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虫さんぽ+(プラス)マイ・ベストさんぽ【東京編】第1話:四ツ谷の下宿はどこにある!?

2020/06/05

マイ・ベストさんぽ【東京編】第1話:四ツ谷の下宿はどこにある!?

写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい

 今回から3回にわたりマイ・ベストさんぽ【東京編】をお送りします。これまで訪ねた東京都内各地のさんぽの中から特に強く記憶に残るスペシャルな場所ベスト3を厳選し、当時のさんぽをあらためて振り返ります。さんぽの裏側なども大公開。それではプレイバック虫さんぽ、出発です!!


◎同じ場所を二度訪ねた激レアさんぽ!?

 マイ・ベスト東京さんぽ、今回振り返るのは、手塚治虫先生が東京進出の最初の拠点として借りた新宿区四谷の下宿跡を訪ねたさんぽである。

 じつはこの四谷さんぽ、2011年2月公開の第14回と2011年9月公開の第18回で2回も行っているのだ。同じ四谷になぜ2度も!?

 今回のプレイバック虫さんぽは、不確かな情報と思い込みに振り回された虫さんぽ隊が、ついに約束の地へたどり着くまでの、壮絶な右往左往のドラマである!!

◎部屋にいるのがバレてしまう!?

 昭和26年3月、大阪大学医学専門部を卒業した手塚先生は、いよいよ東京でマンガ家として本格的に活動することを決意し、翌昭和27年春ごろ、東京都新宿区四谷に初めての下宿を借りた。

 かつて手塚先生は講演会などでこの下宿の様子をこう語っていた。その下宿は八百屋さんが経営しており店の2階に部屋があった。角部屋で見晴らしの良い部屋だったが、夜中に仕事をしていると、外からでも窓の灯りで自分が部屋にいることが編集者にバレてしまうため、この下宿には1年ほどしか住まなかった、と──。

◎聞き込みでも手がかりは得られなかった......!!

 2010年の暮れ、手塚プロの会議室で行われた「虫さんぽ」の企画会議において、次回のさんぽの目的地をこの四谷の下宿跡にしようと決定した。しかしこの時点では、ぼくらにはこの下宿の正確な場所がどこなのかまったく不明だった。

 手元にあった唯一の資料は、手塚先生が1976年に『週刊少年マガジン』に発表した読み切り短編『四谷快談』だけだ。このお話は昭和27年ごろの四谷周辺を舞台としており、当時の手塚先生自身が本人として出演している。そこに四谷の下宿が"四谷一丁目のある八百屋さんの二階"と紹介されているのだ。

 だがこれだけでは情報が足りない。ぼくと「虫さんぽ」担当の手塚プロ・I藤プロデューサーは手分けして情報の収集に当たることにした。

 ぼくは手塚先生のエッセイやインタビュー、対談記事、関連本などを片っ端から読み返して文献から手がかりを探す。

 その一方でI藤Pには、手塚プロ内の古参スタッフへの聞き込みと社内資料の調査に当たってもらった。

 数日後、I藤Pから電話で社内の聞き取り調査の結果が伝えられたが、あいにく社内のスタッフからは有力な情報は得られなかったのだという。さすがに昭和20年代のことを知る社員はいなかったのである。

 だがI藤Pは、それとは別に重要な資料を見つけてくれていた。それは1980年代から90年代にかけて、手塚先生の関係者から先生との交流について話を聞いた膨大なインタビューテープの採録ノートだった。インタビュアーはマンガ家の伴俊男さんである。

 伴さんは1989年から1991年にかけて『アサヒグラフ』に手塚先生の伝記マンガ『手塚治虫物語』を連載した。伴さんはこのマンガのために何人もの関係者の方々にインタビューをし、そのテープからテキストを書き起こしたものが手塚プロの内部資料として保管されていたのだ。そしてその中のある編集者のインタビューに、四谷の下宿について語られている箇所があったという。

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読切マンガ『四谷快談』トビラ絵。この作品には今回の虫さんぽのテーマである手塚先生の四谷の下宿が登場している。※画像は玄光社刊『手塚治虫扉絵原画コレクション』より。同書は手塚治虫の原画の風合いを生かしつつ各時代を代表する手塚マンガの扉絵をオールカラー全2巻で紹介したものだ

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『四谷快談』より。下宿の場所が「四谷一丁目」と明記されている。下宿探しはここから始まった! ※以下、マンガの画像はすべて講談社版手塚治虫漫画全集『タイガーブックス』第7巻所収の『四谷快談』より

◎その場所はラジオ放送局のすぐ近く!?

