写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
11年間にわたる思い出深い虫さんぽの中からとっておきのさんぽを振り返るマイ・ベストさんぽ! 今回は2012年に歩いた京橋のさんぽを振り返る。手塚先生が仕事でよく泊まっていたホテルが京橋にあったというのだが、いくら調べてもそのホテルの場所が分からない! 果たして虫さんぽ隊はそのホテルの場所へたどり着くことができたのか!? それではさっそくプレイバック虫さんぽへレッツGO!!
小説家やマンガ家がホテルや旅館に泊まり込みで仕事をすることを出版業界の言葉で「カンヅメ」と言う。「旅館に詰める」を略して「館詰め」である。昭和20年代の後半から30年代の始めにかけて、手塚先生もしょっちゅうカンヅメになって仕事をしていた。
手塚先生はそのころすでに東京に仕事場があったのになぜ旅館で仕事をしたのかというと、出版社が自社の仕事を優先してやってもらいたいからだった。先生を仕事場から連れ出して他社に内緒で旅館へ押し込み、そこで自社の作品を描いてもらうのだ。
もっとも、手塚先生が昭和34年に結婚して初台に新居兼仕事場をかまえると、それ以後カンヅメになることはあまりなくなったそうである。
2012年12月の虫さんぽ第25回ではそんな手塚先生の主要なカンヅメ旅館を訪ねて四ツ谷、本郷、京橋の3か所を巡り歩いた。
・虫さんぽ 第25回:手塚先生の第2の仕事場!? 東京都内・カンヅメ旅館をめぐる!!
その時本郷にあった老舗旅館「朝陽館本家」には、かつて手塚先生がカンヅメになった部屋が客室として現役で使われていて室内も見学させていただいた。しかし残念なことに朝陽館本家は2016年3月いっぱいで閉館となり、現在、跡地には高層マンションが建っている。
そして今回プレイバックするのは朝陽館本家ではなく、その後に訪ねた、かつて京橋にあったという「ホテル・メトロ」の跡地だ。ホテル・メトロは手塚先生が特にお気に入りだった場所で、時には自主的にカンヅメになることもあったという。
これはぜひ訪ねなければ、ということでさっそく調査を始めたのだが、このホテルのあった場所がいくら調べてもまったく分からなかったのだ。
このホテル・メトロについて、活字になっている唯一の具体的な資料は、手塚先生と親交のあったマンガ家で後に映像制作会社ピー・プロを立ち上げた、うしおそうじの著書『手塚治虫とボク』((2007年草思社刊)である。この本の中に次のような記述がある。
「"メトロ"は地下鉄銀座線京橋駅から直行で泊まれるビジネスホテルの走りである。このホテル・メトロの一室で、手塚と二人して自主的カンヅメを決行したのである。(中略)
京橋駅で下車すると、改札を出た眼の前にメトロの入り口がある。チェックインの時間ぴったりにフロントで手続きを終え、簡素な六畳間の襖を外し十二畳の広さにして、隣の座卓をボクの部屋の分と向かい合わせに並べた。まもなく手塚が来た。
彼は革カバンから道具一式を出す。彼は『鉄腕アトム』を、ボクは『しか笛の天使』の仕事を卓上に並べ、さっそく仕事にとりかかる」
うしお氏のこの本によって、ホテル・メトロのフロントが地下鉄銀座線京橋駅に隣接する地下にあったことが分かる。
だがその正確な場所はどこだったのか。ぼくは中央区役所、中央区観光協会、中央区の郷土資料を収集している中央区立郷土天文館に電話で問い合わせてみたがどこも分からないという。京橋の地元町会に問い合せてみても答えは同じだった。京橋図書館に昭和29年の住宅地図があるというので閲覧に行ったが、その地図にも「ホテル・メトロ」の名前は載っていなかった。
京橋といえば銀座の隣、東京のど真ん中である。東京のど真ん中にあったホテルなんだからたとえ現存していなくても何かしらの手がかりはすぐに見つかるだろうと思っていたのだが、なぜかまったく情報がないのだ。
そこでふと思ったのが、もしかしたら「ホテル・メトロ」というのは通称で、別の正式名称があったのではないかということだ。
その矢先に古書店で手に入れたのが、昭和35年に日本交通公社から発行された『新旅行案内5 東京』という旅行ガイドブックだった。そこに掲載された都内のホテルリストには何と「ホテル・メトロ」の名前がはっきりと記されていたのだ。
これによって、別の正式名称があったのでは、という仮説は打ち消された。だが同時にそこにはホテルの住所が記載されていた。その住所「中央区京橋二の七」を地図で見ると、そこは東京メトロ地下鉄銀座線京橋駅の真上だった。では駅の真上に建つビルがホテル・メトロだったのか? だとしたら昔の住宅地図のその場所にホテル・メトロの記載がないのはなぜなのか?
