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虫さんぽ+(プラス)マイ・ベストさんぽ【大阪編】第2話:手塚少年がアニメと出会った文化施設とは!?

2020/10/02

マイ・ベストさんぽ【大阪編】第2話:手塚少年がアニメと出会った文化施設とは!?

写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい

 手塚治虫先生の足跡と手塚マンガに描かれた作品の舞台を訪ね歩いて11年! 過去の「虫さんぽ」の中から特に思い出深いさんぽを振り返るマイ・ベストさんぽ! 大阪編の第2回に振り返るのは、2014年9月に公開された2度目の大阪さんぽから、かつて大阪市北区の中之島にあった文化施設「大阪朝日会館」の跡地を訪ねた虫さんぽです。

・虫さんぽ 36回:大阪さんぽ(後編)マンガとアニメ、手塚先生の創作活動のルーツを訪ねる!!

・これまでの「マイ・ベストさんぽ大阪編」

 第1話:手塚マンガの原点となった町、松屋町を歩く!!


◎川面を見下ろす黒いビル!!

 大阪朝日会館は、朝日新聞社が創業50年を記念して大正1510月にここ中之島に建てられた建物だった。この建物のメインとなる施設が収容人数1600人の大ホールで、そこでは毎月コンサートや演劇が開催されたり映画が上映されていた。

 新聞社のビルということで、何と外壁が新聞印刷用のインクで塗装されていたそうで、当時のモノクロ写真で見ても確かに真っ黒のじつに個性的なビルである。

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昭和初期のものと思われる絵はがき。手前に架かる橋が渡辺橋で、その橋の向こう側、正面の白いビルが昭和6年竣工の大阪朝日ビル。その右隣の黒いビルが大阪朝日会館だ

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昭和4年発行の朝日会館夜景絵はがき。この年は大阪朝日新聞の創刊50周年に当たり、そのメッセージが朝日会館屋上の「流動式電燈ニュース」で流されている

◎母親の言葉遣いに驚いた思い出とは...!!

 手塚先生のエッセイによれば、先生が子どものころ(昭和10年前後か)には、正月になると毎年ここでディズニーやポパイなどのアニメ映画を上映する「漫画映画大会」が開催されており、手塚家では毎年母親に連れられて弟や妹と一緒にそれを見るのが恒例だったという。そんなある年の朝日会館の思い出を、手塚先生はエッセイにこう綴っている。

「大阪の朝日会館で、毎年正月に漫画映画大会をやる。それを母に連れられて正月三日に観にいくのが、わが家の恒例であった。(中略)ところが、まったくおかしなことに、映画それ自体のことよりも、そのとき起きたごく些細(ささい)な事件についての記憶のほうが鮮明に残っているのである。それというのは──

 会場へ行くため、母は、ぼくらをタクシーに乗せてくれた。ここまではよかった。問題は、車を降りようと料金を支払う段になって起きた。母は、自分のもちものから、からだのあちこちを捜しまわったがどうしてもサイフを取り出すことができなかったのである。大阪駅から朝日会館まで、タクシーのメーターは一円十銭を示していた。だが、母は、自分が小銭入れしか持っていないことに気づかなければならなかった。それも一円札一枚しかはいっていない──

 ぼくらは、劇場の中に早く入りたいのに、母と運転手がかけ合っていて、なかなかはいれそうもない。

「一円に負けなさいよ」

「チョッ、冗談じゃない。十銭だって一円の十分の一だ。そうそう負けられませんよ」

「いいじゃないの、正月だから、ね、運ちゃん」

 ぼくは、この運ちゃんという言葉に驚いた。母がそれまでついぞ口にしたことがないような乱暴なことばだったからである。今から考えればつまらないことであるが、当時のボクにとっては強烈なショックだったらしい。連隊長の娘で、スパルタ教育を受けて育った旧式な母としては以外な変貌(へんぼう)であった」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集1』より。初出は1969年毎日新聞社刊『ぼくはマンガ家』)

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2011年4月の「虫さんぽ」の際に撮影した朝日ビルの全景。このときここは虫さんぽの目的地には含まれておらず、後日訪ねるつもりで写真は数枚しか撮影しなかった。残念!

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大阪朝日会館のものではないが、戦前の映画チラシより、当時の漫画映画大会の広告をご紹介。大体このような感じでニュース映画とセットになって短編のアニメ映画が数本上映されるのが一般的だった

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伴俊男著『手塚治虫物語』第1巻「オサムシ登場」(1992年、朝日新聞社刊)より。本文で紹介した手塚先生のエッセイにあったお母様とタクシー運転手とのやり取りがマンガ化されている

◎朝日会館の跡地には超高層ビルが!