 それは1990年3月20日に行われた、元・集英社編集者、長野規(ながのただす)さん(故人)へのインタビューだった。長野さんは『おもしろブック』や『少年ブック』の編集長を歴任されたあと、『少年ジャンプ』の創刊編集長となった方である。

 インタビューの中で長野さんは、手塚先生の四谷の下宿の場所について、「文化放送のそば」で「四ツ谷駅からちょっと入ったところの右っ角」だったと語っておられた。

 ラジオ放送局「文化放送」は、かつて四谷の新宿通りから路地を少し入った住宅街の中に本社を構えていた。その後2006年に港区浜松町へ移転したが、四谷の文化放送があった場所はぼくも知っている。これはかなり有力な情報だ。

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手塚プロ・I藤プロデューサーから送られてきた伴俊男さんのインタビュー採録テキスト。伴さんの大作『手塚治虫物語』はこうした地道な取材の上に描かれたものだった

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伴俊男+手塚プロダクション著『手塚治虫物語』1992年朝日新聞社刊、上下巻。現在は金の星社から2009年に全3巻で刊行されたもので読むことができる

◎さらに別の資料も見つかった!

 一方、ぼくの方でも手がかりが見つかった。それは、マンガ家で映像制作会社ピー・プロダクション創業者の、うしおそうじ氏の回顧録『手塚治虫とボク』(2007年)である。この本の中に次のような一節があった。

「ボクが手塚治虫の仕事場をはじめて訪問したのは、その『鉄腕アトム』の再連載がはじまって三ヵ月後、六月のある日の昼下がりだった。(中略)国電四谷駅を下車、都電の交差点を新宿方向へ歩いてしばらく行くと、四谷二丁目の角を左へ文化放送ラジオ局へ入る横丁があり、そこを曲がっておよそ百メートルほど行った右側の角に八百屋がある」

 これは先ほどの長野氏の言葉を裏付ける証言だ。文化放送のあった場所は住所でいうと新宿区若葉1丁目で、手塚先生が『四谷快談』に書いた四谷1丁目とはやや離れているが、旧・文化放送近くというのはこれでほぼ間違いないだろう。

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うしおそうじ著『手塚治虫とボク』(2007年草思社刊)。伴さんのインタビュー採録と並んで四谷の下宿探索の重要な手がかりを与えてくれた

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図書館で四谷界隈の住宅地図と古地図をコピーして探索に臨んだのだが......

◎手がかりは揃った。あとは現場調査へGO!!

 この2つの情報を元に、あとは旧・文化放送周辺で聞き込みをすれば何とかなるだろうということで、2010年12月某日われわれ虫さんぽ隊は現地へ向かった。

 しかし現場での聞き込みは難航した。道行く年配の方に片っ端から声をかけて聞いてみても、かつてこの近くに八百屋さんがあったことを知る人はまったく見つからない。

 冬の日は早々と傾き始めた。

 焦ったぼくは探索範囲を西へ広げてみることにした。その結果、四ツ谷駅から新宿通りを西へ向かって歩き、旧・文化放送のあった路地の先、2本目の路地を入ったところに、かつて八百屋さんがあったという地元のお年寄りの証言が得られたのだ。

 その立地も、長野氏とうしお氏が証言された通り、路地を入って右側の角だったのでこれはもうこの場所に間違いないとぼくは確信した。

 そして2011年2月の「虫さんぽ」第14回では、「確定情報は得られなかったが、おそらくココが手塚先生の下宿跡だろう」としてその場所を紹介した。

・虫さんぽ 第14回:東京・文京区と四谷で手塚先生、東京進出の足跡をたどる

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かつて文化放送の本社があった場所は住宅街のど真ん中だった。現在はそこにマンションが建っていて、その壁面の一角に「文化放送発祥の地」と記された銘板がはめこまれている

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1回目の探索で、地元のお年寄りから昔八百屋さんがあったと教えられた場所。長野さんやうしおさんの言葉通り、新宿通りから少し入った右側の角地だった。このときはついに見つけたと小躍りしたのだが

◎紹介した場所が間違っていた!?

 ところがである。この記事が公開されてまもなくの3月11日、I藤Pからこんなメールが送られてきた。

"お世話になっております。手塚プロダクション I藤です。

 先日の虫さんぽ・四ッ谷編につきまして、読者の方からの反響がありました。

 「四ッ谷の下宿の場所に異説がありますよ」というお話でした"

 ええっ!? と驚きながらそこに引用されたメールの続きを読んでぼくはさらに驚いた。そこにはこう書かれていたのだ。ご本人が匿名を希望されていますのでお名前はイニシャルで表記いたします。

"手塚プロ 「虫ん坊」編集部 様

何時も、楽しく「虫ん坊」読ませて頂いております。

初めてお便り致します手塚先生ファンのU・Yと申します。

早速ですが、今月の「虫さんぽ14回:東京・文京区と四ツ谷で手塚先生、東京進出の足跡をたどる」での四ツ谷下宿先の八百屋さん住所に関して異説がありますので、もしご存知でないなら、甚だ僭越ですがお知らせ致さねば?と手前勝手に思い込み、失礼をも省みず筆を執りました、お許しください。

以下、掲載誌と概略を記します。

手塚先生の四谷下宿時代の八百屋さんの住所に関して、手塚治虫FC京都の石川栄基さんが「まんだらけ11 手塚治虫大特集号(1995年11月26日発行)」51頁~53頁「貴方の知らない手塚治虫の話」で、くだんの八百屋さんの住所は新宿区四谷二丁目四番地にあった「山崎商店」であると書いておられます。

