洞窟探検編 第1話:盗まれた名画の行方を追ってアトムが向かった場所は!?
写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
謎の招待状にみちびかれ、手塚治虫と手塚マンガに関わる場所を訪ね歩く虫さんぽ+(プラス)。前回、奈良の山奥で怪しいあごひげの男から受け取った招待状──。この招待状と男が残した謎のメッセージを手がかりに新たな虫さんぽ+(プラス)の旅が始まった! 今回我われが向かうのは東京西部の山奥だ。車がすれ違うのも困難な山道の先に、いったいどんな手塚スポットが待っているのか!? さっそく出発しよう!!
◎招待状に書かれた3つのキーワードを解き明かせ!!
前回、奈良さんぽを終えて天河大辨財天社を出てきたぼくに近づいてきたあごひげの男。彼が手渡してくれたのは、新たな虫さんぽ+(プラス)への招待状だった!
「洞」「吉」「摩」の3文字と、男が言った「私が奪った美術品の隠し場所に興味はないかね?」という言葉──。男はさらに去り際に「アカノ タニン」という謎の言葉も残している。
一見、まったく関係がないようにも見えるこれら複数のキーワード。それらが指し示す場所はどこなのか。過去の手塚マンガをひたすら読み返したぼくは、ようやく1つ目のキーワードの場所にたどりついた。最初に目指すそのキーワードは「摩」である。皆さんは想像がついただろうか。いまだ確証はないが、とにかくその場所へ向かってみることにしよう!
◎やってきたのは東京の西、あきる野市だ!!
奈良の天河大辨財天社で車をチャーターしたぼくは、伊勢湾岸自動車道から新東名→東名と高速を乗り継いでひたすら東へ向かい、海老名ジャンクションを左折、圏央道の日の出インターチェンジで高速を降りた。このあたりは東京都あきる野市である。ここまでの所要時間はおよそ7時間半だった。
ここからさらに下道を40kmほど走った山奥に今回我われが目指す1つ目の目的地があるのだが、ここでふとこの周辺が物語の舞台となった手塚マンガを思い出した。
それは1952年から53年にかけて雑誌『少年』に連載された『鉄腕アトム』「フランケンシュタインの巻」である。
ロボットによって作られた不完全なロボット「フランケンシュタイン」が数々の悪事を重ねたのち、アトムにやっつけられて雪道を逃走する。そして最後に逃げ込んだのが「奥多摩」の「古墳」だった。
しかしネットで検索してみたところ、残念ながら実際は奥多摩に古墳はないようだ。だが何と、今いる圏央道の日の出インターチェンジから徒歩わずか数分の所に古墳群が遺跡として保存されているという。
そこでちょっと寄り道をして、アトムとフランケンシュタインの戦いに思いを馳せながら、その古墳群を訪ねてみることにした。
◎フランケンシュタインが隠れた古墳を探せ!!
日の出インターチェンジを降りてすぐに突き当たる道が都道184号線(通称:永田橋通り)である。この永田橋通りを東へ100メートルほど進むと道の両側に住宅街が広がっている場所がある。
その住宅街の一帯、半径150メートルほどの範囲に点在しているのが東京都の指定史跡「瀬戸岡古墳群」だ。大正15年(1926年)に発掘調査が始まり、古墳時代末期の7世紀ごろの遺跡と判明したのだとか。
まずは永田橋通りの北側の古墳を見てみよう。住宅街の細い路地を1本入った裏側に、金網のフェンスで囲まれた小高い山がある。現地の案内板によると、この山全体が古墳だというが、この土地全体が私有地なので中へ立ち入ることはできない。でもご安心を。フェンスに沿って山の外周をぐるっと1周することは可能なのでフェンスの外側から見学することは可能だ。
フェンスの向こうには、フランケンシュタインが隠れられそうな材木の山などが点在していた。
◎住宅街の真ん中で古墳発見!!