 この大阪朝日会館は1962年に閉館し、1968年には朝日新聞大阪本社ビルに建て替えられた。2014年に虫さんぽでこの跡地を訪ねた際にはこの一帯がまとめて更地となっており、フェンスで囲われて高層ビルの建設準備が着々と進められているところだった。

 その高層ビルとは「中之島フェスティバルタワー・ウエスト」というホテルを中心とした複合商業ビルで、その後、2017年3月に竣工した。竣工後はまだここを訪ねていないので、2014年当時とくらべても恐らく風景は一変していることだろう。

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2014年6月にあらためて朝日ビルと朝日会館の跡地を訪ねたところ、ビル建設のため更地となってパネルで囲われていた

◎役者として朝日会館の舞台に立ったのだが...!!

 大阪朝日会館は、戦後になってからも手塚先生にとって深い縁のある場所だった。当時、手塚先生は学生演劇集団「学友座」に所属しており、役者として朝日会館の舞台に立ったこともあったのだ。

 以下、手塚先生の文章を引用しよう。

「ぼくは学生時代からある劇団に関係していて、アクターとしてその劇団公演の舞台に上がったりしましたが、その劇団が大阪の朝日会館で上演したのがこの「罪と罰」でした。そしてぼくはペンキ屋の役を演じました」(講談社版手塚治虫漫画全集『罪と罰』あとがきより)。

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昭和221月に大阪朝日会館で公演された学友座の芝居『帆船天祐丸』のしおり。この舞台で手塚先生は酔っ払いの船大工の役を演じたという。画像は2009年に東京都江戸東京博物館で開催された『生誕80周年記念特別展 手塚治虫展 未来へのメッセージ』の図録より

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昭和2211月に大阪朝日会館で上演された学友座の芝居『罪と罰』公演の際の記念写真。手塚先生は最前列左端に立っている。写真集『手塚治虫の自画像』(1990年、非売品)より

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手塚先生は、『罪と罰』が若い頃の愛読書だったとエッセイの中で書いている。先生が愛読したのは恐らく、戦前にもっとも普及していたこの新潮社版世界文學全集『罪と罰』(中村白葉訳、昭和3年刊)だろう

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『罪と罰』は手塚流の大胆な翻案で昭和28年にマンガ化された。画像は講談社版手塚治虫漫画全集『罪と罰』より

 またこの時の舞台の様子が、手塚先生の別のエッセイに詳しく書かれている(こちらでは「関西民衆劇場」という劇団での出来事となっているが同じ舞台の話だろう)。

「ここでいちばん大きな役は『罪と罰』という劇の、ペンキ屋の役でした。

 この劇は、舞台いっぱいに立体的なセットがくまれ、ボクたちはペンキ屋なので、いちばん高いところへ登らされました。下や客席を見ると目がくらむようです。

 それに、なにしろハリボテなので、下であばれると、上は地震のようにゆれます。フウフウいって壁につかまって、汗ぐっしょりで力演してから、あとで友だちに、

「どうだい、ぼくのいのちがけの名演は?」ときいたら、

「あんまり高くって、てんじょうのたれまくのかげにかくれて、足しか見えなかった」ですって」(立東舎文庫版『ぼくはマンガ家』所収「ボクのまんが記」より。初出は1964-65年虫プロダクション友の会刊『鉄腕アトムクラブ』)

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学友座の芝居『罪と罰』でペンキ屋を熱演した際の思い出を記したエッセイ。(立東舎文庫版『ぼくはマンガ家』所収「ボクのまんが記」より。初出は1964-65年虫プロダクション友の会刊『鉄腕アトムクラブ』)

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この『罪と罰』でのお芝居の様子は、前出の伴俊男著『手塚治虫物語』第1巻「オサムシ登場」(1992年、朝日新聞社刊)でも紹介されている

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学生時代の演劇経験が下敷きとなって生まれた異色の演劇マンガが『七色いんこ』(1981-82年)だ。そのためか作中にはこうして手塚先生自身が随所に顔を出す

 大阪朝日会館についてはまだまだ不明な点が多く、今後も引き続き資料を集めているところなので、また何か新たな事実が判明したらご紹介したいと思います。

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黒沢哲哉

1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。

手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


sanpo_tsunogai.jpgつのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/


■バックナンバー

 虫さんぽ+(プラス)

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・奈良編 第2話:写楽くんの足跡をたどりつつ古代史ミステリーを探る!!

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