その八百屋さんのお嬢さん(京都在住美容院経営)と石川栄基さんは、記事当時懇意にされてる友人関係にある とも明言されており、八百屋さんの間取り見取り図や下宿近辺や文化放送、お岩稲荷 所謂手塚先生の当時の散歩道も図解されております。

手塚先生のオールドファンと致しましては、ぜひとも手塚プロ様の方で諸説の真偽をお調べ頂ければ、幸甚に存知ます"

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読者の方からのメールでいただいた情報を元に、あわてて古書店で入手した『まんだらけ』第11号(1995年まんだらけ出版部刊)。石川栄基さんの書かれた記事の中に、確かに四谷の下宿の場所が紹介されていた! 手塚治虫特集なのになぜぼくがこの雑誌を買っていなかったのかって? だってまんだらけの情報に触れると物欲が刺激されて大変なことになってしまうんだもの......

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同記事に添えられていた地図と建物の見取り図。この地図を実際の四谷の地形と重ね合わせてみたところ、ついに下宿の正確な場所が判明した。それから建物の見取り図には、うしおさんの本にあったように2階へ通じる外階段もちゃんと描かれている。手塚先生の部屋からは富士山だけでなくホテルニューオータニも見えたとかかれているが、同ホテルの創業は1964年なのでこれはお嬢さんの後年の記憶だろう

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『まんだらけ』の記事に添えられた地図と照らし合わせて判明した"本当の"四谷の下宿の場所。現在は1階が甘栗のお店で2階以上がマンションらしき建物となっていました

◎そして虫さんぽ隊はふたたび四谷に降り立った!!

 その後、ぼくもすぐに古書店で『まんだらけ』第11号を入手して確認したところ、確かに元・手塚治虫ファンクラブ京都代表の石川栄基氏が書かれたコラム記事の中で、手塚先生の四谷の下宿の場所が地図入りではっきりと紹介されていたのだ。

 すぐに石川さんにも連絡をして記事の引用の相談をしたところ快諾のお返事をいただき、2011年7月、この石川さんの記事を元にあらためてこの地を訪れた。

 そして翌月、"本当の"下宿跡を訪ねた「虫さんぽ」第18回が公開されたのだった。

・虫さんぽ 第18回:新宿区四谷・ついに判明した手塚先生の下宿跡を再訪る!

 ということで、痛恨のミスも含め、本当の手塚先生の下宿跡前に立った時には、感慨もひとしおだった。

 現在、下宿跡には小さなマンションが建っており、1階には甘栗屋さんの店舗が入っていた。石川さんの『まんだらけ』の記事の中で、八百屋さんのお嬢さんが語っていた話だと、手塚先生の部屋の窓からは、晴れた日には富士山がよく見えたということだ。

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『四谷快談』より。路地の様子や仕事場の中の様子が細かく描かれている。実際の場所を知ってから読むと位置関係が分かるので作品がより楽しめる

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マンガにはすぐ近くのお岩稲荷も登場。というより、そもそもこの読切作品の主役のひとりがお岩さんの幽霊なのだ

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手塚先生の下宿には風呂がなかったので銭湯通いをしていた。マンガの中にも描かれている最寄りの銭湯の場所も判明。そこが「梅の湯」という名前の銭湯だったことも現地の聞き込みで確認ができた

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マンガの中で手塚先生にいたずらを繰り返す戦災孤児の少年・平公。その平公との追いかけっこ場面に描かれた風景と良く似た風景もすぐ近くで見つけた

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中央に見えるファミリーマートの場所が、四谷の下宿時代に手塚先生が通い詰めたパチンコ屋のあった場所。『四谷快談』の中にもパチンコの場面が描かれていて、手塚先生の記憶の中で四谷の下宿とパチンコ体験は強烈に結びついていたようだ

 さて次回も、手塚先生お気に入りの場所だったにもかかわらず正確な場所が不明。そこから地道な調査を進め、ついにその場所へたどり着くまでの偶然と運命のドラマを振り返ります。ぜひまた次回のマイ・ベストさんぽにもおつきあいください!!

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黒沢哲哉

1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。

手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


つのがい

sanpo_tsunogai.jpgつのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
ブログ:http://tsunogai.blogspot.com/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/


■バックナンバー

 虫さんぽ+(プラス)

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・大阪編 第2話:大阪・中津の軍需工場跡地で、辛かった戦争時代の想い出を歩く!

・大阪編 第3話:大阪・十三で戦争の悲惨さを残す文化遺産を訪ねる!

・奈良編 第1話:火の鳥に誘われて巨大大仏を見る!!

・奈良編 第2話:写楽くんの足跡をたどりつつ古代史ミステリーを探る!!

・奈良編 第3話:その時が来なければたどり着けない!? 伝説の神社!!

・洞窟探検編 第1話:盗まれた名画の行方を追ってアトムが向かった場所は!?

・洞窟探検編 第2話:荒涼とした大地で手塚治虫が見たものは!?

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・北海道・道南-道東横断編 第1話:標高550メートルの山頂でヒグマに囲まれる!?

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