写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
今月の虫さんぽ+(プラス)はひきつづき、手塚先生が晩年をすごした街・東久留米市をあるきます。前回はブラック・ジャックのマンホール蓋をさがして右往左往した虫さんぽ隊、「駅へ行くのよさ!」という謎の声に導かれ、再び東久留米駅に戻ってみると......
謎の招待状の1つ目のキーワード"蓋"は、東久留米市内の5か所に点在するブラック・ジャックマンホール蓋を意味していた。
そのすべてのマンホール蓋を巡ったぼくはいまバスに揺られていた。
バスは東久留米駅行きである。猛暑の中を1時間以上かけて死にそうになりながら歩いた道のりをバスはわずか数分で走り、東久留米駅西口のロータリーへと滑り込んだ。
バスを降りると目の前に"それ"があった。
"それ"とは、ブラック・ジャックとピノコが並んで立っている銅像である。じつはこの銅像も2021年3月、マンホール蓋と一緒に市制施行50周年記念事業のひとつとして設置されたものだった。最初に東久留米駅へ着いたときに、遠くに見えていたのにスルーしていた像である。
ブラック・ジャックは肩にかけたコートをマントのようにはためかせて雄々しく立ち、その横でピノコも両腕を腰に当ててりりしい立ち姿を見せている。
前回も書いたように東久留米市は手塚治虫先生が1980年から晩年のおよそ8年間を家族とともに暮らした思い出の町だ。その町にブラック・ジャックの銅像が立てられたことには、きっと東久留米市の50周年というだけではない意味があるはずだ。
この像についてもっと知りたくなったぼくは、この像の監修をされた手塚先生の長男でヴィジュアリストの手塚眞さんに話を聞いてみることにした。
手塚「(東久留米市が手塚治虫が暮らした町だったということを)何か形として残したいという話は、もう何年も前からご近所の方々から相談されていたんです。ただそうはいっても何か具体的な計画がないとお手伝いのしようもないですから......そうしましたら今回、駅前に像を作ろうという話をいただきましたので、それはいいですね、ということですぐにOKを出しました。
つまりいきなり降って湧いた話ではなくて何年も前から特に住民の方からそういうお話があって、それが最終的に銅像という形になったのだとぼくらは受け取っています」
では眞さん、キャラクターとしてブラック・ジャックを選ばれた理由は何だったのでしょう。
手塚「普通は皆さんアトムを選ぶと思うんですけど、アトムはすでにあちこちに像もあり、新宿区の未来特使をつとめていたり、新座の特別住民にもなっています。またリボンの騎士なら宝塚ですし。そこで東久留米に住んでいたころに描いていた『ブラック・ジャック』がいいのではということになりました。
ただ個人的には、ブラック・ジャックというのは無免許の医者ですからね。キャラクターとはいえ無免許の医者なので大丈夫ですか、と心配したんですが、そこは皆さんぜんぜん気にしていらっしゃらなくて、マンガだからということで許してもらえてるようですね」
眞さんは今回、像の監修をされたということですが、特に気を使われた点というのはありますか?
手塚「ぼくが最後まで気にしたのは、ブラック・ジャックとピノコの立ち位置です。これはかなり厳密に指示を出させてもらいました。もう5センチこっちだとか、そんな感じで。どうでもいいじゃないかと思われそうですけどね。
しかし2人の立ち位置で2人の関係性が見えるのです。ピノコのブラック・ジャックに対する気持ちと、周りに対する意識から、2人はこの向きでここに立ってほしいというところに立たせたんです。2人がくっつき過ぎず離れすぎず、ピノコがブラック・ジャックの方を向きすぎず、反対側を向きすぎずみたいな感じですね。デリケートなんですよ、ブラック・ジャックとピノコの立ち位置は。(銅像は)動かないから余計にね。これはもう作り手といいますか著作者側のこだわりです。恐らく見る人にとってはどうでもいいことなんです。普通はまったく気づかないところなんですけど、だからこそそこをきちんとしたい、ということです」
眞さんありがとうございます!!
手塚眞さんの話を聞いていると、実際にこの像を作った方にも話を聞きたくなった。ということで電話で話をうかがいました! 株式会社アレグロの津金純多さん(34)である。
津金さんは、以前は映画の特殊メイクの仕事をされていたが、造形物に興味を持って転職し、銅像のほかに着ぐるみやイベント用の造形物などを作っている今の会社に入られたのだという。さまざまな立体物の造形に関わって4年あまりになるという津金さん。今回のブラック・ジャック像では3Dモデリングでの造形から原型までを担当されている。
津金さん、手塚キャラの造形はこれが初めてだそうですね?