ここでいったん永田橋通りまで戻り、今度は道の南側の遺跡を訪ねてみる。なだらかな斜面を登っていった住宅街の真ん中、事前の調査ではこのあたりに目指す遺跡があるはずなんだけど......どうしても見つからない。そこで近くを歩いていたおじさんにうかがったところ、ようやくその場所が判明したのだった。
5メートル×5メートルほどの土地が金網のフェンスで囲まれており、その真ん中に長方形に石積みされた石室が露出している。「瀬戸岡古墳群7号墳」と呼ばれる石室の遺跡だそうである。
この石室にフランケンシュタインがすっぽりとはまって寝そべっている姿を想像したら......けっこう似合っているかもと思って思わず顔がほころんだ。
「瀬戸岡古墳群7号墳」の場所が非常にわかりづらかったので、永田橋通りからのアプローチを連続写真で紹介します。①日の出ICを背にして東へ100mほど歩いたら、建材会社の看板の脇道を斜め右へ入って、すぐに右折。②なだらかな坂を登って十字路に出たら、右奥の茶色い家の手前を右折。③さらに30mほど坂を登ったら瀬戸岡古墳群7号墳に到着だ。
ここが瀬戸岡古墳群7号墳。ひとつひとつ、ていねいな石積みがされている。古代人の死者に対する気持ちが伝わってくるようだ
◎いよいよキーワード「摩」が示す場所へ向かう!!
瀬戸岡古墳群を後にしたぼくは、再び車に乗って国道411号線(青梅街道)を西へ進む。いよいよ招待状の場所へと向かうのだ。
右に青梅線の線路、左に多摩川を見ながら青梅街道を40分ほど走ると、青梅線の終点奥多摩駅に到着する。ここを右折して都道204号線(日原街道)へ入る。
この日原街道は、最初のころは道幅もそこそこあるんだけど、やがて道の傾斜がきつくなってきて道幅もどんどんと狭くなってくる。部分的には対向車とすれ違うのも難しいほどの狭い場所もあるので、運転に自信がない方は奥多摩駅から出ているバスを利用するという方法もある。
◎狭路の先にあったのは大洞窟だった!?
この狭路をうねうねと走ることおよそ20分、ようやく目的地が見えてきた。今回の虫さんぽ+(プラス)ひとつ目のキーワード「摩」が示している場所、それがここ「日原鍾乳洞」だったのだ!!
キーワード「摩」の場所がなぜ日原鍾乳洞なのか? それは『鉄腕アトム』「第三の魔術師の巻」を読めばわかる。この物語は、世界一のロボット魔術師キノオをめぐって巻き起こる事件をアトムが解決するというお話だ。
この物語の中で、キノオの力を利用して国立美術館の名画百点を根こそぎ盗み去った男がいた。それが悪の魔術師・
奈良の山奥で出会ったあごひげの男が言ったあの言葉。「私が奪った美術品の隠し場所に興味はないかね?」という言葉と、「アカノ タニン」という言葉、そして招待状の「摩」の文字、これらすべてが指し示す場所がまさしくここだったのである。
それにしても天河大辨財天社からここ日原鍾乳洞まではおよそ550km。いやー、遠かったです。
険しい山道を越えてようやく日原鍾乳洞に到着した。
日原鍾乳洞 営業期間:1/4-12/29(12/30-1/3休業)、営業時間:4/1-11/30 午前8時-午後5時、12/1~3/31 午前8時30分-午後4時30分、入場料金:大人(高校生含む)800円、中人(中学生)600円、小人(小学生)500円、駐車場無料、問い合せ:0428-83-8491
断崖の巨岩にはさまれたような場所に、鍾乳洞への入り口がある。いざ探検に出発だ!!
◎洞窟の中は想像以上に広い!!
