

 阪急線のガードに沿って淀川方面へ向かって歩くと道路は淀川に突き当たる。そこを右に折れ川原の1本道を歩くとやがて工場へ着く。徒歩でおよそ10分。当時の工場の住所は大淀区中津浜通三丁目。古い地図と現在の地図を重ね合わせてみると、その場所には真新しいマンションが建っていた。

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中津駅手前の鉄橋を阪急電車が走り抜けてゆく。後ほど紹介する手塚先生のマンガ『紙の砦』に出てきた鉄橋はちょうどこのあたりだろうか......

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淀川の土手を越えてすぐの場所にある中津駅は高架駅になっている。

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階段を降りるとお店のシャッターは閉じていて、平日午後の住宅街はひっそりと静まりかえっていた

◎手塚先生はトロッコが大好き!!

 淀川の土手にのぼって工場があったあたりを見渡しながら、当時の風景を想像してみた。その工場で手塚先生はどんな仕事をしていたのだろうか。金津さんにうかがった。

「大阪石綿では、スレートといいましてね、屋根や壁に使われるセメントなどを固めた畳一畳ほどの大きさの波板を作っていました。セメントとアスベストとワラなんかを混ぜて作るんですが、あの当時の素材いうたらろくなもんがありませんからね。ゲンコツでガンと叩いたらすぐに割れてしまうような粗悪な品質のものでした。

 作業は流れ作業なんです。2階に水槽があって、そこへ材料をみな放り込んで攪拌するわけです。で、これは力がいるから背の高い者がそこを担当して、身長順に下の方の作業を分担していくんです。で、次がその溶いたセメントを流してローラーで一定の厚みに押し伸ばしていく係です。私はそこの担当で、ローラーに巻き付いて出てきたセメントを1枚分のところでテープで切る係をやらされました。

 身長が低かった手塚くんは、そのずっと先の行程の最後の部門の担当ですわ。出来上がったスレートを30枚ほど重ねてトロッコに乗せて乾燥場へ運ぶ仕事です。トロッコは電動ではありませんから手で押すんです。途中で行き先ごとに線路が別れていて、行き先を切り替える転轍機も手動でしたから、それも手でやります。

 手塚くんはその仕事を楽しそうにやってはりましたね。休憩時間になってもトロッコを押して遊んだりしまして。宝塚から電車で来るときも彼はいつも先頭車両に乗って前を見てる言うてましたから、電車が好きやったんでしょう」

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手塚先生の半自伝的マンガ『紙の砦』より。
太平洋戦争のさなか、中学生の大寒鉄郎(手塚治虫)少年は、阪急電車に乗って中津の軍需工場へと"通勤"していた。
マンガの画像は、特記されているもの以外はすべて講談社版手塚治虫漫画全集より

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手塚先生や金津さんが勤労動員で通った大阪石綿工業の工場は写真中央の高層マンションのあたりにあった。現住所でいうと北区中津三丁目となる

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大阪石綿の工場があったあたりの風景は当時と一変してしまったが、金津さんの話では、
100mほど西に建っているこのサッパボイラーという会社の工場は当時からここにあったそうである

◎ロッカーの裏に筆記用具を隠して......!!

 手塚先生は自身のエッセイの中で、この大阪石綿での仕事の合間に隠れてマンガを描いていたという記述があるが、実際にはどうだったのだろう。

「工場の隣の倉庫の二階に休憩室兼更衣室がありましてね、そこに服などを入れておく木製のロッカーがあったんです。昔の銭湯にあったみたいなやつね。手塚くんはそのロッカーの裏っかわに絵を描く道具を隠しとって、ようけこっそり描いてましたね。せやけど終わりのころには工場長も分かってはったと思いますよ。手塚くんの描いた昆虫の絵、見たことありますか? 手描きの絵。あれはホンマに凄い。才能やな。あれを見たら工場長も(描くのを)やめろなんて言われへんかったんでしょうな」

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手塚先生が旧制中学時代に描いた昆虫標本の写生(部分)。
『手塚治虫生誕80周年記念展 手塚治虫展 未来へのメッセージ』図録(2009年、東京都江戸東京博物館、他)より

◎ふたりはそれぞれ別の学校へ進学......そして......!!

 それから半年ほど、こうした工場での生活が続いたが、間もなく手塚先生と金津さんに別れの時が来る。さらなる戦況の悪化で当時の4年生は卒業を1年間繰り上げて昭和20年3月、5年生と同時に卒業することが決まったのだ。

「軍関係と農業関係の学校へ進学すれば勤労動員の免除があると聞いたんで、私は大阪農業専門学校(大阪府立大学農学部の前身)を受験して進学が決まりました。一方、手塚くんは大阪大学医学専門部(軍医養成のための専門科)への進学が決まりました。

 それで私は3月で動員免除になって4月から池田市の石橋にある学校へ通うことになったんです。ところが手塚くんは軍医の学校へ進学したのになぜか動員免除にならんで4月以降も大阪石綿の工場へ通うことになったんです」

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昭和18年4月の「大淀區内地圖(大淀区内地図)」に「大阪石綿」の名前を見つけた(矢印の場所)。
『大淀区史』(1988年、大淀区コミュニティ協会刊)の付図より。大淀区は1989年に北区と合区された

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『紙の砦』より。大寒少年が軍需工場で働く様子

◎ナンヤ コンナモン クヘル カイ!!

 その時、手塚先生が金津さんへの送別記念として描いて贈ったのが、ここに紹介した1枚の絵だ。B4判ほどのサイズの粗末なワラ半紙に大きく金津さんの似顔絵が描かれている。

「手塚くんがこれを描いてくれたんは3月の20日です。私が動員免除になった言うたら、ならばオレが何か描いたるわ言うてね、工場の更衣室で描いてくれはったんです。それで、後は裏にみんな何か書いたれや言うて、裏には同級生がみんなで寄せ書きをしてくれたんです」

 絵の中の金津さんは、茶碗のご飯を箸でつまみあげてこんな悪態をついている。

「ナンヤ コンナモン クヘル カイ!!

 当時は食糧事情が最悪だったころで、工場で出される食事はほぼ毎日、白米のほとんど入っていない大豆の混ぜご飯だった。金津さんは、それでも食事が出るだけまだマシだったと言うが、そのまずい食事に対して思わずこぼした金津さんの愚痴を手塚先生は聞き逃さず、ユーモアを交えてこの絵を描いたのだった。

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金津さんの動員解除が決まった日に手塚先生が書いてくれた似顔絵(左)と、その裏面に書かれた仲間たちの寄せ書き。
寄せ書きの内容は「飯の配給の増へる研究を頼む」「うまいものが造れたらお供に持って来い」など、食べ物に関するものが多く見られる

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今回の虫さんぽ+案内人・金津博直さん。体もお元気だが記憶力の確かさには驚かされました!

 その後、金津さんの家は昭和20年6月7日の空襲で焼失し、幼いころのアルバムなど思い出の品を全て失った。しかしこの手塚先生の絵だけが手元に残ったのにはある偶然の奇跡があったのだ。果たしてその奇跡とは!? そして残る3つ目のキーワード「堂」の意味とは!? 

そのお話はまた次回!

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黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/


■バックナンバー

 虫さんぽ+(プラス)

第1回:大阪・十三で旧制中学の同級生を訪ねる!!


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