津金「はい、会社としては手塚プロさんの仕事を以前からいただいていますが、自分が担当したのは今回が初めてです。
今回の銅像では当初、ブラック・ジャックとピノコで造形の担当者を分けるということで話が進んでおりまして、私はピノコだけを担当する予定でした。それで私の方が前の仕事が早く終わったので、私が先にピノコの制作を始めたんです。
手塚プロさんからはイメージ画をいただいていましたが、それはマンガの絵ですからね。ブラック・ジャックとピノコのリアリティのバランスが分からなくて、いろいろ悩みまして、とりあえず作ってみて手塚プロさんに見ていただこうということで、ピノコの3Dデータを先にお見せしたんです。
そうしたら予想外によい反応をいただきまして大きな修正もなかったので、ピノコとブラック・ジャックの作風のバランスを取る上でも同じ人間が作った方がいいだろうということで、そのままブラック・ジャックも自分が作ることになりました」
ピノコだけでなくブラック・ジャックも作ることになったという津金さん。造形はその後も順調に進まれたのだろうか。
津金「じつはブラック・ジャックの方も最初はデフォルメの強いシンプルなもので提出させていただいたんです。だけどブラック・ジャックの方はもっとリアルさを出したい、ヒロイック(勇ましい、英雄的)な感じにしたいというご要望をいただきまして、ピノコとのバランスを考えながらディティールをリアル寄りに調整していきました。
ブラック・ジャックの造形では髪の毛の解釈をどうするかがいちばん悩んだところです。横向きの顔と正面の顔では髪の毛の辻褄が合っていなかったりしますので、そこをどう落とし込むかというのが一番難しかったですね。
それと、ブラック・ジャックとピノコの頭のサイズが極端に違うようにしたくないという要望がありましたので、今までのブラック・ジャックの造形との差別化など、色々と考えた結果、髪の毛のボリュームをかなりマンガ的表現にして、ツンツン広がりの大きな表現にすることでピノコとのバランスを取る形になりました」
像が完成したときの津金さんご自身の感想はいかがでしたか?
津金「原型を組んだ時点では、手塚プロさんや、ファンの方々が見たときに受け入れてもらえるものになったかという不安があって感慨を感じるような余裕はありませんでした。
でも実際にお披露目の場に立ち合って、皆さんが温かく受け入れてくださっているのを感じて、初めて安堵感を覚えると同時に、作ってよかったという感慨を味わいました。
その除幕式で印象的だったのは、像に掛けられていた幕が黒だったことですね。普通は白ですよね。どなたの発案かは分かりませんが、この作品でしか成立しない色なので面白いなと思いました。
銘板に設置の年月日が記されていますが、緊急事態宣言の影響で除幕式が当初の予定より1ヶ月遅れたため、銘板に記載された日付と実際にお披露目された日が1ヶ月ずれています。今の時代を象徴する要素になったと思います。
それからこれは余談ですが、自分も東久留米市民なのでこの銅像はよく見ているのですが、天気とかで見え方が変わるのが面白いです。また意外だったのは、日が落ちて(像の後ろにある)とんかつ屋さんのオレンジのライトが像の側面に当たっている状態の見え方がけっこうかっこいいことです(笑)。
最近はこの周りでくつろいでいる方も増えて、憩いの場として馴染んでいるのを感じてとてもうれしいですね」
津金さん、貴重なお話をありがとうございました!!
ちなみに除幕式については手塚眞さんもこんなお話をされていた。
手塚「除幕式はこういう時期(新型コロナの流行)なのでごくささやかに行われ
たんですけれど、そのときに後ろからかなりご高齢の女性の会話が聞こえてきたんです。そのおふたりは駅前のベンチに日向ぼっこのように座っていてそこから像を見ているんですが、「あの像は誰?」「なんか有名なお医者さんなんだって」という話をされていたんです。
おふたりは恐らくマンガ世代じゃない方たちでブラック・ジャックもご存じないと思うんですね。そんな方たちが「有名なお医者さん」と言っているのを聞いて、ほのぼのしたと言いますか、とても心が暖かくなりました。
今みたいに健康を含めて生活に不安がある時期に、ここにブラック・ジャックの像が建てられたということは非常に象徴的なことだと思います。
医療とは、命とはということがあらためて問われる時代にあって、ブラック・ジャックというのは未来に希望を感じさせるキャラクターなのではないかと。ここにブラック・ジャックがいるというだけで励まされる人たちがいてくれたらうれしいですね」
──おふたりの話を聞いてこの像の製作に関わった方々のこだわりを感じながら、あらためて像に近寄ってみた。ブラック・ジャックとピノコの足元には銘板が銀色に光っている。津金さんの話にも出てきたこの銘板には、像の由来が記された後に、こんな文章が追記されていた。
「2020年、東久留米市市制施行50周年を迎える年に、covid-19が世界に拡大し未曾有の危機に陥りました。そのような時代に希望の象徴としてこの像に思いを込めました」
さて、こうして2つ目のキーワード"像"の謎も明らかになった。
残るキーワードは1つ。"宝"の文字が意味するものは果たして何か。じつは黒沢の頭の中にはすでにその心当たりがあったのだ。それでは次回、東久留米さんぽ最終回をお楽しみに!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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