結局、ホテル・メトロの正確な場所を特定できないまま、ついにさんぽ当日を迎えてしまった。こうなったら前回のプレイバックさんぽで紹介した四ツ谷の下宿捜しの時と同じように、現地で直接聞き込み取材をするしかない。
そんな感じでさんぽ当日、四ツ谷→本郷を歩いたぼくが、日没も近い夕暮れの京橋駅周辺をとぼとぼと歩いていた時だ。おしゃれなスーツ姿の年配の男性とすれ違い、思わず声をかけたところ、なんとその方がホテル・メトロの場所をご存知で、しかもご自身も宿泊されたことがあるという方だったのだ!
さっそくその方にホテル・メトロの跡地へ案内していただいた。
「ここがホテル・メトロのあった場所です」
スーツ姿の紳士がそう言って示した場所は、何と地下鉄京橋駅の地下通路だった。かつてその地下通路の両端を壁で塞ぎ、その場所がホテルとして使われていたというのだ。
その方のお話をうかがわなければ、その場所はどう見てもただの通路であり、ここがホテルだったとはまるで想像がつかない。これはいくら捜しても見つからないはずである。
その紳士はかつてホテル・メトロの経営者とも親しくしており、経営していた会社の名前も教えてくれた。その会社の名前は太平洋興業。後日、その会社へ問い合わせたところ、当時の資料は何も残されていないということだったが、ホテル・メトロが営業していた期間が分かった。
ホテル・メトロが京橋駅の地下で開業したのは昭和23年10月。当時、日本は敗戦直後でアメリカ進駐軍の兵士が数多く来日しており、その関係者のための宿泊施設として開業したのだという。そしてその役目を終えた昭和45年11月に閉館となった。いくら探しても見つからず、住宅地図にも掲載されていなかったのは、地下通路に仮設された期間限定のホテルだったからなのだ。
今回プレイバックさんぽを掲載するにあたり、あらためて太平洋興業に話を聞けないかと思って連絡を取ろうとしたところ、当時の電話番号が通じなくなっていた。そこでネットで検索をしてみると、大変残念なことに同社は2019年12月に破産申請を出して事業を停止していたことが分かった。
太平洋興業の創業は昭和23年3月。ホテル・メトロを閉館してからはレストラン事業に主業を移しており、社員食堂などを経営していたという。
その太平洋興業の破産を報じる記事の中で目に留まったのは、同社が府中の東京競馬場と中山競馬場の構内で「メトロ」という店名のカレーライススタンドを経営していたことだ。
この店名はもちろん創業当時の事業だったホテル・メトロから命名したものだろう。お店にこの名前をつけていたということは、もしかしたらホテル・メトロで出していたカレーの味が引き継がれていたのかも知れない。そう考えるとぜひ一度は食べに行ってみたかった。
ちなみに先日、数年ぶりに京橋駅で下車したところ駅周辺の大幅な改装が行われたらしく、前回のさんぽ当時とは地下通路の様子が一変していた。ホームの上にまっすぐ伸びていた地下コンコース、すなわちかつてホテル・メトロだった場所は、側面の管理スペースが拡張されたようで、ますます狭いただの通路となっていた......。
ということで時の流れはいろいろと残酷ではありますが、いまひととき輝いていたあのころに思いを馳せながら、次回もプレイバック虫さんぽを開催いたします。
次回はいったいどの街のさんぽを振り返るのか、お楽しみに!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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