写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
招待状の指し示す場所はどうやら、かつて手塚先生が訪れた現存しない小出版社にちなむようです。あと一つの「閣」もその伝でとけないものか...。
思いがけない壁が立ちはだかります!
初夏の午後の太陽がじりじりと照りつける中、ぼくは東京神田の神保町交差点付近に立ちつくしていた。
地下鉄の中でつぶらな瞳の少年から手渡された謎の人物からの招待状。前回までにその2つのキーワードの意味を解き明かしたものの、最後のひとつ"閣"の謎がどうしても解けないのだ。
この「閣」という文字は、昭和22年の夏に手塚先生が売り込みをかけて『タイガー博士の珍旅行』などを連載することになった「新生閣」という出版社のことを指しているものだとぼくは推理した。
ところが本の奥付から調べたこの出版社の住所は、手塚先生の文章に示された場所とまったく異なっていた。
おさらいすると、手塚先生は講談社版手塚治虫漫画全集『新世界ルルー』のあとがきの中で、新生閣のあった場所をこう記している。
「専修大学前から、九段の方へむかった右側のちょっとした路地」
だが新生閣発行の『少年少女漫画と読物』昭和24年新年号の奥付には住所が「東京都世田谷區太子堂町」と記載されており、新生閣書店が昭和10年3月に発行した本の奥付には「東京市神田區錦町」となっていた。いずれも手塚先生の書いている場所とはまったく違う場所である。
もはや自分ひとりの力では解決できないと判断したぼくは、手塚プロのI藤プロデューサーにも応援を仰ぐことにした。
ぼくとI藤プロデューサーは手分けして国会図書館やその他の公共図書館で新生閣の本の奥付を徹底的に調べてみることにした。特に手塚先生が同社を訪ねた昭和22年8月時点にもっとも近い本の奥付が見つかれば、そこに手がかりがあるかも知れない。
そしてその調査の過程で、この出版社のおおよその流れが見えてきた。
まず昭和11年2月発行の新生閣書店の本の奥付でまた新たな住所の記載が見つかった。「東京市豊島區池袋二丁目」。どうやら新生閣書店は昭和10年から11年の間に神田区錦町から豊島区池袋へ移転したものと思われる。またこの池袋時代には同じ住所で社名が「新生閣書店」となっているものと「新生閣」となっているものがあり、どうやらこの時期は両方の社名を使っていた過渡期だったようだ。
と、そこへI藤プロデューサーからも連絡が入った。彼女の調査でなんと昭和22年発行の新生閣の本が4冊も見つかったというのだ。さっそく送ってもらった本の奥付を見たぼくは、「あっ! これだ!!」と叫んだ。
I藤プロデューサーが送ってくれたのは昭和22年1月、5月、7月、9月の4冊の本の奥付だった。いずれも本社の住所は「世田谷區太子堂町」となっているが、注目すべきはその隣だ。5月の本の奥付には「神田営業所」として「千代田區神田神保町三ノ六」という住所が記載されており、さらに7月と9月の本の奥付にも「分室」として同じ住所が記載されていた。
すぐにこの住所を火災保険特殊地図と照らし合わせてみたところ現在のその場所を特定することができた。その場所は専大前交差点から九段下方面へ向かう途中の俎橋手前の北側、すなわち手塚先生の記述ともぴったり一致する場所だったのだ。
ただし千代田図書館が所蔵している火災保険特殊地図で昭和22年にもっとも近いのが昭和23年4月発行のもので、そこには残念ながら新生閣分室、あるいは新生閣神田営業所の記載はなかった。つまり新生閣がこの場所に分室を置いていたのは、昭和22年5月以降、昭和23年4月以前のごくわずかな時期だったということだろう。
逆に言えば、新生閣がこの時期にここに分室を置いていなければ、手塚先生の新生閣での作品群も存在しなかったことになる。
神保町交差点から新生閣分室のあった場所へ向かうころには、太陽も西に傾きようやく歩きやすくなってきた。手塚先生もこの道をたどったとすればここを訪れたのは同じ時間帯だっただろうか。
靖国通りから右へ折れて路地へ入るとオフィスビルが建ち並び、急にひっそりと静かになった。昔の本の奥付には地区までしか記載がなく地番まで書かれていないので、新生閣分室が3丁目6番地のどこにあったのかまではわからない。しかしその角には今もどこかの出版社の関連施設らしき建物が建っていた。
今から76年前の夏、当時『新寶島』を出版したばかりの気鋭のマンガ家の若者がこの道を歩いて出版社に飛び込みで営業をかけた。
そこではこんなやり取りがあったという。
「関西に住んでなさるのかね?」
と、その人物──鈴木氏と名のった──は、じろじろとぼくを観察した。
「はあ、でも今後はちょくちょく上京するつもりですから。」
「じつは、ことしの暮れあたりから、うちで漫画雑誌を出そうと思ってるんだ。」
「へえ!」
「もしかしたら、仕事をお願いするかもしれんよ。ほれ、あの人もうちへかくんだ。」
気がつくと奥にもうひとり、若い男がすわっていた。顔の白い、ぼくと同年輩の男だった。あとで、入江しげるという新人だと知った。
「まあ、とにかく、連絡しますから。」
「お願いします。よろしく。」
と、ぼくはピョコピョコ頭をさげて出てきた。関西ならともかく、東京でさっそく雑誌とのつながりをもてるとは、なんという幸せ、とぼくはよろこんだ。「新生閣」という看板が、ぼくには幸運のお守り札のように見えてきた。
(前出『新世界ルルー』あとがきより)
さてこれでついに3つ目のキーワード"閣"の謎も解けた。今回は虫さんぽ史上、2017年の鎌倉さんぽ第2弾に次ぐハードなさんぽだった。だけど手塚先生も真夏にここを歩いたのだと思うと、むしろその気持もよく分かる充実したさんぽだったと思います。
さあ、果たして次はどんな招待状が届くのか。また次回のさんぽでご一緒いたしましょう!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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