受付で入場料を払ってさっそく洞内へ入る。日原鍾乳洞は洞窟の総延長がおよそ1270m。関東でも最大級の鍾乳洞なのだという。『鉄腕アトム』のマンガの中では、ここへ入った人が「ハックショーン オホー... ひえらあ............」と言って震えているけど、実際の気温は年間を通して気温11度で一定しており夏は涼しく冬は暖かい環境だ。
ただし湿度は全体的に高めな感じだったので美術品を隠すにはあまり良い環境とは言えないかも知れない。
洞内はところどころに脇道があったり分かれ道があったりして、迷ってしまいそうな不安にかられるが、順路通りに進めば迷うことはないので心配する必要はない。むしろ足下が濡れていて滑るのと、頭上から鍾乳石が突き出している部分があちこちにあるので怪我をしないように注意しよう。
『鉄腕アトム』「第三の魔術師の巻」より。赤野多仁(あかの たにん)と名乗る魔術師が、国立美術館から名画100点を盗み去った!
※画像は講談社版手塚治虫漫画全集より
雑誌連載当時の雰囲気を味わっていただくためにこのページだけ複刻版でご紹介。名画泥棒の濡れ衣を着せられたロボット魔術師キノオとアトムは、名画の隠し場所を奥多摩の地下洞穴だと推理した! ちなみに雑誌連載時のサブタイトルは「三人の魔術師」だった。※画像は『鉄腕アトム<オリジナル版>復刻大全集』ユニット4(復刊ドットコム刊)より
日原鍾乳洞の案内パンフレットより。複雑に入り組んだ洞内の様子がよく分る。
かつてここは信仰の場だったため、洞内の各ポイントの名称に宗教に関連する名前が多く見られる
◎昭和30年代に発見された新たな洞窟!!
順路に従って歩いて行くと、途中に昭和37年に発見されたという新洞入り口への案内看板が立っている。この先はかなり険しいコースとなっているらしい。
じつは『鉄腕アトム』「第三の魔術師の巻」が雑誌に掲載されたのは昭和36年10月号から37年1月号にかけてのことだ。なのでもしかしたら手塚先生がこの新洞発見のニュースを知ってあえてこの洞窟をマンガの舞台にしたのかも!? そう思ったぼくは足がすくむほどの急な階段を上り、大切なカメラを何度も壁にぶつけながら、恐怖を押して新洞を制覇してきた。
だけどよく考えたら当時の月刊誌の刊行ルールでは1月号はその前の年の12月に発売されるものだったので、1月号の原稿は遅くともその前年の11月中旬には描き上げていなければならなかった。ということで昭和37年の新洞発見のニュースは単なる偶然のニアミスだったようである。
頭上注意の通路。探検気分が高まります!
『鉄腕アトム』「第三の魔術師の巻」より。アトムとキノオは一般の観光客に混じって洞窟内へ入る。昔はこんな風にロウソクを持って洞内を見学したのだろうか
洞内は部分部分でこのような虹色の照明でライトアップされていて、時間の経過で色が変化する
小さな祠の天井がキラキラと光っている。じつはこれ、近づいて見たら鍾乳石に貼り付けられたお金(お賽銭)だった!
昭和37年に発見されたという新洞にぼくも挑戦してみた!
上りも怖かったが下りはもっと怖い! ご覧の通り、階段のステップが水平ではなく、すべて下向きに傾いているのだ。水たまりができないようにという配慮だと思うけど、これはたまらんです!
そして狭い山道をくだり、ふたたび下界へ降りていく。まさにそんな感じのちょっとした冒険旅行でした
◎次の目的地までの距離はおよそ1,000m!?
ということで1つ目のキーワードが示す場所は無事に探訪した。
次なる目的地はどこなのか。ぼくは「吉」という文字と、左下の動物のシルエットに注目した。この動物は犬だろうか......いや、オオカミかも!? だとしたら次なる目的地はあそこしかない! スマホの地図で調べてみるとその場所は今いる奥多摩からおよそ1,000km! ぼくは奥多摩から一気に東京へと戻り、東海道新幹線に飛び乗った。さて、あなたには次の目的地がどこだかお分かりになられただろうか。
答え合わせは次回の虫さんぽ+(プラス)洞窟探検編第2話で。それでは次回の旅でまたご一緒いたしましょう!!
取材協力/あきる野市教育委員会生涯学習推進課文化財係、日原保勝会
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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